第十三話 純白の巨人
ジークは、左半身を前に出し、直角に曲げた左手を揺らす、いつものスタイルをとった。スリ足で近づこうとする。
(なに?)
ジークは、フレディのとった構えを見て、足を止める。その構えは、ジークのとった構えと、全く同じであった。火焔の入れ墨が彫られた左腕を、ジークと同じ形に曲げ、ゆっくり揺らせている。
「ほう、」
フレディは、面白そうに笑う。
「同じ技か。その左手、黒砂掌だな。おれにお前の技が通用するかな、無敵の男」
ジークの表情は、変わらない。相手がどうであれ、自分のスタイルを崩すつもりは無かった。
ジークは、間合いを測る。フレディは、長身を微かに屈めるようにして、フットワークを使っていた。
(まともに、行ってみるしか無いな)
ジークはラハン流格闘術の、最もオーソドックスな戦法を、とることにした。すなわち、左手で動きを止め、右手でとどめをさす。意身術の為、ジークは思念の統一を始めた。
全くジークと同じポーズをとったフレディは、ジークと同じように、フットワークを使いながら、間合いを測り始める。二人はいつの間にか、円を描いて動いていた。
互いに見えない中心の回りを、間合いに入るぎりぎりの所で、ゆっくり回っている。目に見えない力が、二人を押しとどめているようだ。
突然、ジークがしかけた。前に踏み込み、黒い颶風のように左手を放つ。金属のぶつかり合う音が、礼拝堂の神聖な静寂を破った。
(なに!)
相手の左腕を切断し、胸に食い込むはずだった漆黒の左手は、フレディの左腕に止められている。意身術に入る為、ジークの動きは、一瞬止まった。しかし、完全に捕らえられる間合いなのに、フレディも動かない。
(えい、いっちまえ)
全身の力が右の拳へ、集中する。フレディの右腕のガードごと、その胴体を粉砕するつもりであった。
ジークはその時、信じられないものを、見る。フレディが、鏡に映った自の姿のように、右手を腰に構え、自分に向かって掌底を放つのを。
(意身術もあやつるのか!)
ジークの全身の力をのせた右拳へ、フレディは右手の掌底を合わせた。鋼鉄の塊を殴ったような衝撃が、ジークの右腕へ走る。
「うがっ」
ジークは、苦しげに呻く。後ろへ跳び、間合いを開けた。フレディも動きを止める。
(やられた)
ジークの右腕は、下へさがったままだ。構えをとることが、できない。肩の関節が外れている為だ。
後ろに退がったフレディは、同じ構えをとる。右拳は、腰のあたりで構えられていた。
ジークが辛うじて、左手のみで構えをとろうとするのを、フレディは鬼神のような顔に笑みを浮かべて見ている。そして、動きを止めた。
「さすが、黒砂掌だ」
フレディは、左手を上げる。その皮膚が裂けており、鉄の肌がのぞいていた。
「クワーヌで買った人造皮膚が、裂けてしまったよ」
フレディは、肘から先の腕の皮膚をむしりとる。そこに現れたのは、鋼鉄で造られた、腕であった。
「流体金属の義肢か」
ジークが、呻くように言った。
体温の変化や、微弱な神経電流を感じ、形態を変化させる金属がある。その流体金属とよばれる素材の性質を利用し、自在に操ることのできる義肢がオーラにはあると聞いたことがあった。フレディの左手は、まさにそれである。
フレディは、鉄でできた骨のような、左手を動かしてみせた。滑らかな、普通の手と変わらぬ動きである。
「肩をはめなよ、無敵の男」
フレディは鉄の左手を、ゆっくり揺らしながら、言った。
「もう一度だ。始めてだよ、思いっきり意身術を使えるのは」
ぞっとする程、楽しげな声である。ジークは辛うじて笑みを口の端にのせた。
「ちったぁ、手を抜けよ。何事も余裕を持つ、そのほうが、人生をエンジョイできるってもんさ」
◆ ◆
(最初の一撃で、けりをつける)
ケインは、左手で勝負するつもりだった。意識を鮮明にしてゆく。ユンクの技は、意識を越えたスピードで肉体を動かすところに、奥義がある。
例えば、ある種の麻薬を吸引した時、世界が止まってしまったように見える状態に、なることがある。意識の流れが、日常とは別の流れに入り込んでしまう為だ。
又、麻薬を使用せずとも、極限まで肉体の能力を酷使した時、一瞬世界が止まって見えることがある。脳内麻薬とよばれる物質が、神経を伝う情報量を、飛躍的に増大させてしまう為だ。
すなわち、意識の底には別の時間流に従属する、もう一つの意識がある。無意識の底の意識とでも、いうべきものだ。ユンクはそれを単純に、「想」と呼んでいる。
ユンクの技は、麻薬の使用や、肉体を極限状態に置くことをせずに、想を呼びさますものであった。ケインはその想を、今まさに、呼びさましつつある。
極度の精神集中により、視界が一瞬暗くなり、轟音のような耳なりに聴覚が狂う。
しかし、その直後に、よりクリアな世界が開けるのだ。
世界は、水晶の中に閉じこめられたように、明るく輝きだす。空気の粒子一つ一つが、見えるように思える程、感覚が研ぎ澄まされる。
ケインは、夢見るような、表情になった。その瞬間には、世界は止まっている。
空間把握は、とてつもなく広い範囲になり、なにもかもが、凍り付いたように、動きをとめていた。
頭上から降り注ぐ光は、無数のスペクトルに分かれ、鮮やかな色の光線となり、ケインの視界に映る。自分の心臓の鼓動が、ゆっくりと打ち、それに従って、目の前の光の色が、移り変わってゆく。
煤色のマントに身を包んだ、黒い髪の男が動いた。その男、ブラックソウルはガラスの壁を叩き割るように、ケインの間合いへ踏み込む。
ケインの意志を越えたところで、判断がなされ、左腕が動いた。想のレベルで、ケインの身体は動いている。ケインの意識は呆然と、自分の体の動きを見ているだけであった。
闇の中で燃える炎を封じ込めたような、闇水晶の剣が、疾風となり空間を裂く。
甲高い音をたて、闇水晶の剣が弾かれた。
目に見えぬ壁に、跳ね飛ばされたように、闇色の半月型の水晶片は、ケインの左手へもどる。
(そういうことか)
ケインは、ブラックソウルの左手に自分の持っている物と同じ、闇水晶の剣を見た時、奇妙に納得してしまった。むしろ、正体を見抜けた安心感を、憶える。
相手も又、ユンクの技を学んだということだ。ブラックソウルの余裕は、それで説明がつく。後の問題はただ一つ、どちらの技が、優れているかだ。
ブラックソウルの口元には、相変わらず余裕の笑みが浮かべられている。
(いけ好かねぇ野郎だ)
ケインはエルフの絹糸を操り、二撃目の準備に入っていった。今や、ケインとブラックソウルは、常人の感じることのできない、スピードの世界へ入り込んでいる。
◆ ◆
ジークは、右肩を無理矢理はめ込む。再び、右腕は動くようになる。しかし、今の右腕では、意身術を使った技は使えない。
フレディとジークでは、技のレベルは、ほぼ互角であった。そうなると、体を構成する肉の量で力は決まってしまう。さっきジークの右腕が押し戻されたのは、フレディのウェイトが、ジークを上回っていた為である。
ジークが右肩を外したのは、右手の骨が砕けるのを、防ぐ為であった。関節が外れることにより、力が逃げ、骨は無事で済んだわけである。
意身術はあくまでも、体の力のすべてを一点に集中する術であるから、体にある力の総量までしか、でない。それが劣っているのなら、勝負は決まっていた。ジークには、一分の勝ち目もない。
しかし、一つだけ方法がある。危険な賭になるが、それしか手は残っていない。
ジークは、右半身を前に出し、左手を体の後ろへ退げた。丁度、フレディと逆の構えに替えたのだ。
「ほう」
フレディが、感嘆する。それは、捨て身の構えであった。右手は捨てる、ということなのだ。
生身の右手では、フレディの鋼鉄の左手は、防げない。当然、右腕は切り落とされるだろう。ただ、黒砂掌の左手と、フレディの右手がぶつかりあえば、フレディの右手は砕ける。
運がよければ、相打ちとなる。ただ、フレディの鉄の義手がジークの右手を切断し、胴体に食い込んだとしても、心臓までは届かない。せいぜい右肺を、貫く程度だ。ジークには、十分勝算があった。もし、フレディが、剣を抜かなければの話であるが。
ジークが右半身を前に出すということは、剣を防げないということだ。もし、ジークがフレディの立場であれば、躊躇わずに剣で斬りかかる。
しかし、目の前の男は、違うはずであった。戦いを、楽しんでいる。そんな終わりは、望んでいないはずである。
フレディは入れ墨に色どられた顔を、微笑みで歪めた。腰の剣をはずし、床へ投げ捨てる。
「楽しい男だね、あんた」
ジークは、笑みを返して言った。
「けど、最後に立っているのは、おれなんだけどね」
火焔の入れ墨をしたフレディの、その姿の通りの鬼神が現前したかのような、凄まじい殺気が、ジークの顔を打つ。
「次で終わりだ、あんたの無敵は」
ジークは子供のように、青い瞳を輝かす。
「本気にしたの、無敵というのを?うそに決まってんじゃん」
そして、ジークはたまらなく楽しげな笑みを、浮かべた。
「でもなぜか、勝っちゃうんだよな」
◆ ◆
無数の色の光が、目の前を乱舞する。闇水晶を使う時、いつもみえる幻覚だ。ケインは色彩の洪水の中で、闇色の刃を自在に操っていた。
絹糸を使い、空中で刃の向きを変え、斬りかかる。一度やりすごさせ、背後から斬る。ケインは自分にできる全ての技を、試みた。
ブラックソウルは、その技をことごとく、跳ね飛ばす。水晶がぶつかりあい、煌めくような音があたりに響いている。まるで結晶化した音の破片が、飛び散っていくようだ。
(互角だ)
ケインとブラックソウルの技は、同じレベルであった。ケインの繰り出す技は全て阻止され、ブラックソウルの反撃も、同様にケインがブロックしている。
(気にいらねぇ)
同じレベルのはずにも関わらず、ブラックソウルには、変わらぬ余裕が見える。
まるで、勝負の決め手を隠しているように。
(あのアニムスという野郎を、動かす気か?)
もし、アニムスがユンクの技を使えるのなら、ケインはとっくに負けている。しかし、アニムスは棒立ちで、ケインはいつでも彼を殺すことができた。
(くそっ、判らねぇがいずれにせよ、らちがあかねぇ)
ケインは、右手を使う決心をした。左手と右手のコンビネーション、その技数の多いほうが、この戦いの勝者となるはずである。
ケインは、右手の水晶剣を放った。それはやはり、ブラックソウルの右手から放たれた水晶剣により、はじきとばされる。
「むぐっ」
ケインの口から、呻き声がもれた。ブラックソウルの余裕の意味が判った為だ。
(あの野郎、左手と同じ位、右手を使いやがる)
ケインの右手は、左手よりスピードが落ちる。ブラックソウルが右手の水晶剣を、左手で操るのと同じ速度でできるのなら、コンビネーションでの戦いは、ブラックソウルの勝ちと決まっていた。
(負けたな、こりゃ)
ケインは、他人事のように、思った。
(こりゃあ、死ぬわ)
◆ ◆
ジークは待ちの構えと、なった。自分から、しかけるつもりは無い。今度は二人とも、足を止めている。二人の間に空間が歪みそうな、緊張が流れた。
(来るか!)
フレディの殺気が極限まで高まった時、すっと張りつめていた気が消えた。フレディの視線が宙をさまよう。
(何?)
ジークは、フレディの目の中に、怯えがあった。その視線は、ジークを越え、ジークの背後にむけられている。ジークの背後には、この礼拝堂への入り口があった。
つまり、その入り口から何者かが、入って来たということだ。
魔族でないことは、確かである。魔族は、フレディの敵では無い。とすれば、魔族以上の敵が、出現したということだ。目の前のジークを忘れ、隙だらけになってしまうほど、畏るべき敵が。
ジークは後ろに退がり、ゆっくり振り向いた。
ブラックソウルが右手を使い始めたとたん、ケインは守勢にまわった。ブラックソウルの攻撃を防ぐのに精いっぱいであり、反撃の糸口が無い。
そしてついに、受けきれぬ瞬間がきた。ケインは、死を確信する。
(やられた)
しかし、その一撃は来なかった。無限に思える数秒が、過ぎる。ブラックソウルは、動きを止めていた。ケインは、ブラックソウルの黒い瞳の中に、感動の色を感じとる。
(何が起こったんだ)
ケインは、混乱した。勝利を手にする直前に、それを投げ捨てるようなことが今、起こっているらしい。おそらく、ケインの背後で。
ブラックソウルの目はケインの背後へ、いっていた。そこに、何かがある。
(くそっ、何んなんだよ、一体?)
ケインは素早く後ろに下がり、振り向く。衝撃が、ケインの精神を揺さぶった。
(こいつは)
礼拝堂の清浄な光の降り注ぐ下、そこを一人の巨人族の女戦士が歩いている。純白のマントを纏ったその姿は、地上に破壊と殺戮をもたらす為に降り立った、凶悪の大天使を思わせた。
金色の炎のように、歩にあわせて髪が揺れ、清冽な真冬の青空のような瞳は、地下の淀んだ礼拝堂の空気を貫く。4メートルはある長身に一分の歪みも無く、古代の美神の彫像のような、完璧さを誇示している。
そしてその巨人の美貌は、地上のものとはとても思えない。天上界に住まう天使ですら、彼女の前では色あせるであろうと思われた。
ケインは、思った。この完璧な巨人の前では、人間はまったく矮小で、とるにたらぬ存在であると。
白いマントと鎧を身につけた巨人の傍らには、黒い影のような男が、つき従っている。その男はつば広の帽子を目深に被って眼差しを隠し、冥界の死神のように漆黒のマントで身を覆っていた。
荘厳といってもいいあゆみを止めた白衣の巨人フレヤは、凶々しい笑みを見せる。
「ふふっ」
人間達は、白い巨人が低く笑うのを聞いた。
「こんな最深部まで、ムシけらが入り込むとはな。魔族の守りも、おそまつなものだ」
フレヤは、人間達に、侮蔑の眼差しを向ける。
「地上へ帰れ、地べたを這いずるものたち。ここは、お前達の来るところではない」
竦みあがっている人間達の中で、ブラックソウルがただ一人、不敵な笑みをみせている。ブラックソウルが言った。
「用事が済めば、帰りますよ」
黒曜石のように、瞳を煌めかす。
「黄金の林檎が得られれば」
「お前には、無理だな」
フレヤは静かに、宣言した。
「ここに残るというのであれば」
フレヤの瞳は、真冬の烈風を思わす光を宿した。
「ムシけらにふさわしい、惨めな死を与えてやろう」
ブラックソウルは、哄笑した。ケインとジークは、とっくに姿を隠している。
「死は総ての者に、等しく与えられる。神ですら例外ではない。お前にもだ、最後の巨人」
フレヤの背後で、アニムスが跳躍した。火焔の入れ墨を持った戦士は、フレヤの頭を越えるほど高く跳躍し、空中で旋風のように身を回転させ、剣を振るう。
避けようのない速度とタイミングで、剣はフレヤの首筋めがけて走る。フレヤは、羽虫の気配を感じたというかのように、軽く片手を振った。
みちっと肉を打つ音がし、アニムスの体が宙を飛ぶ。まるで投げ捨てられた、子供のおもちゃの人形のように、アニムスの体は飛んで行き、柱にぶつかった。10メートル以上の距離を、跳ね飛ばされている。
濡れた音がし、柱にぶつかったアニムスの頭が、粉砕された。真紅の絵の具を、巨大な刷毛で塗ったように、柱に紅い線が引かれる。
ごみくずのように、床へアニムスの死体が落ちた。フレヤは、背後を見ようともしない。何かが死んだという意識すら、ないようだ。美しい笑みは、救いの女神を思わすが、その笑みの背後には、魔神の凶悪さが潜んでいる。
フレディは、膝が震えるのを感じた。人智を越えた、魔法的存在と戦ったことも、幾度かある。しかし、今、目の前にいる巨人は、圧倒的な物理的力であるとともに、得体のしれぬ神秘的存在であった。そんな物に出会ったのは、これが始めである。
「くそっ」
フレディは、剣を抜く。フレヤの前に、立ちふさがった。フレヤは、涼しげな青い瞳で、フレディを見おろす。
一瞬、風が起こった。フレヤが、腰のスリングから剣を抜いた為だ。それは、巨大な鉄材を思わす、剣である。
その剣は、フレディの頭上に掲げられた。フレディは鋼鉄の塊が、軽々と片手で持ち上げられ、頭上で舞うのを見、恐怖を感じる。
(飛び込むしかない)
フレディは、フレヤの足元へ向かって、跳んだ。そこであれば、剣も振るえないはずである。フレヤの臑へ斬りつけようと、構える。
フレヤの足が、ふっと動いた。フレディは、自分が暴風に飲み込まれたのかと感じる。フレディの体は、紙人形のように宙を舞っていた。
そのまま聖壇を軽々と越え、その背後の壁画へ激突する。黄金の林檎の木を描いた部分に、真紅の血飛沫がかかり、床へ落ちた死体は、鞠のように跳ね、転がった。
「せめて、剣で死なせてやろうと思ったが」
フレヤの口元が、苦笑に歪む。
「自らムシけらのような、死に様を選ぶとはな」
フレヤの背後から、黒衣のロキが進みでた。
「オーラの手のものだな、お前達は」
ブラックソウルは、配下の者の無惨な死を見ても、顔色一つ変えていない。
「おれは、オーラ参謀ブラックソウルだ。あんたは?」
「ロキ、といえば判るだろう」
ブラックソウルは、怪訝な顔をする。
「ロキ殿?ロキ殿は、オーラ首都の水晶塔におられるはず。お前は何者だ?」
ロキは、静かに言った。
「ロキとは、一人ではない。私もまた、ロキの一人」
「よく判らんが、まぁいい。あんたその巨人と、何をするつもりなんだ」
「おまえと同じさ。黄金の林檎を求めて、ここへ来た。おまえは帰るがいい、オーラのブラックソウル」
「あいにくとね、」
ブラックソウルは、うんざりとした顔になる。
「あんたに任せられないんだ。あんた、みつけた黄金の林檎を、トラウスのユグドラシルの根元にある、ヌース神が造った結界の中へ戻す気だろ」
「いかにも」
ロキが頷く。ブラックソウルはやれやれと、首を振った。
「あれは、オーラが持ってないと、まずいんだよ。なにせオーラは正当王朝を名乗って、トラウスを占拠しようとしている。黄金の林檎は、その為にいるんだ」
「愚かだな」
ロキは、疲れたように言った。
「同感ではあるが、しかたない。手を引いてくれよ」
「折り合いがつかなければ、死んでもらうしかないのだぞ。巨人族は、完全な戦士だ。おまえでも、かなう相手では無い」
「そいつは、どうかな」
ブラックソウルが、皮肉な笑みをみせる。
「ジゼルに捕らえられた巨人というのは、あんたなんだろ?」
フレヤの瞳が凶暴な光を宿し、ブラックソウルへ向けられる。ブラックソウルは、何も感じないように、笑った。
「図星だね。怒るこたぁない。ただ、ジゼルにできて、おれにできない訳は無い。そう思わないかね、ロキ殿?」
フレヤは、剣をブラックソウルへ向ける。
「試すがいい、小さき者。自分の命を賭してな」
ブラックソウルは、低く笑った。そして背後のクリスへ、声をかける。
「クリス!」
女魔導師が聖壇の上で立ち上がり、ブラックソウルを見る。
「こちらの巨人戦士に、夢を見せてやれ。とびっきりのやつをな!」
蒼白の冬の帝王が、地上を支配する時のように、白いマントを靡かせゆっくりとフレヤは歩む。そして、聖壇上のクリスと向き合った。
クリスは銀色の髪を乱し、聖なる白痴のごとく虚ろな青い瞳をさまよわせ、天上の美神を迎え入れるように、両手を高く掲げる。開かれた口から、天使達が降臨する時に鳴らされる喇叭のように、叫びが放たれた。
フレヤは見る。クリスの掲げられた両腕の間に、空に輝く太陽も薄らぐような、凄まじい光が出現するのを。フレヤは真夏の幻惑のように、視界を覆った白い光に目を眩ませ、数歩下がる。瞳を閉じ、死のような暗闇を見つめた。
そして再び、フレヤが南国の海のように青く輝く瞳を開いた時、熱く激しく渦巻く蒸気が立ち昇った。フレヤは、思わず顔を腕で覆う。
フレヤは、ゆっくり踏み出す。あたりは白いメイルシュトロオムのような蒸気と、乱舞するサラマンダのような炎に包まれている。そこは、混沌の王が支配する地のように、暴力的な熱気と破壊に満ちていた。
空を見上げると、ビロードの天蓋のような黒い夜空に、砕けた宝石のような星々が煌めいている。フレヤは漆黒の夜空の下の、白い闇の中を歩む。それは紛れもなく、どこかで見た光景であった。
(まさか…)
フレヤは、自らの肉体を見おろす。美の化身のように輝く肢体が、破壊神の抱擁のような、熱気の中に曝されている。彼女は、一糸纏わぬ裸体であった。
突然、混沌の神の領土から抜けでて、雪原と針葉樹が目にはいる。そこは、渓谷のはずれであった。フレヤの確信は、高まる。
「予言の通りだ」
星灯に輝く真白き雪原に、一人の老戦士と、屈強の戦士が立っていた。白い総髪を、風に靡かせている老戦士は、フレヤに語りかける。
「あなたこそ、我らラーゴスの民の守護神、フレヤ殿だ」
老戦士は、遠くを見る瞳をして、語り続ける。フレヤの、広壮な冬の蒼い空を思わす瞳が、静かに老戦士を見つめていた。
「あなたは三千年前、魔族の魔導師クラウスと共にこの地を訪れ、氷土の中で眠り
に就かれた。しかし、予言では三千年後、天上より燃え尽きた星の墜ちる日に、あなたは目覚めると語られていた」
フレヤの口は、彼女の意志に関わり無く、かってに言葉を紡いだ。
「私は、フレヤという名なのか?」
「その通りです」
老戦士は頷く。
「我がなすべきことを告げよ、小さき者。我が記憶が戻るまで、汝にしたがおう」
老戦士は、明るく微笑んだ。
「まずは神殿へ。そこにあなたの武具と、剣があります」
フレヤの体が、動き始める。記憶の中の彼女が、そうした通りに。
(私は過去にいる)
フレヤは夢の中で、夢を見ていると感じるように思った。
(これは、夢なのか)
しかし、裸足で踏みしめる雪原の感触、肌に触れる夜の空気、総てがリアルであった。
(では、あのナイトフレイムの宮殿が夢で、今、真に目覚めつつあるのか?)
答を得る術は、無かった。




