第三話 戦乱への序曲
空が高い。
申し訳程度に細く裂いた綿のような雲が見えるが、快晴と言えるだろう。
控えめな角度から存在を主張する太陽は、見渡す限りの雪を細かく砕いて敷き詰めた白金のように輝かせている。
その自然の美しさの中に、明らかに人の手が加えられた区画があった。
東西に伸びた二つの山肌の合流点。
野生の獣の進入を阻むためにしては大げさにも見える木の柵が二重に配置され、その中に五十ほどの家屋が比較的なだらかな斜面を選んで建てられている。
一軒一軒が足場として組まれた丸太の上に建っているので、リゾート地のログハウス群にも見える。
決定的な違いはあまりに生活感に溢れていることだろうか。
子供がそこかしこで走り回り、母親らしい者たちは朝の煩雑な仕事を終えて世間話に花を咲かせている。
主だった男は今、集落の中で最も大きな家に集まっていた。
狩猟を糧とする民族らしく、みな筋骨逞しく、顔つきも精悍なものだ。
十四人の男と、一人の女が肴と酒の乗った長机を囲んで座っている。
雰囲気は和やかで定例の寄り合いの様相だったが、今日は常よりも一人多い。
「そんな訳でな、俺の補佐をしてもらうことになった」
上座と思われる場所にいた赤銅色の髭の男がそう言うと、直前まで俺に向けられていた興味の視線が一斉に険しいものに変容する。
ほとんどは猜疑のものだったが、その中に一つだけ嫌悪が混じっているのを感じた。
「俺は反対だスヴェン、どこの馬の骨かもわからねえ奴をあんたの傍に置くなんてのは」
「おめえ、クリスの時は大喜びだったじゃねえか」
「それは……」
俺と同じくらいの歳だろうか、長く伸ばした銀灰色の髪を後ろで一つに纏めた男が憎々しげに俺を見て矛先を収めたが、その意見に賛同するざわめきも少なからず出てきた。
間諜ではないのか。或いは直截的に暗殺を担う工作員かもしれない。
確かにそれらの可能性は否定できない。
何せ俺はこの世界で自己を証明できる術を待たないのだから。
ここでは何の役にも立ちそうにないが、財布や携帯電話など、普段身に着けていたものは俺の服には入っていなかった。
ざわめきは次第に大きくなり、先ほどまでとは打って変わって剣呑な空気が場に流れる。
「聞いてもらっていいか」
喧騒を鎮めたのはそれまで一言も発さずに腕を組んで座っていたクリスだった。
立ち上がり、それぞれの顔を確認するように見回してから語を次ぐ。
「私もかつて、ひとり死にかけているところをスヴェンに助けられここに来た。どこの馬の骨とも知れぬ私を皆は暖かく歓迎してくれたが、しかし、何故私は小娘にも関わらず、他の女たちとは違いここにこうしているのか」
銀灰色の髪の男を見据える。
「……戦ったからだ」
「そうだ。私は戦った。武器を手に取り、この村に攻め入ろうとする皇国軍を追い返すために幾度も戦場に出た。それは私の望みでもあったが、ここで暮らす人々への恩返しでもあった。その結果、私は皆に認められここにいる。では、同じ余所者にも我々に認めさせる機会を与えてやればよいではないか」
俺に一瞥をくれて再び席に着く。
これが十六、七歳の少女だろうか。
凛々しく高貴で、威厳と慈愛を備えた、まるで女王のようではないか。
男たちも程度の差こそあれ、容認の方向に心の秤が傾いているように見える。
「まあそういうこった。この件は俺が全て預かる。それで文句ねえだろ」
まだ納得のいかない者もそこまで言われては、と引き下がる他になく、これで今回の寄り合いは散会となった。
クリスが皆を送り出すと広い室内は三人だけになる。
俺は気付かれないように浅く溜め息を吐き出した。
戦争。
ここでは当たり前のように起きているそれは、規模としてはそれほど大したものではないのかも知れない。
しかし仮初めとはいえ平和な日本で生まれた俺にしてみれば、規模の大小を問わず、過去の歴史やニュースで見る遠い出来事でしかなかった。
少なくとも、これまでは。
戦わねば自分の命を守れない。
今の状況に戦慄さえ覚えるが、現実として受け止めなくてはそれこそ命を落とすことになるだろう。
「……他の地域にも我々のように村の全てが反皇国組織、というのは少なからず存在するが、その中でもこの辺りは流通の要ということもあってかなり警戒されているようだ……どうした、思い詰めたような顔をしているぞ」
せっかく丁寧に説明してくれていたのだが、正直覚え切れるかどうか。
「ああ……いや、大丈夫だ。それにしても、真っ先に反対されるものだと思ってたから驚いたよ」
「反対だよ、私は」
「ならどうして?」
「クリスはヒューゴが嫌いなんだ」
にやにやとスヴェンは笑っているが、決して悪意のあるものではないのがわかる。
ヒューゴというのは恐らくあの銀灰色の髪の男だろう。
つい反抗したくなったということなのか。
「嫌いというわけではない!ただ、馴れ馴れしいというか、その……」
「苦手?」
「そう、苦手なだけだ!」
むきになって取り繕おうとする姿は、ついさっき堂々と演説していた少女と同一人物とは思えない。
実際はどう思っているかまでは俺のわずかな経験値では窺い知れないことだが、その動揺ぶりに年齢相応のものが感じられて少し安心する。
「それに、聞いていただろう、私も余所者だからな。きっかけを作ってやるぐらいはいいかと思ったのさ」
「助かったよ。まあ、これからが大変そうだけどね」
本当に俺は彼らに認めさせることができるだろうか。
ここにいる理由を、ここにいることの意味を。
「とりあえずレイジ、おめえはこっちで必要な時以外は好きにしてて構わねえ。ここの生活にも慣れねえといけねえしな。戦い方を教わるのもいいだろうよ」
「武器はどんなものを使ってるんですか」
「そうだな、斧とか鉈、棍棒に弓、あと少しだが銃もある」
「銃は数もないが弾だってそう多くはないからな、貴様に使わせるわけにはいかないぞ」
「ひととおり使ってみて、合うものを選べばいいさ」
弓か……。
学生のころは弓道部だったが、時間をかけて全神経を集中させるスタイルが戦闘に向いているとは思えない。
やはり他の物も見せてもらってからのほうがいいかもしれない。
その時、無遠慮に扉を開けて部屋に駆け込んできた者がいる。
先刻までこの部屋にいた銀灰色の髪の男、ヒューゴだ。
何やら尋常ではない雰囲気を感じ取り、室内は一瞬で緊張に満たされる。
「物見から緊急の知らせだ。あと二時間ぐらいで来るだろうってよ」
「性懲りもなくよく来やがるな」
「それがどうやら今回はなかなか本気らしいぜ」
「どういうことだ?」
「その数五百、ってところだ」