表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
皇國記  作者: M's Works
32/42

第三十二話 やるべきこと





 機敏なカモシカのように動き回っていた上官と対面することができたのは、探し始めてから十分ほどが経ったころだった。

 そう見晴らしも悪くない、たかだか二千人あまりの中から探し出すのにこんな時間を取られるとは思わなかったが、失念していたのは動き回る兵たちよりも捜索対象の身長が頭ひとつほどは低い、ということだ。

 こんなことなら幾度か目に入った長身のヴェストベリ少尉でも付けておけばよかった、と結構本気で考えてしまう。

 結局俺たちが探し回っている、と聞きつけたクリスが出向いた格好である。


「それで、私に話というのはクリングヴァル中佐だったか」

「はい、今後のことで提案がありましたので」


 クリス捜索活動の最中、フェーンストレム中佐も一行に加わっていたため、さながら臨時首脳会議といった趣だ。

 おかげで兵士たちは気を回したのか、或いは気後れか、声の聞こえるような場所からは離れている。

 組織としては上に敬意を払う、と言う点で当然のことなのだろうが、自分がその対象になるというのはむず痒くて仕方が無い。

 尤も、クリングヴァル中佐の提案を考慮するならば結果的に好都合ではあったのだが。


「聞こう」

「僭越は承知しておりますが、大佐、ご実家を頼られることは適いませぬか」


 それが何を意味するのか。

 言ったほうも、言われたほうも理解しているが、だからこそ、急速に張り詰めた空気の意味は重い。


「……アッテルベリは私以外にいない」

「オクセンシェルナのことです、殿下」


 うそぶくクリスに、追い討ちとなる一言が投げかけられた。

 無造作に組まれていた腕に力が入るのが見え、掴んだ腕には細い指が食い込んでいく。

 喋ったのか、という苛烈な視線が送られてきたが、小さく首を振って否定する。

 比較的俺が平静を保っていられるのは両者の事情を知っていたからではあるが、このことをクリスに報告する機会を逸していたのは事実であり、非難めいた視線を受けるのは肩身の狭い思いだった。


「そうイトウ中佐を睨まないでやっていただきたい。私は最初から知っていたのですから」


 困惑の度合で言えば、全容を把握し切れていないフェーンストレム中佐よりも、なまじ知られぬようにしてきたスヴェンのそれが強い。

 幾度かの瞬きを終え、何事かを言いかけたスヴェンに先んじて老将が語を次ぐ。


「オクセンシェルナ候とは旧知でして、実は殿下、殿下にもお会いしたことがあるのですよ」


 鳩が豆鉄砲を食らったような──この慣用句の発祥について、そんな稀有な状況がそうそうあったとは思えないが──表情のクリスに、先日俺にした話を繰り返す。

 だがその表情も一瞬ごとに理解へと傾き、可笑しさを堪えて納得するように頷いた。


「思い出したぞ。先代のヴィッテルスバッハ卿とともにお祖父様の屋敷に来ていたことがあった」

「……覚えておいででしたか。十年以上も前のことでしたが」


 驚きを隠せない様子で目を見開く。

 それはそうだ。

 十年以上前といえばまだクリスは五歳かそこらのはずなのだから。

 小学校に入る前に会っただけの人物をさも当然のように覚えていることなど、果たしてどれだけあるだろうか。

 それは知能指数が高いのか、単に記憶力がいいのか、平々凡々たる俺には理解の外であることは確かだ。


「いや、今まで思い至らなかったことが不覚だ。しかしよくも気付いたものだな」

「母君に……エリーザベト様によく似ておられます」


 俺はクリスの母親を知らない。

 知らないが、クリングヴァル中佐が現実を記憶で上書きしているとは思えない。

 ならば少なくとも、普通の親子以上には共通するものが多いのだろう。

 俺の想像力ではクリスの髪を長くしてドレスのようなものを着せるぐらいしかできないが、だがそれはどこまでいってもクリスであることは変わらなかった。


「……そうか、私は母様に似てきたのか」


 自嘲とは少し違う、悲しさと嬉しさをどう融合させればいいのかわからない、といった波動を乗せて、小さな音が耳をかすめた。

 一番近くに居た俺でも聞き取るにはぎりぎりの声だったので、他の三人には聞こえなかっただろう。

 次の言葉は指揮官としての、クリスティナ・アッテルベリとしてのものだった。


「クリングヴァル中佐の提案を容れよう。いずれ無関係で済むものではないのだ、オクセンシェルナとは何らかの接触を持っていたほうがいいだろう」

「ありがとうございます。具体案はおありですか?」

「密使としてベッテを向かわせよう。彼女なら面識もあるし能力も申し分ない。軍内部に入り込んでいるハンスのこともある、とりあえずは後方支援を頼むつもりだ」

「それでよろしいかと思います」

「では我々の行動については……」


 方向性が定まれば、溜め込まれていたエネルギーが奔流のように流れ出すのは当然のことだ。

 次々と今後の指針を決める様は感心させられるものがあったが、どうやら今はわずかに足元が見えていないらしい。


「大佐、少しよろしいですか」

「何だ?」

「フェーンストレム中佐とカッセル中佐にも説明したいのですが……」

「……任せよう」


 一瞬、怪訝な表情を覗かせたクリスだったが、奔流に乗り切れず居心地が悪そうな二人に気付き、少しだけ恥ずかしそうに頷いた。





 俺たちの今後について、問題となるべきことがいくつか存在する。


 最終目標である平和を取り戻すためには、現体制の打倒、ないし無力化が最優先事項だ。

 それが平和的な手段で解決できるものなら望むところだが、先方にその意思がないことがわかりきっている以上、不可能を望んでいても仕方がない。

 ではいかにしてそれを達成せしめるかといえば、武力で以ってそれを制するしかないだろう。

 しかしそのために組織されようとしていた反皇国同盟は、カールの一石によって瓦解し、産声を上げることなく頓挫せざるを得なくなってしまった。

 雌伏を続けているものはいるだろうが、当面の足がかりを失ったのは事実だった。


 それに付随することだが、政治的な求心力を持つ人物の不在は組織として致命的と言える。

 もちろん上官たる少女の素性を公表するならば問題ではないが、それだけでは大義名分のためのお飾りになってしまう。

 今はもっと民衆に近い立場の主導者が必要なのだ。

 例えば、悪政から民衆を守っていたヴィッテルスバッハ卿のような。


 差し当たっては、不自由でない拠点の確保と、できればヴィッテルスバッハ卿の救出が、俺たちの短期的な目的になる。


「つまり最も効率的な行動はシュトルーヴェの奪還、というわけだな」

「効率だけで言えばそうですが、さすがにそこまで単純な動きでは罠に掛かりに行くようなものです。今の戦力では実力行使というわけにもいきませんからな」


 青天の霹靂だったフェーンストレム中佐と、半分だけ知っていたことで混乱したスヴェンに一通りの事情を説明し、改めてこれからの予定を話しあっている。

 比較的古く硬い風習を重んじるフェーンストレム中佐がクリスの正体に恐縮していたが、皇女であることは内密にしてほしい、という願いに折れてこれまでどおり接することを誓った。

 このとき、ああ、孫娘のお願いというのは断れないものなのだなあ、などと場違いな感想を抱いてしまったが、どうやらそれは元世話係に伝授された交渉術の一端であるようだ。


「確かにまだヴィッテルスバッハ卿の安否も知れず、昨日の今日では警戒も強化されているか」

「それにオクセンシェルナ候との連携も図らなくてはいけません。事を起こすのはそれからでも遅くはないと思いますが」

「しかし遅くなればなるほどヴィッテルスバッハ卿の生命は危険に晒されるだろう」

「いえ、それに関しては確信に近い考えがあります」


 ずっと考え続けていた、カールの真意の欠片。

 それは自ら手を汚すことなく、民衆の敵意も巧くかわしつつ目的を達成すること。

 まだそれだけではないはずだが、少なくともひとつの正解には辿り付くことができたと思う。


「……どういうことだ?」

「恐らくシュトルーヴェにはイェンネフェルト伯がそのまま残るでしょうが、城下の民がおとなしくそれに甘んじるとは思えません。産業的に重要な土地でもありますから、まさか強硬に弾圧などもされないでしょう。ではどうするか」

「人質か。なるほど、ありうることだ。カールが搦め手で攻めてきたのもそう考えれば筋が通るな」


 ――敬愛する領主を押さえておけば滅多なことはできないだろう――。

 個人的な思考に見え隠れする欠片の断片から、よくもそこまで汲み取れるものだ。

 ……俺には兄弟もいないし科学的にどうなのかは知らないが、半分は同じ血が流れている、というのも影響しているのだろうか。


「ならば確実な時期を待つのがいいだろう。それまでヴィッテルスバッハ卿に不自由な思いをさせてしまうが……」

「出来る限り早急に、ですな」


 それはとても難しいことだ。

 十分な戦力を整えるには時間と資金が掛かる。

 最短でも半年、上手くいかなければ数年がかりになるだろう。

 俺がこの世界に来て半年足らず、そう考えれば加速した情勢の波はあっけなく予想を上回ってしまうかもしれないが、しかしそれは、俺たちだけには限らないのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ