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皇國記  作者: M's Works
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第三十六話 海賊と盗賊





 引き絞られた弓は満月のようだった。

 号令と共に月齢を進めた弦は瞬く間に元のかたちへと戻り、研ぎ澄まされた矢は大気を切り裂いて弧を描く。

 その尖端は盗賊たちの進路をふさぐように大地を穿ち、その歩みを止めることに成功した。


 何が起きたのかも正しく把握できず、ただ浮き足立つ集団は自らの隙を隠そうともしない。

 第二射と同時に突撃した俺たちは、ほぼ同数である以上、個々の技量で劣る盗賊程度に負けるはずもなかった。

 個人的なことだが、俺はこのとき初めて敵を打ち倒したという実感を得ている。

 手に残る重い感触には露ほどの歓喜も達成感もなかったが、特に深い安堵があったことだけは忘れないだろう。


「おかしいな、見えないはずはないのに、仲間がやられても反応がない」

「奴らの仲間意識などその程度かも知れんぞ」


 手早く戦闘力を失った盗賊たち全員を拘束し終えたものの、砦に動きがないというのが不自然だった。

 吐き捨てるようなクリスの意見も可能性としてはありうるが、それよりも体面を気にするこの手の集団が、目の前で唾を吐いた俺たちを放っておくということは考え難い。

 状況を見る、というらしからぬ選択をしたとすると、未だ二倍以上の人数を保有しているにしてはあまりに消極ではないか。


「……考えられる理由としては、今、砦には人がいないとか」

「よほどでなければそんな馬鹿な真似はしないだろう」

「まあ、彼らは軍人じゃないからね」


 通常、軍事的な拠点には対外戦力と守備戦力が配置される。

 いくら外で戦果を挙げたとしても、戻る場所がなくなってしまっては元も子もないからだ。

 他にも食料の輸送や補充人員の派遣などにも関係するため、将の考え方によっては精鋭部隊が守備に当たることも珍しくない。


 しかし一方では、奪われたら奪い返せばよい、と考えることも可能ではある。

 戦力を分散させることを嫌う場合の極端な例、としても説明は付く。

 まして相手は盗賊であり、こうした例外的な積極策を採っていても何ら不思議ではなく、むしろ彼らの性質を鑑みれば正しい選択であるかもしれない。


「喋るかどうかはわからないけど、とりあえず聴いてみよう」

「うむ……そうだな」





 結論としては、俺の予想は半分ほど当たっていた。

 聴き出すのには時間がかかるかと思われたが、保身のために半ば自棄になっていた盗賊たちは聴いていないことまで垂れ流してくれた。


 ここにいる以外の仲間は全て、別の場所で武力行動中であること。

 彼らはその伏兵として移動しようとしていたこと。

 それは他の一団との縄張り争いであること。

 その一団は海賊のくせに地上でも我が物顔で横行していること。

 海賊は義賊的な集団であり、その暴力の標的は彼らのような盗賊や悪徳貴族であること。

 海賊のリーダーは女性であり、かなりの美人であること。

 それに比べて彼らのリーダーは切れ者ではあるがむさ苦しい男であること……。


 話が進むにつれて、情報提供なのか愚痴なのか判然としなくなる。

 まだ話し足りない様子の男を制止して、情報収集を切り上げた。





「その海賊とやらは我々の力にはならないものか」


 引き出した情報を脳内で吟味していた上官は、考え込んだままの姿勢で唇だけを動かした。

 ただ黙っていれば芸術品のように繊細な少女であるが、わずかでもその内側を知るものにとっては、希少価値を有する外側ですらも彼女のごく一部でしかないことを思い知らされている。

 


「敵の敵は味方、ですか。今現在は利害が一致するので問題ないでしょうが、その後も、となると簡単ではないと思いますね」

「問題は海賊の目的ということか」

「そうです。彼らの敵は何なのか、それがわからないことには交渉のしようもありません」

「……よし、ではまず話を聴くとしよう」


 少なくとも盗賊の討伐に関してなら味方であり、その後のことはそのときに決めればいい。

 どうやら民衆に悪事を働く集団ではなさそうだし、懸念材料だった盗賊への牽制効果という点では、より明確な上位勢力がそれを引き受けてくれるならば願ったりというものだ。

 楽観に過ぎるか、と思わなくもないが、行動しなければ幸運が転がり込むことなどあるわけがない。


「ランツ兵長はいるか」

「はい」

「二人選んで想定地点の偵察へ。私たちは森の中を曲進して盗賊の先陣を叩く」

「心得ました」


 恐らく戦闘の規模としてはそう大きいものではないだろう。

 伏兵に置くはずだった人数が五十人あまりということは、盗賊と海賊の戦力差もそれほど開いてはいないはずだ。

 とすれば俺たちの戦力が乾坤の一擲になることは想像に難くない。


 拘束した盗賊によれば、森の向こう側で展開した本隊は徐々に海賊を見通しの悪い場所へと引きずり込み、後発の伏兵が横撃をかける、という作戦を立てていたらしい。

 ならば俺たちは、その策を有効に利用してやろうではないか。





 広葉樹が多く、その葉が太陽を遮るせいで薄暗くなっている森を慎重に進む。

 いくら経験しても慣れることのない空気を感じ取ったのは、偵察に出たランツ兵長と合流して間もなくだった。


 状況としては、順調に盗賊たちの策が進行しているようだ。

 軍隊同士の戦争のように陣形がどうこうというものではないが、乱雑な混戦の中でも一進二退を着実に繰り返す様子は、聞いたように盗賊のリーダーがそれなりの指揮能力を持っていることを窺わせる。

 それに比べると海賊側はただ漫然と攻め続けているだけで、特筆するべきものは見受けられない。

 現時点での大勢は、伏兵がいなくなっている、という事実を除けば盗賊側が二歩か三歩ほど優勢であると言えるだろう。


「私たちにとっては好都合なのだろうがな……」


 クリスは興が冷めたように口を開き、形のいいあごに指を添わせた。

 仲間に引き入れるなら優秀な者のほうがよかった、といったところなのだろうが、それも過ぎれば話し合う機会そのものが無くなってしまう。

 こちらとしてはなるべく高い利率で恩を着せたいのだから。


「予定通りならそれに越したことはないですよ」

「わかっている」


 既にほとんどの海賊は森の中に引きずり込まれており、退却が困難と思われる奇襲地点へ徐々に近付いていた。

 ただ俺たちの標的は海賊ではない。

 予定地点より少し前、海賊たちが自由に動けるぎりぎりのところで盗賊の後背から打って出る。

 罠に嵌めようとしている者は、自らが嵌められる可能性を失念していることが多い。

 そのときの驚愕は普通に嵌められた者の比ではないだろう。


 二つの集団は秒読みができるほどまで接近する。


「……違う」


 小さくつぶやいた声が耳に届く。

 待機している兵たちが今か今かと指示を待っている中で、指揮官はその役目を放棄したようだった。


「どうしました」

「やつらは自力で勝つつもりだ。見ろ」


 言われるままに視線を前方に投げかけると、戦況が大きく動く瞬間に遭遇した。

 血気に逸って前進していたはずの海賊たちが、急遽反転し整然と退却を始めたのである。

 一瞬だけ呆然と見送った盗賊たちは、それまでの作戦も忘れ、鬼の首を取ったような歓声を上げながら追撃していく。

 中腰だった姿勢を正し、遠ざかっていく声と背中を確認した。


「……これで勝敗は決まりましたね」

「先ほどは不満に思ったが、なかなかどうして、優秀な将ではないか」

「嬉しいのはわかりますが、おかげで交渉は難しくなりましたよ」

「そんなことはない。むしろこれでよかったのだ」


 有為の人材を恩で縛ることにならなくてよかった、と彼女は言う。

 確かに協力を取り付けるだけなら恩を売ったほうが効率的な交渉ができるだろう。

 ただ恩を買ったほうはどうしても引け目を感じてしまうはずだ。

 ニュートラルな関係で協力体制が取れれば、どちらかが互いを裏切らない限り、恒久的に続く信頼関係になりうる。


「それにしても中佐、また不発だったな」

「まるで私が占い師のように言わないでください。戦わずに済むなら外れたほうがいいですよ」


 才能として凡百であることを自覚している俺にしてみれば、相手のあることを完璧に予測するなど叶うべくもないが、確かに、もっと戦わずに済む方法を優先して模索するべきだったかもしれない。

 最近は効果的に勝つことばかり考えていたように思う。

 それも必要なことではあるが、人間であろうと思想であろうと、戦って無傷で済むものなどないのだ。

 今さらながら気付けたのは幸運だった。

 これから先は、さらに視野を広く保つことが重要になるはずなのだから。

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