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皇國記  作者: M's Works
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第十二話 休暇は終わりぬ





 山腹に残っていた雪もすっかり姿を消し、気の早い木々は先を争うように蕾を綻ばせている。

 ヴィッテルスバッハ辺境伯領に辿り着いてからひと月ほどが、慌しく流れていた。


 俺とクリスは隊の編成と、兵站も含めた演習の合間に主な士官たちと幾度か会合を持った。

 一応簡単な顔合わせはしていたが、人となりを知っておくのは決して無駄になることではない。

 意思の疎通と目的の統一を主眼に置いたものではあったが、成果は想像以上だったと言えるだろう。

 特に第二、第三大隊を指揮することになる二人は、クリスと並ぶと祖父と孫娘にも見えるほどだが、常に先陣に立つことによって武名を馳せた有能な人物で、戦功を立てる機会さえあったなら既に将官になっていてもおかしくはない。

 平民の出であるために出世が遅れてしまったが、皮肉にもそれで俺たちの隊に来てくれたのは幸運だった。

 後日、俺はそのうちの一人、アンデルス・クリングヴァル中佐と会話する機会があったのだが、彼は儀礼的な挨拶の後にこう言った。


「大佐殿は若いが、それも軍人にしてはの話。もう結婚していてもおかしくない年齢なのに、危険を承知で国を良くしようと努力なさっている。たとえ素性がどうであれ、我々はそういう人物にこそ忠誠を誓うものです」


 年の功、とでも言うものか、長く生きれば人を見る目が養われるのだろうか。

 薄々クリスの正体に気付いていながらも、先日の会合ではそんな様子をおくびにも出さない老獪さは見事と言う他ない。

 確かに大多数の平民からすれば、皇族は敵以外の何者でもない。

 それでもクリスならば、と期待を込めて忠誠を約束してくれたのだろう。

 そのことを伝えると、忠誠に応えられる上官にならねばならないな、と決意を新たにしたようだった。





 仕事の量からすれば、俺のそれはクリスに比べて圧倒的に多い。

 何故ならば、敬愛すべき姫殿下が雑用のほとんどを俺に押しつけあそばしているからに他ならない。

 それが副官の役目だと言えば確かにそうなのだが、何か度を越して嫌がらせにも思えてしまうのは俺の器の小ささ故なのか。

 最近気付いたのだがこのところ目も合わせようとしないし、仕事が終わると逃げるように部屋に戻ってしまう。

 人の感情は些細なことで変化するものだから、気付かないところで不快な思いをさせたのかもしれない。

 普段話している感じは変わらないのに、本当に女性というのは恐ろしい。


「というわけで、恐ろしい女性の代表である君に相談したいんだ」

「それが人に相談する態度なのかしらレイジ君?」

「……何を考えているかわからない女性の代表である君に相談したいんだ」

「その言い直しには悪意しか感じられないけど、頼られたら悪い気もしないのよね」

「助かるよ」

「じゃあ今度ニホン料理ね」


 厨房を借りて何度か料理をしたことがあった。

 やはり日本人は味噌汁が飲みたくなるものである。

 別段日本に居た時には必要としなかったが、それがないとなるとどこか寂しく感じたのだ。

 幸い市場で味噌と醤油によく似た調味料が売られていたので、味噌汁はもちろん味噌と醤油が使えそうなものは思いつくままに調理した。

 これでも料理の腕はなかなかのものだと自負している。

 もともと料理は好きだったし、六年間の一人暮らしは書籍代に消える生活費を補うためにほとんど自炊だった。

 気が付くと所狭しと並べられていたはずの料理が、テーブルを囲む数人によってあらかた消化されてしまっていた。

 興味深げに味を確かめながら食べているクリス。

 とにかく美味いなら問題ないとばかりにスヴェン。

 濃いだの薄いだの文句を言いながらも止まらないヒューゴ。

 何やらご満悦な様子で腹部を撫で回すベッテ。

 珍しいものが食べられると聞いてやってきたヴィッテルスバッハ卿。

 何故かご相伴に預かっている料理人や給仕たち。

 結局、毎回俺は残った味噌汁しか飲めなかったのだが、日本の料理が異国の土地で受け入れられたことについては素直に喜んだ。


「生の魚って食べられるかな」

「え? 魚を生で食べるの?」

「刺身って言って、生の切り身を醤油につけて食べるんだ。外国の人の中には苦手な人も多いけど、もし新鮮な魚が手に入ったら必ず食べさせてあげるよ」

「ショーユで煮たのも美味しかったものね。楽しみにしてるわ」

「それは約束するけど、帰ろうとしないでくれないかな」

「あら、ちゃっかり忘れてた」


 ちゃっかりですか。

 そんな悪戯が露見したときの子猫のような顔をされても騙されませんよ。


「でもそれはね、嫌ってるわけではないのよ、きっと」

「邪魔者扱いとか」

「まあ……それに近いと言えば近いけど、どちらかと言うと好意的な邪魔者扱いだわね」

「さっぱりわからん」

「わからないならそれでいいの。とにかく、もう少しすれば普通になるわよ」

「そんなおざなりで料理をせしめる気なのか」


 すると仕方ないな、といった態で溜息を吐き、いくらか真面目な表情になって俺を見た。


「……レイジ君、女の子と付き合ったことある?」

「はあ? 何を急に」

「いいから答えて」


 そんなことが何か関係あるのだろうか。

 しかし相談している身としては悲しいかな、答えないわけにもいかないだろう。


「まあ、それなりに」

「全部振られて終わってるわよね」

「余計なお世話だ」

「要するにそういうことよ。一応クリスのほうは私がどうにかしてみるから、後は任せるわ」

「いや、ちょっと待て……」


 俺の視界には軽やかな足取りで去って行くベッテの後ろ姿が残されている。

 明確な解の出ないまま放置されたが、どうやらベッテには確信めいたものがあるようだ。

 それを信用するならば、ひとまず静観する、とういうのが現時点での最上策であるように思われた。





 ある日、俺はサロンでスヴェン、クリングヴァル中佐、もう一人の大隊長フェーンストレム中佐、連隊直属の中隊長に任命されたヒューゴと共に隊の運用について協議していた。

 既に数回の演習で基本的な事項は押さえてあるが、いかんせん半数以上が新兵であることは不安材料と言える。

 できれば実戦経験を積ませたいところだ。

 しかしそう安易に軍事行動を起こすわけにもいかない。

 幸か不幸か近隣では目立った反乱勢力がないため、中央からの討伐指令が来ることもない。

 そもそも、周辺の反乱勢力の首魁が同胞を討ちに行くというのは馬鹿げたことではないか。

 先のことを考えれば、実戦経験の有無は重要なウエイトを占めてくる。

 中世以前の戦争では新兵の二分の一が初陣で戦死し、さらに生き残った兵の三分の一は二度目で戦死したと言う。

 もしそうなるならば俺たちの隊は実質半個連隊という、かなり厳しい状態になってしまう。


 どうにかそれを打開できる手段は無いか、と頭を捻っていると、クリスがやってきた。

 表情を隠してはいるが、それは余計に緊張感を高める結果になっている。


「大佐、どうかなさいましたか」


 正規の両中佐は椅子から立ち上がり敬礼しつつ訊ねる。

 慌てて俺たちもそれに倣う。

 芸術的にさえ思える完璧な答礼の後、一瞬だけ俺を見て目の奥の色が変わった気がした。


「座ったままでいい」


 日本人ならそう言われると座れないものだが、ここでは上官に逆らってまで立っているほうがいいのか、となるらしい。

 皆着席し、白を基調として縁を銀であしらった士官用の軍服を着た少女が口を開くのを待つ。


「数日のうちに出兵することになるだろう。そのつもりで準備してくれ」

「まさか……」

「先程ヴィッテルスバッハ卿宛に皇帝から出頭命令が届いた。いくら無実を主張したところで行けば殺されるだけだ」

「疑わしきは罰せよ、ということですか」

「時期尚早ではあるが、こうなった以上雌伏していられる状況ではない」

「いたしかたありませんな。向こうもおとなしく出てくるとは思っておりますまい」

「先鋒はアルヴェーン伯だ。最初から出てくることなど考えてはいないようだな」

「了解しました。万事整えておきましょう」

「頼む。では私はこれから作戦本部に行かねばならないのでな」


 そう言うと踵を返して出口に向かった。

 そこでも慌てて敬礼をとっていると、クリスは振り向かないまま足を止めた。


「副官が来ないでどうする気なのだ」

「あ……」

「行くぞ!」


 後になって思えば、これは彼女なりの和解のサインだったのかもしれない。


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