第十九話 邪神の降臨
ブラックソウルは、ヴェリンダの背後で言った。
「道を作れ、ヴェリンダ」
魔族の女王は、漆黒の手をあげエキドナに向かって翳す。白い光の道が、ヴェリンダの手からエキドナの背のドルーズの額に向かって走った。
それを見届けたブラックソウルの左手が、ふっと揺れる。その瞬間、紅い血を閉じこめたような闇の色の水晶剣が、白い光を裂いて飛んだ。
ドルーズの白い額が割れ、鮮血に染まる。エキドナが、空間が軋むような叫びを上げた。凶星が天空に出現したかのような光が、エキドナを包む。
光が消え去った後に、黒衣の魔導師と分離した竜の女王の姿があった。エキドナは若い獣のように身を捩らせ宙を舞い、高々と叫んぶ。
「自由だ、私は自由だ!」
ドルーズは頭部を斬られ、地面に横たわっている。エキドナは笑い、叫んだ。
「嬢ちゃん、礼を言うよ。すべての契約は終わり、私は自由の身となった。私は帰る。我が故郷へ」
ヴェリンダは慈母のような笑みを浮かべ、頷く。
「お前を縛っていた、呪縛の魔法の施行者は死んだ。行くがいい、竜の女王」
エキドナは身を踊らせ、地面に開いた宇宙へ向かい、飛び込んでいった。足元に開いていた輝く光の渦は消え、異界への扉は再び閉ざされる。後には影のように横たわる、ドルーズの死体だけが残った。
死者と化したドルーズの血塗れの頭が、すっと持ち上がる。ドルーズの死体が立ち上がった。ブラックソウルが、静かに語りかける。
「あんたは死者だった。最初からね。あんたは死人となっても尚、世界を破壊しようとする程、この世界を憎んでいた。しかし、エキドナが帰った今、あんたに力は残っていない」
ドルーズの死体は、無言で立ち尽くしている。虚空に穿たれた黒い穴のような瞳が、呆然とブラックソウルを見つめていた。
「冥界へいくがいい。多分あんたの憎しみより、おれの憎しみのほうが大きかった。そういうことだよ、ドルーズ殿」
ドルーズの死体の顔に、笑みのようなものが浮かんだ。そのまま死体は崩れ落ちる。今度は、動かなかった。
ブラックソウルは気配を感じ振り向く。そこには白衣の巨人、フレヤが立っている。その傍らには、死神のような黒衣に身をつつんだロキが佇んでいた。
「これで終わりかな?」
ブラックソウルが、黒い瞳を輝かせて言った。ロキが静かに首を振る。
「いや、ようやく終わりが始まったところだ。オーラの間者にして、魔族の女王の夫である男よ」
ブラックソウルの背後で、ヴェリンダが頷く。
「事を始めたものは死んだけど、決着は誰もつけていない。闇の時が始まるようね」
一瞬、礼拝堂が昏くなる。巨大な闇がフレヤ達の頭上で、渦巻いていた。やがて、暗黒は塊となり、ドルーズの死体へ吸い込まれてゆく。ドルーズの死体がゆっくり立ち上がった。
「なるほど」
ブラックソウルが、呟くように言った。
「邪神ゴラース、ご本人のお出ましかい」
ドルーズであったものは、白く輝く美貌に、笑みを浮かべた。
「我が封印は解かれた。さて、そなたらはまた、奇妙な者たちだな。人と魔族、巨人にヌースの造った模造人間がつるんでいるとは。私が封じ込められている間に、酷く世界は変わったようだ」
ブラックソウルは、あざ笑った。
「旧世界の者は、みんな同じ事を言う。変化を認めぬのなら、駄眠から目覚めなければいいのに。いずれにせよ」
ブラックソウルは、ロキに微笑みかける。
「ここから先は、あんたの仕事のようだ、ロキ殿」
ロキは無表情に、ブラックソウルを見た。
「お前はどうする。オーラの間者」
「さよならだ。ヴェリンダ!」
ブラックソウルが叫ぶと共に、ブラックソウルとヴェリンダを白い光が包んだ。
二人は光の中に、消え去った。
ロキは、かつてドルーズであった者へ、向き直る。
「お前は何が望みだ、グーヌの僕よ」
邪神に憑依されたドルーズは、美しい笑みを見せる。
「さてね。私は戦いの為にこの世に生み出された。戦いが終わって封印されたが、我が本来の存在意義は戦いの中にある。やることは、一つだな」
邪神は夢見るような、表情で言った。
「ヌースに戦いを挑む。まずあんたを破壊し、地上に満ちた人間どもを全滅させる。そうすれば、ヌースも古き協定を破棄し、天上から降りてくるだろうな。あの、凶暴な天使共をつれて」
ロキは、一歩下がった。そして叫ぶ。
「フレヤ!」
ロキの叫びに答えるように、ゆっくりと白い巨人が歩でた。その美貌に大地の女神のごとき、慈愛に満ちた笑みを浮かべながら。
「お前達の時代はもう終わったのだ、古きものよ。お前にふさわしい太古の夢へ、帰るがいい」
フレヤは嘲るように、言った。その言葉にかつてドルーズであったものは、昏く笑う。その笑みは漆黒の闇夜の終わりを告げる、明けの明星のごとく煌めいていた。
「記憶を封じられた巨人か。お前の力、我がものとさせてもらおう。そなたの力を得れば、グーヌ神やヌース神も畏れる必要はない」
フレヤは凶悪な笑みを美貌に浮かべ、剣を抜いた。真冬の夜空に輝くオリオンのように、フレヤの剣が光る。
「できるものなら、やるがいい! 古の使い魔よ」
「剣で私を倒すというのか」
ドルーズの体に憑依したものは、楽しげに笑うと、その力を発現させる。ドルーズの黒衣が夜空に広がる黒雲のように、フレヤの目の前で膨れ上がってゆく。ドルーズの白い美貌は冥界に輝く月のように、黒衣の上に浮かんでいた。
やがて背後に巨大な黒い翼が出現する。闇が立ち上がったかのような、ゴラースの獰猛な巨体が黒衣から姿を現す。
ドルーズの顔は歪み、その白い美貌を内側から突き破るように、獣の顔が出現した。凶暴なまでに気高く見えるその狼の頭部は、黄金色に煌めく瞳でフレヤを見おろす。
「愚かさにも程があるぞ、最も古き巨人よ」
「黙るがいい、闇の獣よ」
フレヤは暗黒を貫こうとする夜明けの日差しのように光る剣を、ゴラースへ向かって叩きつけた。全く手ごたえのないまま、フレヤの剣はゴラースの体を突き抜け、地面に刺さる。
「遊びはここまでだ、最後の巨人」
ゴラースが叫ぶと、その胴体が縦に裂け、腹部に白い闇が出現した。ゴラースは恋人を抱くように、フレヤの体を捕らえる。フレヤはあらがう術もなく、ゴラースの体内に出現した白い闇の中へ飲み込まれていった。
何事もなかったように、ゴラースの体に出現した裂け目は閉じられる。ゴラースは狼の顔に、獰猛な笑みを浮かべてロキを見た。
「持ち駒は尽きたのかね、ヌース神の模造人間よ」
「さてね、」
ロキは全くの無表情で、ゴラースを見ていた。
「そう思うかね、古き神よ」




