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皇國記  作者: M's Works
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第二十七話 胎動




「いたいた、レイジ君!」


 イェンネフェルト伯の陰口にも飽き、いささか失われていたやる気を奮い立たせて執務室に向かっていると、見るからに不機嫌そうなベッテに呼び止められた。

 普段は几帳面に着こなしているはずの猫が綻んでいるということは、よほど堪りかねているものと見える。

 こんな状態のベッテに構うと身の安全が危ういような気もしているが、さすがに名指しされて無視するわけにもいかないだろう。


「どうしたの? ずいぶん荒れているようだけど」

「そりゃあ荒れもするわよ! あのビビリ野郎の相手なんかするんじゃなかったわ!」

「それはご苦労様でした」


 綺麗に切り揃えられた紅茶色の髪を左右に振り乱しながらも憤慨は続く。


「何百人も衛兵連れて歩いちゃってさ、怖いなら布団に潜ってガタガタ震えてりゃいいのよ! 城の中のこともさ、どこに何があるかとか出口はいくつあるかとかそんなことばっかり聞くんだから!」

「危機意識の高い人なんだろうよ」


 あまりにも小物感溢れるイェンネフェルト伯の行動にうんざりして溜息を吐く。

 伯爵を守るように立っていた完全武装の衛兵たち。

 聞いた話では二百人前後、中小規模の学校なら一学年全員ほどにもなる。

 そう広くもないシュトルーヴェ城内でいったい何から護衛するつもりなのだろうか。

 しかもそれは「城内に入った人数」だけで、城外にもざっと見て二千人、連隊規模の衛兵団が詰め掛けていた。

 俺の知る限りでは、いくら同盟を結んでいたとしても許可無く軍を城の敷地に入れるのは常識外れと言える。

 通常いくらか離れたところに陣を取り、少数でもって入城するのが礼儀というものだ。

 それを制止しようともしなかった准将もどうかと思うが、四万もの兵士が城下町を包囲するように駐留している様はとても気分のいいものではない。

 よほど小心者なのか、或いは主であるヴィッテルスバッハ卿がいないのをいいことに増長しているのか。

 とにかく、どちらであっても好人物でないことだけは確かだ。


「何よ、あいつの肩持つの?」

「そんな気はベッテの良心ほどもないね」

「ならいいわ。まったく、今度呼ばれても絶対行かないんだから! 私を見る目も汚いし!」


 ……良心がない、はスルーでしたか。

 まあ、自覚があるというのはいいことだ。

 ただそれ以外に気を取られていて気付いてないだけかもしれない。

 気付かないうちに話をすり替えておくのが賢明だろう。


「それで、俺に何か用でもあった?」

「え? ああ、そうだった。さっきカッセル中佐に今夜クリスの相手しててくれって言われたんだけど、どういうこと?」

「そのことか、実はさ……」


 どうやらスヴェンは面倒だったようで、理由も告げず目的だけを伝えたらしい。

 真実を隠しつつ大筋をかいつまんで、クリスには聞かせたくない話をしたいんだ、と説明すると、鷹揚に頷いて了承してくれた。

 目を細めて薄い唇をを半月型に吊り上げているのが不気味ではあるが。


「うんうん、たまには男だけで話したいこともあるわよねえ」

「……何を想像してるか知らないが多分違うからな」

「はいはい、いいから私に任せなさい」


 ひとりで勝手に納得すると、憮然とする俺を嘲笑うかのように、先ほどの不機嫌を忘れさせる軽快さで戻っていた。





 夜。

 いくら気配が去ったと言っても、先日まで降り続いていた雨の影響は少ないものではなかった。

 昼間に暖められた地面は蓄えられた水分を地味に空中へと吐き出し、下がりきらない気温と相まって高い不快指数を維持し続けている。

 救いは朝方から吹いてた山風だったのだが、先程からその勢いに陰りが見え始め、生温く纏わり付くだけの不快指数悪化要素としての貌を覗かせてきた。

 どうやら風までもが仰ぐ旗を持ち替えて俺たちを辟易させるつもりらしい。


 俺は今、クリスを筆頭とする部隊の、だがクリスを除いた主だったものたち──俺を含め佐官以上に任命された十四人である──と会議を行っている。

 昼にスヴェンに頼んだ仕事のひとつが、クリスや他の人間には極秘裏にこの場を設けることだった。

 もちろん正規の手順を踏んだ公明正大なものではない。

 基本的に軍隊における会議の内容などは他言無用であり、内々に秘められるものが多いことではあるが、今回は根本的なところで趣を異にする。

 会議、と言うよりはむしろ謀議と言ったほうが正しい。


「……今回の戦、既に勝ち得る術はない、と?」


 普段から比較的難しい顔をしているクリングヴァル中佐だが、さらにその風合いを強めている。

 それもそのはずで、あなたたちは負けですよ、などと言われて穏やかな顔をしているほうがどうかしているだろう。

 例え薄々感付いてはいても、他人に言われると急に不愉快に感じるものだ。

 じんわりと噴き出す汗と、液体になるにはあと一歩足りない湿気によって張り付く服も、ここぞとばかりに非生産的な相乗効果を発揮していた。

 もしあるなら除湿機を設置したいところだが、コンセントもないこの場所では邪魔な置物でしかない。

 なるべく大袈裟にならないように服をつまみ、肌との間に空間を作って気を紛らわせながら話を続ける。


「そうです。このままでは戦っても戦わなくても、最終的な結果は変わりません」


 この場合の結果とは、単純に敗戦を意味するものではない。

 戦って負ければもちろんのこと、戦わずに交渉で切り抜けたとしても「革命」の芽は刈り取られてしまう。

 国を変えることが目的の蜂起である以上、それを志し、達成できる器を持つ人物がいなくてはならない。

 戦死、処刑、投獄、監禁……いずれにしても負ければ避けられぬことだ。

 ただ手をこまねいていては先は決まっている。

 ならば。


「戦えば確実にヴィッテルスバッハ卿のお命は失われるでしょうな」

「そしてなお勝機は遠いままだ」

「しかし交渉の次第によっては皆助かるやもしれぬ」

「仮にそうであっても、助かるのは命だけだろうが……」


 クリングヴァル中佐とフェーンストレム中佐が同時に溜息を押し殺したが、やはりどちらも落胆を隠せない。

 それぞれが俺の年齢以上の戦歴を重ねていれば百戦して百勝とはいかないだろうが、それでもやはり敗戦というのは慣れることがないのだろう。

 考え込むように目を伏せ、何がしかの覚悟を決めようとしているように見える。


「我々が今やらねばならないことは、火種を残すことです。そしてできれば小さいものよりは大きいものを」


 息を呑む音が終わると静寂が舞い降りる。

 どうやら皆、俺の言わんとするところに気付いてくれたようだ。

 渋面を滲ませるものたちには悪いが、ここに優秀な人材を集められたことには満足を覚えずにいられない。

 よくもこれほどまでに敏い人間が集まったものだ。


「そうですな、大局を見ればまだここの負けなど取るに足りないものでしょう。そう考えれば最も優先されるべきはアッテルベリ大佐が生き延びることですからな」


 一瞬、時間が止まったように感じた。

 その言葉の意味を理解できたのは、恐らく俺とスヴェンだけだっただろう。

 火種となる重要な人物を逃がす、という共通の認識はできていたと思うが、大多数のものがそれはヴィッテルスバッハ卿であると勘違いしていたはずだ。

 もちろん、知らなければ当然のことではあるのだが。

 だからこそ、クリングヴァル中佐の発言は、知るものにも知らぬものにも驚きを与えずにはいられなかった。


「何故大佐なのですか?」

「確かに人を惹き付けるものはお持ちだが、指導力や象徴としてはヴィッテルスバッハ卿のほうが優るのではないか」

「対外的な名声と言う点でも比べるべきところは無いように思うが……」


 各所から疑問が沸き起こる。

 しかし老将は微塵も気を揺るがせず、窘めるように一瞥してから語を次いだ。


「ヴィッテルスバッハ卿がこの土地を守る領主であられる以上、それを放り出しては誰に向かって大儀を唱えることが適うか」

「それはそうだが……」


 俺が言えば詭弁にしかならないことだ。

 何せ主を生贄にして逃げ出そうとしているのだから、新参者が言っても聞き入れられるものではない。

 勇猛を以って鳴らし、忠義の士として名高いアンデルス・クリングヴァルその人の言であってこその重みである。

 その決断には想像も及ばない葛藤と苦悩があっただろう。

 思わぬ助け舟に感謝しつつ、後を引き受ける。


「今後交渉の場が設けられた場合、ヴィッテルスバッハ卿他一万の捕虜解放を要求する方向ですが、その見返りとして最低でも革命軍の解散は免れないでしょう。これを円滑に成功させるには絶対にヴィッテルスバッハ卿が必要なのです」


 全員の不満がなくなったわけではないが、消極的にであっても認めざるを得ない、という様子で頷きあう。


「そして火種となるのは、行方をくらませても差し支えないアッテルベリ大佐ということですな」

「言ってみれば傭兵のようなものですからね、まともな捜査もしないでしょう」

「……大佐の強い意思は我らを照らす光となる。それを疑うものはここにはおりますまい」





 とりあえずは全員の了承を得ることができて一安心といったところだ。

 蒸し暑く感じていた空気の中でも途中からは滲む汗が冷たくなっていたが、クリングヴァル中佐のおかげでなんとか切り抜けられた。

 クリスの正体に気付いているような気もしたが、気のせいだったのか。

 まあ、もしそうでも軽々しく吹聴する人ではない。

 そのうち公表せねばならないことでもあるし、特に問題はないだろう。


「それにしてもイェンネフェルト伯の衛兵はなぜああも殺気立っているのかね」

「まったく、あれでうろつかれているとこちらの気が休まらんよ」


 雑談の中から耳に入ってきた何気ない会話。

 それがふと脳を強く揺さぶった。

 小心者が不安でやっているただの見回りだろう、とも思ったが、彼らの努力によって今城には猫の仔すら立ち入れるような隙はない。

 だとすれば何を警戒しているのか。

 ……俺たちを?


「まさか……」


 あまりに突拍子のない想像につい声が出てしまった。


「イトウ中佐、どうしました?」

「……今警備兵はどうしてるかわかりますか」

「はい、今夜は我々がやるから休め、とイェンネフェルト伯が」

「しまった!」


 その可能性も考えてはいた。

 シュトルーヴェを手土産にカールに降ろうとするならありうる、と。

 しかし臆病者のイェンネフェルト伯があえて危険を冒すとも思えなかった。

 そうしても確実に赦されると決まっているわけではないのだから。


 ──もし決まっていたら。

 カール側からそう打診されていたら?

 イェンネフェルト伯は「間違いなく」それを呑む。

 そして他の領主よりも早く到着した理由。

 明日には誰かが来るかもしれない、としたら。


「スヴェン! 準備はどうなってますか」

「ああ? そうだな、七割ってとこだ」

「今すぐ出られるようにしてください」

「何だって?」


 俺の声に注目が集まる。

 すでに察したのか、クリングヴァル中佐、フェーンストレム中佐は部下への指示を飛ばしている。


「イェンネフェルト伯が今夜裏切ります」


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