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皇國記  作者: M's Works
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第十四話 茶番劇と紅茶





「机上の空論だ!」


 茜の残滓もとうに姿を消し、黒天鵞絨に宝石を散りばめたような空が大地を見下ろしている。

 本来であれば大地はその柔らかな手触りに身を委ねて眠りにつくはずであるが、ささやかではあるものの自然界には存在しないはずの光が溢れ、ヒトという種族は傲慢にも安らかであるべき寝所を土足で蹂躙していた。


 自然の摂理を歪めている者たちの一握りが、石造りの部屋の中で決して和やかではない様相を呈している。

 ヒトと自称する生物が便宜的に名付けた呼称を使うとすれば、そこはアヴェストリア皇国ヴィッテルスバッハ辺境伯領、シュトルーヴェ城内の作戦本部会議室という。


 そこには俺、伊藤玲司も存在する。

 しかも現在のただならぬ雰囲気を作り出した張本人といってもいいだろう。

 尤も、矢面に立っているのは俺ではなく、上司たるクリスティナ・アッテルベリ大佐なのだが。

 彼女は俺の立案した作戦の是非を問うため、舌戦を展開させている。

 それは年長者として、男として、歳若い彼女に代弁させているというのは心苦しいことでもあった。

 だが所詮おまけの副官として同席している以上、上官を差し置いて意見を述べるわけにもいかない。

 少なくとも、今のところは。


「机上の空論とおっしゃいますが、何もせずに成果が出ることはありません」

「そのような作戦、前例がないではないか」


 先程から執拗に常識論を振りかざしているのは古参の准将で、ベッテ曰く「頭の固いエセインテリジジイ」だそうだ。

 その評が正しいのかどうかは個人の主観によるが、俺は全面的に賛同しようと思う。

 前例とは作られなければならないものだ。

 誰かがこれまでにない事柄を成したとき、それが前例となる。

 それが偉業か愚行かは別の話だが。


「前例がなければ我々で作ればよいだけです。既存の作戦で多数を打ち破ることなど適いましょうか」

「やってみてできませんでした、では済まないのだよ、大佐」

「もちろん心得ています。私はこの作戦が最も成功率が高く、最も効果的であると考えています」


 准将の言葉には小娘は大人しくしていろ、という揶揄も込められていたが、表向きは意に介しなかった。

 最後は准将にではなく、最終的な決定権を持つ人物に向けられたものだ。

 部下たちの議論を止めることなく傍観していたヴィッテルスバッハ卿が、今回始めて口を開く。


「その根拠は?」

「はい、それは……」


 クリスは俺を一瞥して姿勢を正す。


「アルヴェーン伯軍の戦意が非常に高いからです」

「……私の見解とは逆だね。敵の戦意が高ければ成功し難いと思うのだが、できればもう少し詳しく説明してもらえるとありがたい」


 クリスは先刻の俺との会話を、立場を入れ替えてそのまま再現した。


 何故敵の戦意の高さが有利となり得るのか。

 囮の意味と行動経路の理由。

 本隊の役割と目的、その際の戦術的な利点。

 総合的な戦略価値と戦後における行動選択の多様性。


 簡潔に、だが明確にそれらを説明する。

 ただ、これだけでは不完全だ。

 この作戦に必要にして不可欠なのは、あと二つの案件をクリアすることにある。


「いくつか問題点もあります」

「問題とは?」

「この作戦においては何よりも連動のための情報伝達が重要な点。そして常に高速移動を強いられる兵の疲労、およびそれに伴う突破力の低下が懸念されることです」

「仮に全てが成功するならば勝利は容易いものとなるだろうが、その問題さえ無くなれば成功するものか」

「私はそう確信しております、閣下」

「うむ……」


 俺には情報の伝達に当てがある。

 複雑なことを伝えるわけではないため、単純なもので十分なのだ。

 それがこちらの世界では使われていないことも確認してあった。

 最大の問題は、移動で体力を奪われて攻撃力が下がってしまっては本末転倒であるということだが……。


「後者については問題にならないだろう。我が軍の騎兵は皇国一の精強を自負しているからな、一日や二日の全速行軍で音を上げるものはいまい」


 それはこの部屋にいるものにとっては共通の認識でもある。

 若干の誇張があるにしても、そういう矜持を持っているものが自ら不可能を宣言するはずはない。

 つまり俺にしてみれば、問題など最初から無かったのだ。


 実はこの会議自体にあまり意味がないとも言える。

 何故ならば、ヴィッテルスバッハ卿がクリスの作戦を採用するのはある程度予定されていることだからだ。

 極論を言ってしまえば、事前にこの策をヴィッテルスバッハ卿に伝えればよかっただけのことでもある。

 しかし後々は皇女として全軍を統括する立場になるであろうクリスが、飾り物のお姫様ではないことを証明しなければならなかった。

 そのために目に見える形で功績を立てるのは急務なのだ。


 そういう意味では辺境伯の対応は完璧に近い。

 懐疑的な視点から入り、説明には納得し、重箱の隅をつついてはさらに明快な答えを引き出す。

 茶番ではあるが、頭の固い者を黙らせる程度には効果的と言えるだろう。

 それも破綻の無い理論あってのものではあるが。


「しかし精強とはいっても、早馬には限界がある」

「それに関しては、私の副官に妙案があると聞いております」


 クリスが目配せで俺を促した。

 なるべく精悍に振る舞うように意識して立ち上がり、先ずヴィッテルスバッハ卿に、次いで列席する仕官に向けて敬礼を施す。

 姓名、階級を名乗り、発言の許可を受ける。


「情報の伝達には狼煙を使いたいと考えているのです」

「ノロシ……とは何だ?」


 耳慣れない単語に室内が僅かにざわめく。


「私の故郷に伝わる方法ですが、火を焚き、その煙によって合図とするものです。こちらでは使われていないと聞きましたので、敵にも悟られることはないでしょう」

「なるほど、煙であれば遠く離れていても伝えることができるな」

「天候に左右されるという欠点もあるのですが、この時期は比較的穏やかだと聞いておりますので」

「確かに、このひと月ほどは雨も少なく風も弱い。そのような手段で連絡を取るには絶好といえるだろう。ではそのノロシの準備は任せてもよいな?」

「はい、お任せください」


 これで準備は整った。

 相手がいることでもあるから確実とは言えないが、後は計画通りに進めるだけだ。


 細かい配置や物資の配備などが決められ、月が地平線に落ちかかるころに会議が終わった。





 俺とクリスは一旦執務室に戻り、俺がたどたどしい手つきで淹れた紅茶を飲んでいる。

 味に関しては触れないでおく。


「ひとまず作戦は何とかなりそうだね」

「ああ、まだ何人か不満そうな奴はいたがな」

「何日か経てば考えも変わってるさ」

「そうだな……。それにしてもいつも貴様には驚かされる」


 長い睫毛を半分伏せて、手に持ったカップから立ち上る湯気を見つめている。

 そうしていると年齢相応のあどけない少女に戻るようだ。

 普段は俺が計り知れないほどの気を張っているのだろう。


「俺は何もしてないよ。昔の人が考えたことを応用してるだけで」

「応用するのも知っていなくてはできないだろう。貴様の世界の人間が皆そうだとは思えないが」

「まあ……多くはないだろうけど」


 多くはないだろうな、図書館に就職して一年ちょっとで蔵書の半分以上を読んでしまうような人間は。


「いつか貴様のいた世界の話をゆっくり聞いてみたいものだな」

「ここで役に立つこともあるかもしれないからね」

「そうではない、いや、なくはないが……ええい、いいから話せ、絶対だ!」

「わ、わかったよ。だからそんなに怒らなくても」

「もう寝る!」


 見るからに不機嫌な背中が扉を抜ける瞬間、何かを言ったようだったが俺には聞き取れなかった。


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