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皇國記  作者: M's Works
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第二十一話 灯火





 大小の問題が山積している。

 未だ新たな指揮系統が確立されていないこと、兵の錬度に度外視し得ないばらつきがあること、兵糧が十分とはいえ運用に難が残ること。

 俺の夜食をつまみ食いの挙句綺麗に平らげた元世話係が悪びれもせずにいること、俺の部屋の鍵を破り、あまつさえ密かに書き溜めていた手記を盗み読もうとした現秘書官が字が読めないと逆に怒り出したこと、俺の隠しておいた……。

 ……どうやら小さい問題に限れば、見目麗しく知性溢れるものの、よろしいのは外面だけという迷惑極まりないいたずら猫をおとなしくさせればいいだけのようだ。

 それも野生の虎を飼い慣らすより難しいことではあるが。


 それはさておき、当面取り掛からねばならない問題として最上のものが存在する。

 クリス曰く「副将」をいかに撃退するか、ということだ。


 副将。

 それはつまり、第二皇子であり、皇国元帥であり、クリスの異母兄にあたるカール・レオナルド・メクレンベルクのことである。





 カール・レオナルド・メクレンベルク。

 アヴェストリア皇国第二皇子にして皇国元帥。

 皇国軍指令長官と統帥本部総長を兼ね、純粋な軍事力に於いては実質的に皇国最大の勢力を誇る。

 特筆すべきは血統のみに因って現在の地位を手にしたわけではないということだ。


 皇帝アルブレクトは一貫して血族を優遇しなかった。

 第一皇子が典礼省事務次官という、血統主義の世界では閑職とも言える立場にいることからもそれが窺えるだろう。

 権力を掴もうと画策し、娘を后妃として差し出した大貴族ら外戚も同様である。

 地位の安寧は約束されたが、古来それが栄達の同義語となることはない。

 皇帝は自分以外に権力を持たせる気がなかったのだ。


 しかしある時、漫然と皇族という温湯に浸かっていたカール少年は気付いてしまった。

 自らの才能と野心、己がただ優遇されない「だけ」だということに。

 与えられないならば力尽くで手に入れればいい「だけ」だということに。


 定められた年齢に達するとすぐに士官学校に入学し、賞賛され、或いは疎まれながら首席卒業を果たす。

 通常古参兵のみで構成される国境警備軍への着任を志望し、時には神算鬼謀を巡らせ、時には勇往邁進を奮い、その総てに勝利した。

 転戦を重ねながら階級を駆け上がり、生者として准将の在任期間三時間という最短記録も打ち立てている。

 初陣から五年、二十一歳の誕生日には元帥杖授与式が行われた。

 元帥の最年少記録としては父アルブレクトの十七歳を始め、歴代の皇帝、皇子が保有しているが、彼らは初任の時点で元帥であることが多いため、士官学校卒業後の最速記録ということであれば、「虎将軍」イングヴァル・ベルツェリウスの十一年八ヶ月を大幅に短縮するものである。


 皇国軍に於ける三長官、すなわち実務レベルで指揮を執る皇国軍指令長官、皇帝の統帥権を代行する統帥本部総長、軍政を取り仕切る軍務尚書であるが、無理矢理に例えるならば日本の警察組織における警視総監、警察庁長官、国家公安委員長に相当するだろうか。

 基本的にこれらはそれぞれ兼任されることはないが、例外的に皇族のみがそれを許される。

 過去に三職を兼ねた四人は、三人までが後の皇帝となり、一人は戦中に没した。

 ほぼ共通の認識の下、いずれは彼が残りのひとつも手中に収め、その前例に倣うのではないか、と目されている。

 燦然と輝くダイヤモンドのようなカールの功績を考えると、それが既定された未来と考えることは決して不自然ではない。


 彼は自己の才覚と覇気、そしてわずかな血によって、不遇であるべき未来を打ち壊したのだ。





 掻き集めた情報を整理する限り、カールは軍事面に於いて比類ない才能を有しているらしい。

 ことさらに軍事と限定したが、それは政治方面に特筆するべき関わりが見られないためだ。

 成果や失策などではなく、まるで忌避するかのように関わりを拒んでいる。

 尤も、自ら軍人であろうとしているのかもしれないし、その為人ひととなりがそうさせているのかもしれない。

 或いは、「そのように振舞っているだけ」?

 ……いや、それは今重要なことではないか。


 ハンスの情報によれば、彼は直属の近衛兵二千を核に、駐留軍及び周辺貴族の私兵を参集した四万余を戦力にするらしい。

 この数字はハンスの予想を根拠にしているが、事前の勢力調査からもそう大きく外れてはいないと踏んでいる。

 こちらは人数だけならば倍ほどにもなるはずだが、運用できる物資を鑑みれば実質戦闘に出られるのは恐らく五万に満たない程度になるだろう。

 気休めではあるが、単純に数で優っている点では有利になるはずだ。





「彼は今まで勝つべくして勝ってきた。その意味がわかるかい?」


 人員配置についての報告書を提出するためにヴィッテルスバッハ卿の執務室を訪ねると、気晴らしの話し相手を仰せ遣った。

 ここ数日、一日の大半をこうして机に向かって紙の束と戦っているのだから、それは滅入るのも仕方ないことだ。

 優雅な指で落ちかかる前髪を忌々しそうに撫でつけながら書類に目を通す。

 その目はまるで、ここにはいない何者かを非難しているようでもあった。


「負ける戦いをしない、ということでしょうか」

「まあ結論はそうなるが、しかしそこに至るまでの過程が問題でね。合理的と言えば聞こえはいいが、なんというか、そうだな、いけ好かないタイプの戦略家なのだよ」

「いけ好かない、ですか」

「極端に言えば、勝つためには何でもやる男だ。それは当然ではあるのだが、しかしそれも人道や倫理の範囲内であれば、という条件付きだろう」


 ありていに言ってしまえばよくある話だ。

 特権意識を持つ者は、そうでない者を同じ人間だと思わなくなる。

 俺の知る過去から連綿と綴られる負の歴史。

 視野が狭窄すればするほどに顕著になる、ヒトという種の忌むべき習性。

 カールにとっての特権とは、血統によるものではない。

 それは彼を形作る要素。

 力であり、才能であり、強さ。

 無力で無能な弱者には生きるに値しない。

 ワラキア公ヴラド・ツェペシュに代表される、狂気にも似た精神構造の一例である。


「まさか、民間人を」

「力を殺ぐには手っ取り早く、かつ味方の損害を少なくできる。確かにアヴェストリアから見れば英雄だろうが、さて、相手から見たら何に見えただろうね」

「内であれ外であれ、民衆を蔑ろにする国は例外なく滅んでいます。歴史がそれを証明していますよ」


 そもそも滅びない国は無い。

 寿命の長短があるだけだ。

 内憂か外患か、それがいつになるかも計れないが、弱者を虐げる国は悉く短命であることが多い。


「さしあたっては、我々が闇を払う種火となるわけだな」


 せめて蝋燭ぐらいにはなりたいものだ、と普段よりも幾分精彩を欠く軽口を叩くと、ノックと共に新たな書類が運び込まれてきた。

 部屋を出るときに聞こえた溜息は、果たして何に、誰に向けられたものだっただろう。





 俺自身のためにも、獅子身中の虫は早めに取り除いておくべきか。

 それを再確認し、しかしわずかな諦めを隠しながら、暗雲立ち込める秘書官室へと足を向けた。


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