第二話 城塞都市ゴーラ
黒衣に身を包んだ男装の女王、ジゼルは自室に魔導士ドルーズを招き入れていた。
ジゼルの部屋は、いかにも北方の辺境国らしく、様々な国の品が寄せ集められ飾られている。
壁に飾られたタペストリは東の国クワーヌ共和国のものらしく、独特の幾何学模様を描いていた。片隅に置かれた陶器の壷は、さらに東方のカナンの地からもたらされたものらしく、見事な色彩と艶をしている。
また中央におかれた神獣の彫像は、南のオーラのものらしい、独特の金属加工がなされていた。さらに金細工の装飾品は、南西の草原の国キタイのものらしく、緻密な造りをみせている。
部屋の家具は木製で、西方のトラウスあたりの細工らしい。ライゴールはどこの国とも軍事同盟を結んでおらず、中立の立場を貫いている。そのため、西方、東方様々な国と貿易を行っており、その利益により栄えている国であった。
「そうですか、私の麻薬は効きませんでしたか」
若き魔導士ドルーズは、肩を竦めジゼルに言った。その後ろには女性の助手、クリスが控えている。
「あの怪物には本当に手を焼かされたぞ。実際、数十頭の馬が倒れたのだから効き目は確かなのだろうがな」
「古代の巨人族は、完全無欠の戦士だったと聞きます。それを生け捕りにできたのなら、大変な幸運といえるでしょう」
「信じられぬな。古代の巨人の生き残り?神話では邪神グーヌとともに、地底の魔界へ降りたと聞くが。しかし、それはただの神話だ」
黒髪の若き魔導士ドルーズは、秀麗な顔に苦笑を浮かべた。
「われらは、その神話の神、グーヌに従う者。ただの神話とはいえ、真実を含むものです」
「かもしれぬ。あの戦いぶりは、まさに神話の中の出来事であった。それはまあいい。それよりも、ドルーズ、お主の仕事の進み具合はどうなのだ」
ドルーズは、もの想いに耽る表情となる。くせなのか、額にたれた前髪をいじっていた。
「グーヌの僕の神、ゴラースの封印を解くですか。八分通り終わりました。それにしても奇妙なことをお望みだ」
黒い長衣に身を包んだジゼルは、荒野の狼のような笑みをみせた。
「太古の邪神とは、かつて中原を支配した魔族の使役した使い魔であり、強力な魔族の兵器であったと聞く。それを利用すれば、我がライゴールも南のオーラや、東のクワーヌを恐れる必要はなくなる」
ジゼルは暗き瞳を、闇の色に輝かせ、黒髪の魔導士に語った。
「我がライゴールが中立の立場を貫くには、それが必要なのだ。古代の技術を復活させ、軍事力の強化に成功したオーラ、そして古代の秘術に通暁し、知の王国としてしられるクワーヌ、その二大強国の狭間の国、我がライゴールが生き抜くにはそれだけの力が必要だ」
魔導士はそっと、笑った。まるで深夜に渡る黒い風のような、笑みである。
「恐るべき野望をお持ちだ。おかげで、グーヌの神殿を追放され、住むところを失った破戒魔導士にも仕事ができたというものだが。
ただ、忠告しておきますが、太古の神を使い魔として使用できたのは、古の魔族の大いなる魔力があったからこそだ。この私にしても邪神を使いこなせるかどうかは、判りませんよ」
ジゼルは、猛々しい笑みをみせた。
「たとえ邪神が制御できず、このライゴールが滅びようと構いはせぬ。それならば、この私の命運がそこまでであった、ということよ」
ドルーズはそのジゼルを見ながら、さらに深くもの想いに沈んでいった。
◆ ◆
ライゴールの若き破戒魔導士ドルーズの助手、女魔導士クリスは、ジゼルの城を出て街へ向かった。魔導士らしく、灰色のフード付きマントをはおり、月の女神を想わす神秘的な美貌をフードで隠し、昼下がりの道を下って行く。
ジゼルの城は山の中腹にあり、ライゴールの首都ゴーラの街は、谷の底にあった。
城下街であるゴーラは坂道の多い、入り組んだ地形を持つ。天然の城塞都市とも呼ばれる。
クリスはジゼルの家臣の館が並ぶ山の裾を抜け、街である谷の中へと入って行く。
両端を崖に挟まれ、ずっと南の街道へ続いてゆく街は、活気に満ちている。
道端には市が立ち並び、商人や旅人たちが行き交っていた。旅人の人種は様々で、東のカナンの商人や、キタイの騎馬民族らしい行商人、南のオーラの傭兵らしき者もいる。
クリスは街道に近づいた宿場の並ぶあたりで、裏の路地へ入り込む。そのころには、陽は傾き夕暮れ時が近づいていた。
薄闇に包まれた路地は、クワーヌで調合された麻薬を商う店や、トラウスから流れてきた魔導士の店、あるいは様々な国の女たちを商う店が並び、表通りとは違う賑わいがある。行き交う人も、クリスと同じような風体の魔導士や、傷だらけの防具を身につけたならず者、地味な身なりの盗賊といった裏稼業の者が多い。 角にはグーヌ神の僕を現す邪神のシンボルや、神像が置かれ、動物の死骸などの供物が置かれている。クリスは麻薬や酒に酔ったものたちが行き交う、狭い路地を進む。
起伏が多いため、階段や歩道橋が多用され、道も狭く曲がりくねっており、立体的な迷路のようだ。
所々に、血のあとらしい黒ずんだ染みがあり、夜になると辻切り強盗や、傭兵同しの、物騒な喧嘩が多いらしい。しかし、一般的には金も持たず、仕返しの恐ろしい魔導士に手を出すものはいなかった。クリスは剣呑な通りを顔色を変えず、進んでいく。
クリスは一件の酒場の扉を開く。中はまだ陽が沈まぬというのに、客で溢れている。多くは傭兵か、野盗のたぐいらしい。そうした客がめあての売笑婦や、吟遊詩人もいた。
クリスは酔客の間をすりぬけ、片隅のテーブルで一人杯を傾けている男の前へ行った。男はクセのある黒い長髪をしており、見た目は盗賊ふうだ。チャコールグレーの地味なマントで身を包み、静かに酒を啜っている。
物静かな様子に似合わず、男の黒曜石のように黒い瞳は、キラキラと輝いていた。
騒々しい酒場の中で、男の精神は激しく活動しているようだ。
「ブラックソウル様」
クリスは男に声をかける。男、ブラックソウルは頷くと、クリスを前に座らせた。
「城の様子はどうだ」
「ジゼルはやはり、ゴラースを復活させるつもりのようですわ。ドルーズの準備は整っています。でも彼は恐れています。神を自分に制御できるのかと」
「神ね、神。ある種のエネルギー生命体だろう。いわゆるヌース神やグーヌ神という本物の神とは、違う。彼らを使いこなすのは確かにやっかいだろうが、大した力を持ってはいまい」
「おそらくは」
ブラックソウルは微かに笑みを、見せる。野性的ではあるが、無邪気な明るさを持ったその笑みにクリスは戸惑いを感じた。
「どうなさる、おつもりです」
「どうとは?」
「ドルーズは放置させておくのですか」
「好きにさせるさ」
ブラックソウルは凄みのある笑みを、見せる。
「ジゼルがたかが魔族の使い魔ごときで、オーラに対抗できると想っているのなら、大間違いだ。オーラはかつて暗黒王ガルンと、二百年以上戦ってきた。オーラは軍事的にも、神霊的にも鉄壁の国であることを知るだろうよ、ジゼルは」
ブラックソウルは杯の酒を呑みほす。
「俺がここへ来たのは、そんな事とは関係ない」
クリスは冷静な表情でブラックソウルを見つめたが、内心は闇の中に置き去りにされた子供のように、困惑していた。誰が聞き耳を立てているともしれぬこの酒場で、彼女の上司は自分がオーラの間者であると、公言するようなことを言ってる。
しかし、ここのもの達は、皆、周囲に無関心であった。自分達の計略に夢中な、盗賊たち。他人に酒をたかるのに熱心な、流れ者。金勘定の最中の行商人。羽振りの良い客の気を引こうとする、売笑婦。そしてその女達を振り向かそうとする、美貌の詩人。
この雑然とした店の中では、大国の計略なぞ、おとぎ話のように、現実味が薄い。
ブラックソウルはそう考えて、ここを選んだのだろうか。クリスには判断できなかった。
「まあ、当分は大人しくドルーズのおもりをしていてくれ。俺はいずれ、ジゼルに会いにゆく」
「どういう意味ですか?」
ブラックソウルは謎めいた笑みをみせた。
「ジゼルはオーラの間者とて、受け入れてくれるのさ。あれは奇妙な考えの女だよ」
クリスは半信半疑であったが、ブラックソウルの輝く瞳は、確信に満ちている。
彼女はジゼルの、荒野の狼のような笑みを想いうかべた。目の前のこの限りなく無神経に近い、大胆さを持った男に似ていると思う。
「そんなことよりも、ジゼルは巨人族の女戦士を捕らえたそうじゃないか」
ブラックソウルは子供のような無邪気な笑みを浮かべ、聞いた。
「ええ、どうも本当のようです」
「ドルーズは、ブラックロータスでも調合したのか?巨人というのは不死身の完全体らしいが」
「何かは知りませんが、クワーヌ共和国から来た麻薬のようでしたが」
ブラックソウルは楽しそうに、くすくす笑った。
「知の大国クワーヌは別名、麻薬大国というらしいからな。俺も土産に買って帰るとするか。オーラの闘竜を眠らせるようなやつも、あるかもしれねぇな」
クリスはこの男に感じる戸惑いの正体が、判ったような気がした。ブラックソウルは楽しんでいるのだ。ジゼルの野心や、ドルーズの危険な野望を知った上で、面白がっている。しかし、その本心がどこにあるのかは、クリスには見当もつかなかった。
◆ ◆
丁度その店の反対側のテーブル、客達のざわめきや、渦を巻く麻薬の煙、囁かれる陰謀、飛び交う怒号をへだてた向こう側に二人の男たちがいた。
ひとりは流れ者の、剣士のようだ。しかし、灰色のマントに隠れた腰のベルトに剣は、提げられていない。痩せた身体は、野に住む獣のような気を発している。その男は、相棒を呆れ顔で見ながら言った。
「よく喰うな」
「ああ?」
もうひとりの男は、顔を上げた。丸い顔である。目の上でまっすぐ切り揃えられた前髪は、輝く金髪であった。丸いのは顔だけではなく、胴体もである。樽のような胴体に、丸太のような手足がついている。そして奇妙なことに、左手を包帯で覆っていた。
丸顔の男は東方のものらしい、パスタ料理を貪り喰っていた。
「何かいったか?」
「グーヌの呪いをうけた悪魔の豚だぜ、おまえは。地上を喰い尽くして荒野にしちまう」
「何かいったか、ケイン?」
ケインは肩を竦めると、小声で呟いた。
「向こうで可愛い娘が、お前をチャーミングだといってたぞ、ジーク」
「なんだ」
ジークは粒らといってもいい、愛らしいサファイアのような青い目をキラキラ光らして言った。
「俺がもてるから妬いてたのか、ケイン。あ、おねぇちゃん、これお替わりね」
ジークは給仕の少女に料理の追加を頼むと、まるで子供のように無邪気な笑みをケインに見せた。
「計画を打ち合わせるんじゃなかったのか?ケイン」
ケインは端正というには、野性味のあり過ぎる顔を優欝げに曇らせ、言った。
「めしを、喰い終わってからじゃないと、仕事の話はしないといったのは、お前だジーク。あれから1時間、喰い続けてるがお前、忘れたのか」
ジークは逆さにした兜のような、巨大な杯で酒をあおった。
「ふう、お前は真面目でいけねぇやね、ケイン。その場、その場の流れというものがあるだろう」
「今は、めしを喰いながら話をする流れになったのか?ジーク」
「そうとも言うな」
ジークは、にこにこと笑う。その邪気のない澄んだ青い瞳をみると、ケインは怒る気を無くした。
「お前が言ったように話はつけて来たぞ、ジーク。明日の正午、黒い炎団の首領は俺たちと会う」
「で、そいつは間違いなく、ナイトフレイム宮殿への入り口を、知ってるんだろうな」
「会って話してみないと、判らん。こっちが信用していない以上に、向こうはこっちを信用していない」
「むふう」
ジークは溜息をついた。
「ラハンの弟子が、話をしたいと言ったんだろ」
「こっちのほうじゃ、そのラハンいう武闘家は有名らしいが、看板だけじゃ信用されんだろう」
「まあ、いい、明日になったら判らしてやるよ、あ、おねぇちゃん、鳥の丸焼き追加ね」
そう言うと、ジークは酒の壷から杯を満たし、さらに酒をあおった。
明日になったら、その丸い胴が倍に膨れて、肉団子と化してるんじゃねぇか、お前はと、ケインは言いたかったが、黙って目を逸らした。
「そのナイトフレイムに宝物があるというのは、間違いないんだろうな、ジーク」
「大丈夫だよ、ケイン」
「言っておくが、今のペースでお前が喰い続ければ、あと2日で俺たちは文無しだぜ」
ジークは一瞬目を丸くして、その後ゲラゲラ笑いだした。
「そんな心配してんのぉ、馬鹿だなぁケイン。そうなったら、そのへんで強盗やりゃあいいじゃん」
(こいつ)
ケインは、心の中で呟いた。
(初めて会ったころは、元王子だとか、実は高貴の生まれだとかぬかしやがったが、俺よりたちが悪いぜ)
ケインの思いを知ってか知らずか、ジークは天使のように穏やかな笑みをみせた。
「これ旨いぜ、ケイン。喰ってみろよ」