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皇國記  作者: M's Works
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第二十六話 夜は未だ明けず




 長かった雨も上がり、例年であればにわかに活気付くはずの城下町は、通年でもありえないほどの静けさに支配されていた。

 ただそれも虚無の静謐と言うわけではなく、そこかしこでさざめくような、普段の生活をしつつ物音を立てまいとしているような、そんな不自然さを伴っている。


 しかしそれも止むを得ない。

 意気軒昂と出陣した軍が大敗し、領主たるヴィッテルスバッハ卿が敵の手に落ちたのだから。

 贔屓のプロ野球チームがホームゲーム三連戦で零封を喰らい、エースピッチャーと四番打者が戦線離脱した、そんな時のファンの気落ちに通じるものがあるかもしれない。


 一応箝口令は敷いてあるとはいえ、家庭に戻った兵士が家族に口を滑らせてしまうこともある。

 そしてそうした話は、どこの世界でも驚異的な速度で広まっていくものだ。

 町を見下ろす廊下の窓にもたれていると、筋肉の鎧を纏った大男が赤銅色の髭を不機嫌そうに捻りながら話しかけてきた。


「どいつもこいつも気が早えな。もう辺境伯の葬式でもやるつもりなのかね」

「スヴェン……」


 不穏な発言が耳に届いたのか、通りがかった女中が肩を震わせ、早足に離れていく。

 だがそれを気にした様子もないのは、この男の凄いところなのか、そうでないのか。


「気持ちはわかりますけど、誰がいるか確認ぐらいしてくださいよ。ただでさえ声が大きいんですから」

「ふん、この陰気くさい空気が性に合わねえんだよ」

「……理由になってませんね……」


 それでも気にしてくれたのか、辺りを睥睨しながら壁に背を向けた。

 こんな猛獣のような目で睨み付けられたら、急ぎの用事があっても遠回りしていくに違いない。


 苦笑を押し殺して外に目を向け、もう少しでまとまりそうな考えを弄ぶ。

 カールは何故俺たちを城に帰したのか。

 人質を取ってはいるものの、未だ戦力を保有する敵を野放しにして何を目論んでいるのか。

 正々堂々と正面決戦をするため?

 ありえない。

 目的はヴィッテルスバッハ卿だけで、俺たちは見逃された?

 そんなわけがない。

 反乱分子を徹底的に殲滅するため?

 ……それしかないように思う。

 では、どうやって。


「ちょっといいか」


 わずかな沈黙を破ってスヴェンのかすれた声が響く。

 声の届きそうな範囲には誰もいなくなっていた。


「俺たちはもう終わりか」

「いいえ」

「勝てるのか」

「……いいえ」

「正直すぎるのも考えもんだな」

「ですよね」


 片頬を吊り上げる独特の笑いかた。

 今ではそこに様々な感情を乗せていることがわかるが、その笑みを子供に向けると立ち竦むか泣くかする、というのもわからなくはない。

 気のいい人食い鬼、というベッテの第一印象評価は、残念ながら的を射すぎていて反論のしようがなかった。

 外を眺めたまま話を続ける。


「このままだと遅かれ早かれ、いずれ負けるでしょう」

「どうにもならねえのか」

「……ヴィッテルスバッハ卿や捕虜になった者たちを見捨てれば或いは、というぐらいです」

「それは……」

「無理でしょうね。士気を維持できる自信はないですし、何よりお姫様が黙ってません」

「人質を極秘に救出するのは無理か?」

「一人二人ぐらいなら助けられるかもしれません。しかし捕虜となったのは一万人ほどと想定され、彼らを放っておいてはヴィッテルスバッハ卿が由としないでしょう。結局は堂々巡りです」


 どうにか勝てる方法はないか、と昼夜休まず考えを巡らせたものの、出てくる答えは総て「否」。

 捕虜を見殺しにしたとしても勝率は一割あるかどうか、という体たらくだ。

 仮に連合領に助力を要請できたとしても、そう結果は変わらないだろう。

 ならば善後策を採るしかない。


「そこで、スヴェンにやってもらいたいことがあります」

「ま、できることならな」





 数日の間にはヴィッテルスバッハ卿が捕らえられた事実がかなりの正確さで認識されるようになった。

 領外にも噂は届いているようだから、ほぼ間違いなくカールが意図的に流布したものだろう。

 情勢は加速度的に悪化していく。


 日和見なものは早々に見切りをつけて無関係を決め込み、そうでなくても無条件に物資を供給してくれる商隊は減ってきている。

 利益が見込めないところに資本を投下する商人などいるはずもないし、それに反乱勢力に味方した、と難癖を付けられて今後商売ができなくなる可能性も少なくない。

 食料もなしに戦争ができると思っているのは、幼児か無能な貴族ぐらいなものだ。

 微細な補給線と城の備蓄から計算すると、三万の兵士を食わせるのはひと月と一戦程度が限界と言える。


「……どうしたものかな」

「奴は何も動きを見せないのか」

「これといって表立ったものはないね」


 兵糧攻めというのは攻城戦のオーソドックスと言えるだろう。

 しかしそもそも城とはいえシュトルーヴェは特に要塞化されているわけでもなく、確かに難攻たらしめる天然の要害があるために迎撃は容易だが、無防備な城下町を抱えているために篭城には向かないのだ。

 万端な準備ができるのならば難攻不落も謳えるが、今のような状態では普通に攻められるだけで厳しいと言わざるを得ない。

 そこに敢えて持久策というのは、万全を期すにも程がある。

 カールの狙いが俺たち革命軍の完全制圧だとしたらなおさら、ひとつひとつ速攻で以って各個撃破するのが最上と思えるし、彼の気性はそれを是とするように思う。

 そう仮定すれば近いうちに何らかの動きがあるはずなのだが、一向にそうした気配を見せないのが不気味さを感じさせる。

 或いは俺たちをここに封じて衰弱させているうちに他に当たる、ということも考えられるが。


「とりあえず明後日には同盟の領主が集まって会議することになったから、細かいところは今日のうちに片付けてしまおう。はい、これが今回の損害報告書と新編成の要綱、こっちが備蓄管理班からの明細だから目を通しておいて」

「焦っても仕方ないか……。主な議題としては交渉内容を諮るのだったな」

「まあカールが交渉に応じてくれるかもわからないけどね」

「でなければもう殺されている」


 それはそうなのだが、既に殺されているが隠匿されている、という可能性だってある。

 当然交渉できるとなれば安否の確認は最優先事項だが、仮に最良の形で交渉を終えることができても無事帰れるという保障もない。

 どちらにしろ圧倒的に不利な立場であることに変わりはなく、万の策で備えても足りることはない。


 その危険を諫言するべきか迷っていると、重いドアをノックする音で機を逃した。


「入れ」


 隙のないさわやかさで敬礼するヴェストベリ少尉だが、どうやらかなり慌てているようだ。

 普段は定規を当てたように真っ直ぐ揃える指先が、力みすぎて甲側に反っていることに気付いていない。


「どうした?」

「南展望台が南南東より進軍してくる部隊を確認しました」

「数は」

「およそ四万ほどと思われます」


 静かな戦慄がそう広くもない部屋を満たす。

 南南東?

 同盟しているはずのイェンネフェルト伯爵領から四万もの軍が来るなど、全く想定していない。

 まさか既にカールによって攻略されてしまったのか。

 それとも──。


「南展望台に行くぞ」


 そうだ、まずは現状を確認しなくては。

 小鹿のような身軽さで駆けてゆくクリスに気付き、急いで後を追う。

 何事も杞憂であってくれたらいいのだが……。





「いや、驚かせてしまったようで申し訳ない」


 ……まさかとは思っていたが、大軍を引き連れてきたのはイェンネフェルト伯爵だった。

 ヘンリック・マティアス・イェンネフェルト。

 ところどころ白髪の混じった銀髪を丁寧に撫で付け、俺の目には過度に思える装飾が施された服を厭味なく着こなしている様は、まさに現代日本人が思い描くとおりの貴族といった出で立ちだ。

 年齢は四十に届いていないということだが、どこか老け込んだ印象を与える。

 イェンネフェルト伯爵を出迎えるために、佐官以上の文官武官は大広間に集まっていた。


「思いのほか早いご到着で、何事かと思いました」

「いや、准将、盟友の危機だ、居ても立ってもおれずに兵を急がせてしまったよ」


 守備隊として残っていたエセインテリ准将が現在の司令官代理となっている。

 甚だ不満ではあるが、階級のより高いものが上に立つのは普通のことであり、残念ながら他に准将以上の階級を持つ者はいない。

 とはいえ、今はクリスが最上位でなくて安堵してもいた。

 爵位を持つ者の中にはクリスティナ・エリーザベト・メクレンベルクを知っている者がいるかもしれないのだから、極力目立たないほうが都合がいい。


「それにしてもこのような大軍でおいでになることもなかったのでは?」

「いや、有事の際にはすぐに動かせる戦力があったほうがいいだろう。そうは思わないかね?」

「は、ご慧眼恐れ入ります」

「いや、きみも励みたまえよ」


 話し始めるのに「いや」と言うのは癖なのか、直接話しているわけでもないのに悉く神経を逆撫でされているように感じるのは何故だろう。

 恐らく生まれついた地位に胡坐をかいている人間に対する反抗心なのだろうが、少なくとも俺は好きになれそうもなかった。

 どうやらアルヴィーカからの面々は皆そうであるようだ。

 スヴェンなど露骨に唾を吐きたそうにしているのが見て取れる。


「いや、私の歓待に出向いてくれたのは嬉しいが、きみたちにも各々仕事があるだろう。私のことはもういいから持ち場に戻るといい」


 そう言ったイェンネフェルト伯のありがたい心遣いによって、俺たちはひとまず解散の運びとなった。

 出迎えてもらうのが当たり前だと思っている物言いに新たな苛立ちをおぼえつつも、一瞬でも早くこの場を去りたいと思った俺は根っからの一般人なのだと再認識した。


 その後、クリス、スヴェンと小一時間イェンネフェルト伯の気に入らないところを言い合ったのは仕方のないことだと思う。

 夜が明けるには、まだいくばくかの時間を必要としているようだった。


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