第十話 ユグドラシルの剣
下りの階段は、意外にすぐ見つかった。真っ直ぐ降りる階段を、ケイン達は下る。
降りた所は、大広間になっていた。
「おい、」
ゲールが、絶望的な声を出した。
「嘘だろ」
そこには、十人以上の魔族の戦士達がいた。一人残らず、漆黒の肌の上に銀の鎖帷子をつけ、抜き身の剣を提げている。
その天空に輝く満月のような瞳が、ケイン達を見つめた。黒曜石の彫像のごとき、漆黒の屈強の肉体からは、闘竜のような生命力に溢れている。そして彼らの周囲から、ぞっとするような瘴気が漂ってきた。
「ふっ」
金色の髪をかき揚げた魔族の戦士が、蔑みの笑みを見せ、呟く。
「戦いの前に、家畜が迷い込んできたようだな。とりあえず、腹ごしらえとするか」
奈落の底のような闇色の顔に、野生の獣のような、高貴で美しい笑みを浮かべ、その戦士は一歩踏み出す。
ゲールが絶叫し、走りだした。火砲が火を吹く。その榴散弾は、上方へ逸れた。膝をつき、うずくまったゲールの背中から、剣の切っ先が見えている。
先頭に立っていた魔族の戦士が、剣を放ったのだ。魔族の戦士は、野獣のような優雅さをもって、うずくまったゲールに近づく。頭を掴み、顔を上げさせると、無造作に剣を抜いた。
ゲールは、屠殺場で殺される動物のように、力無く泣いた。ケインは一瞬、全身が凍り付くような、冷たい波動を感じる。渦巻くような、強烈な瘴気があたりを満たしていた。
麻薬の幻影の中にいるように、世界が歪む。その中で、魔族に頭をつかまれたゲールが、幾度か痙攣する。やせ衰えた老人のように変貌した、ゲールの死体を、魔族の戦士はゴミ袋を捨てるように、投げ出す。ケインは自分の足が、震えているのを感じた。
残りの魔族たちが、ケイン達を見つめている。逃げようにも、足が動かなかった。
後ろをみせれば、ゲールのように、剣を投げつけられるような気がする為だ。
「ま、ひとつやれるだけ、やろうや」
ジークが、妙に晴れ晴れと言った。ケインも覚悟を決める。本当に、家畜のように、黙って殺される気は無い。
ケインは、想念をまとめ始める。いきなり闇水晶で斬りかかるつもりだ。闇水晶で首を落とせば、魔族といえ、生きてはいまい。
ジークも左手を掲げ、すり足で魔族達へ近づいてゆく。ケインはジークの後ろについた。捨て身で戦って、活路を見いだすしかない。
突然、魔族の戦士達が、踵をかえした。ケイン達と反対方向へ、歩いて行く。ケイン達など始めから存在していなかった、というように。
広間の反対側にも、階段がある。その階段の奥から、足音が聞こえていた。魔族の戦士達は、散開して待ちかまえる。
「へぇっ」
ジークが感心する。
「やつらに、戦う気を起こさせる相手が、来るみたいだぜ」
確かに、ケイン達と対峙したときの魔族達には、鼠をいたぶる猫のような残忍さしか無かった。今の魔族達には、戦う者の持つ、緊張感が感じられる。
そして足音の主達が、姿を現した。先頭は、煤色のマント纏ったブラックソウル、そしてその背後に長身の戦士が二人、さらにその後ろには、黒衣の魔導師ドルーズにクリスが続く。
ブラックソウルは、パーティ会場に遅れて現れた主賓のように、微笑んでみせる。
その体には、さっきケイン達が浴びたものとは比べものにならないような、暗黒の波動が浴びせられていた。ブラックソウルは、常人であれば衰弱して即座に昏倒してしまうような瘴気を、そよ風ほどにも感じていないようだ。
見ているケインのほうが、吐き気を感じ始める。広間の反対側であるにもかかわらず、目眩を感じさせるほどの精神波を、魔族達は発していた。ブラックソウルは、楽しげに言う。
「やれやれ、またですか。逃げ出してもいいんですよ、クレプスキュールの皆さん。あなた達を殺すのは、本意じゃない。欲しいものさえ得られれば、さっさと帰ります」
魔族達は、無言であった。ブラックソウルは、微笑む。その笑みには、侮蔑が混ざっていた。
「家畜とは、口をきかない、ということですか。じゃあしかたありませんね」
ブラックソウルは、後ろへ下がる。剣を提げた、長身の戦士達が前へ出た。その戦士たちは、異相の持ち主である。
その顔と腕には、炎を思わす形の入れ墨がなされていた。両腕の入れ墨には、何か呪術的な意味を持つ文字が、組み込まれている。
体には、ごく軽い革の防具のみを、つけていた。頭の髪は、頭頂部のみを残し、全て剃り上げられている。むき出しになった側頭部にも、火焔の入れ墨は彫られており、隈取りされた顔は、伝説の魔物を思わせた。
そして頭頂部に残った紅い髪は、天に向かって逆立てられている。まるで、燃え盛る炎が、頭上に乗っているようだ。
見事に鍛え上げられた肉体を誇示し、二人の剣士は長剣を構える。その片刃の剣は、黄金色に輝いていた。鍔は無く、根元のあたりには何か文字が彫られており、その文字は鬼火のような紅い光を放っている。
魔族の戦士達は、怯えたように、後づさった。明白に長身の剣士達に、威圧されている。ケインは感嘆した。自分達の時とは、全く逆の立場にその異相の剣士達はいる。
「やりなさい、フレディ、アニムス」
ブラックソウルが声を掛ける。二人の剣士、フレディとアニムスは黄金色に輝く剣を掲げ、前へでた。
一人が無造作に、剣を振り降ろす。金色の残像を残し、剣が振り降ろされた後に、魔族の黒い腕が剣を持ったまま、床に転がった。
腕を失った魔族は、声にならない精神波の絶叫をあげた。その凄まじい衝撃に、ケインは鈍器で頭を殴られたようなショックを感じ、目の前が暗くなる。
フレディ達は、全くその精神波を感じていないように、剣を奮う。腕を失った魔族の胸に、黄金色に輝く剣を突き立てる。あたかも、燃え盛る枝を突きつけられたように、魔族の胸が煙を上げた。再び精神波の絶叫が上がる。ケインは、その広間が歪んだように、感じられた。
フレディ達は踊るような動作で、魔族を斬ってゆく。闇を裂く、夜空のクレセントムーンを思わせる黄金色の剣が走った後は、必ず魔族の四肢の一部が地に落ちた。
魔族達の体が裂かれ、首が落とされる度に、煙が上がる。まるでフレディ達の剣は、金色に燃えているようだ。そしてその剣に彫られた、緋色に輝く文字が、魔族達を怯えさせているらしい。
十人以上いた魔族の戦士達は、あっさり全滅した。フレディ達は、息を切らした様子もない。魔族達の死体は、床の上でくすぶっている。まるで焼き場のような、臭いと煙が立ちこめた。
平然としているブラックソウルやフレディと比べ、ケイン達は魔族の精神波の影響を受け、すっかり蒼ざめている。そのケイン達の方へ、ブラックソウルの一行が近づいて来た。
「驚いたな」
ブラックソウルが黒い瞳を、煌めかせながら言った。
「なんにも魔族と戦う為の装備を持たずに、こんなところまで入り込むとは。とっても勇敢だね、あなた達は」
その言葉に、ジークがいきり立って応えた。
「勇敢だと?いままで卑怯だとか、悪辣非道とかいわれたことはあるけど、そこまで馬鹿にされたのは、始めてだ!」
ケインが嘲笑する。
「マジに怒るな、ばか」
ケインはブラックソウルを、探るように見た。
「確かにおれ達は間抜けだがね、それなりに腕は立つよ」
ケインは、多少慎重に言った。
「どうだい、おれ達を利用してみちゃあ。戦力としては、意外と使えるかもよ」
ブラックソウルは、くすくす笑った。
「面白そうな人たちだな。我々はさらに下るけど、ついて来ますか」
「ああ」
ケインは、蒼ざめた顔で言う。
「ここまできたら、行けるとこまでいくよ。おれの名は、ケイン。そっちのデブは、ジークだ。よろしくな」
ケインは、言い終えると、異相の剣士の一人に近づく。
「恐ろしい剣だな、それは。ええと、あんたは」
「フレディだ」
剣士は名乗ると、剣を見せる。
「持ってみるか」
ケインは、渡された剣を手に取る。その剣は既に、黄金色の光を失っていた。根元に彫られた文字も、輝きをなくしている。
「ほう、木刀か。珍しいな」
その剣は、木で造られている。木にしては、えらく重かったが。ケインはフレディに木刀を返しながら、言った。
「噂に聞いたことがある。西方の王都トラウスには、聖樹ユグドラシルが生えていると」
ケインは、微かに目を細めて続ける。
「ユグドラシルは、遥か遠方からでも聳えているのが見えるほど、巨大な木だという。かつて黄金の林檎が王国にあった時には、そのユグドラシルの根元に置かれていたと、聞いている」
フレディは、無言で聞いていた。
「伝説ではユグドラシルの枝には、黄金の林檎のエネルギィが残っており、ユグドラシルの枝からのみ、魔族を傷つけることが可能な武器がつくれると」
「その通りだ」
フレディが頷く。
「こいつは、ユグドラシルの枝から造った」
ケインは、驚きの声を上げる。
「へぇ。そんなものが、この東方の地で見れるとはね。あんた達はトラウスから来たのか?ヌース教団の神官兵士だとか?」
フレディは曖昧に笑った。
「どうだかな。あんたこそ、西方の人間らしいな、ケイン」
「まあね」
「そろそろ行くぞ、フレディ」
ブラックソウルが声をかける。フレディは頷いた。
一行は、再び階段へと向かう。その階段はさらに下へと、続いていた。




