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皇國記  作者: M's Works
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第二十九話 理想と業





 城を包む雰囲気は、喧騒と表現するには悪意が勝ちすぎ、致命的なことに全体の統率が取れすぎている。

 そして本質的には活力と独創性に欠けていた。

 だが、だからといって脅威が軽減するわけでもない。

 平時には非武装が暗黙の了解だった城内では、剣や槍を携えた兵士が我が物顔に横行している。

 その全てが敵であるという現実は、面白くない冗談よりも性質が悪いように思われた。


 予定では少なくともあと数日ほどは猶予があったのだが、どうもその見立ては夏休みの宿題計画ほどに甘かったらしい。

 おかげで満足な準備もできないままに行動に移さざるを得なくなった。

 敵からしてみればしてやったり、というところだ。

 しかし、わずかでも予見していたからこそこうして動けているのであって、全面的に後れを取ったということもないだろう。


 わずかにしていた準備。

 それは俺たちの連隊をまるごと城外に出しておくことだった。

 時期的には多少無理があったが、以前から申請していた郊外演習という名目であれば、制度上は何ら不自然なことはない。

 臨時司令官である准将はイェンネフェルト伯への対応に腐心していたため、ろくに内容も確かめないまま許可を取ることができたのも幸いだった。

 それなりに融通の利く人物だったら、ご機嫌取りも兼ねて城の警備やら周辺哨戒などに割り振られてしまっていただろう。

 尤もそのぐらいの柔軟さを期待できるなら、ある意味それでもよかったのかもしれないが。


 部隊は昼過ぎに城を出発し、そう遠くない位置で野営訓練を行っているはずで、表向きは数日間それを続けることになっている。

 つまり、万が一城が押さえられた時のための遊撃戦力というわけだ。

 それが無駄になるに越したことはなかったが、事態が最悪の方向に転がってしまった以上、本来の目的を遂行するしかない。


「ちゃっかりそんな準備してるあたり、意外とレイジ君って腹黒いのねえ」

「白くない自覚はあるけど、まさか君に言われるとは思わなかったよ」

「何よ、褒めてるのに」

「それはどうも」


 俺たちは入念に隠されていた秘密の通路を通って、スヴェンが待っているはずの裏庭へと向かっている。

 既に城内でイェンネフェルト伯の兵が動き始めているということは、高い城壁に囲まれているために逃げ込むとは考え難いとはいえ、そこにまで手が及ぶのも時間の問題だった。

 一刻も早く合流し、巧妙に隠されていて城の者でも知らないほうが多いが、実は庭師のために作られている出入り口から脱出しなくてはならない。

 ……この城は忍者屋敷か何かなのだろうか。


「着いたわ」


 どうやら目的地に着いたようだが、俺の目には何の変哲もない石壁しか見当たらない。

 まさか出口は無理矢理作るというのだろうか。

 しかし一メートル四方はある石をどうやって……。


「これ、軽石なの。こんな出口が何箇所もあるのよね」


 俺の逡巡をあっさりと無視して石のひとつに手をかけると、軽い擦過音を残して苦もなく押し出されていく。

 他の石に比べるとわずかに小さく作られているのだろう、出口を塞いでいた石は見た目とは正反対の音を立てて地面に落ちた。

 ね、と笑顔を向けるベッテだったが、俺とクリスは驚きよりも呆れが先に出てしまう。

 ともあれ、これで後は抜け出すだけだ。

 安全を確認するため、一番手として外へ出る。

 裏庭といっても大分外れのほうだったようで、景観のために木が植えられていることもあり、スヴェンたちの姿さえ確認できない。


「大丈夫だ、誰もいないよ」


 出口は地面からかなり上、俺の頭より少し高い位置に開いていた。

 まあ、あまり普通に触れる高さにあっては、何かの拍子に誰かが気付いてしまうかもしれない。

 そんなことをぼんやり考えていると、二人とも無事に降りて服の埃を払っている。

 手伝うべきだったか、とも思ったが、何故か今日に限ってクリスまでスカートだったので、これでよかったのだと思い込むことにした。

 クリスのスカートに関しては、本人曰く着替えるつもりでいたそうだが、予想より早かった裏切りのせいで着替えが間に合わなかったのだそうだ。

 ここに来るまでも定期的に動き辛い、と憤慨していたが、そこまで言うなら始めから穿かなければいいだろうに。

 だがそんなことを言うと、ベッテに茶化されるか説教されるのが関の山なので、不本意ながら心に秘めておく。

 特に今はそれどころではない、ということもある。


「どうした?」

「ごめん、何でもない。急ごうか」


 表面が他のものと似せて造られている軽石を出口に戻し、出来る限り物陰に身を隠すようにして合流地点へと足を進めた。





 もし俺に守護霊とやらがいるとしたら、よほど寝惚けているやつに違いない。

 そうでなければ憑いているのは気まぐれな悪霊だ。

 そもそも俺はそういった霊やそれに類するものを全く信じない人間だが、ここの住人はまず概念として人間霊を考慮に入れていない。

 死者に対する畏敬の念や供養に似た習慣はあるが、肉体の死イコ−ル精神の死と捉えているようだ。

 幽霊のように実体を持たないものは精霊や妖精といった、人間以外のものとして認識され、死者が蘇るには肉体が必要不可欠と考えられている。

 しかし蘇るとは言っても、精神が既に無くなっているため、大雑把に言えばゾンビやグールなどに代表される、身体が動いたとしても生前と同じとは言えない存在へと変化する。

 日本でも死後は妖怪や鬼になる、といったような話はあるが、やはりどちらかと言えば、欧州に近い風土を持っていると見ていいだろう。


 というわけで、俺の失態は超自然的な原因による不具合だ、と主張することも叶わない。

 スヴェンたちと合流できたのはいいが、どうやら城壁の外に数百人単位の見張りが複数組いるようだ。

 俺の見通しが甘すぎるのか、イェンネフェルト伯が思った以上に抜け目ないなのか。

 ここに集まることができたのは、先程の会議に出ていた十数人とその副官や直属兵、合わせて百を超えるどうかといったところで、さすがに包囲網を突破するに足りるとは思えなかった。


「これだけ囲まれているとなると、気付かれずに抜けるってのは難しいな」

「いくら木が多いとはいっても、数が違いますからね。野営地に着くまでには全滅です」

「誰か身軽な奴に先行させて、部隊をこっちに呼んだらどうだ」

「それでは時間がかかりすぎますし、そうなると四万対二千では話になりませんよ」


 悲観的な返事しかできない自分が嫌になることもある。

 見付からずに抜けられる可能性も、不意打ちで混乱を誘って脱出することもできるかもしれない。

 だがどちらもリスクが高すぎる。

 せめてもう少し時間があれば、部隊との連動を詰めることができていたら。

 もしも脱出行が明日だったならば打てる手もあったものを。


 しかし、このままではいずれ捕まってしまう。

 ならば一か八かでもクリスだけは逃がさなければ──。


「少しいいですかな」

「……クリングヴァル中佐? どうしたのですか」


 いつの間にか俺はひとりで立ち尽くしていた。

 中佐が声をかけてくるまで気付きもしなかったのは不覚としか言いようがない。

 敵の包囲の只中で我を忘れるなど、まして守るべき上官まで意識の外に放り出しては目も当てられないではないか。

 苦虫を噛み潰す思いで視線を巡らせ、クリスの姿を確認して安堵を覚える。


「すいません、呆けていました」

「それはよろしくないですぞ、副官殿」


 クリスが横に並ぶとどうしても孫娘に見えるが、或いはそれが俺でも大差はないのかもしれない。

 厳しさを彫刻したような顔のつくりにもかかわらず、その温和な雰囲気は先年亡くなった祖父のそれに似ていた。


「姫様は本当に強くなられた」

「……やはり知ってらしたのですね?」

「オクセンシェルナ候とは古くから付き合いがありましてな」


 オクセンシェルナ。

 確かクリスの母方、ハンスの姓がそれだった。

 ならばむしろクリスの正体を知らないほうがどうかしているのだろう。


「こんなところで姫様に怪我でもされたら、オクセンシェルナ候に合わせる顔がなくなってしまう」

「それだけは避けたいと思っていますが……」

「ではそうするとしよう」

「策がおありでしたか」


 曰く、優先されるべきがクリスであるならば、他はそのための駒となるのも仕方ない、という。

 過半数が一か八かの一点突破を仕掛け、その隙を突いてクリスは手薄なところから安全に脱出する。

 恐らくはそれが最善だ。

 しかしそれは過半数を見捨てることと同義でもある。

 理想という名の魔物は、どれだけの血を飲めば満足するのだろうか。


「その部隊は私が指揮したいのだが、構わないかね」


 まるで仲間内で行うカードゲームの親を決めるような気軽さで言う。

 だが、相手は堂々といかさまを使うペテン師なのだ。

 わざわざ負ける勝負に有為な人物を送り込むわけにはいかない。


「俺が行きます」

「申し訳ないが、イトウ中佐の腕では足手まといだ。私は包囲を抜くつもりなのだからな」


 悠然とした中に強い拒絶の意思を感じた。

 もちろん兵を指揮した経験のない俺よりも、強靭かつ老練なクリングヴァル中佐が陣頭に立ったほうが生還の可能性ははるかに高い。

 しかし仮にそれが俺の十倍あるとしても、果たして一パーセントに届くだろうか。


「……そうですね、俺ではお役に立てなさそうです」


 俺は今、絶望的な偽善という形で、少なくない同胞の死刑執行書にサインしたのかもしれない。

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