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皇國記  作者: M's Works
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第十六話 戦場の踊り子





 星霜をかけて緩やかに隆起したのであろう起伏と、それに取り残された形の平野とが、静謐な存在感を持って視界の大半を占めている。

 この辺りにはまだ人類が足を踏み入れていない森林も多く、全てを把握するには年単位の調査が必要となるほどの昆虫や動物が棲息するらしい。

 ジャングルの奥地で何年もの時間を費やしてやっと新種が見つかるかどうか、という世界にいた俺には見当も付かないことでもある。


 その神秘的にさえ思える土地でまで醜く争おうとしている俺たち人間は、やはり業の深い生き物なのだ。

 罪も無く棲家を追われ、踏み潰される彼らには俺たちがどう見えているのだろうか。


「よう、どうしたレイジ」


 振り向くと赤銅色の髭を持つ男が歩いてきていた。

 以前綺麗に揃えたはずの髭は、再び伸ばし放題になっている。

 曰く、「戦士があんな髭では舐められる」らしいが、実際はただ面倒なだけだろう。

 当初予定されていた副官の席に俺を推したのは、身なりにも配慮しなければならない公務を忌避したからに違いない。

 確かに彼の性格からすれば、細々とした折衝もこなさねばならない副官よりも、大胆に敵を薙ぎ払う実戦隊長にこそ向いているのは疑いようもないが。

 それに俺自身が実戦向きではないのは百も承知なので、こうなったのは適材適所というべきだろう。


「いえ、なんでもないですよ。ちょっと緊張してるぐらいで」


 これまでの観察によって、主に若い者を茶化すときの癖だと断定した左頬を持ち上げる笑顔で俺を見る。


「俺らには幸運の女神が付いてるじゃねえか」

「……スヴェンもクリスティナ教の信者だったんですか」

「おう、第一号だ」

「信仰は自由ですがね、妄信は廃頽への最短経路ですよ」


 意識的な軽口であるのはわかっているので、できるだけ呆れた顔を作ってみせた。

 スヴェンは笑いながらも肩をすくめ、歩いてきた方向を一瞥して溜息を吐く。


「まあ若い奴らのはちょっと度が過ぎてるな。不安で仕方ねえから何かに縋りたいんだろうけどよ」

「信じるものがあるから争いが起きるんですが、争うために信じるのはどうかと思いますね」


 それを利用して争いを引き起こそうとする人間も存在する。

 宗教を掲げた戦争は凄絶なものとなるのが常でもある。

 互いが己の唯一神を信じぬものは「人」ではない、と認識するからだ。


 歴史においては、その顕著な例のひとつとして「再征服レコンキスタ」と呼ばれた十字軍による大量虐殺が挙げられるだろう。

 相対的に善と悪が入れ替わるという点で、信仰というものは諸刃の剣なのだ。


「と言っても、縋りたい気持ちもわかりますけど」

「半分以上が初陣だからな。まあ、徐々に落ち着くだろうさ」

「そうだといいですね」

「難しいかもしれねえぞ、隠れ信者もいるみたいだしな」

「……」


 俺が返答に窮するのを確認すると、からからと笑いながら自分の仕事へと戻っていった。

 確かに信仰に近い感情を自覚してはいるが、公然と口外していないだけで別に隠しているわけではない。

 ……隠している、に限りなく近い気はするが。





 俺たちはもはや山と呼ぶに相応しい丘の、河から向かって反対側で息をひそめている。

 高度としては中腹よりもやや低く、正確には反対側といってもわずかに左だ。

 山際から河辺を覗き込める位置といえばわかりやすいかもしれない。


 つい先程、本隊が予定地点に到着した知らせがあった。

 あとはこちらのタイミング次第となる。

 敵が渡河を終え、西に転進したところで山を反時計回りに駆け下りて後背を突く。

 その後に本隊が一気に攻め寄せるのだが、それは速過ぎても、遅過ぎてもいけない。

 速過ぎれば引き付けが儘ならなくなるし、遅過ぎれば俺たちが撃破されていることだろう。


 しかし本隊も敵から死角になる位置で待機しているため、同様に死角となる敵の動きを確認することは難しい。

 そこで俺が準備した狼煙が重要な役目を負うことになる。

 ひとつは俺たちに本隊の到着を知らせるためのもの。

 もうひとつは俺たちから本隊に向けての合図に使われる。

 合図のタイミングも肝要になるが、半日前に到着していた俺たちには計算に必要な時間が十分にあった。


「アルヴェーン伯軍の八割ほどが渡河を終えました」

「わかった。それでは、進軍用意」


 報告を受けたクリスが静かに号令をかけると、地面で澱んでいた緊張感が水位を増した。

 全軍にその声が聞こえているはずはないのだが、数秒も置かずに体勢が整う。

 これが神格化される人間の才能なのだろうか。


 張り詰めているせいで何倍にも感じられる時間が流れ、ついに三万五千人の渡河が完了する。

 クリスの目配せを受け、俺は最後方で準備させている狼煙に点火するよう指示を出した。

 ほどなくして細い糸のような白い線が立ち上り、やや遅れて幾多もの紐に似た煙がそれに絡みつくように縒り集まる。


「大佐、行きましょう」


 視線を前方に向けたままで小さく頷く。

 だが、それ以上は動こうとしない。

 ……動けないのか。

 どうにか馬を半歩分だけ寄せ、他には聞こえないように注意を払って声を掛ける。


「クリス、行こう。俺も離されないように付いて行くから」

「……副官が付いて来るのは当然だろう、馬鹿め」


 前を向いたままなのは変わらなかったが、いくらか緊張も解けたようだ。

 大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。

 背筋と共に指の先までまっすぐ空へ伸ばした右手を、視線の先めがけて振り下ろす。


「行くぞ! 全速前進!」


 待ちかねていた兵士たちが一斉に鐙を締め、馬銜を噛ませる。

 クリスが先頭に立ち、その横に俺が、後方を囲むように直属中隊が続く。

 さらに真後ろにはカッセル大隊、右翼にクリングヴァル大隊、左翼にフェーンストレム大隊が付け、全体的にはクリスを頂点とする矢印状の陣形と言えるだろう。

 奔流のような勢いで突き進み、俺の目算で一キロメートル弱を一分ほどで駆け抜けた。


 半分ほどの地点で俺たちに気付いたアルヴェーン伯軍は、不意を突かれた衝撃から抜け切れないままに抗戦を余儀なくされている。

 ある者は武器を取り落とし、ある者は自失のうちに突き倒され、中には恐慌から逃げ出す者もいた。

 一馬身ほど先を行くクリスはほとんど速度を落とさず、騎馬用の長盾でもって次々と敵兵を薙ぎ倒して行く。

 その様子はまるで馬上で踊っているようにも見えた。


 馬蹄が轟き、剣戟が響き、雄叫びと悲鳴が重なり合う。

 俺はといえばクリスに遅れないようにするのが精一杯で、時折降りかかる敵意をやり過ごすのにも苦労している。

 だが、少なくとも俺たちの周囲に関しては敵を圧倒していた。


 ではまだ遠い敵はどうか。

 残念ながら今の俺では詳細に観察することは適わないが、どうやら戦前の予測に近いようだ。

 敵の戦意は高い。

 では何故それが有利に働くのか、というのがヴィッテルスバッハ卿も不審に感じたところである。


 普通、集中して何かを為そうとする人間は、得てしてそれ以外が見え難くなるものだ。

 この戦争においてもそれは適用される。

 戦意に逸る兵士は眼前の敵を倒そうと躍起になるものだが、その意識が俺たちに向いてしまえば本隊にとっては有利になると言えないだろうか。

 アルヴェーン伯軍にしてみれば連続で奇襲を受けるような気分だろう。


 敵は時間の経過と共に、だが想定していたよりはいくらか速く、体勢を立て直しつつある。

 つまりはそろそろ潮時、ということだ。


「クリス! 一度抜けよう!」

「そうだな、頃合いだ」


 少しずつ左へと湾曲させていた進路だが、さらに曲率を増やすとやがて元いた方向へと向けて進撃することになる。

 敵は俺たちを追う形になるが、後方に配置されていたのは歩兵であったため、追撃を振り切るのは容易い。


 あと少しで離脱できる、といったところで状況が変化した。

 戦場に本隊が到着したのだ。

 落ち着いていればどうということもないのだろうが、思うさま掻き回された敵軍は秩序を放棄したようだった。


 我先に逃げ出そうとするが、まだ戦おうとする者がいることと数が多いことが災いして各所で混乱が起きる。

 運良く混乱を抜けても河に足を取られてなかなか進めない。

 決定的なのは河に向かって下り坂になっていることで、足を縺れさせて転ぶものも少なくない。


 本隊は下り坂も利して横隊で圧力をかけ、敵の戦意と戦力を削っていく。

 俺たちも丘の頂上を頂点として放物線状に進路を取り直し、南西から横隊の列に加わる。

 混乱は拡大し、指揮系統は分断され、その機能を全く果たしていない。

 アルヴェーン伯は決して無能な指揮官というわけではないのだが、三万五千の軍を統率するには力不足だったようだ。





 既に勝敗の帰趨は決していた。



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