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皇國記  作者: M's Works
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第一話 夏の終わり





「何だ、貴様は」


 針葉樹らしい木々が見える。

 植物の知識に乏しい俺には、それがクリスマスツリーに使われているものによく似た種であることぐらいしか判らなかったが、細く重なりあった葉の上に厚く被っているものは雪だと判った。

 頬は錯覚で熱く感じるほど冷えているし、何より動かした指に触れた感触を知っていた。

 最近は年に一度積もるか積もらないかといったところに住んでいるが、昔はよく雪だるまやかまくらをつくって遊んだものだ。

 雪合戦で女の子を泣かせてしまい、とても慌てたことを思い出して口もとが緩んだ。


「寒さで気が触れたか?」


 そうだ、その子もこんなふうに勝気で、余計に涙を見せたことが信じられなかったのだ。

 今にして思えば、一歳年上だった彼女は俺たちのグループでは最年長で、年下の前だからと気丈に振舞っていたのかもしれない……。


「……ここはどこだ」


 俺は雪に埋もれている。

 しかもジーンズに半そでのシャツで。

 いや、おかしいのは俺の格好ではないはずだ。

 何故なら今は七月も終わろうとしている、頑固に日本列島を覆っていた梅雨前線も態度を軟化し、日々気温が上昇していく季節だ。

 雲ひとつない休日にちょっと古書店巡りをしようと思い立った図書館勤務の男性としては、そうおかしくない格好だろう。


 それが何故、積雪にはしゃいだ子供が完全防備で遊ぶように寝転んでいるのか。

 誰かの悪戯にしても手が込みすぎている。

 人を騙して喜んでいるような下品なバラエティ番組ならやるかもしれないが、俺にはそんなことをされる知名度の持ち合わせなど欠片も無かった。


「おい貴様、聞こえているのか」

「あ、ああ……」


 少女が俺を見下ろしていた。

 何かの毛皮で作られたフードから覗くクリーム色の髪、凛々しいというには可憐すぎるエメラルドの瞳。

 バランスの取れた、一般的には美少女と呼ばれるであろうその顔を、怪訝そうにしかめている。

 目鼻立ちのつくりをみれば、血統的に日本人でないことは想像できた。

 という事はここは南半球のどこかなのだろうか。

 しかし言葉が通じている。

 一応文学部は出たが外国語はあまり得意ではなかったので、自然に英語を話しているはずもない。

 かと言って国内でこれほどの雪が残っているというのはよほどの高地でもなければ存在しないはずだし、それもほとんどは根雪であり、まるで昨晩に降り積もったかのようなやわらかい雪が残っているとは思えない。


 そんなことを考えながら立ち上がり、体の雪を落とす。

 背中が濡れていないのは、それほど長くここに埋まっていたのではないからだろう。

 猛烈に寒い、という以外怪我などは無いようだ。


「このあたりはこの時期、誰も近寄らない。こんなところでその格好、自殺志願者か」

「よくわからないんだ、気が付いたらここにいた」

「何だと?」

「ここはどこなんだ? オーストラリアか、それとも北極か南極に近い国か。日本は夏なのに雪が降るはずないからな、そうじゃないと説明がつかない」

「……何を言っているのかわからないが、とりあえず近くに小屋がある。死にたくはないのだろう?」


 少女はそう言い放つと踵を返し、付いてくるように合図した。

 俺の疑問はすげなく無視された形だが、確かにこのままではそう遠くない将来、凍死するのは目に見えている。


「狼に見つからなくて良かったな。運が悪ければ今頃奴らのランチになっていたぞ」


 先を歩く少女が似合わないものを持っているのに、いまさら気付いた。

 鈍い光沢を持つ筒状の棒の片方に持ち手と引き金が付いている。

 猟銃のようだ。

 ──このあたりはこの時期、誰も近寄らない──。

 そんなものを持たねば動き回れない場所に、何故彼女がいるのかを聞きたかったが、今は後を追うことのほうが重要に思えた。





 やがて丸太で建てられた小屋に辿り着いた。

 彼女の言う「すぐ近く」というのは歩いて三十分ほどのことを指すらしい。

 雪道で歩く速度はたかが知れているものの、慣れない俺にしてみれば年端も行かないような少女に着いていくので精一杯だった。

 俺は日本人男性の平均身長よりは十センチメートルほど背が高いが、それでも俺の胸の辺りに頭がある少女は小柄な部類に入るのではないか。

 歩幅も体力も、普通に考えれば俺のほうがあるはずなのだが、運動不足だった最近の生活には見直しが必要なようだ。


「入れ」


 小屋の中は暖かかった。

 中央に薪をくべた鉄製ストーブのようなものがあり、排気の大部分ははパイプを通して屋外に出されている。

 壁際にはこの小屋を建てたときのものだろうか、鉈や鋸といった道具たちが無造作に立てかけられていたが、手入れは行き届いているように見える。

 テーブルの上には毛皮や猟銃の弾薬らしきもの、無骨なナイフ、頑丈そうなより紐など、恐らく狩猟に使うものが雑多に置かれていた。

 奥にも部屋があるようだが、寝室だろうか。


「おい、これで体を拭いてそこにある服を着ろ。そんな馬鹿みたいな服では寒いだろう」

「ありがとう、助かるよ」


 手渡された布はストーブの横にかけてあったケトルの湯で絞られ、心地よい湯気を出している。

 冷え切った手を急激に暖めるとむずがゆいように感じるのは、収縮していた血管が一気に開いていくかららしい。

 早速、ここに着くまでに汗を吸って重くなった服を脱ぐ。


「ば、馬鹿者! 女の前で脱ぎ出すやつがあるか!」


 少女は耳まで赤くして隣の部屋に駆け込んでしまった。

 ……耳が赤かったのは寒さで……ではないだろうな。


「つい、早く脱ぎたくて考えが回らなかった、ごめん」

「いいから早く服を着ろ!」


「意外と純情なんだな」

 などと擦れた大人のような感想を口にするのはやめ、手早く椅子に掛けられた服を広げる。

 何枚もの布や毛皮が複雑に縫い合わされ、一見しただけではどこが袖口なのかさえわからない。

 これは……どうやって着るのだろう?


 試行錯誤を繰り返していると背後で扉の開く音がした。

 冷気のかたまりが温まりつつあった肌に突き刺さってくる。


 体ごと扉へ視線を向けると、そこには男が立っていた。

 身長は俺の目線ほどだが、体の厚みは倍ほどあるだろうか。

 彫りの深い顔に伸ばしっぱなしの髭をたくわえ、奥まった目は鋭く俺を睨み付けている。

 手にはやや大きめの鉈。

 赤い液体がこびりついているようだが、それが何なのか詳しくは知りたくない。


 きっと俺は悲鳴を上げたと思う。

 きっと、と言うのはそんな記憶がないからだが、もしかしたら声が出ていなかっただけかもしれない。


「誰だ、てめえは」


 今日二度目の誰何。

 そういえば今年、厄年だったことを思い出した。


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