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皇國記  作者: M's Works
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第十三話 作戦会議





 フレゼリク・ベイセル・ゴトフリート・ヴィッテルスバッハ。

 ヴィッテルスバッハ家の現当主にして辺境伯領主であり、軍務においては第四辺境方面軍司令官、階級は大将である。

 独身で、年齢は数えで二十九歳。

 軽薄な言動とは裏腹に政務、軍務ともに優秀で、その気になりさえすれば中央で要職に就くことも決して不可能ではない。

 金色の髪と水色の瞳で飾る容姿は端々しく麗らかで、例えるなら高貴に咲き誇る紫陽花のよう。

 こよなく女性を愛し、周囲は愛でられるのを期待する花々で埋め尽くされているが、一切浮ついた噂が流れないことから、実は男色家であることを悟らせないためのカムフラージュではないかとも言われている。


 というのがクリスやベッテから聞いたヴィッテルスバッハ卿の情報をまとめたものだ。

 どの情報がどちらから出たのか一目瞭然だが、きっと紫陽花に例えたのは何か裏があるのだろう。


 その紫陽花の君は珍しく難しい表情で会議室の天井を見つめていた。


「……アッテルベリ大佐が囮として敵に陽動を仕掛ける、と?」

「もともと我々はそういう戦い方をしてきましたから、そういった作戦行動には慣れています。被害を最小限に抑えるためにも、慣れた者が指揮を執るのは当然と思いますが」

「確かに戦力差からすれば陽動からの奇襲は常套と言える。しかし例え指揮官が慣れていたとしても、新兵が多い隊ではそれが満足に機能するかは未知数ではないか」

「新兵が多いからこそ、仮に全滅しても大きな損害にはなりません。それに主力に新兵がいることのほうが不安要素になるでしょう」

「それはそうだが……」


 本来ならば皇女であり、後々は盟主となるであろうクリスを前線には出したくないのだろう。

 もし彼女が戦死などしたら計画そのものが頓挫してしまう。

 だがそれを知らされていない将兵の手前、一仕官の提案する上策を無下にするわけにもいかない。

 恐らくクリスはそこまで計算に入れて発言しているのだろうが、ヴィッテルスバッハ卿の心中を察するには余りある。

 俺としてもできることならば危険なことはさせたくないのだが、こうと決めればおいそれと枉げることがないのも事実だ。


 それに一応、俺たちの連隊ではこうした戦局に対応するための演習を主にしてきた。

 できるだけ早いうちに軍事的な成果を達成するために、前線での高機動運用を重視した編成を組んだのだ。

 囮に専念するならば人的被害も極小で済むだろうとの思惑もある。


「閣下には閣下に、私には私に適した仕事というのがあります」

「……わかった。任せよう」


 ついに観念したのか、大きく空気を吐き出してから提案を受諾した。

 そもそも俺よりも付き合いが長いはずだ、これ以上の論議は無益と悟ったのだろう。


「では陽動作戦の細部を詰めたい。意見のあるものはいるか」


 俺たちとっては今回も寡兵での戦となるが、本来兵法の第一は敵よりも多くの兵力を揃えることにある。

 少数で多数を打ち負かすのは劇的な英雄譚に不可欠な要素ではあるが、本道からは外れているのだ。

 それはつまり勝利の可能性が著しく低いことを意味する。


 皇国軍の先鋒を担うアルヴェーン伯の兵力は三万五千、そのうちの五割が重装歩兵、三割が軽装歩兵、残る二割は騎兵である。

 オーソドックスな陣容ではあるが、効果的だからこそのオーソドックスと言えるだろう。

 対するこちらは一万七千、騎兵が半数以上を占め、残りは軽装歩兵と重装歩兵が六対四といったところだ。

 機動力を重視した編成であるが、丘陵地帯の踏破性を考えれば必然なのかもしれない。


 およそ二倍の敵と相対することになるわけだが、この状況で必勝を期さねばならないという重圧から、誰もが閉じたまま唇を動かそうとしない。

 しかも「先鋒」と言うからには後続が存在するのが道理である。

 当然、それ以前に先鋒で終わる可能性もあるのだが、次鋒以降の対応、つまりはいかに戦力を保ったままで勝利するか、までを考えて策を練らなくてはならないのだ。


「やはり難しいか……。時間的な猶予は多くはないが、昼食の時間も過ぎていることでもあるし、一旦休憩としよう」


 日が暮れる時間に再開することにして、それぞれが一様に重い表情のまま作戦本部を後にした。





「満足に戦力が整っていないのは仕方ない。慎重に事を進めるために一極集中を避けていたからな、結果論ではあるがそれが裏目に出た」

「本当なら周辺の勢力も糾合してから行動を起こす予定だったからね」

「恐らく戦場は丘陵地帯か平野になるだろうから、奇襲といっても難しいな」


 それはそうだ。

 四方を見渡せる状態では奇襲は成功しない。

 山や川、森といった障害物がなければ兵を伏せておくことができないのだから。


「俺の世界で二千五百年ぐらい昔の人がね、正攻法は負け難いが勝つためには奇襲が要る、と言ってたんだ」

「力押し同士では消耗戦になるということか」

「多分ね。奇襲というのは戦局を有利に変える手段のことだと思う」

「何も奇襲は伏兵に限らない、と?」

「それができれば一番なんだろうけどね」


 俺が引用したのは孫子の一節だが、この解釈が正しいかどうかはわからない。

 孫子という兵法書を著したのは紀元前五百年ごろの中国の思想家である孫武だが、彼は基本的に戦争を否定しながらも、戦争のための戦略、戦術を初めて真剣に構築した人物だと言われている。

 中国でのそれ以前の戦争は、勝敗の帰結は天運に左右されるものと考えられていたらしい。

 現在よく知られる「敵を知り己を知れば百戦危うからず」「風林火山」「戦わずして勝つ」などは孫武の言である。

 とにかく、今は記憶を手繰って先人の知恵を拝借できないかを考慮するべきだ。


「この辺りの地図ってあるかな」

「執務室にあったと思うが……。何か思いついたのか?」

「それはこれからだよ」


 期待を込めた問いをはぐらかされて落胆の仮面を張り付かせるが、まだ確実でないことで喜ばせるのは不遇であるし、確たる自信があるわけでもない。

 しかし言葉とは裏腹に、俺には一条の希望が差し込んだように感じていた。


 地形を把握してそれを有効に活用すること。

 情報こそが最大の生命線であること。


 それらを十全に活かすことができるならば、自ずと勝機を見出すこともできるはずだ。

 執務室ではクリスが呆れるほどの時間を費やして地図を睨み付け、町に出ては周辺の出身者を尋ね歩いて地理の確認と情報を集めた。

 今までの人生で、ここまで精力的に何かを成そうとしたのは記憶にないかもしれない。





 心地よいを通り越した疲労が、町の中央通りに置かれているベンチに座った俺にのしかかっている。

 隣にいるクリスも俺に付き合って結構な距離を移動していたはずだが、まるでそんな様子は伺えない。

 ここ数年で落ちた体力を取り戻すにはまだ暫くかかりそうだ。


「君は、どうしても勝ちたいのか?」

「何をいまさら」

「今回は勝てても次は負けるかもしれない」

「……次も勝たせてくれるんだろう?」


 山際にさしかかった太陽の赤とオレンジが交互に重なりあったような光が、ほんの少しだけ笑い合っている俺たちを同じ色に染めていた。


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