第三十七話 傭兵と海賊
瞬く間に盗賊を追い散らした海賊たちは、よく訓練された動きで整然と戦後処理を行っていた。
兵の統制を図るということは、忠誠心や従順さがあればうまくいくというわけではない。
それらがあることを前提として、兵士ひとりひとりが考えて動き、最善を尽くしてこそ最大の効率が上がるものだ。
なかには兵の個性を考慮せず、ただ機械のように従順であればよい、という指導者もいるのだろうが、俺はそうは思わない。
確かにシステムとしての効率だけならそれが正しいのだろうし、失っても替えがきくというのはその利点の最たるものだろう。
ただ人間を運用するにあたって、有機物を無機的に構成するというのはどこか無理があるように感じる。
二十や三十の仕事ができる人間もいるのに、全体の基準が十だから、と全員にそれだけの仕事しかさせないのは果たして効率がいいと言えるのか?
組織というのは有機的に運用してこそ、その真価が発揮されると思うのだ……。
「どこぞの軍隊くずれなのですかな、賊にしておくにはもったいない動きをする」
「或いは傭兵か。どちらにしろ有能であることは間違いあるまい」
日頃から軍に調練を施す立場でもある老中佐たちからは控えめな感嘆の声が漏れる。
事実、素人に毛が生えた程度の俺には、俺たちの部隊と比べても練度に大きな差があるようには見えなかった。
熟練の技によって有機的な運用を得意とするふたりは、わずかな動きを見ただけでそれと見抜いたようである。
「しかし大佐、この状況で交渉ができるでしょうか」
どうやら海賊たちはここから先に進み、盗賊たちの砦へと向かうようだ。
義賊的な活動をする、ということだから、不法に貯め込んだ食料や貴金属などを接収するのだろう。
そこに訪問したのでは、悪い意味で同業者かと疑われるのは想像に難くない。
そもそも問題であった盗賊は、現状で俺たち以上の効果的な対抗者によって叩きのめされている。
この海賊たちが治安の守護者に足るという確証さえ得られれば、特に接触を持つ必要もないのではないだろうか。
だが俺たちの上官は何を言っているのだ、とばかりに首を傾げる。
「何故私たちが海を目指しているか忘れたのか、中佐」
「海路でオクセンシェルナ領へ向かうためですが……。ああ、迂闊でした」
なるほど、これは文字通り、渡りに船だったのだ。
民間の定期船か、それがなくとも商船などに話をつけて航行するつもりだった。
しかしそれらは、万が一軍隊の検閲にかかってしまうと袋の鼠になってしまうだろう。
それも確率で言えば大きな賭けではないと踏んでいたのだが、これを無視して動けるに越したことはないではないか。
彼らは海賊、と言うからには海上での活動が本分であり、であればこそ船は持っていて当然だ。
色よい交渉ができればそれを貸してもらえるかもしれない。
「そして機は今だ。全隊、前方適正地に布陣せよ」
何万人へと伝える号令ではないために張り出した声ではなかったが、木々に身を潜めた兵たちを動かすには十分だった。
名工の手による鐘は、小振りでも驚くほど広い範囲にその音を響かせるものである。
或いはこの声量であっても大軍を律することができるのかもしれない。
俺たちが姿を現したことによって、海賊たちの警戒が指向性を持ったものに変化する。
殲滅したはずの盗賊が予備戦力を隠していたか、と身構えるのも当然だろう。
だが、その緊張が落ち着くまでにそう長い時間はかからなかった。
俺たちは見るからに盗賊らしくないし、緊張した空気を破るように一組の男女が交渉を求めて進み出たからだ。
もちろんその男女の名は、伊藤玲司とクリスティナ・アッテルベリという。
クリスは全ての武装を解いたが、俺の腰には鞘に収めたままの剣がぶらさがっている。
とはいえ、槍を持っている相手にしてみればどちらも丸腰のようなものだ。
見るものが見れば、俺には獲物の不利を覆すほどの技倆があるはずもないことぐらいわかるだろう。
情けない話だが、武器を外そうとしたところ、剣くらい佩いていなければ武人に見えない、と言われたゆえの処置である。
むやみに刺激を与えてしまうよりはいいのだが、釈然としない思いが残るのは何故だろうか。
「我々は流れの傭兵団だ。盗賊を退治していただいた礼がしたい。代表者にお目通り願えるか」
まだ立場を明かしたくないゆえの苦しい設定だが、まあ、体裁の落としどころとしては適当だ。
話し合いのきっかけにするなら問題ないだろう。
見事なまでに黒々と日焼けした男たちが、胡乱な訪問者の用件を後方に伝えているようだ。
その腕や首周りを見れば、太陽の光を遮るもののない場所で汗を流しているのが見て取れるほど、男たちは屈強だった。
ヴィッテルスバッハの兵たちも日々欠かさない鍛錬によって引き締まった体をしているが、馬に乗らねばならない彼らは極端に筋肉を付けることを嫌う。
機動力を身上とした軍において、鈍重は悪ですらあるのだ。
一方、いくら体重が増えたところで船足に影響が出るとも思えない海の人間は、帆を張り、櫂を漕ぐことに必要な筋肉を十分に身に付けることができるだろう。
肩は隆々と盛り上がり、腕は丸太のように太い。
その体から生み出されるであろう破壊力はいかほどのものか。
そんな大して楽しくもない想像で身震いをしたところで、正面の人垣が割れ、長身の女性が歩いてきた。
俺と同じか、やや低いぐらいではないだろうか。
腰まである黒い髪は先端近くで結わえられ、一歩足を進めるたびに左右に揺れる。
他の男たちと同じように日焼けした肌は躊躇なく露出され、非常に女性らしい曲線とあいまって、健康的な色気を惜しみなく振り撒いていた。
「あたしに話があるって?」
俺たちの目前で歩みを止め、嵐の大海を思わせる深い灰褐色の瞳を投げかける。
その視線は忌避するでもなく、威嚇しているふうでもないが、襲い掛かる高波を前にしたような威圧感を感じずにはいられない。
顔には出ていないと思うが、呆けていたのは間違いないだろう。
クリスの声が聞こえなければ意識を掴み直すのにかなりの時間を要したはずだ。
「私は傭兵団の代表、クリスティナ・アッテルベリだ。こちらは参謀のレイジ・イトウ」
紹介されたことに気付き、慌てて頭を下げる。
目を上げると、鋼色の視線にぶつかった。
「何か?」
「ああ、珍しい名前だな、てのと、傭兵にしちゃ線が細いな、と思ったんだ。なるほど、参謀ね……ああ、気に障ったなら悪かった」
両手をひらひらさせて苦笑する。
どうやら思ったことをそのまま喋って後悔する性質らしい。
気にしていない、という意味を込めてもう一度、軽く頭を下げた。
「あたしはセルマ、セルマ・ヴァーサ。代表者、なんて柄じゃないんだけどね」
まるで友人に愚痴をこぼすように溜息を吐く。
「どういうことか聞いても?」
「頭領は陸に上がるの嫌がってさ、仕方なく副頭領のあたしが指揮してるわけ。目が届かないぶん好きにはやってるけど、本当は交渉ごとなんかしたくないんだ」
「我々も畏まった話がしたいわけではない。ただ礼が言いたかっただけだからな」
「そりゃあ助かる」
快活に白い歯をこぼして笑うさまは、夏場に小川を見つけたときの爽快感によく似ている。
果たして本当にこの女性が先ほどの洗練された戦闘を指揮していたのだろうか。
確かに、ガキ大将がそのまま大人になったかのような印象は受けるが、とても戦闘という血なまぐさいことに従事しているふうには見えない。
そういう意味では我が上官殿も、方向性の違いこそあれ一軍を束ねて戦場を駆け回るようには見えないのだが。
「それにしても、あたしらはあんたらに礼を言われるようなことをしたつもりはないんだけど」
「盗賊を退治しようにもなかなか手を出せずにいたのだ。感謝するのに他の理由がいるものか」
「でも傭兵でしょ。誰かから頼まれてたものを掠め取られたらいい気しないんじゃない?」
「重要なのは結果であって過程ではない」
「……ふうん、楽して報酬を受け取れるってこと?」
急激に体感温度が氷点下まで滑り落ちた。
氷まじりの嵐を秘めた瞳が、研ぎ澄まされた刃のように俺たちを切り刻む。
雰囲気の変化に気付いた海賊たちもじりじりと重心を下げて瞬発の備えを始める。
なるべく虚偽を廃した端的な返答は、誤解を生むには十分すぎた。
だが、それをいささかも意に介した様子でもなく、隣に立つ少女は言葉を紡ぐ。
「私の望む結果とは、民の安寧が保たれることだ。傭兵だからとて義勇なきものと見られるのは心外だ」
海賊の副頭領は微動だにせずクリスを睨み続けた。
嵐の旋風は沈静化の兆しを見せ始めたが、未だ氷点下からの回帰は叶わない。
次いで何かを考えるように小さく首を傾げ、さらに困った猫のように眉根を寄せる。
二、三度、発音を躊躇うように紅の唇を開いたが、意を決したように桃色の舌で舐め潤してから声帯を震わせた。
「……もう少し簡単に言って」