第十五話 魔導師ドルーズ
クラウスは、一瞬、狂死してもおかしくないような表情になる。しかし、すぐ平静を取り戻し、静かに言った。
「お戯れを」
「事実だよ、クラウス」
ブラックソウルは、嘲るように言った。
「あんたはもう少しで、あんたの真の主を冥界へ送るところだったんだぜ」
「おまえは黙れ!汚らわしい家畜」
「我が夫に対し、無礼であろう、クラウス」
ヴェリンダが泰然と、たしなめる。
クラウスは傷ついた獣のように、憎しみで輝く瞳を、ヴェリンダに向ける。ヴェリンダは、宮廷で謁見する王妃のように微笑んだ。
「ヴェリンダ様、あなたはガルンの手により、異界へ飛ばされ、幽閉されていたと聞きます。いつ戻られたのですか」
「確かに私は魔導の力も届かぬ、異界の地に閉じこめられていた。ガルンがエリウスに殺されたのちも、私はこの世界へ戻ってはこられなかった」
ヴェリンダは、楽しげに微笑む。
「我が父、セルジュはガルンに密殺された為、王位は我が弟、ヴァルラが継いだ。弟は、私を救った者には私を妻にする権利を与えると、ふれを出した」
「まさか」
「私を異界の地より、連れ戻したのがブラックソウルなのだ、クラウス」
クラウスは無表情となった。
「おれの言った通りだろ、クラウス」
ブラックソウルは、勝ち誇ったように言った。
「おれの名は、忘れられぬ名となっただろう」
「確かにな」
クラウスは、自分に言い聞かせるように、繰り返した。
「確かにそうだ」
哄笑が響いた。フレヤである。
「呆れた時代になったものだな、え?クラウス」
フレヤは美しき青き瞳を、皮肉気に煌めかせている。
「それはそれとして、聞きたいことがある」
クラウスは、疲れたように言った。
「何のことだ、最後の巨人」
「私よりも、我が相棒の望みだ」
黒衣のロキが、ゆっくり進み出る。
「黄金の林檎のことだ、クラウス殿」
「黄金の林檎か。ロキ殿、そなたまだ、あれを見つけ出していなかったのか」
「残念ながら」
「確かに、ラフレールは黄金の林檎を携えて、ここへ来た」
魔族の王女、ヴェリンダの傍らに立つブラックソウルの瞳が、昏く輝く。ロキは、ブラックソウルの存在を意に介していないようだ。
「しかし、ラフレールは、そのまま持ち帰ったよ」
ロキは、無表情のままである。
「ラフレールは、どこへ黄金の林檎を隠したのだろう。四百年も人の目に触れぬとは」
クラウスは、笑って答えた。
「さあな。奴自身が、今だに持っているのだろうよ」
ロキは、撫然として言った。
「人は、四百年も生きぬものだ」
「奴は、黄金の林檎を持ち歩いていたのだ。その力を全身に浴びている。奴を人間と考えぬほうがいいぞ、ロキ殿」
ロキは、少し戸惑ったような表情を見せた。
「ラフレールはどこへ向かうと言っていた?」
「はっきりとは、聞いていない。多分、西の方へ向かったのだろう。エルフの城の話をしていたからな」
「西か」
ロキは遠くを見る瞳をして、言った。
「ラフレールは、何を求めてここへ来たのだろう、クラウス殿」
クラウスは、夜の天使のように美しい顔を、わずかに歪めた。
「あれは、ただ一人、黄金の林檎の意味に気づいた人間だ」
クラウスはゆっくりと、ヴェリンダとブラックソウル、それにフレヤとロキを見渡す。そこにいる者は、すべてクラウスに注目していた。
「黄金の林檎は何百億年も昔に、地上へもたらされた。あれは星船の動力源として使用されていたが、元々は死の神サトスによって殺された、神々の母なる女神フライア神の心臓だ」
クラウスは、ロキに微笑みかける。
「このことの意味は、ロキ殿そなたが一番よく、ご存知であろう」
「そうだ。フライア神は、生命を育み、進化させる力を持つ」
ロキは聖地で祈りを捧げる、修験者のように静かに語った。
「その心臓が地上にもたらされたということは、地上に過剰な生命を育む力が、もたらされたということだ。すべての生命現象は加速され、破綻していく」
「違う」
クラウスは、重々しく言った。
「生命というものが、そもそもこの宇宙では異形の破綻した存在なのだ」
クラウスは静かな怒りを秘めた目で、ロキを見る。
「ヌース教の教義では、そうなっているはず」
「否定はしない」
ロキは、冷たい瞳でクラウスを見る。
「生命現象は、我々魔族も、人間も、あらゆる動物、植物も含め、宇宙の神聖な調和を乱す存在なのだ。グーヌ神が神々の定めに逆らい、黄金の林檎を地上へ持ち込んだがゆえに、生命は産まれた。この呪われた存在である生命を否定し抹殺しようとするのが、ヌース教であり、その生命を地上にもたらす源である黄金の林檎を天上へ、正確には金星にある次元牢の中へ戻すのが、ヌース神により人間に与えられた使命」
「黄金の林檎は危険だ」
ロキが静かに言う。クラウスは、首を振った。
「そなたの役割は、神々の定めによるもの。私はそなたに協力を惜しまぬつもりだ。誤解されるな。しかし、当の人間であるラフレールは迷っていたのだ。地上から黄金の林檎を持ち去れば、総ての生命は死滅すると知っていたからな」
クラウスは苦笑した。
「ラフレールはこう言った。この黄金の林檎を私に預かってもらえぬかとな。できうれば、永遠にと」
「しかし、」
ロキが言った。
「断ったのだな」
クラウスは、あざ笑った。
「できるわけが、無い。天使達が殺戮をもたらす為に、天上から降りてきた、あのヌース神とグーヌ神の戦争、あれをもう一度起こせというのか」
クラウスは首を振った。
「私はガルンほど、狂気にとりつかれてはいないよ。ガルンが助力を求めた時に断ったように、ラフレールの申し出も断った。黄金の林檎を天上に返すか否かは、人間が決めることだ。私が受け取れば、ヌース神とグーヌ神の取り交わした約定に逆らうことになる」
クラウスは金色に燃える瞳で、ブラックソウルを見た。
「もし、貴様ら人間が、真に考えるという行為を行ったなら、必ずラフレールと同じ苦悩に行き着くはずだ。にも関わらず、おまえ達は愚鈍にヌース神の教えに従うばかりだ。だから家畜でしかないんだよ、おまえ達は」
ブラックソウルは、肩を竦める。
「我々にとって、どうでもいいことなのだよ、生命の死滅など。黄金の林檎を天上に返すのが、何千年先になるかは判らないが、その時に少なくともおれは、生きてはいないからな。我々に必要なのは、大義だ。ヌース神は、それを与えた。宇宙の神聖な調和を取り戻すという、大義をね」
クラウスは、ヴェリンダを見る。
「この者の言う通りだ。人間は、瞬くような短い生を生きる。この者たちと我々魔
族が共に暮らすなど不可能です」
クラウスの目には、哀しみがあった。
「人間の世界を、ご覧になるといい。まるで病に侵され、肉体が崩壊してゆく動物のように、一時たりとも同じ姿をとどめることが無い。狂気のスピードにとりつかれ、無限の変化と生成を行ってゆく。あなたは、フレヤ殿と同様、記憶を封印されるおつもりか」
ヴェリンダは、夢幻の花園の中で微睡む乙女のように、微笑んだ。
「お前の意見など、聞くつもりは無い、クラウスよ。再び、太古の夢へ戻るがいい。未来を愁えるな、古の夢だけを抱いていろ」
クラウスは、口を閉じた。その金色の瞳は、ヴェリンダを見てはいない。その視線は魔族の王女を通りこし、礼拝堂の入り口へ向けられていた。
その大きな入り口の扉の影に、黒衣の魔導師が佇んでいる。ドルーズであった。
「これは、おそろいで、皆様」
その顔は死者のように蒼ざめ、その声は墓地を渡る風を思わせた。荒廃した大地を哀しむ女神のようなその美貌は、黒衣の上に白く輝いて見える。
訃報を知らせる為、大地に降り立った黒い鳥のように、マントを靡かせドルーズはあゆみだす。死せる神を悼むように、その目を伏せたまま。
一同は、無言でドルーズの登場を見守っていた。ドルーズは、あたかもこれから喜劇を演ずる道化のように、魔族の王女と神官、最後の巨人と神の造った模造人間、そして人間にして魔族の夫である男の前で、優雅に一礼する。
「オーラの間者殿、まずは礼を言っておきましょう。この宮殿の真の主ともいえる邪神ゴラースは、我が掌中に納めました」




