第二十話 舞い込む報せ
ささやかと言うには規模が大きく、盛大と言うには華やかさが足りない宴。
シュトルーヴェ城に帰着してから実におよそひと月を経て、革命の初陣を飾った祝いの席が城内の広間に用意された。
予定では凱旋当日にも酒宴の準備がされていたのだが、残念なことにそれらのほとんどは給仕や女中たちの豪華な夕食になってしまっている。
我々出征組はそれぞれ自分の部屋に辿り着くと、着の身着のままベッドに倒れ込んで翌日の昼まで目を覚まさなかったし、文官や守備兵ら駐留組は捕虜の対応や物資の点検、対外折衝に忙殺されて体が空かなかったからだ。
俺個人のことを言えば、欲求のままに惰眠を貪ろうとしていたところをクリスに叩き起こされ、風船のように漂う意識を懸命に繋ぎ止めながら城中を引き摺り回されていた。
城に戻った五日後になるが、盛夏期には皇族の避暑地としても使われていたリェルグヴァーレの山荘に、ヴィッテルスバッハ辺境伯領、及び近隣四領の領主が参集し、ヴィッテルスバッハ卿を盟主として同盟と連合を約した誓書に調印した。
それに伴い、連名にて皇帝に対し国政の改善を要求する文書を送付、容れられない場合は武力行使を辞さないことも強記する。
しかしそもそも皇帝の許可なく自治領同士が同盟している時点で重罪であり、文書の内容からしても不敬罪、反逆罪、その他諸々を合すれば問答無用で極刑は免れないのだから、性質の悪い宣戦布告と言われても仕方ない。
尤も、既に正規軍とは一戦を交え、あまつさえこれを撃破しているのだから、何を今さら、という感もあるが。
今のところ皇国から反応はないものの、近く大軍で以って相応の代償を支払わせようと勇躍してくるだろう。
これは調印した場所の名を取って「リェルグヴァーレ盟約」と呼ばれ、俺たちはこの集団を単に「革命軍」と名乗ることになる。
余談ではあるが、ある領主が恐らく冗談で提案した「神聖アヴェストリア皇国連合」という名称は、公の場で発言される前に有能なる彼の秘書官によって却下された。
それからは連日、皇国に不満を持つ平民や排斥された元貴族、小さな領地を持つ貴族が、意に沿わぬ現状や看過しえない悪政を打破するべく義勇の拠り所を求めてこの地を踏む。
解放した捕虜の兵士に至っては八割あまりが革命軍への入隊を希望した。
主に俺とクリスは義勇軍の編成、既存部隊への編入を担当していたのだが、現時点でおよそ三万五千人ほどが新たな戦力として加わることになっており、依然その数字は増え続けることが予想されている。
懸念するべきは急激な人員増加による装備や兵糧の不足であるが、実はそれほど大した問題ではない。
流通の規制が厳しくなったものの、幸いなことに周辺一帯は生産を生活の糧にしている土地だった。
峻厳に聳える山々から散流する川が肥沃な平野を抱き、山間では製鉄が、河岸では紡績が、それぞれ適した土地で農耕が、まるで外界から隔離されることを想定していたかのごとく整備されている。
それこそ他の土地に売るほどであるのだから、当面の兵站に関しては杞憂となるはずだ。
劣悪な税制を敷く皇国にあって領内の民が不自由なく快活に暮らせているのは、偏に領地を治める主の手腕に因るのだろう。
そうした厄介事を抱えている以上、本来ならば延期なり中止なりにしていてもよかったのだろうが、兵を労わずして戦に勝ち得ようか、というヴィッテルスバッハ卿の正論のような、詭弁のような鶴の一声によって祝宴の運びとなったわけである。
きっと仕事を放り出す口実が欲しかったのだろう、と邪推するのは俺だけだろうか。
いや、確かに今日までの激務を鑑みれば、俺たちだって半日ぐらいは気を抜いてもいいのかもしれない。
それぐらいの猶予はあるのだから。
「やあ、楽しんでいるかい、イトウ中佐」
ヘリウムガスを纏ったような気楽さで、他のものよりわずかに装飾された軍服を着込んだ金髪碧眼の男が、壁際に立ち尽くして所在無げにしている俺へと話しかけてきた。
ご婦人方の輪から次の輪へと移る途中にワインでも取りに来たのだろう。
目は薄いアルコールの靄に覆われているが、その奥の光や口調、足取りには一切影響が見られない。
これも社交の技術というわけだ。
「はい、それなりに」
「それはよかった。強引に開催した甲斐があったというものだよ」
何やら興が乗ったのか、わずかの間、俺を肴に一時の羽根休めをする気のようだ。
二言三言、定型文の会話を交わすと、周りを見渡しながら口を開く。
「それにしてもすまないね。本来なら君も含め、アッテルベリ隊の者たちは昇進して然るべき働きをしたのだが、何せ今のところは内輪もめだからね、誇るわけにもいかないのだよ」
「いえ、俺は元々は軍人じゃありませんでしたから、そういうのはよくわからないですよ。今でも柄でもない地位に戸惑っているぐらいです」
「まあ今はそう言ってくれると助かるが。しかし信賞必罰は世の常だ。いずれ時期が来たら功労に報いたいと思っている」
普段は軽薄で瀟洒な辺境伯が眉をひそめて苦笑いながら溜息を吐いた。
狭い概念的には正しいことが、倫理的には正しくないことを称えるための方便に過ぎないというのは、ヒトが知恵を身につけてしまったが故の功罪なのだろうな、と残して新たな戦場へと足を向けている。
一人を殺せば犯罪者だが、一万人殺せば英雄。
こんなことを言っていたのは誰だっただろうか。
思考の海に沈降しかけたところで、俺を呼ぶ少女の声に意識を水面上に引き揚げた。
「浮かない顔をしているな」
「そう見えるか?」
「いや、全くそうは見えないが、そう見えたのだ」
怪訝そうに、ほんの少しだけ心配するように覗き込んでくる上官は、最近こうしたことをよく言うようになった。
大体に於いて正鵠を射ているのが何とも気に食わないが、貴様の考えてることはお見通しだ、ということだろうか。
これでもポーカーには自信があったのだが。
「それよりクリス、なんで軍服なんだ? ドレスとか着ればいいのに」
「……今の私は軍人だ。貴様は燕尾服でも着たかったのか」
そんなものは持っていないが、そう聞かれると積極的に着たいものではない。
しかしクリスのパーティードレスは見てみたかったのだが、などと言ったら何故か現在進行形で不機嫌度を増している姫君に、これも何故か蹴り飛ばされそうなのでやめておこう。
戦争を生き抜くには防衛本能も重要なのだ。
「何か無礼なことを考えていそうだが、ふん、まあいい。ただ立っているだけでは暇だろう。少し付き合え」
俺の返事を聞かないままにテラスのほうへと足早に、いや、彼女にとっては至って普通の速度だが、歩き出す。
特に反抗してみせる理由も見当たらないので、副官という立場上、その職務を全うするべきだろう。
もう夏も間近だというのに、密度の濃い夜気に触れると肌寒く感じる。
土地柄として風の通り道ということもあるし、比較的標高が高いことも影響しているはずだ。
今夜は晴れているが、凪を過ぎたこの時期は日本の梅雨ほどではないようだが雨が多く、夏を越すための水分を大地に蓄えるのだという。
雨自体は嫌いではない。
だがそれも長く続けば億劫になるうえに、この世界のろくに舗装らしいことがされていない道では歩きづらくなってしまう。
水はけのよいアスファルトの道路が懐かしく思えたりもするが、今こうして大地を踏んで生活してみると、とてつもなく窮屈な不自然の中で暮らしていたのがよくわかる。
娯楽としての読書がままならないのは悩ましいが、どうやら俺の気質にはこちらのほうが合っているようだった。
「さて、中佐。何故ここに来たかわかるか?」
テラスの端で振り向いたクリスが含んだような笑みを湛えている。
これが他の世界、他の女性相手なら多少の色気も出ようというものだが、現在に限ればその方程式は適用されない。
その華奢な指に挟まれた封筒も、残念ながら甘ったるい種類のものではないのだ。
「次鋒はいつ頃こちらに到着すると?」
皇国軍の動向。
それは無駄に長い名を持つクリスの従弟によって、事前にある程度知らされるようになっている。
主流からは遠ざけられているとはいえ、オクセンシェルナは大貴族ゆえの情報網を持ち、かなり詳細な事柄にまで精通するらしい。
彼がここを出立してひと月も経っていないことを考えると、そう遠くない位置で得られたものだろう。
つまり、要するに、そう遠くない未来、想定されていた戦いが始まるということだ。
クリスの反応は鈍い。
言い澱んでいるようでもあるし、望んだ答えが返ってこなかった不満のようでもある。
何かを考えるように呼吸ふたつ分閉じていた目を開く。
「次鋒……とは少し違うな。次に来るのは副将だ、中佐」