第2宮 金牛宮 取り戻した力
『まあ、そいつは後にしようや』
『後、ですか?承知しました』
画面の向こうで、きょとんとされるハーキュリーズ様。
その様子を見ていたわたくしはもう、溜息しか出ません。
神としてのお役目を放りだし、本能と興味の赴くままに戦場へと降り立ったのでしょう、いつものように“あの方”は。
隣ではバックス様が、お腹を抱えてゲラゲラと笑っています。
「あー、もしもし?アハハ確認できたわよー。そうそうー、案の定だったわねえ。絶ぇっ対、我慢しきれないだろうし、いつかは乱入するだろうとは思っていたけど、思った以上に早かったわぁ。どうせ一緒にこっちに来るだろうから、ええ、その時にでも伝えておくわー」
笑ったままケイタイで(どうせまたウルカヌスお兄さまの仕業でしょう)どこかへ連絡を入れておられるようですが、どこへ繋げたのかまでは、わたくしには分かりません。
しかしこの対応から見るに、どうやら我らが愛すべき戦馬鹿さんである“次兄”の暴走は、予測可能な範囲だったようです。
回避が可能であったかと言うと微妙なところのようですが。
いえそもそも、止める気すらなかったのかもしれませんね、このご様子ですと。
『おやあ?ど・う・や・ら、見知った顔が増えているようだねえ』
強敵がいなくなり、わたくしたちがのんびり見守っている間に、アポロ様がハーキュリーズ様をお迎えしに来ていたようです。
『……よう、勘違い腹黒変態野郎。相ッ変わらず目に痛い服着てンのな』
『これはこれはご丁寧にどうも?……戦闘狂さん』
バチバチッ
おかしいです。
何故か彼らの背後に、雷光が走ったように見えました。
画面の不調でしょうか?
「……あらら、やあね、あの2柱まーだ喧嘩腰なの」
「あの、もしかしてお2柱とも、仲がよろしくないのでしゅか?」
そもそも、めったにお2柱が揃った所を見た事が無いので、どう判断していいのかわかりません。
バックス様は、ちょっと変な笑い方をされました。
「何というか、性格?後は趣味とか考え方の違いって言うか……まあようするに不一致なのよね。お互い同じような立ち位置で、場所にもよるけど人気があったりなかったりするわけ。それでどうしても意識しちゃうみたいなのよ。本神たちもそれは分かっていて、会えば喧嘩になるからっていうので、自主的に会わないようにしているみたいだけど」
そうだったんですか。全然知らなかったです。
「……まったく。『ほらそこの2柱、ケンカしてないでとっとと戻ってきなさい!』」
いきなり拡声器を持ち出すから何かと思いましたが、画面の中の3人……いえ2柱と1人の殿方たちが空を見上げたので、きっと今のはご神託だったのでしょう。
……最近、自重を投げ捨て始めている気がするんですが?ヘパイストスお兄さま。
「帰ったぞー」
「無事戻りました」
「任務完了だよ!よかったね、ユウェちゃん☆」
ほら、とアポロ様が器用に片目をつぶってハーキュリーズ様をうながすと、ハーキュリーズ様は持っていた容器をこちらに渡してきます。
「お疲れしゃまでしたわ。ご無事でなによりでしゅ。あにょ、どこか痛いところとか、お怪我などございましぇんか?」
ちょっとお行儀が悪いとは思いましたけど、思わず彼の頭から足元まで確認してしまいます。
ですが金の獣の鎧には目立つ傷もなく、瞳もしっかりこちらを見返してくるようなので、きっと今すぐ手当てが必要なほどの大きな怪我は無いのでしょう。
あれほどの激しい戦いを経てなお堂々と立つ事が出来るのは、ヘパイストスお兄様の鎧の力もあるのでしょうが、やはり彼自身に神の血が流れているからなのでしょうね。
普通の人間でしたら蛇の頭突きや牙の攻撃によって、鎧の上からでも傷を負っていたでしょうから。
……それよりも、です。
「お兄しゃま!」
「よう、ユウェ。元気だったかー?」
「元気だったかー、ではありましぇんわ!」
「はっはー、相変わらずちんまいまんまなんだなー。飯食ってるかー?」
「ちゃんと頂いておりましゅ!それよりなんでいきなりあんなところから出て来たんでしゅの!?」
「え、だってその方がかっこいいだろ?」
ああ、お兄さま。
やっぱりあまり考えてらっしゃらなかったのですね。
がっくりとうなだれてしまったわたくしの隣で、バックス様があきれたような声をかけます。
「ちょっとぉ、そんな勝手にくつろいでるけど、ここあんたの家じゃないわよ?それに“降りる”ならヘパイストスさんに連絡くらい入れておきなさいよ。連絡とれないせいで、アタシが被害をこうむったじゃないの」(4月1日の件です)
「わりーわりー」
……これは何が悪いのか分かって無くて、しかも反省する気も無い返事ですわ。
「お兄上様、なのですか?ヘパイストス様とユウェンタース様のご兄弟神様といいますと……」
「そうっ、この俺様こそ、戦神マルスだっ!」
ばばーんっ!
お兄さまが何やら『カッコいいポーズ』をすると、背後で何か効果がさく裂した気がしました。
……お兄さま?
それとお兄さまは英雄ではなく、むしろ闘争と狂乱の神であって、いわば破壊神に近しい存在じゃありませんの。
いくら憧れているからといって、詐称はいけないと思いましてよ?
「……っく」
何故か悔しそうなお顔されてますけどあの、そこで対抗心燃やさなくていいですから、偶像様。
「それは……。知らぬとは言え、無礼な振る舞いをいたしました」
お詫びしますと頭を下げるハーキュリーズ様を、慌ててお止めします。
「ハーキュリーズしゃまが謝られる事など何もありましぇんわ!全てはお兄しゃまが悪いのでしゅから!」
そうですよ、事前の連絡も無しにいきなり乱入する方が悪いのです。
しかも直接乗り込めば支援と受け取られかねないからといって、わざわざハーキュリーズ様の甥子様を騙るなんて!
バックスさまも言い添えて下さいます。
「そうよぉ。血の匂いを嗅ぎつけては乱入してひっかきまわすのが趣味の考え無しな相手に、謝る必要なんて無いわ」
どうせ今回だって事情を知った上で“自分が”闘いたくって、機会をうかがっていたんでしょ?
そう横目でにらむと、我が家きっての問題児にして暴れん坊は、でへへっと相貌を崩して照れくさそうに頭をおかきになっておりました。
そこで恥ずかしがる理由が分かりませんわ、マルスお兄さま。
「まあ、マルスについてはいいでしょ。問題があるなら上からお叱りを受けるでしょうし。ねえ?例えば……お母上さまから、とか」
意味深な溜めの後に放たれたその言葉に、わたくしもマルスお兄さまも、思わずせすじがびしっと伸びてしまいます。
……お父さまの雷も怖いですけど、お母さまのお説教タイムなんて、東方にいる悟りの人の言葉を借りれば「それなんて苦行」ですわ。
いえ、苦行はただ自分をひたすら痛めつける行為でしたわね。
お母さまのお説教は……こう、なんといいますか、物凄く……怖いのですわ。
「マルスお兄しゃま……どうか生きて帰ってきてくだしゃいましぇね?」
「お前見捨てる気か!?そんな、頼む、お前おふくろと仲良かっただろう!?」
「……わたくし、試練の最中でしゅもの」
「今あからさまに顔そ向けたな!?くっそ、本人じゃ仕方ねえ……。あっそうだ、携帯というテがあった!」
「残念でしゅが、只今充電中でしゅわ」
「NO~~~!!」
頭を抱えるマルスお兄さまに、先ほどまでかろうじてあった威厳はきれいさっぱり消え失せておりました。
ハーキュリーズ様は、目をぱちくりさせているみたいです。
……ごめんなさい、こんな残念な戦闘神で。
「ふう、話進まないからもう放置するけど」
振ったのはバックス様ですよ?
「ユウェちゃん、そのひょうたんを貸して」
「あっ、はいでしゅわ」
ハーキュリーズ様から受け取った『ひょうたん』を、バックス様にお預けします。
「男性陣はそっちの居間で適当にくつろいでて。いい?くれぐれも喧嘩するんじゃないわよ?さ、ユウェちゃんはこっちいらっしゃい」
「はい。ハーキュリーズしゃま、アポロしゃま、失礼しましゅ」
挨拶をして部屋を出ます。
残された殿方たちの事は少しだけ心配ですが、バックス様のそば仕えの方たちがお世話するでしょうし、あまり気にしない事にしました。
「さ、ついたついた、っと」
案内されたのは、何といいますか……。
「ここは……」
「作業場……といってもヘパイストスさんがお持ちの工房……というよりは、どちらかといえば調理室かしら?まあ、仕込み部屋とでも言えばいいのかしらね」
天の頂から離れる事が少なかった私にとって、神殿とは言え他神さまのお部屋を見る機会は中々無く、ちょっとだけきょときょと周りを見回してしまいます。
「ユウェちゃん、こっちよ」
「あっはい。……何をなさるんでしゅか?」
「うふ。お酒を造るのよ」
そう言いながらバックスさまは、ひょうたんを頬ずりしそうな角度で持ち上げて揺らします。
ちゃぷん、と水の音がした気がしました。
「ちゃんちゃららららら、らったったーん、たららららった、たんたんたん♪さ、バックス神のお酒づくりコーナーよ!今回のお題は、これ!」
これ!と言って掲げたのは、先ほどからバックスさまが持ち歩いていたひょうたん。
「東方からツテを辿って手に入れた特別製のひょうたん。その中には今、不死身のバケモノ、九頭竜ヒュドラが入っています!」
と、バックス様は無造作にその封を開けてしまいます。
「バックス様!?」
「だぁいじょうぶよぉ。これは特別製だって言ったでしょう?名前を呼んで返事をしなければ、物の出し入れは出来ない事になっているの。……例外は、あるけどね」
意味深な流し目と言葉に、少しだけドキリとします。
これからする事に何か関係が?と思えば、その理由はすぐに判明しました。
「さ、ユウェちゃん、これをこうして中に注ぎ込んで?」
取り出されたのは液体を注ぐための“漏斗”と、何やら見た事のない素材でできた瓶。
……これは、
「お酒、でしゅか?」
「うふ、そうよ。よく使われるのは東方の酒である事が多いのだけど、今回はこ・れ!とうもろこしと麦を原料にした『バーボン』と呼ばれるお酒を用意してみたわ!」
……新大陸原産、ですか。よく許可が出ましたわね。
あそこはまだ不可侵のはずですが?
……もしや密輸なんて、していませんわよね?
メリクリウス様ならどうにかできるかもしれませんが、あの方もかなり多忙でいらっしゃいますし……。
「ほらそこ、ボーっとしない!さ、サクッと入れちゃって」
「は、はい」
考え込んでしまったら、怒られてしまいました。
バックスさまのご指示通り、お酒をひょうたんへ……注ごうとして、はたと手が止まります。
「……あにょ、これ、溺れちゃいましぇんか?」
中にはヒュドラがいるのです。多分、まだ生きている状態で。
けれどバックスさまは、あっさり笑い飛ばしました。
「いいのよう、だって不死身だもの。死にはしないって」
「苦しくないのでしょうか?」
「さあ?知らないわ」
「ええっ!?」
そんな。
毒をまき散らし害をなしたとはいえ、不死の生命を永遠におぼれさせるなど。
多くのものを苦しめ殺したとはいえ、この仕打ちはあまりに残酷ではありませんの?
顔を青ざめる私を前に、バックス様は不意に真面目な表情をされます。
「ヒュドラが生きながら苦しもうが、それはこの際どうでもいいわ。いえむしろ、それがこの存在に対する罰であり意義となるの。必要なのは毒から反転する薬効成分と、その不死性。貴女の為に、この化け物は犠牲になる。ねえユウェちゃん、彼にだけ手を汚させて、それで試練になるなんて本当に思っていて?もしもそうなら、この先貴女はいつまでたっても足手まといのままよ。試練が終わる前に貴女が消えて彼も死ぬ。天の頂も緩やかに滅んでいく事でしょうね」
「そんな、大げさな……」
脅されてひるみますが、バックス様はその真剣な表情を変えません。
真実、なのですね。
「これは貴女に課せられた、最初の試練。大切なものを守るために、何かを犠牲にする事を覚えなさい。……大人に、なる為にね」
……。
わたくしが、大人になることを望まれるのですか?
他の神々はそれを拒み、恐れ、排除さえしようとしたのに?
戸惑うわたくしに気づいたのか、バックス様は微笑まれます。
「大人になるにもいろいろあるわ。要するにね、成長しなさいって事なのよ。……このまま子供のまま、守られているだけでは試練の意味が無いの。貴女が神としての力を取り戻すその為にも、ね」
何より、ハーキュリーズ様のために何もできないのは嫌でしょう?少しは認めてもらいたいでしょう?と、そう言われてしまえば頷かざるを得なく。
わたくしは、わたくしの我がままの為に、言われるがまま酒を注いだのでした。
「はい、ヒュドラ酒の出来上がり」
「もうでしゅの!?」
注いだだけで出来上がりとは、ずいぶんお手軽なのですね。
驚くと、バックス様は苦笑されました。
「だって後は冷暗所に置いて熟成させるだけだもの。そうね、本来の素材である生物としての蛇の場合、内容物を消化させる期間が必要なんだけど、もうこれはただの生物としての域を逸脱しているから問題無いはずよ」
そういうもの、ですか。
それにしても、さすがはお酒の神様ですわ。
こんな、生物を生きたまま酒に漬けるなどというやり方までご存じだなんて。
「この辺ではあまり見ない作り方でしゅわよね?」
そう聞けば、あっけらかんと笑ってお答えになりました。
その表情に、先ほどまでの真剣さはかけらもありません。
この切り替えの速さも、バックス様の“らしい”ところなのでしょう。
「それはね、以前に大陸の東の方まで旅行に行った際、とある大国に仕える仙人の“のぞみちゃん”に教えてもらったのよー」
「そうなんでしゅか」
その方も、お酒にまつわる方なのでしょうか?
バックス様のお話を聞きながら、改めてしっかり封をしたひょうたんを持ち直した時でした。
ちゃぷん、という音がかすかに聞こえた気がして、あ、これはヒュドラが?と気にかけた時。
ふわりと酒精が香って、ひょうたんの口から光が、溢れ……。
「あ」
「……おめでとう、ユウェンタースちゃん」
わたくしの体は、すこしだけ本来の年齢に近づいておりました。
「ユウェンタース様、そのお身体は……」
「ハーキュリーズ様」
少しだけ照れくさくて、バックス様の後ろに隠れようとしますが、彼の方はにっこり笑ってそれをさせてくれません。
……いじわるです。
「人で言う、10歳くらいか?ま、こんなもんだろ。ともあれ、おめでとさんな」
「成☆功☆ひゅーっ!」
マルスお兄さまも、アポロさまも喜んでくださってるみたいで、私もうれしくなります。
「ユウェちゃん、ほら」
「はい。あの、ハーキュリーズ様、わたくしこれから少しだけお手伝いできるようになりました。こちらのお酒で、多少の怪我なら治せると思います。……あの、だからって無理をして下さいという訳ではないのですが」
もう口が回らないという事もありません。
滑らかに話すわたくしを、ハーキュリーズ様は驚いた表情で見つめます。
「……失礼、驚きました。そちらは神酒、ですか?」
「……わたくしが、以前お配りしていたものほど“力”はありませんが」
“こうなる”以前、わたくしの本来のお役目は、頂に住まう神々に永遠の若さと不変を約束する神酒をふるまう事でした。
バックス様とお作りしたこのお酒には、わたくし自身の力不足とまだ1つ足りない素材がある為にそこまでの力はありません。
ですが、それでもわずかながらにわたくし本来の力が宿っているのを感じます。
「……お力を取り戻された事、言祝ぎ申し上げます。これからも御身のお力を取り戻すため、微力ながら尽くす所存で……」
「あーあー、そんな堅ッ苦しい挨拶なんでいらねぇんだよ!素直に良かったなって、言ってやれっての」
もう、お兄さまったら!
「その……よろしかったですね」
「……お兄さまが申し訳ありませんわ。でも、ありがとうございます」
自分でも久しぶりに、ちゃんと笑えた気がしました。
「いいか、こうやって試練を超えて行けば、いつか必ず元の自分を取り戻せる。絶対あきらめんじゃねえぞ」
こうしてマルスお兄さまの……少々暑苦しい激励を聞く事も、当分無いのでしょう。
そう思うと、素直に聞ける気がします。
「はい。お兄さまも、あまり無茶をされてはいけませんわよ」
主に周りの為に、ですが。
鉄馬車に乗って外でお見送りして下さっているお兄さまと一緒に発車を待っていると、同じく見守って下さっていたバックス様が、不意に妙な事を言い出しました。
「そういえば世の中には、『飲むと大人になる酒』っていうのもあるらしいわね」
それって、飲むだけで大人になれる、薬みたいなものでしょうか?
「……胡散臭くねぇか?」
「あの、その情報はいったいどちらから……」
わたくしはあまり気にしませんでしたが、お兄さまやハーキュリーズ様は疑ってるみたいです。
「『のぞみちゃん』情報だけど」
そう、けろっとおっしゃってますけど……。
その『のぞみちゃん』という方は、ずいぶんと博識でいらっしゃるんですね。
「いったいどんな奴なんだ……『のぞみ』ってヤツは……」
強い奴なら闘ってみてぇぜ、なんてマルスお兄さまはおっしゃいますが。
誰もがお兄さまみたいに戦闘脳だとは限りませんのよ?
そこのところ、ちゃんと分かってらっしゃいます?
「探すべきでしょうか?」
「ああいいのよ、言ってみただけだもの。用があるなら向こうから来るでしょ。“運命”と同じよ」
それ、一緒にしてしまってよろしいのでしょうか?
「まあとりあえずは、試練優先で」
いってらっしゃい、と笑顔で送り出されます。
次は第3の宮、双児宮。
一体、どなたが待ち受けてらっしゃるのでしょう。
試練の事を考えると楽観視などできるはずもないのですが、何となく楽しみにしている自分もいました。
遊山ではないと思い知らされるのに、そう時間はいりませんでしたが。
「―――というわけで、天界ラジオUHP本日のゲストは、仙人福祉委員会実行委員長『のぞみちゃん』でしたー」
「行くわよスープ、炊き出しよーー!」
「ZOFFYEEEEEEー!」