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「……気に入らない!」
それは、放課後のことだった。ちょっと寄り道しない? という美紀の提案でファミレスに立ち寄った私たち。
その席で、美紀がだんっ! とテーブルに乗り出し、鬼気迫る表情で言い放ったのだ。
それはグラスが揺れ、倒れてしまうかと思うくらいの力強さで、私はびっくりしてしまった。
「え?」
「だから、転校生よ。て・ん・こ・う・せ・い!」
今日の美紀はやけに不機嫌。だから刺激しないように、穏便にふるまうのが吉。私は無難に、美紀の言葉を反復した。
「転校生?」
「そう、星川有紗! なんなのよ、あいつ!」
苛立ちをはらすように、ごきゅごきゅとアイスティをあおる美紀。ぷはぁ、とおじさんみたいな声を上げたかと思うと、席をたってドリンクバーコーナーへと向かっていく。
やけ食いならぬやけ飲み。なんて財布に優しい仕様なんだろう。
そして美紀の帰還を待たず、今度は陽子が相変わらずの噂好きっぷりを発揮する。
「相馬くんまで、あの子に夢中なんだってー!」
「そ、相馬君まで…… すごいね、星川さん」
「すごくないわよ! 突然転校してきたぽっと出のやつに取られるなんて、納得いかないっての!」
「ほんとだよー!」
相馬君。サッカー部新進気鋭のエースで、勉学もできるという、文武両道・容姿端麗を地で行くまさにクラスの王子様――とは、美紀の台詞である。
まあ、要するに。
好きな人が自分じゃない誰かに好意を向けていることが気に入らない、と。嫉妬。羨望。そして愛憎。美紀をここまで苛立たせているのは、つまるところそれだ。
美紀も千里も陽子も、みんな容姿が悪い訳じゃないし、むしろ良い部類に属している。でも、星川さんのような規格外が現れると、自分に自信がなくなってしまうんだろう。
「あーもう、イライラする!」
「まあまあ、落ち着いて。ねー、明日みんなで買い物にでも行かない? みんなで服でもみてさ、ぱーっと楽しもうよ、ね?」
「あ、それはいいねっ」
陽子が目を輝かせて同意する。
「……い、いいよー! 私も買いたい服あるんだよね」
私もそれに続く。付き合いとはいえ、服を見に行くこと自体は好きだし、可愛いものに出会えるかも知れないから、私もやぶさかではない。そんな私たちの会話を聞きながら、美紀はまたドリンクを一気飲みした。
「……じゃあ、行くかあ!」
そう言い放つ美紀に、何を買おうかと思索に耽っているらしい千里、そして行ってみたいクレープ屋さんがあるんだよねっ、などと食い意地の張っている陽子。
みんな楽しそうで、嬉しそうで、幸せそうで。私はそんな美紀たちが、不覚にも可愛いと思ってしまった。
そして、当日。
「うーん……」
時間に余裕を持って起床した私は、マイクローゼットと壮絶なるにらみ合いを展開していた。膠着状態が長らく続き、あまりの緊張でたらりと汗が滴る。
さあ、どうしたものか。
……なんて、ただ何を着ていくか悩んでいるだけなんだけどね。別に男の子とデートに行くわけでもないから、そこまで着飾る必要はないかもしれない。
でも、女の子たるもの、いつでもおしゃれに気を配ってなきゃいけない。それに、こうやって悩むのは、至福のひとときでもあったりする。
「よし、これにしよう」
そして、お気に入りの服を取り出す。シンプルな水玉デザインの、チュニックワンピース。緑色の透け感あるノースリーブがキュートで、ちょっと脚の露出が多くて大胆なのが恥ずかしいけれど、すごくかわいいんだ。
しかもコレ、ウエスト部分がほっそりしていて着痩せ効果もある。周りの目を気にしちゃう年頃の女の子にはぴったり。セミロングで、顔周りの内巻きウェーブな私の髪型に合う、お気に入りの一着。
かわいいものは大好きだから、服にも自分の趣味が現れている。そのうち、ゴスロリファッションにも手を出してしまいそうで自分のことながら戦々恐々としている。
まあ、それはともかく。
着替えをすませると、私はるんるんと鼻歌まじりに家を出た。
可愛い服を見られるのならば。可愛い服を着てお出かけできるのならば。美紀たちと出かけるのもまあ、悪くはない……かもしれない。なんて、私は誰に言い訳しているのだろうか。なんだかんだで、楽しみなのには違いなかった。
本日の目的地は駅前にある。服にアクセサリに、宝石に、もちろん本屋に、雑貨屋に――とにかくなんでもござれな大型百貨店。休日ともなれば、家族連れに女子高生集団に、セレブな感じのおばさまにと、たくさんの人でごった返す人気店だ。
バスに揺られること十分、私は美紀たちとの待ち合わせ場所の駅前公園に到着した。
「おはよう」
私は既に来ていた美紀たちに声をかけると、三人は私の姿を認めると顔を輝かせて返事をくれた。
「今日は楽しみだねぇー♪」
「うんうんっ」
のっけからハイテンションの千里と陽子。腕をからめ合って、じゃれ合って、笑い合っている。ここまでアゲアゲで、果たして最後までその勢いが続くだろうか。非常に心配だ。
それからその場で軽く雑談をしてから、
「んじゃま、行きますか」
美紀の合図によって、私達は出発する。
といっても、現在地から百貨店までは、正味三分も掛からないほどの距離。談笑しながら歩いていれば、あっという間に到着だ。
「へへーん、あたし一番乗りー!」
「え、ちょ、ちょっと!」
入店するなり千里は非常識にも駆けだしていっちゃうし、陽子もそれに着いていってしまった。
――取り残される私と美紀。仕方なく、二人して洋服売場へ向かう。また美紀が何か愚痴をこぼすかな、と私は正直なところ内心びくびくしていた。別に期待していたわけでもないけれど、待てども怨嗟の声は聞こえてこない。というか、すっかり黙り込んでしまって、それが逆に恐ろしい。
「……ね、ねぇ清香。アタシに似合う服……なにかないかな?」
そうしてようやく聞こえたのは、いつも強気な美紀の照れくさそうな問いだった。
「美紀に似合う服? ど、どうして?」
美紀は背が高くて、痩せ形。それでいて胸はしっかり女性らしい曲線を描いているから、すごく大人っぽくてうらやましい。だから、むしろ私の方がご教授いただきたいくらいなのに。
なにを食べたらそんなに大きくなるの? って。
なにをしたらそんなにくびれるの? って。
どうやってそのスタイルを維持しているの? って。
「だって清香、かわいいもの好きでしょ? それにおしゃれだし……」
「え、そ、そうかな」
「自信もちなさい。あんた、私たちのなかで一番センスあると思う」
そこまで言われて、それがあの美紀の言葉だとしても、嬉しかった。美紀は、こほん、と咳払いして。
「だから、さ。相馬君に、アピールしたいの」
そう続けた。
「相馬君に?」
「……うん。このまま、あんなすかした転校生に取られてたまるか、ってね、思ったの」
正直いってあまり気乗りしないけれど、実際のところ断るという選択肢が、私の中に生じるなんて事自体が、ほぼないに等しいわけで。断りきれず、私は美紀の頼みにうんとうなづくしかなかった。
――今美紀が着ているのが、白黒ボーダーのシャツに、同じく黒のボリュームスカート。差し色として、鮮やかな赤色の厚底サンダルをはいている。赤はあるけれど、ちょっと地味な気もする。だから、それとはちょっと趣向をかえてアプローチしてみようか。
などと色々試行錯誤しながら、見て回ること十五分。
まず選んだのは、トップス。ちょっと暑くなってくるこの時期だから、涼しげな感じをイメージして、タンクトップを選択した。白を基調として、紫の花々がプリントされていて、とても華やか。地味すぎず派手すぎず、適度な存在感がいい。そしてこれに合うようにボトムスを選択する、という形だ。
私が選んだのは、ブルーのフレアスカート。刺繍を施したようなドット柄で可愛らしい。上は引き締まっていて、下はシルエットが入り、広がっている。だから歩くたびリズミカルに揺れるのがまたキュート。
ちなみにこれ、今の美紀のよりも丈が短いんだけど……まあいいか。せっかくの細い美脚、魅せなきゃ損ってもんですよ。
いくつか試着してもらい、美紀にもどんな感じがいいか意見を聞きながら、最終的にこれになったのだ。特にトップスがお気に入りで、紫の花が美紀のイメージがぴったりだったのだ。また、美紀のきれいな細腕をより主張させていて、びびっときた。これだ! と。
「……どうかな」
「に、似合ってるよ」
仄かに頬を紅潮させ恐る恐る訊ねてくる美紀に、私もまた恐る恐る答えた。
それを聞いて美紀は、暫し押し黙ったものの
「買ってくる」
とぶっきらぼうに言い放ったのだった。
私のチョイス、気に入ってくれるかどきどきものだったけれど、蓋を開けてみれば気難しい美紀のお気に召したようで、一安心。美紀を不機嫌にさせると面倒臭いから、気に入ってもらえてよかった。
ほっと一息ついて、嬉しそうにレジへ向かう美紀を見送る。
そうして会計を済ませてきた美紀が、真剣な表情になったかと思うと、
「ありがとう」
なんて、いつにもなくしおらしい態度でぼそりと言うもんだから。不意打ちすぎて、面食らってしまった。
あれ、美紀ってこんなにかわいかったっけ。
「え、えへへ……どういたしまして」
買い物袋をぎゅっと、大事そうにだきしめる、その乙女らしい仕草にまたきゅんとしてしまった。意外に可愛いところがあるんだな、と。
そんな美紀のギャップにほっこりしていると、ふと、背後から不穏な気配を感じた。
内に芽生えたのは、明確なる恐怖である。
焦りつつ後ろを振り返ろうとしたものの、
「さ・や・かー!」
――しかしその暇もなく、背中にもろに衝撃を受けた。痛いわけではなくて、驚愕で精神が痛めつけられた。何が起こったのか、まるで理解が追いつかない。
「うぐっ!」
「美紀ばっかりずるいよー!」
その言葉でようやく、私は千里に飛びつかれたのだと理解する。ただ、それにどう対応すべきか自分の中で答えを出せず固まってしまった。
「え、えええ・・・」
もし私が男の子だったなら、それこそ即鼻血噴出ものだっただろう。だって、可愛らしい女の子が抱きついてきて、自分の名前を呼びながら頬を擦り寄せてきて、背中には胸の感触がはっきりとあって、しかもなんだかほんのりといい香りが漂ってくるんだもん。
そんなの、平常心を保てるわけがない。けれど私は正真正銘女の子。もちろん性的興奮を催したりはしないけれど、やっぱり困惑は隠せない。
「おらおら、さやかの体、やらかいなぁー」
次第に千里のセクハラはエスカレートしていき、その手はいよいよ私の胸にまで侵攻し始めた。後ろから、同い年の女の子とは思えない台詞で、うりうりとまさぐってくる。
「ちょ、ちょっと!」
「あ、私も私もっ♪」
何がまずいって、陽子もノリノリで千里に乗っかってしまったのだ。千里とは反対側、つまり私の真正面から、がしっ、と抱きしめてきた。
前と後ろ、両方から圧迫されて、苦しい。
「清香って意外におっきいんだよねー、うらやましい!」
「え、何が何がっ?」
「いやん、そんなこと言わせないでよぉー」
「ちょっと、ほんとにやめ……んっ」
「ほら、もう。やめなさいよあんたら。セクハラ禁止!」
私の体に絡みつく千里と陽子を、美紀が呆れた様子で外しにかかる。
「うわ、美紀ったら、コーディネートしてもらったからって、いつになく清香に優しいね。デレてるのー?」
「デレ……って、そんなんじゃないわよ!」
「ほら出た、ツンデレっ」
「違うったら違うーっ!」
悪ノリする千里にのっかって、陽子も煽る煽る。するとますます美紀が熱くなっちゃって、もう収拾がつかなくなってしまった。
「あ、あはは……と、とりあえず、放してくれないかなぁ……」
何故美紀がここまでムキになって喚き散らしているのか。それについては疑問だけれど、ともかく、今の私の願いはただ一つだった。
言い争いしながらも、ちゃっかり胸をさわるのやめて!
というか、あんたらなにしに来たの!?
――散々騒ぎまくって、店員さんおよび他のお客さんからじとっとした怒りの視線を向けられていることに気づいてようやく、そのセクハラ劇は幕を閉じた。
なぜ千里と陽子があのような暴挙にいたったのかというと。
「まあ、要するにー」
打って変わって落ち着いた様子で、千里が私を見据える
「私にもコーディネートしてぇー、ってこと。ね、おねがーい」
「私もっ」
千里と陽子、二人がもはや神に祈るかのようにすがりついてくるもんだから、私はまたも困惑してしまう。
困って困って困り果てて、私はついに吹っ切れた。
「ううう。。もう、みんなまとめてかかってこーいっ!」
こうなったらやけだ。みんなのコーディネート、このドン清香にまかせんしゃい!
「わーい! お願いします!」
まず、千里! 千里は小さくて幼い顔立ちだから、無理に大人びた服を選ぶんじゃなくて、その特徴を活かせるような活動的なファッションがいいんじゃないだろうか。
次に、陽子! 陽子の特徴といったら、やっぱり男の子かと思うくらいに短い、ベリーショートヘア。顔立ちもしゅっとしててどことなく男の子っぽさを感じる。執事服なんかのコスプレがとても似合いそうな、中性的な子だ。だからやっぱり、フェミニンな感じの服がいいだろう。
千里と陽子の特徴を意識しつつ、私は彼女らに似合いそうなものを探し始める。
「だから、これ!」
手にとって、千里の体に合わせてみる。イメージと違った。
「じゃあ……これはどうかな」
買い物を終えるまでにはまだまだ、時間がかかりそうだった。
―――――
「つ、疲れたぁ……」
それから三十分超に及ぶ千里と陽子のコーディネートを終え、今私たちがいるのは、陽子一押しのクレープ店。そこで一番人気というイチゴバナナクレープをかじりながら、シートの背もたれにだらっと凭れかかる。
「お疲れ、清香。今日はありがとー!」
「私も、すてきな服を選んでくれて、ありがとっ!」
「あ、ありがと……」
千里に、陽子に、美紀。まだどこかおかしい様子の美紀はともかくとして。みんな気に入ってくれたのは確かなようだし、それはよしとしよう。
「さすが清香だねー。服の見立て、カンペキだったよー!」
そんなありがたい賛辞も、耳に入るそばから反対の耳へ通り過ぎていく。返事をする気力もなく、空返事にとどめておいた。
クレープを食べ終えた後、私たちはアイスティ片手に雑談に花を咲かせた。
月曜日の宿題の話とか。今日のドラマの話とか。今度は水着を買いにいきたい、とか。
そんな他愛もない話は、意外と楽しかった。私は三人に話を合わせるのに精一杯だったけれど。美紀たちと一緒にいて楽しさを覚えたのははじめてだったかもしれない。
そうしてクレープ屋を出たときにはもう、日が沈みはじめる時間だった。美紀たちは買い物袋を抱えてきゃいきゃいと騒いでいる。身体的な疲れはもちろん、精神的にも疲れていたから、さすがにきつい。
確かに楽しかったけれど、これ以上美紀たちのテンションに付き合うのは避けたかった。
だから、なんとか口実をひねりだそうと考える。
店を出て数歩、会話が途切れたところを見計らい、
「あっ」
驚いているふうを装って、私は声をあげた。少しわざとらしかっただろうか。演劇の経験でもあったなら、もっとうまく演技できたかもしれない。前を歩いていた三人が、私の声を聞いて怪訝そうに振り返った。
どうしたの、と。
私のわざとらしい演技を怪しんでいるわけじゃなく、本当に心配しているらしかったからほんの少し良心が痛んだけど、それでも演技を続ける。
「本屋……」
私はなるべく深刻そうに、残念そうに顔を取り繕って、そう呟く。
「え?」
「……お、お母さんに本を買ってくるように頼まれてたの忘れてた」
そうして私は、咄嗟に美紀たちと離れる口実を捻り出したのだった。
「ええ!?」と美紀たちの声が揃う。
「付いていこうか?」
美紀はそう言ってくれたが、それではこんな嘘をついた意味がない。
「う、ううん! 時間かかっちゃうかもしれないし悪いよ!」
「……そう」
「ごめんね、先に帰ってて」
「――わかった」
美紀が不快そうに顔をゆがめたのがわかって、何を言われるか恐ろしかったけれど――その口から飛び出したのは、その一言だけ。
詰られるのは怖いけど、美紀がそんな表情を浮かべて何も言わないのも、それはそれで怖かった。
「本当に、ごめんね!」
「おー! んじゃねー!」
「またねっ!」
そうして、私は本屋へと足を運――ばない。そのふりをするだけ。実際に本屋に用事があるわけじゃないから。
店内から見える美紀たちの背中がどんどん遠ざかっていって、やがて見えなくなるまで――正確には、美紀たちがバスに乗り込み、私の嘘がばれないことが確実になるまで、時間をつぶすことが目的。
だから、別に本屋でなくともかまわなかった。
店内を適当に歩き回り、そして、全国展開している有名なカフェの前を通りすぎる。いや、通りすぎ「ようと」して、ふと、私は立ち止まった。
そのカフェは他の売り場から地続きになっていて、そのお洒落な内装が直にみてとれる。観葉植物も設置されていて、視覚的にも癒される空間を提供してくれる、と評判の人気カフェだ。
そしてその中に、私は見覚えのある女の子の姿を見つけた。
見間違えるはずもない。あれは、あの長身と長い金髪は――星川さんだ。
星川さんは二人がけのテーブルに、知らない女性と向かい合って座っていた。
星川さんに負けず劣らず、その女性もきれいだった。和人形を思わせる、おかっぱ頭。今時あまり見かけない髪型だけれど、和美人といった感じの彼女の容貌にマッチしている。星川さんとは趣が異なるけれど、両者とも美人だった。
別にやましいことをしているわけじゃないのに、私は思わず物陰に隠れてしまった。星川さんに見つかるのが恥ずかしかったからか、それとも探偵のまねごとのつもりか。
どちらにせよ、傍からみれば完全に不審者なのは間違いない。
「やだ、離れたくない!」
それは、私の抱いている星川さんのイメージとはかけ離れた姿だった。そのお顔は、怒りのせいか悲しみのせいか真っ赤に染め上がり、その瞳はうっすらと涙を湛えているように見える。
テーブルに身を乗りだし、逃がすまいと女性の手を両手でしっかりと握りしめ、懇願している。
「あたしに、あなたと一緒にいる資格なんてないの」
「いや、いや……」
完全に気が動転しているらしい。あの流麗な髪が乱れに乱れていた。
「ど、どういう関係なんだろう」
陰から様子を伺いながら、私は想像を膨らませる。我ながら野次馬根性丸出しだ。
離れたくない、というのは、逆に言えば、今は親密な関係にあるということ。それが、壊れようとしている……?
それから真っ先に思い浮かんだのは、二人は姉妹だということ。つまり姉と離ればなれになる、ならないと言い争いをしている、と。
星川さんの家は、複雑な家庭環境なのかもしれない。そう考えると、学校でクールに振舞う星川さんが、実はお姉ちゃん大好きのシスコンということになる。
家ではおねえちゃん、おねえちゃん、って甘える星川さんを想像して、不謹慎にも口元が緩んでしまった。
「ごめんなさい、会うのはこれっきりにしましょう」
女性は――これで話は終わりだとばかりに席を立った。
「マリー!」
星川さんが女性の名前――おそらく――を叫び、女性は逃げるように背を向ける。
懇願しているのは星川さんで、拒絶しているのは女性のはずだ。それは、やりとりをみていればわかる。
けれど、女性もまた、辛そうに顔をゆがめていた。本心では彼女も、星川さんと離れたくないのだろう。それを理性で押さえ込んでいるように見えた。
「行かないで!」
このまま別れたくない。その思いから、なんとか彼女をこの場に留めておきたかったのだろう、星川さんは。
きっと、だからそんな暴挙に出たのだ。
星川さんは飛びかからん勢いで、女性の腕をつかみ。その拍子に彼女が振り返った、そのとき。
あろうことか星川さんは、そのまま唇を重ねたのだ。
躊躇も、逡巡もなく。流れるように。
「え……」
瞬間。
周りのお客さん、店員さん、こっそり覗き見していた私、突然の口づけに呆然とする女性。
そのすべての時は――止まった。
一切の音を失った、静寂の中。
世界から切り取られたようにそこにあるのは、体を寄せ合い、口づけ合う二人の美女。
ひとつの絵画のように美しく、そして儚い。
それは、まさに芸術だった。
しかし残酷にも、止まっていた時は――再び動き出す。
世界は、すべてを取り戻した。
「やめて!」
女性は星川さんを拒絶し、あくまで強気に、すがりつく星川さんを突き放した。
困惑、悲哀、そして絶望。
床に倒れ伏す星川さんは、それら全てがないまぜになったような、複雑な表情を浮かべていた。
それを、悲しげな双眸が見下している。
「……さい……」
ごめんなさい、と。
小さい声だったのだろう。この距離では聞き取ることは出来なかったけれど、口の動きで読みとれた。 その時、床にぽたりと滴ったしずくは――涙だ。
「さようなら」
最後の言葉を搾り出すと、彼女は去っていく。当然、星川さんをおいて。
すっかり静まりかえってしまった店にハイヒールの靴音が響き、そして遠ざかっていく。
「待って、マリー!」
星川さんの叫びに、しかし返答はなかった。
――衝撃的だった。
恥も外聞もなく髪を振り乱し、乱暴にキスをする、その光景は。
見たことのない星川さんの姿が、脳に焼き付いて離れない。
美しい女性同士の、甘く耽美な接吻。
それを目にした時、私は――見てはいけないものをみてしまったような、禁断の果実を口にしてしまったような。
そんな背徳感に、襲われたのだ。