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皇國記  作者: M's Works
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第二十五話 止まない雨





 長らく続いた雨も終息に向かい、厚く空を覆っていた雲の隙間からは申し訳なさそうな光がこぼれている。

 以降は雨も少なくなり、加速度的に気温が上昇していくことだろう。

 日本では梅雨明け宣言が出されたからといって誰も安易に信じることはないが、ここでは時季の終わりごろに降る大雨できっちりと最後になるらしい。

 にわか知識で理論付けるならば、東風に乗ってやってくる雨雲が西の山脈にぶつかることで雨季を作り上げるため、少し前から南風になるこの地域には雨雲が入り込まないのだ、と納得してみる。

 しかし人は科学に頼らなくても、生活に必要なことはどうにかしているものだ。





 濡れた軍服は鉛を繋いだ枷のように重く纏わりつくが、その不快感はほとんど気にならない。

 何故ならば、俺はそれ以上に重い敗北感と歩みを共にしているからだ。

 少しだけ前を行く俯いたままの少女も同様だろう。

 いや、或いは同様などと思うのは思い上がりなのだろうか。


 今、俺にはかけるべき言葉が見当たらない。





 ……昨日のことだ。


 まだ強く雨が降っていたころ、俺たちは閉塞している状況を打ち崩そうとして一旦後退し、突撃態勢へ移ろうとしていた。

 そしていざ、という最中、あまりにも耳慣れない音に鼓膜が掻き毟られる。

 慣れてはいないが、記憶の片隅に刻まれた音に似ていた。

 それは上方から下方への水の流れ。

 特に直瀑と呼ばれる形の滝の音に近い。

 その音が向かう先は、はたして滝壺ではなかった。


 例年この周辺が川にならないのは、上流にある丘が堰となって流れを押し止めていたからだが、カールはさらに上流からこちらへの支流を作り、同時に本流を遮って強引に川筋を変えたものと思われる。

 濁流は途中の木々を圧し折りながら下り続け、それは危険な凶器となって俺たちを直撃した。

 俺たちを、と言うが、正確には敵味方無く、だ。


 倒木や岩を抱えた流れは速く、気が付くのに少しでも遅れるか、また気付いても場所によっては、比較的密集している陣形であることも手伝って、いとも簡単に同胞であるはずの者まで飲み込んでいった。

 軍馬の嘶き、金属の軋む音、張り裂けるような悲鳴。

 奔流はそれらを瞬く間に掻き消し、ただ自然の理に沿って低い位置へと押し流していく。


 俺たちは最も下流に陣を敷いていたためにほとんど被害を被ることは無かったが、七千のうち半分ほどが対岸へと渡ってしまっていた。

 とは言え、三万の義勇軍は大半が失われ、敵にしても半数までが川に飲まれた中で、ほぼ無傷で切り抜けられたことは幸運と言えるだろう。

 何せあのまま前線にいたのなら、どう見ても助からない位置だったのだから。


 こちらに川を呼び込む、という策は考えないでもなかった。

 ただそれではどうしても味方にまで被害が及ぶし、敵であっても助けを請うものまで殺してしまうのは心苦しい。

 さらには下流には農地が広がり、濁流に飲み込まれてしまうと再び開墾するのに余計な手間がかかる、ということもある。

 いくつか考えて切り捨てた代替案のうちの、一番初めにお蔵入りした方法だ。


 しかしカールはやってのけた。

 不審に思っていた「寄せ集め」はこのためのものだったのだろう。

 正規軍は一兵も損なうことなく、彼にとっては極めて効率的に勝利へと近付いた。

 この際、「寄せ集め」の反感情は表面化しない。

 彼らは自らの自尊心によって望んで従軍しているものが大半であり、仮にそうでなくともカールの恐ろしさを肌で感じたからだ。

 逆らえば一片の容赦もなく殺される。

 それを確信していて反抗できる人間などそう居るものではない。

 もちろん火種として燻ることはあるだろうが、存外勝ち続けているうちは沈静化しているものだ。

 カールにしてみれば負ける気もないわけで、つまり一向に問題無いということになる。


 岸のこちら側には直属であるアッテルベリ連隊三千、義勇軍のうち難を逃れたものが二千。

 あちら側には敵の残り一万五千とヴィッテルスバッハ隊一万、そして川を越えた四千。

 川幅は目測で五十メートル以上もあり、今や川を越えるのは至難であれば、ほぼ同数での決戦となるはずだった。


 川筋を変えたことによる二次的効果──或いは真の狙いだったのかもしれないが──それは元の川が無くなること。

 戦場とヴァンデルンとの間に流れ、あわよくばその水際で叩ければ、と考えていた雨季の川。

 水の捌けた川は既に川とは呼ばれず、虎視を耽々と光らせていた直属近衛兵二千が騎馬で以ってヴィッテルスバッハ隊の後背を急襲した。


 壊乱したヴィッテルスバッハ隊は一息ごとに突き崩される。

 わずかな抵抗の後にはヴィッテルスバッハ卿の周囲は敵の槍で埋め尽くされていた。


 俺たちはヴィッテルスバッハ卿や捕らえられた仲間を救い出すこともできず、恨めしげに両岸を分かつ川を眺めるしかなかった。





 ……その後、人質の命を盾に投降を迫られるかと思っていたが、伝えられたのは「人質が惜しくば城に戻れ」というものだった。

 実質投降と変わらないようにも思うが、何らかの意図があるものと思われる。


 そして今は、怪我人をまとめて城へ戻る途中というわけだ。

 雨は上がったものの、負傷者を抱え、馬の多くも失ったことで足は遅い。

 十日で着ければ御の字というところだろう。


「貴様の言ったとおり、やはり地理は筒抜けだったようだな」


 昨夜以来、必要なこと以外喋らなかったクリスが口を開く。


「いや、それだけでもないか。我らに、私に力が足りなかった。情報の流出を念頭に置いていれば決して読めない策ではなかった。その策を逆用することも、事前に防ぐこともできた。そうでなくても、もっと早く敵陣に届いていればカールを捕らえることもできたはずだ」


 俺に向けていたはずの言葉は、おそらく半ばでその役目を終えている。

 いつになく饒舌な少女は、そうすることで悔恨の念を吐き出してしまいたいのだ。

 経験上、それは一時凌ぎに過ぎないことを俺は知っているが、経験してみなければわからないことでもあり、同じ過ちを繰り返さないための通過儀礼でもある。

 人生に於いては後悔を抱えることが肝要だったとしても、少なくとも今は、先を考えなくてはいけないのだから。


「まだ終わったわけじゃない」


 ふと口を付いて出たのは、いかにも青臭い台詞ではあったが、口にすることで生まれる希望もあるらしい。

 それに共鳴したのか、無理にでも乗りかかろうとしたのか、本当のところはわからないが、クリスは背を伸ばして頷いた。


「当然だ。私はまだ終わらせるわけにはいかぬ」

「……そうだったね。人質をとられているのは難しいけど、何もするなと言われたわけじゃない。何かいい方法を考えないと」

「それが貴様の仕事であろう、まさか今まで考えていなかったのか?」

「それは厳しいな……」


 ちらりと振り向いた翠緑の瞳が笑う。

 多少の軽口でも、できないのとでは天地の差だ。

 まだやれる。

 そう思っていなければいられなくても、前に進むためにはただ沈んでいては何もできない。

 同盟を結んだ各領に頼るという手もあるし、確率としては隠密に救い出すことも不可能ではなく、或いは全面降伏を「してみせて」もいい。


 一般的に、人質を取ったということは交渉する余地があるということだ。

 その真意は計り切れないが、簡単に終わるはずの城攻めをしなかったのもそのためではないだろうか。

 であれば十日は長い時間ではなくなる。

 出来得る限りカールの思考をなぞり、企図するところを汲み出して対応策を練らねばならない。


 ……それにしても、悲観的な想像というのは何故こうも構築しやすいのだろう……。



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