第三十五話 盗賊討伐
目先の目的を最重要とするならば、こんなところで時間を浪費するのは得策とは言えない。
だが大局を見れば、易々と看過しては大きな禍根となるかもしれない。
本来であれば当地の領主が解決するべき問題なのだが、ちょうどこの一帯を治めるブルムダール子爵は「何もしない領主」として有名であり、その渾名の通り定められた権限から逸脱した徴税や暴力は行わないが、一方で犯罪者の取り締まりに対してもことさら無視を決め込むのだった。
「話は聞いた。すぐに正面から叩き潰す」
東から昇る太陽が五合目までを登りきった頃、俺たちを除けば、集合場所に最も近いところにいたクリスたちの部隊が一番手で駆けつけた。
恐らくすべての部隊が集まるのは正午あたりになるだろう。
それにしても、到着して開口一番に放った台詞が先程の速戦案とは、クリスの性分を考えるならば、まったくらしいという他ない。
民衆に及んでいるであろう、及ぶであろう被害を看過しえない、という真摯な思い。
それは賞賛されて然るべきことではあるが、しかし現実問題、こちらは被害を受けるわけにもいかず、そのうえで三倍する敵を倒さなければならないのだ。
「叩き潰すのに異存はないよ。ただその方法が問題なんだ」
「所詮雑兵の集まりだろう。数だけを恃みにする下種には力の差を思い知らせればよい」
「二百人からの集団に統一された指揮系統が無いとは思えないよ」
「ただ勝てばよいというわけにはいかぬのだ」
研ぎ澄まされたエメラルドの切っ先には極低温の炎が揺らめいている。
ここは譲るわけにはいかない、そういう意思を隠そうともしない瞳。
言いたいことはわかるつもりだ。
正義を示すのに詐術まがいの勝利を収めても、一時的な対症療法にしかなりえない。
ほとぼりが冷めた頃にまた活動を始めるだろう。
今の世の中に於いて、盗賊やそれに類するものは風邪のようなものだ。
薬で中和している間に回復を待つことはできるが、根本的な対策とは言えず、気を抜けばまた発症する。
病原菌を駆逐できない以上、体を健康に、屈強に保つことが最大の予防となるのだが、今の体力ではそれも難しい。
ではどうするか。
病原菌……人の弱い心と言いかえてもいい。
それに脅しをかけるのだ。
体に近寄ったらただでは済まさない、と。
そのためには絶対的な格の違いを提示しなくてはならない。
小手先の技術で丸め込まれて負けただけだ、という言い訳をできなくさせるのだ。
だが。
「俺たちが名乗るわけには行かない以上、示威行為の効果は望めないかもしれない」
「わかっている」
「一時的な処置とするなら、手段を選ぶ必要は無いことも」
「無論だ」
一瞬だけ、逡巡との境を彷徨った瞳が力強い光を湛えた。
理想と現実の狭間で、ほんの少しだけ理想の側に足を踏み込んだのだ。
理想を追わぬ革命家は居ない。
愚直なまでに自らの信じる道を往かねば、開ける道も開かないのだから。
「……わかった。じゃあ作戦の説明をしよう」
「……貴様、謀ったな?」
「俺の一存では正面決戦なんかできないからね」
太陽が中天まで到達するにはまだいくらかの時間を要する。
総勢五十六名、うち非戦闘員二名。
対する盗賊団は推計二百に届くかどうかといったところ。
単純計算するなら、こちらは一人当たり三人から四人を相手にしなくてはならない。
しかも今回は正面決戦というおまけつきである。
「正面決戦とは言っても、ただぶつかるだけでは話になりません。作戦の要は力の違いを解らせることです」
「しかし、この戦力差で勝つことがそのまま力の差、とはなりませんかな」
「確かにそうなのですが、負ける側というのは都合のいい言い訳を思いつくものですから」
フェーンストレム中佐の意見も全く正論なのだが、この際は相手に正論が通じるかどうか、という問題があった。
夜襲して火責め、小分隊になったところを各個撃破、他にも時間を使えば兵糧攻めや潜入して内部崩壊を誘うなど、いくつか効率的な勝ち方はある。
だが、そうした戦い方では狙う効果は生み出せない。
不機嫌を隠そうともしないクリスが、つまらなそうに例を挙げる。
「負けたのは数に差がありすぎてちょっと油断したからだ、もう一度やれば負けるはずが無い、とな」
「……なるほど。戦術的な勝利でも戦略的に価値が無ければ意味がないというわけですな」
想定したよりも早く全員が集結し、それぞれの集団を率いていた四人は予定外の会議を始めていた。
基本方針は話し合うまでもないことだが、それを達成するには相互の意思疎通が欠かせない。
戦闘に限ることではないが、柔軟な連携をすることができるのは互いに意図するところがわかっていればこそである。
当然それは、この場に於いても例外となることはない。
例外なのはクリスの不機嫌さであるが、主に俺の発案に因っているであろうことは疑う余地がない。
「実は、戦力という意味ではそれほど悲観してはいないんです。数は違いますが、こと集団戦の錬度には大きな開きがありますし、なによりこちらは全員が騎兵ですからね。然るべき戦場を選定できるならそう負けることはないでしょう」
「すると必要なのは、いかにして敵を引き摺り出すか、ということになりますな」
「はい、ですがそれはさほど難しくもありません。盗賊という動物は逃げる獲物を追う習性がありますから」
「我々の人数が少ないことを逆手に取る、と。……しかし、それは小細工になるのでは」
「敵本拠地の周りも開けてはいるんですが、逃げ込まれると厄介なので、一戦で決着を付けるための布石ですね」
自分でも空々しいとは思うが、こればかりはどうしようもない。
布石であることは間違いないが、万が一逃げることになった場合を考えた結果だ。
森に囲まれた敵地では騎兵であることが最大の枷となる。
勝率が変わらないのであれば、退却線を確保できる場所のほうがいい。
それに盗賊が総出で現れないということだって十分あり得る。
砦に近いほど増援に対処する時間が短くなるというのも、敵地戦を嫌う理由のひとつだった。
説明するときにこの消極的な背景は伏せていたが、納得のいかない様子を見るに薄々勘付いてはいるのだろう。
それでも俺は、いくら不満を待たれようとも、生き残る確率を増やす準備を怠るわけにはいかないのだ。
過去、この周辺は侵略戦争の最前線だったことがある。
正確に言えば、「最前線だった」場所は他にも無数に存在し、ここもその中のひとつに過ぎない。
北方で力をつけたアヴェストリア皇国は、その勢力を拡大するために南方へ版図を広げ、その拡大に応じて「かつて最前線だった場所」を量産していった。
土地だけが広がり無抵抗のままに併呑された地区も少なくなかったが、それよりも圧倒的に多数を占めたのは対話の機会も与えられぬままに蹂躙された邑や集落だ。
彼らの大半は自らの平和を守るため、周囲の小勢力と連合するなどして侵攻を食い止めようと立ち上がり、その全てが失敗に終わることになる。
とは言え、易々と敗れたわけではない。
侵略戦争の後期には一大反抗連合が組織され、二十年もの長きに渡って抗戦した。
皇国側の補給線が伸びきっていた、という側面もあるにはあるが、要所に建設された砦や要塞が最大限に機能したからだ、と言われている。
現在では特に堅固に造られたのだろう一部が現存するのみだが、そのほとんどは軍の駐留施設などとして管理されており、若干の感傷と皮肉を感じずにはいられない。
盗賊の本拠地、というともっと入り組んだ森の中や天然の洞窟などを連想してしまうが、それはやや高台に鎮座して近付くものたちに睨みを効かせている。
ここからは見えないが後背に川が流れ、なだらかに広がる平野は裾の際まで遮蔽物も無い。
つまり今身を隠している林から出れば、およそ一キロメートルほども離れた砦から丸見えなのである。
知らなければこんなにも目立つ建物が盗賊の塒だとは思わないし、例えばそれに油断した旅人を襲撃することも容易いだろう。
視界の悪いところならありうる、討伐にやってきた集団に不意打ちを喰らう、ということもなくなる。
「俺たちは何も知らないふりをして、ここで休憩を始めるわけだ」
「そして盗賊が現れたら逃げるふりをして、平原に誘い出すのだな」
まだわずかに険のある粒子を身に纏っているが、その棘の毒はかなり薄まったようだ。
目前に迫った戦いへと意識的に集中させているのだろう。
こういうところの切り替えはさすがと言う他ない。
しかし、準備も整い、後は行動するだけとなったところで不審な動きに気が付いた。
「……まずいな」
「どうした?」
「盗賊がこっちに向かってきた」
俺たちはまだ身を隠しており、気付かれてはいないはずだ。
その証拠に五十人ほどの盗賊たちも何かを警戒している様子はなく、方向も少しずれている。
手には武器を携えていることから、これからどこかに「仕事」をしにでも行くのかもしれない。
「見過ごすわけにはいかぬ。行くぞ」
「……わかった」
予定とは変わってしまうが、悪くない。
同数程度なら間違っても負けるはずがないし、ここで敵の戦力を削れば後々も楽になるだろう。
増援が来る前に片付けて、迫る増援は予定通りに対応してもいい。
図らずも各個撃破の好機となったわけだ。
「せっかく立てた貴様の作戦もふいになってしまったな」
「まあ、ね。臨機応変なんていうのも、たまにはいいじゃないか」
「よく言う」
あとわずかで射程距離に入る盗賊に向けて、クリスの目配せを受けた数十人が弓を引き絞った。