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皇國記  作者: M's Works
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第三十話 闇夜の脱出行





 シュトルーヴェ城。

 領主の居城として造られている以上、それなりの防衛策を講じてある……ように思えるが、風土病的な精神作用の賜物なのか、そこかしこに田舎的な雰囲気が見え隠れしている。

 その最たるものは施錠を疎かにする気質であり、そもそも出入り口に扉が無いということも珍しくない。

 ベッテの秘密通路にしても、外敵に知られてしまえば致命的な進入経路になり得るのだ。

 防犯意識を刷り込まれた現代日本人としては気が気ではないが、十万人を抱える町にもかかわらず悪意ある犯罪は年に一度あるかどうか、という驚異的な治安の良さがそれを助長しているのだろう。

 実は城壁に通用口が作られている、というのも、巧妙にカムフラージュしてあるとはいえ、危機意識に欠けること甚だしかった。


 だが、それは外の人間には関知できるものではない。

 城と言えば堅牢なもの、という先入観を持つ人間は、まさか城壁に穴があるなどとは毛ほども考えないのだ。

 それでも過剰なまでの用心深さによって、本来必要でない、外を回ると半日かかる場所にまで人員を配置したイェンネフェルト伯には感心させられる。

 ただ闇夜に紛れて通り抜けるだけで済むはずだった俺の算段が見事に打ち砕かれたのだから。





 クリスを無事に逃がす。

 そのためだけに立てられた作戦を実行するのは気が重かった。


 スヴェン、クリングヴァル中佐を中心とした大多数は、陽動と逃走に適した左側の障害物が多いルート。

 俺とクリス、ベッテ、フェーンストレム中佐他三人の兵士は少数を利して右側、まっすぐ野営地に向かうルート。

 城壁を出た陽動隊は遠くない位置で火を放ち、見張りの目を引き付ける。

 見張りが出火を確認するまでにその場を離れた陽動隊は臨機応変に退却し、俺たちはその隙を突いて速やかに脱出する。


 これだけを聞けばどちらも大して変わらない確率で生き延びることができるように思える。

 確かにこの通り動けばそうなるだろう。

 しかし陽動隊は退却しない。

 何故ならば、どちらも五割程度の「大して変わらない確率」だからだ。

 見付かる可能性は陽動隊のほうが高いが、彼我の戦力差を見れば圧倒的というほどでもない。

 一方、俺たちが見付かる可能性は低いものの、たった七人では戦力と言えるようなものは無いに等しい。

 であれば陽動隊が囮を兼ねて最初から戦うつもりでいたほうが、総合的な全体のリスクとしては減少すると言える。


 とは言え、戦いつつ戦線を抜けられる可能性は限りなく低い。

 例え見張りが油断しているとしても、それは最初のうちだけだろうから。





 風でも吹かない限り大きく延焼することはない、という地点から煙が立ち昇り、やがて空を舐めるような炎を確認することができた。

 燃え上がる樹木の爆ぜる音に狼狽とそれを窘める声が混ざり始め、敵の目のほとんどがそちらに向いたものと思われる。


 今まで慎重に進んでいた俺たちは、周囲への警戒を続けながらも長距離走と常歩の中間ほどの速度まで足を速めた。

 踊るような炎が光源となったことで木々は不安定な影を作り出し、その音とともに俺たちの気配を隠すのに貢献している。

 俺の目測ではあるが、見張りは城から五キロメートル程度までしか配置されておらず、そこさえ越えれば後は心配することもないだろう。

 しかし、何もない平地の競技であれば二十分とかからずに駆け抜けることもできる距離だが、足場も視界も悪く、身を隠しながらというのは非常に効率の悪いものだ。

 立ち止まったり、偵察もしながらとなると、どれだけ急いでも二時間ほどはかかってしまう。


 やはりクリスが指揮を執ることで生まれる突破力を頼みに、全員で動いたほうがよかったのではないか。

 死地へと向かった仲間を思うと、一度は振り切ったはずの考えが湧き上がってくる。

 ……しかしそれは、何よりも彼らへの侮辱に他ならない。

 今は全体の生き残る確率よりも、クリスの安全を最優先に考えなくてはならないのだ。

 感情や感傷に任せて、クリングヴァル中佐の覚悟で作られた比較的安全な時間を無駄にするわけにはいかなかった。


「大丈夫よ、ちゃんとわかってるから」

「何がだ?」


 索敵と地形把握のために俺とベッテが先行している。

 彼女は夜目が利き、或いは気配さえ探れるのではないかと思わせるほど高機能ではあるが、この状況で単独行動は危険すぎる、というフェーンストレム中佐の進言で俺が同行することになった。

 実際俺に出来ることといえば足場の確認ぐらいで、いくら控えめに表現しても足手纏い以外の何者でもないのだが、そんな中でかけられた言葉の真意を測りかねるのは仕方ないことだと思う。


「クリスのことよ。あの子は賢い子だもの、今の状況ぐらい理解してるわ」

「だとしたら猛反対してそうな気がするけど」

「したわよ? レイジ君が部屋に来る前に」

「こうなることがわかってたっていうのか」

「説得するの大変だったんだから。ご褒美は奮発してもらわないと」

「……敵わないな、本当に」


 明確な肯定さえしなかったが、それについては是非を問うまでもない。

 もしかしなくとも、クリスは俺などよりベッテを副官に据えたほうがいいのではないか。

 ふとそんなことを考えてしまったが、首席秘書官という職務がある以上そういうわけにもいかなかったのだろう。

 尤も、今後そうならないと決まったわけではないが。

 しかしこれで最大の懸念──援けに向かおうとするクリスを如何にして止めるか──が解消されたのは確かだった。

 少なくとも、状況を悪化させる可能性の芽は事前に摘まれていたのだから。


 後方から聞こえる音は劇的にその質を変容させていた。





 幾度もの反射を経て俺たちの耳に辿りつく喊声と剣戟。

 そう離れてはいないはずだが、茂る草葉に吸収されて実体を無くした音はどこかぼやけていて、まるで安物のスピーカーから聞こえる三流戦争映画のそれに似ていた。

 だからと言って現実感が薄いわけではない。

 危機感によって研ぎ澄まされた五感はその全てで死を知覚する。

 敵か味方かはわからないが、確実に、今もまたひとり、ふたり。

 足は既に意識から切り離されたまま前進を続け、何よりも脳が考えることを拒否しているように感じていた。


 徐々に遠くなっていく声と音を行軍曲がわりに、もうどれほどの距離を進んだだろう。

 誰も口を開かず、重くへばりつくような空気を纏ったまま時間が過ぎてゆく。

 皆一様に苦虫を噛み潰したような表情を隠そうとしているが、肉体と精神の疲労はそれさえも難しくしている。

 俺の感じているこの嘔吐感は果たして体力的な問題なのか、そうではないのか。


「そろそろ包囲から抜けるはずだな」

「この辺りから視界も開けますが、逆に発見される恐れもあります。しばらくは慎重に進むのがよろしいでしょう」


 本来の距離よりも遠くに聞こえたクリスとフェーンストレム中佐の会話が、鈍っていた脳の感覚を揺さぶり起こす。

 ここまで来たらひとまず安心だ。

 あとはフェーンストレム中佐の言うように、見晴らしのよくなったところで気を引き締め直さねばならない。


「ねえ、レイジ君。こっちに敵の増援が来る確率ってどのくらいだと思う?」


 突然訊かれたことの意味を把握するのに数秒の時間を要した。

 どうしてそんなことを訊くのか、と返してもよかったが、特にふざけているわけでもなさそうだ。

 可能性のあることは用心に過ぎることはないだろう。


「騒ぎの後に兵を回しても間に合う位置じゃないから、そうだな、ゼロじゃない、ってぐらいだと思うよ」

「そう?」


 そのはずだ。

 そもそも兵が配置されていることさえ想定外だったのに、何も起こらないはずの場所にわざわざ増援までするわけがない。

 だが、最初の前提が間違っていたらどうだろう。

 裏に抜けるものがいるかもしれない、と考えていれば兵を敷き、加勢を指示するのは当然のこととも言える。

 まさか塀の抜け道が知られていたのか──。


「ゼロじゃなかったみたいだけど、どうしようか?」





 途切れた森の先には、一瞬ごとに増える灯が見えていた。

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