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――ねえ、清香ちゃんってうざくない?


「えっ……」 

教室の中からそんな悪意の籠もった声が聞こえて、扉をあけようと伸ばしかけた手が止まる。

今日も一日頑張るぞー! なんて意気揚々として登校した私だけれど、一瞬にしてその満面の笑みが凍り付いた。

――今、なんて言った? 

うざい。その言葉を脳はすぐに処理できず、私は暫し思考停止した。言葉そのものの意味が分からないわけではもちろんなくて、それが私に適用されることの意味が理解できないのだ。


「わかるー!」

「何かノリがめんどくさいっていうか……」

「人のものベタベタ触ってくるしね」

「私、本当は清香ちゃんのこと嫌いなんだよね」

「私もー!」 

理解の追いつかない私を放って、尚も会話は続く。私のいない教室で、廊下にまで聞こえるほどのボリュームで私の悪口を言いあって盛り上がっている。

私……そんな風に思われていたの? 思い上がっていたつもりはないけれど、私は比較的人に好かれるタイプだと思っていた。けれど私と仲の良い子たちまで楽しそうに話をしているのがわかって、より一層顔が引き攣る。

みんないつも一緒にお話して、遊んで、笑いあって。そうして本当に楽しんでいるんだと思っていた。でも実際はそうじゃなくて、心の中ではそんな風に思われていた。

それが怖くなって、私は逃げるように教室から少し離れたトイレに駆け込んだ。尿意を催したわけでもないのに、ましてや便意もないのに、茫然と便座に座り込む。 

宿題のわからないところを教えてあげると、「ありがとう、清香ちゃん」とちょっと恥ずかしいそうにはにかんでいたのも。

運動会で優勝して、一緒に飛び上がるくらい喜んだのも。 

男の子と喧嘩して、偶然同じところ怪我をしてしまって、「おそろいだね」って一緒に笑いあったのも。

すべて、嘘だった? 

だったら、なんで私と仲良くしているの? 

私の、何がだめなの?

もはや授業を受ける気力なんてなくなっていたけれど、そのままお家にUターンをかますわけにもいかない。そんなことをしても、お母さんに怒鳴られて結局また学校にUターンだ。仕方なく、ホームルーム開始を告げる鐘の音が鳴り、先生が既に来ているであろう時間を見計らって、私はトイレを後にした。


「あ、おはよー! 清香ちゃん、今日は遅かったね」

「どうしたの? 寝坊?」


そうしておそるおそる教室に入ると、陰口を叩かれていたのが嘘のように、人なつっこい笑顔で友達が話しかけてくる。みんな、私をきれいな微笑みで迎えてくれた。

でもそれが、心の中の暗い感情を覆い隠す、仮面のように感じてしまって。怖くて、もう今まで通りにみんなと接することなんて出来そうになかった。ましてや、その仮面の奥へ踏み込むことなど恐ろしくてできるわけもなくて。

臆病な自分が形成されたのは、思えばこの時だったかもしれない。

だれも、私に心なんて開いてない。私はだれにも、好かれてない。 


――清香ちゃんはうざいよ。 


やめて。 


――私、本当は清香ちゃんのこと……。


お願いだから……やめて。 


――嫌いなの。


「やめて……いやぁ……うう……んっ、んあ?」 

自らの呻き声で、私は目をさました。その勢いのまま、首が飛んでいってしまうくらいに動転して周囲を見回す。

そこにあるのは。

ライトブルーの、目に優しい色のベッド。枕元には、桃がプリントされた目覚し時計。気づかなかったのか、ずっと音が鳴り続けている。

目線を上げれば、日差しが差し込む窓、フリルのカーテン。お気に入りの可愛い服が詰まった宝箱、もといクローゼット。昨日、読みかけのままで机に放置したままの漫画。それは何故かあまりにも見慣れた光景で……というか、私の部屋だった。


「夢……かぁ」 

あの恐ろしい出来事が現実ではなかったのは、よしとしよう。しかし、そのせいで否応にも不快なことを思い出してしまい、朝から気が滅入ってしまった。

寝巻きの裾で額にじんわり滲む汗をぬぐい、のろのろと目覚まし時計に手を伸ばす。アラームを止めるついでに、時間を確認した。


「うわ、最悪……」 

シャワー全身を包む不快な汗を洗い流す時間はない。とはいえトーストくわえて家を飛び出さなくちゃいけないほど時間がないわけでもない。どうやら、そんな中途半端な寝坊をしてしまったらしい。それを最悪と呼ばずしてなんと呼ぼうか。もやもやした思いを払拭できぬまま学校に行かねばならないじゃないか。

私はのっそりと、ベッドから這うようにして抜け出ると、これまたゆったりとした動作で着替えを済ませる。もはや、窓から差し込んでくる陽光すら不快だった。 

そして階下へ向かうと、キッチンには異様なまでの落ち着きっぷりで平然と朝食の片付けをしているお母さんがいた。


「おはよう、清香。目覚まし、うるさかったわよ」「うるさかった、じゃないよ……」

普段からマイペースなお母さん。大概のことでは動じない、強いハートの持ち主だ。いや、今回については動じてくれた方が良かったんだけれど。それでいて、学校に遅刻でもしようものなら、雷が落ちることになるのだから恐ろしい。 

私はぶつくさ言いながら席に着き、トーストとスクランブルエッグ――いつもどおりの朝食に口を付けた。

「いただきます」 

お母さん渾身のスクランブルエッグ。シンプルで一見簡単そうに見えて、これがなかなか難しい。ホテルの朝食やレストランで出されるふわとろ半熟状の、極上のそれを自分で作るとなると、火加減や混ぜ方には細心の注意を払わなければならない。以前私がつくったときには、火加減の調整がわからず、あっという間に火が通ってしまってろくなものにならなかった。だから、やっぱりお母さんはすごい。


「ねえ、清香」 

そんなおふくろの味を堪能している最中、お母さんに呼ばれた。

「んー?」

「学校、楽しい?」 

その質問は、あまりにも唐突だった。

「え?」 

言葉が聞き取れなかったのではなくて、その言葉にどう対応すればいいのか、適切なものが思い浮かばなかったのだ。

「学校、楽しめてる?」 

お母さんは、再びそう繰り返す。その目がまっすぐすぎて直視できず、私は視線をそらした。そんな私に対して、畳み掛けるようにこう続けた。

「あんた、最近本当につまらなさそうなのよね。何か思いつめてるんじゃない?」 

どきりと、胸が高鳴る。まさに図星。きれいに的を射られてしまった。動揺しているのをごまかすため、へらへらと笑ってみせる。

「う、うん。当たり前じゃん! 友達だってたくさんいるし」

「……そう」

「楽しいよ、本当に……うん」 

そう念押ししてみたけど、その必死の否定ぶりは逆にまずかったかもしれない。というか、不審すぎた。明らかに信じてくれてなくて、疑るようなお母さんの視線を拒絶するように目をそむけ、せっかくのおふくろの味を味わいもせずにかきこむ。そのまま逃げるように、私は家を出た。


――気分は最悪。憂鬱度はもう臨界点、一〇〇パーセントだ。ネガティブな考えが堂々巡りで、気分はもうどん底。どんよりとした空気が周りに重苦しくまとわりついているんじゃないかというくらい、私の心は最下層にまで落ち込んでいた。

そのせいか足取りは重く、教科書の詰まった鞄も重い。おまけに心も重いという、まさに三重苦。


「はぁ……」 

そうだ。本当に、お母さんの言う通り。楽しくなんかない。 

むしろ――つまんない。 

靄のかかった私の心とは正反対の澄み切った青空を妬ましく思いながら、私は心の中でつぶやいた。 

なにが? 

その答えはいくつもある。悩みなんて何一つ無さそうな無垢な瞳で、校門をくぐっていく生徒たちとか。偽りの自分という仮面を被って、いつの間にか外すことができなくなった滑稽な自分自身とか。そうして偽りの自分で過ごす、代わり映えのしない日常とか。そんな、幼い自分の小さな社会にあるもの全般。 

もちろん私だって趣味がないわけではないし、人並みにはおしゃれが好きではある。

だから、それらに没頭しているときは当然楽しんでいるわけだけれど。それでも時折、学校の授業など放棄して、なにもかも忘れてそこらじゅうを駆け回りたい、なんて考えることがあって、自分で笑ってしまいそうになる。

できるわけもないのに。 

成績が下がってしまったらどうしよう。お家に連絡されて、お母さんに怒られたらどうしよう。そんなくだらない理性が私を縛り付ける。

結局、子供なのだ、私は。

小学生のころは、何をするにも新鮮で、何をしても純粋に楽しんでいた。今の私はその正反対の人間だ。

何より、日々がつまらない、くだらないと毒づくくせに、そんな漫然とした日々を受け入れて――いや、むしろ自らそうしている自分が滑稽で。 

ふと空を見上げてみる。 

そこにあるのは、青空に君臨する――暗い自分を晒しあげる、残酷なまでに眩しい陽光。それを遮るように、私は手をかざした。

けれどもやっぱり指の隙間から光が漏れてきて、私の目に襲いかかってくる。 

私は、無力だ。

――人は一人では生きていけない。なんて、小学校のころに道徳の時間で教わったことがある。だからすてきな友達をつくるのだ、とかなんとか。

確かに、その通りだ。特に私みたいにまだ幼い人間にとっては、学校が唯一の社会なのであって。そこで孤立するということは、世界から隔絶されたのと同義といっても過言ではないかもしれない。

だから、私達は群れる。本音は胸中に隠して、上辺だけの薄っぺらい関係を築くのだ。そうして自分は一人じゃないことを確認して、安心する。

平穏な学校生活を送るための、空虚な努力だ。不器用な私は、自分らしさを一切晒せない、窮屈な生活を送ることと引き換えにしか――それができない。

そして、それを壊す勇気もない、臆病な私。

ああ、本当に……つまらない。 

その滑稽さを自覚していながら、私は今日もこうしていつものように偽りの仮面を被る。

いつも笑顔で、みんなに優しい、天使の仮面。学校の門をくぐれば、その仮面の姿こそが本当の自分になる。演じるんじゃない。なるのだ。

 

霊が取り付いているかのように――体内をうごめく暗い感情を、嘆息とともに吐き出す。

「よし」

悪い意味で普遍的な学校生活が、今日も始まる。頬を張って気合いを入れ、私はその第一歩を踏み出した。

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