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皇國記  作者: M's Works
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第三十九話 海原を臨みて





 近隣の地形を把握している海賊たちは夜の闇であっても迷うことは無い。

 というのも、常日頃から海上の指針として星読みに慣れている彼らである、風や海流に左右されない道程は昼間に街道を往くのとさほど変わらぬ平易さなのだろう。

 一方、地理に不慣れな上、星による方位測定もたどたどしい俺たちは、慎重を期して宵の密度が薄くなるのを待って行動を開始した。

 林を抜ける頃には瞬くごとに空が明度を増し、水平線から顔を覗かせる太陽は、そこに海があることを主張するように波を白くきらめかせている。

 風向きによって強く潮の存在を感じさせる懐かしい匂いが鼻をくすぐるようにもなっていた。

 少し目線を手前に移せば、くすんだ赤を基調とした建造物群が頭を覗かせている。


「あれがセルヴェスヴィークか」

「そうだ。漁業と海路物流によって栄えていた、大陸有数の歴史を誇る町だ」

「……栄えていた、ね」


 ここに至るまでの道中、ある程度の歴史については聞かされていた。

 歴史を紐解くことが趣味とは言っても、ただ漫然と無感動に脳の肥やしにするわけではない。

 むしろ、学生時代などはそうすることでしか歴史を語れないお偉方に幼稚な反感を抱いたものだ。

 はっきり言って「歴史の教科書」ほどつまらないものはない、と思う。

 そこに生きた人々をないがしろにして、出来事だけを詰め込むことに何の意義があるのか。

 ただ、そう遠くない歴史の現場に立つと考えてしまう。

 はたしてそれも善し悪しではあるまいか、と。





 港町セルヴェスヴィーク。

 かつては南国との流通のほとんどがこの港を通り、船旅に必要な物資の供給やひと山当てた商人が落としていく金で溢れかえるほどに潤っていたのだという。

 富豪のために造られた城のような迎館もあれば、木戸銭で足りるようなあばら屋まで。

 各地で絶賛された銘酒を取り揃える店から、安く雑味があれど人情溢れる地酒を扱う店もある。

 港には大小取り混ぜていくつもの船が停泊し、縦帆のもの、横帆のもの、複雑に組み合わされたものなど一貫性を持たない。

 それらは多種多様な人間が集まっていることを意味し、またそれらを満足させようと、競うように需要の隙間を埋めていった。

 両手の指でも数え切れない宿は常に満室で、立ち並ぶ酒場は連日の仕入れに四苦八苦し、港に浮かぶ船影は一日たりとも同じであったことはない。

 荒くれ者の男たちは女を口説くために身を粉にして働いて金品を貢ぎ、娼館で働く女たちは意中の男を振り向かせるために精一杯着飾った。

 商人はいいものを安く多く買うために交渉を重ね、趣味人は高価な美術品や芸術品を買い漁る。

 町は発展を続け、漁業だけに頼っていた四百人そこそこの時期から十数年で、定住するものだけで八千人を越すまでに膨らんだ。

 その流れは枯れることを知らぬ湧き水のごとく滞ることを知らず、世界の中心であるかのような繁栄は未来永劫にわたって続くものだと思われた。


 今からおよそ二十年前。

 領土的野心にかられたアヴェストリア皇国が侵略を開始する。

 その目的の一端はセルヴェスヴィークの富を独占するすることだった。

 名目としては、国家に所属していなかった港町を他国から保護するため仕方のないことだ、ということらしい。

 皇国の当時の人口は百三十万人ほどだったが、わずか八千人が生み出す利益はその数年分に匹敵したという。

 だが、金も気骨もあるセルヴェスヴィークの住人であっても、単純な数の暴力にはさからうことができなかった。

 公式な記録では無血占領、および任意による上納、とあるが、その実態が武力占領であり強制徴発であったことを疑わずに済ませる材料は見出し得ない。

 この後、アヴェストリアは潤沢な資金を獲て破竹の進撃を見せる。

 数年間の一進一退を余儀なくされていた戦線を、わずか二ヶ月で押し切って見せたのだ。

 その裏には反皇国連合を影で支えていたセルヴェスヴィークの凋落があったと言われるが、当然公的にはそうした事実はない……。





 俺たちは、繁栄の名残を匂わせる港町に足を踏み入れた。

 かつては町の象徴でもあったはずの迎館は補修もそこそこに利用され、着飾った人々で賑わっていたはずの中央通りも、喧騒はそのままに気品や優雅さを放り捨てている。

 恐らく堅固に作られた建造物は占領の際、後に憂いを残すことのないように破壊されたのだろう、もとは小綺麗な店だったと思われる構えは整備もされぬまま安い居酒屋になっているようだ。

 よく見ると上等の布だったであろう幟か飾り布が品書きを書き付けられて潮風になぶられていた。


「……戦後にここを復興させて交易収入を得ようとは考えなかったのか?」

「戦争には技術の向上がつきものだ。造船や食料の保存技術などが飛躍的に進歩したために、ここは交易点としての価値が無くなったのだ」

「なるほどね」


 航続距離が伸びれば自ずと便利な場所も変わってくるということか。

 今も漁業が栄えていると言えるのかもしれないが、以前の規模に比べればささやかなものだろう。

 だがこの町の住民はそんなことを気にもしていないようだ。

 それはそこかしこから溢れてくる笑い声や怒声で窺い知ることができた。


「しかし、これでは全員が休める宿があるとは思えぬな」


 当面の問題が凛とした音で耳に滑り込む。


 絢爛たる輝きが失われ、歴史の片隅に名を追いやられようとも、そこで生活を営む人々は存在する。

 客観的に見れば、この町は「平均以上の漁港」としての機能は十分に保っているように見えた。

 ただ、ここを拠点として漁業を生業とし、それを売ることで生計を立てている人々は、よそからの客で商売になることなど想定していないのだろう。

 外からの船がなくなったこの町は、小さな旅籠でさえ懐古趣味の旅人や気まぐれな商隊だけでは立ち行かないのだ。


「無理にでもセルマについていったほうがよかったかな」

「……私もそう思い至っていたところだ」

「仕方ない、クリスとベッテだけでもどこかに泊まれないか探してみよう」

「勝手なことを言うな、今さら分散して憂いを囲うこともあるまい。野宿のほうが気楽というものだ」


 まあ、そうかもしれない。

 なるべく一箇所に固まっていたほうが何かと対応しやすいだろう。

 苦笑がちに頷いて了承の意思を伝える。

 しかし、仮にも一国の姫が野宿に慣れるというのはいかがなものだろうか。


「では野営の準備を。ランツ兵長、指示を任せる」

「はい」

「あとは……町の近くで野営するんだ、責任者に話を通すぐらいはしないといけないな」

「それは私とベッテでやろう」

「頼む」


 なにしろ五十人以上が寝食するとなれば、おこす火もそれなりの数になる。

 立ち上る煙で火災などの異常だと思われては申し訳ない。

 さて、それほど長く待つことは無いと思うが、食料の補給はできるだろうか。





 結論を言えば、その必要は無くなった。

 準備を始めようかというときにセルマから言伝を受けた男の訪問があり、彼らの拠点へ招かれることになったからだ。

 

 セルヴェスヴィークから海岸沿いを南下し迷路のような岩場を越えると、帆を畳まれた船が並ぶ入り江があらわれた。

 内陸からは複雑な岩礁に遮られ、外洋からも湾に蓋をするように伸びた半島が存在を隠蔽している。

 まさに天然の隠れ家であった。

 目に見えるだけでも二十を越す船を横目に、入り江の最奥に鎮座する石造りの建物へ向かう。

 その大きさは、十分な余裕を持つバスケットコートが二面入る体育館ほどもあるだろう。

 一切の装飾を省き、窓も出入り口も小さく、ただ堅牢であることを目的として造られているようだ。

 俺はこれによく似た建造物を、つい最近も目にしている。


「……この造りは、あの砦と同じだな」

「気付いたか。まさか皇国に知られていない施設があったとは」

「でも、これでは戦争には向かない」


 思うに、ここは造られた当時から現在と同じ目的を持っていたのではないか。

 用途は異なるが、公に知られぬための隠れ家として。

 おそらくは地域の要人なり戦えないものを収容していたのだろう。

 そうでなければここまで「篭城に適した造り」である理由がない。

 普通、砦や要塞が拠点として作られる場合には、ある程度の大きさの扉が必要になる。

 武装した兵隊や馬、武装の一式なども屋内で管理するため、それらが滞りなく出入りする程度には口を広げてやらねばならないからだ。

 城であれば他の場所に待機、保管でもいいのだろうが、最前線となることを義務付けられた建造物で悠長なことは言っていられない。

 もちろん例外もあるが、それは篭城、或いは時間稼ぎを念頭に置き、攻勢にはほとんど寄与しないというイレギュラーなものに限られる。


 つまりここは、絶対皇国側に知られてはいけない場所なのだ。


「招待された、ということはそう警戒されているわけじゃないのかな」


 兵士は外に残し、階級で上位の四人、俺とクリス、クリングヴァル中佐にフェーンストレム中佐、それと今回運んでもらう予定のベッテが交渉に臨むことになった。

 人ひとりがやっと通れる扉をくぐり、用心を重ねて複雑に作られた通路を抜けて会議室らしき場所に辿り着く。

 何度も階段を昇降し、その間に曲がった角は両手の指には収まらない。

 俺は果たして建物のどの辺りにいるのか、全く見当もつかなくなっていた。


「君たちが国家転覆を図っているという自称傭兵団か」


 室内に入ったところで明らかに空気の質が変わる。

 氷点下の嵐を思わせたセルマのそれに似ていたが、はっきりと違う。

 高波を前に干上がった海岸で独り立たされているようだ。


「訂正を要求しよう。我々が図るのは、よりよい国家の設立だ」

「詭弁だな」

「オーロフ!」


 以前と同様、こうした空気に一歩も怯まないクリス。

 聞き覚えのある名を叫んだのは壁際に立っていたセルマ。

 一秒が何倍になったのかと錯覚するほど長く感じた短い時間は、オーロフと呼ばれた、おそらく海賊の頭領であろう男が興味を失くしたように視線を外すことで終焉を迎えた。


「ふん、気骨だけはあるようだ。だが今回は望みを聞いてやることはできん」


 緩んだ空気が再び凍りつく。

 門前払いではないが、これでは交渉も何もあったものではない。

 しかし、役割的には俺がどうにか突破口を作らなければ立つ瀬が無いというものだ。


「理由を窺ってもよろしいですか」

「……俺の家族をわざわざ危険に晒すわけにはいかないし、負ける確率が高い勝負には乗りたくねえ、ってのはまぁ建前上あるわけだが」


 だが、それだけではない、と。

 というか打算的な考え方も建前でいいのか。

 なるほど、確かに海賊というには毛色が違うようだ。

 セルマに聞いていた話ではこちらの話も聞かずに追い返すような人物とは思えなかっただけに、この対応というのはそれどころではない何事かが……。


「どうやら海軍がここを目指しているらしい」

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