第三十四話 林の中で
北に向かうスヴェンたちと別れてから十日。
俺たちは順調に東へ進み、明日には港町セルヴェスヴィークが見えるだろうというところまで来ていた。
主だった士官や、特に秀でた能力を持つものを中心とした編成だったこともあり、通常よりもかなり早く到着できたと言えるだろう。
ただ、五十人あまりの部隊では目立ちすぎてしまうことを恐れ、十数人単位で四つの分隊に分かれて移動している。
どうやら俺の率いる集団が最初に町へ入ることになりそうだ。
電話や電信のないこの世界では、情報の広がる速度は人の足に頼るところが大きい。
幸い先日から集め始めた近隣の情報にシュトルーヴェ陥落の報は届いておらず、ひとまずは危険を回避しつつ目的を達することができそうだった。
十日前。
俺とクリスは鐙がぶつかるほどに寄せられた馬上で、ここから町までは別行動になるため予定針路について話し合っていた。
これほど近付くのは単に馬蹄の音や風で会話がしにくいためだが、相乗りすればいいのに、というベッテの冷やかしを黙殺したのは言うまでもない。
二、三のやりとりで階級順で最上位にあたるクリス、続いてクリングヴァル中佐、フェーンストレム中佐、そして俺の四人が、それぞれ独立してセルヴェスヴィークを目指すことになり、話題はいくつかの懸案事項へと移ることになる。
「イェンネフェルト伯が俺たちのことをどれだけ問題視するかだけど……」
「まあ、手配書が回るほどではないだろう。カールの手前、自らの失態を公に晒すとも思えん」
「それはそうだ。そういえば、船の手配って簡単にいくものなのか?」
「ちょうどオクセンシェルナへ向かう船があればいいが、そうでなければ一隻雇うことになるな」
現在、俺たちの財政状況はかなり逼迫している。
ある程度の期間があればそれなりに対策もできただろうが、予定よりも早い行動によって活動資金の調達までは間に合わなかった。
持ち出せたはいいが任官して間もない俺とクリスの蓄えは微々たるものだったし、売れば金になるとわかっていても兵装や軍馬などは手放すわけにも行かない。
そんな中で正に千金の働きをしたのはベッテであった。
こんなこともあろうかと! と言って取り出した大粒の宝石は、直前に私財のほとんどをつぎ込んで購入しておいたらしい。
使う用事もなかったからとは言うが、二千人をひと月食わせて余る貯蓄を持っていたことに驚いた。
自分のものはクリスのものだ、と強硬に押し付けられ、この際のことであるから丁重に使わせていただくことにしたが、それも大半は北に向かう大多数のために割り振ることになった。
よってこれから先運用できるのは持ち出せた個人資産だけだ。
それでも生活に支障が出ることはないが、加えて船を雇うほどの余裕があるかと言えば、縦に振る首は持ち合わせていない。
「金が無くて立ち往生、というのはあまりにも格好がつかないな」
「そう構えることもない。私たちには優秀な軍師がついているのだから」
そう言うとひと呼吸ぶんだけ、悪戯っぽい視線を俺に向ける。
もしかして俺を錬金術師か何かと勘違いしているのだろうか。
「船があることを祈ろう」
……普段は信じていない神でも、祈られればそう悪い気もしないのではないか、と思う。
結果的には、それが通じたのかどうか、いささか判断に困るところである。
深くはないが、広範囲にわたって季節柄の下草を茂らせた木々の群生は、俺たちの足を鈍らせるには十分なものだった。
この林を抜ければ、セルヴェスヴィークは目と鼻の先らしい。
しかし日が落ちかかっていることもあり、今夜は少し開けた場所を見繕って野営することになった。
暖を取るわけではないが、上昇気流と二酸化炭素に反応する虫を遠ざけるために火を焚き、少し離れて半数が休み、もう半数は見張りのために周囲を警戒している。
以前の俺なら、こんな天幕も張れないところで草を背に寝るなど耐えられなかっただろう。
だが人間とは慣れるものだ。
はじめの頃こそ戸惑ったが今では全く気にならないし、不測の事態に備えて脳の一部を覚醒させたまま休息をとることなど当たり前のようにこなせるようになった。
果たしてこれが進化なのか退化なのか定かではないが、わかることはただ必要な技能だということだ。
「……使わないに越したことは無いんだけどな」
目を閉じていた俺は、見張りのうち何人かの気配が変わったことに気付いた。
緊張しつつ周囲へはそれと悟らせないように体の神経を繋げていく。
盗賊だ。
世が乱れれば、自らを生かすために他者から奪うことを厭わないものも出てくる。
故郷を追われたもの、職を失くしたもの、両親を亡くしたもの。
だが、これらについては手を打つ余地がある。
救えないのは、他者から金を、物を、命を奪うことに酔っているものたちだ。
彼らは己の快楽のために焼き、殺し、犯す。
前者の罪が軽くなるわけではないが、後者はより重い罰を受けるべきだろう。
そして、この辺りでは後者のみが跋扈しているという報告があった。
領地的には管轄外とはいえ、ヴィッテルスバッハ卿の影響が及ぶ土地で前者が生産されることは少なかったのだ。
「ランツ兵長」
「はい」
何気なく目が覚めたふりをして、見張りに当たっていた中の一人を呼び寄せた。
イェスタ・ランツ。
シュトルーヴェから脱出する際にヒューゴを確認した、限りなく白に近い水色の瞳を持つ兵士だ。
小柄だが俊敏で、目と耳がよく、周囲の情報を分析する能力は他の追随を許さない。
そうした隠密行動向きの能力を買われ、今回も俺たちと同行している。
「何人に囲まれている?」
「正確ではありませんが三十人ほど。西側に半数、残りは周囲を包囲していますが、東にはほとんど配置されていないようです」
「……小賢しいな」
「ですね。町に近い東側には罠があるのでしょう」
こちらの人数は十四人。
正規の訓練を受けた兵士にかかれば問題なく処理できる人数差ではあるが、万が一ということもある。
このまま正直に三十対十四の戦いをする必要は無いだろう。
「みんな動けるか?」
「もちろんです」
「よし、まずは薄い北を破り、そのまま回り込んで本隊の後背を突き、東に押し込もう」
「後背からの攻撃に少し角度を付けたいのですが」
「そうだな、馬が動線にかからないように動いてくれ」
「了解」
大きな動きをすることなく戦闘準備を終え、じりじりと近付いてくる盗賊の気配に集中する。
多めの荷物を持った俺たちを行商人あたりと勘違いしているのだろう。
必死に隠そうとはしているが、漏れ出してくるいやに下卑た匂いの殺気は消せるものではない。
俺が目で合図を送ると、ランツが焚き火を蹴り崩す。
一瞬にして周囲は緞帳を落としたような闇に飲み込まれ、突然の事態に動揺と狼狽を重ねる盗賊は浮き足立つ。
灯りが消えるのと同時に行動を開始した俺たちは、三十秒もかからずに北側でうろたえていた七人を昏倒させ、その二分後には後背から矢を射掛けた後突撃し、全く被害を受けることなく鎮圧に成功した。
「伸びていた十六人、罠に掛かっていた十二人、計二十八人の捕縛、完了しました」
「ご苦労様。ちゃんと何人かは逃げたな?」
「はい。五人が逃走中ですが、ランツ兵長他三名が尾行中です」
「ではランツ兵長が戻り次第移動する。それまで警戒しつつ待機」
三十人程度とはいえ、単一では大きい部類に属する盗賊団がこれほどまで統率が取れていないというのは解せなかった。
このぐらいの集団になれば、少なくとも一定以上の能力を持つものがいるはずだからだ。
そうでなければただのごろつきは徒党を組んだりしない。
こいつに従っていれば甘い汁が吸える、と思えるほどの打算は必要だろう。
だがこの集団にはそれがない。
つまり考えられるのは、彼らはさらに大きな集団の一部だった、ということだ。
それを確認するためにわざと数人を捕らえず、アジトまでの道案内をお願いしたのである。
なければそれが一番いい。
だが、同程度ならまだしも、百人から数百人単位の組織があったとしたら、後続の分隊だけではなく近隣の治安にも関わることになる。
できればなるべく派手な行動は起こしたくないのだが、そうも言ってられない。
要は俺たちだと知られなければいいのだから、下手に宣伝しなければ大丈夫だろう。
もし最悪の予想が当たってしまうと、俺たちが合流しただけでは力が及ばないかもしれないが……。
「ランツ兵長が戻りました」
縛り上げた盗賊たちを身動きできないように一人ずつ木に括り、野営の後始末を終えた頃になってその報告がやってきた。
恐らく二時間はかかっていないと思われるので、仮にアジトがあったとしたら、いくら遠くても十キロメートル以内ほどになるだろう。
伝令のすぐ後にランツも顔を出した。
「どうだった」
「中佐のお考え通りでした。規模は二百前後、かつて砦だった場所を根城にしているようです」
「こんな予想は当たらないほうがいいんだがね。距離は?」
「方角は南西、早馬なら余所見をしている間に着きますよ」
どうやら回り道をしたようで、その言葉振りからすれば四、五キロメートルといったところだろう。
この世界は距離や時間の単位が定められていない。
なので大雑把に捉えるしかないのだが、大抵の場合距離は馬の足が基準になっている。
しかしそれも時間の概念が明確ではないので、その感覚を身に付けるまで苦労したものだ。
……早めに距離と時間の概念を確立させなければいけないな。
「やはり他の分隊も集めなければ話にならないか。よし、有事に備え二騎一組で伝令に向かってくれ。集合場所は北西のはげ山だ」
それでも盗賊は俺たちの三倍にもなる。
ただの有象無象ならばどうにでもやりようはあるが、先刻想定していたような指導者がいるとすると、一筋縄ではいかないだろう。
砦に篭られでもしたら手も足も出なくなってしまう。
最低でも野戦に持ち込まなければ勝機は生まれないし、単純に数で押されても分が悪い。
「……トロイの木馬とか……無理だな、時間が足りない……」
俺は次第に明るくなる東の空を見上げ、どうにか活用できる知識がないか考えを巡らせていた。