第1宮 白羊宮 開幕
空高く上った馬車は、外の景色を置き去りにしてどこまでも走って行きます。
わたくしもハーキュリーズ様も饒舌な方ではありませんでしたから、景色が奇麗だと感想を述べた他は取り立てて話題もなく、お互い黙ってしまいました。
景色を見るだけの車内で足をぷらぷらさせながら、わたくしは外をじっと見つめておりました。
そんな2人だけの為の大きな箱馬車は、やがてゆっくりと速度を落とし、第1の神殿『白羊宮』に到着したのです。
「本日は、銀河馬車鉄道555をご利用いただき、誠にありがとうございます。当馬車は中央銀河ステーション発、十二宮循環、天の頂行きとなっております。間もなく第1宮白羊宮、白羊宮に到着いたします。お出口は左側です。お降りの際にはお手回り品のお忘れ物なきよう、ご注意ください」
ちゃらりららりらら~、と軽妙な音と共にアポロ様がご案内くださいました。
この天井から声が聞こえる装置も『兄』の作り出したものなのでしょうか?
物作りが大好きな、1番上の兄を思い浮かべます。
この試練が終わるまでは、家族にすら会えません。
寂しいですが、自業自得ですね。
少しだけしょんぼりしたら、肩を優しくぽんぽんと撫でられました。
目の前には、少しだけ眉を寄せたハーキュリーズ様。
……困らせてしまったでしょうか?
「どうやら降りなければならないようです。ご準備を」
「大丈夫でしゅわ」
もう平気だというように、こっくり頷いて笑顔を浮かべてみました。
「では、入口までまいりましょう」
「ええ」
ゆっくりと列車が止まり、手を繋いで出入り口に向かいます。
まるで本当の親子のよう。
頭の隅の方から、そうだったらよかったのに、という声と、わたくしが大きければ恋人のように振る舞えるのに、というどこか不貞腐れた声が聞こえたような気がいたしました。
――――――その様な思いを抱くから、わたくしは。
「運転手はキミだー、車掌はボクだー、しゅっぽーしゅっぽー♪」
陽気なアポロ様に先導され、わたくしとハーキュリーズ様は巨大な神殿の中へと入って行きます。
神殿は巨大な白い石柱に支えられ、その外の風景はぼんやりと薄暮の中に溶けているよう。
不思議な空の中に浮かぶ仕切りのない広間では、1柱の男神様が待っていらしゃいました。
「それでは、またのご利用お待ちしています……なんてねっ☆それではっ、健闘を祈るっ☆ミ」
きゅっぴーん☆
煌めく効果音を残し、アポロ様は爽やかな笑顔のまま馬車へ戻って行かれました。
残されたのはわたくしとハーキュリーズ様、そして目の前にいらっしゃる金色の衣を纏い、両脇に車の付いた不思議な形の椅子に座ったままの男神様のみ。
その方は、柔らかな声で優しく歓迎してくださいました。
「ようこそ、白羊宮へ」
……その、お声、は。
わたくしは思いがけず、目を見開いてしまいました。
さらさらと背まで流れる金の髪に、同じく金の瞳。
たおやかな顔立ちながら、左目にはそれを痛々しく見せる黒の眼帯。
眼帯の下から頬に伝うのは、火傷の様な傷痕。
痕さえ無ければ柔ともとれる優しげなお顔立ちに、そぐわないともとれるほどの立派な体躯は、武に明るくないわたくしでも良く鍛えられているのだと分かるほど。
とりわけ右腕は丸太の如く際立って太く見えるのが、衣服の上からでも見てとれました。
「ああ、座ったままで申し訳ないね、なにせほら、わたしは歩けないのだから」
両脇に車を付け背後に金板が重なった形状の、金属を編んだような不思議な形の椅子に座ったまま、男神様が足にかかる長衣のすそをまくると、隣にいたハーキュリーズ様が微かに息を飲んだ様でした。
現れたのは、肉の付いていない生白く奇妙にねじくれた両の足。
―――間違いありませんわ!
何故かわたくしの知るお顔とは違っておりますが、この方は……!!
「わたしは天の頂を統べる十二神が1柱、ウルカヌス。炎をつかさどりし鍛冶の神だ」
わたくしの上の兄、ウルカヌスお兄様ですわ!
「……なんと」
ハーキュリーズ様が、戸惑っておられるのもよく分かります。
それもその筈です。
十二宮の番人が天の頂を統べる十二神だなんて、このわたくしでさえ聞いた事ありませんもの!
本来の番人はどうしたのです!?
問い詰めようとしたわたくしに、それでも先んじたのはハーキュリーズ様でした。
「ご挨拶が遅れ、申し訳ございません。私は剣闘士ハーキュリーズ。この試練の代行を務めさせていただく者です」
「うん。話は聞いているから楽にしてくれたまえ。さっそく試練の内容についての話をしよう」
……わたくしの方を見ようとしないのは、ワザとですか?お兄様。
言いたい事があると分かっていらっしゃるでしょうに、それでも無視なのですか?
そっちがその気なら、ええ、わたくしは別にかまいませんけれども。
相手にしてもらえなくて、自然、不貞腐れた態度になってしまいます。
「とはいっても、今回は初回だからね。きっと試練の中では簡単な方だよ?」
「簡単……ですか」
ハーキュリーズ様も、さすがに半信半疑のようです。
十二宮の試練が『簡単』だなんて、そんな事ありえませんもの。
「ではさっそく発表しよう。ここでの試練はひとつ―――獅子退治をしてもらおうかと思ってる」
「獅子退治、ですか?」
「そうだよ。君は『ネメアの獅子』というのを知っているかい?」
「人づてに聞いた話ではありますが……街道に近い谷に住み、人や家畜を襲い喰らう獰猛な化け獅子だと」
「そう。あまりに危険なのでね、処分する事になった。その処分を君に任せたい」
ネメアの獅子。
人の世でも悪名轟く暴れ獅子の名ですわね。
討伐隊が何度も組まれたそうですが、そのことごとくが獅子の腹の中に消えた、と。
間違いなく、ただ人の手には余るお話ですわ。
……やはり、そう簡単には通しては下さらない様です。
「とはいえ、今から現地に行って退治では迂遠だろう?なので、今回は闘技場で戦ってもらう事にしたよ」
「闘技場、ですか?それは、いずれの……」
その時突如、があおおおおおおおお………という、まるで心の臓をわしづかみにするような恐ろしげな叫びが聞こえました。
そうそれは、まさに獅子の咆哮。
それを聞いたお兄様は、にっこり笑ってこう言いました。
「もちろん、ここさ」
「暴虐の化身、破壊と滅亡の申し子とも呼ばれるネメアの獅子を……ここへ?」
ハーキュリーズ様が絶句されております。
どうやって、という言葉が聞こえてきそうですが、お兄様はさらっと「ん?釣ったんだよ?餌で」と申しておりました。
獅子はお魚ではないのですが、お兄様。
それに餌って……いえ、聞かない方がよろしそうですわね、心情的に。
「初心者向けサービスの一環でね。普段の場に近い方が君も戦い易いかなって。いわゆる“ホーム”っていうかさ。まあ、今回はチュートリアルみたいなものだから。気楽にいこう?ああ、そうそう、これ使用武器ね。どれを使ってもかまわないし、1つとは言わず全部使ったっていいんだよ?特に制限はなしで!それで、使用後の感想をぜひ聞かせてほしいな!」
合図もなしにいきなり現れた使用人……いえ、これは魂の入っていない人の肉体を模しただけのお人形ですわね。
……美人さんなのは、奥様に対するあてつけだったりなさいません……わよ、ね?
もし万が一、人の世などに贈ったらこれ、間違いなくモテモテ逆ハー間違いなしですわよ?傾国間違いなしレベルですわ。
まあ、お兄様はこの様なお体ですし、日頃から様々な事にご不自由されておられましたけれど、昔から、人にされるくらいなら人形にでもやらせた方がマシだとおっしゃっておりましたものね。
そうして、専属の使用人形たちに運ばせるよう指示した武器を見せ始めたとたん、お兄様のお顔が分かりやすく輝きました。
これはもしや……。
「全部、ご自身でお作りになられたのでしゅね?」
「あ、やっぱ分かる?」
でれれっ、とお顔が崩れました。
あ、ハーキュリーズ様が引いておられます。
「では……もしや、この全てが『神器』なのですか……?」
「そんな大層なものではないよ。だから、気にせず使ってほしい」
鷹揚に頷いていらっしゃいますけど、お兄様、これら全てがお兄様のお作りになられたものなのでしょう?でしたら間違いなく神の作った『器』―――『神器』ですからね?
一般人として育って来たハーキュリーズ様が恐れ多いとお感じになるのも、その力を十二分に発揮出来るかと不安になられるのも、無理はないと思いますの。
「あっちが“とある船の乗組員”に作ったガントレット、で、こっちが“さる英雄”も使った大鎌の真打ち。そっちのは……“ある主神の” 雷霆杖のスペア。で、この後ろのが“その主神の頭かち割った”大斧。後は“大河を蒸発させるほどの威力を持つ”砲丸とかどうだろう。“主神の嫁も泣いて許しを請うた”座ると死ぬ椅子もあるよ?なんなら防具や盾なんかもあるけど、貸すかい?」
お兄様、お兄様、ハーキュリーズ様が完全にどっ引いちゃってますわ!
「……………………では、これを」
物凄く長い葛藤と沈黙の末、ハーキュリーズ様が選んだのはひと振りの巨大な石の大剣でした。
今までの説明に出てこなかったものを選んだあたり、ハーキュリーズ様ったら、壊しても大丈夫な無難なものを選ぼうとか思われたのでしょうか?
「あれ、それ選ぶんだ」
「普段使い慣れているものに近い方が、実力も発揮しやすいかと。……浅慮ですが」
ふーん、と何か僅かに考えるしぐさの後、お兄様はあっさりと言いました。
「あ、でも言い忘れてたけど、ネメアの獅子、刃物通らないからね?」
じゃあ何で大剣やら大鎌やら大斧やら準備したんですかっ!!
思わずそう叫びそうになったわたくしとは対照的に、隣にいたハーキュリーズ様はにやり、と少々不遜とも取れる不敵な笑みを浮かべました。
「斬れないのであれば、叩き潰すまでです」
「……ふふっ、くはははっ」
ハーキュリーズ様の言葉に、お兄様は笑い出しました。
なんだか面白い事を聞いた、とでも言いたげに、心底楽しそうに。
「大剣をハンマー代わりに、ねえ。そこまで考えてそのチョイスとは!さすが主神の加護厚き英雄殿、お目が高い!実はそれは、万神殿の礎を使った―――」
あの……お兄様、聞き捨てならない英雄の枕詞もそうですが、その前にハーキュリーズ様のお顔、真っ青になってらっしゃいますわ、気が付いて!!
いくら何でも自由すぎます。
わたくしはこっそりと溜息をつきました。
「だからその剣には全ての“属性”が備わっていて、神の力を持つ者がそれを使えば、必要な属性を纏う属性剣にもなるって寸法さ」
「……は、はあ」
大丈夫ですか?
試練はこれからなのですから、お気を確かに、ですわ、ハーキュリーズ様!
「この試練に打ち勝てば、その石剣はあげるよ。何なら『ネメアの獅子』の“素材”を使った防具一式進呈してもいい」
「え」
「まあ」
それは、退治したネメアの獅子の皮や骨で装備を作る、という事なのでしょうか?
材料の良し悪しはよくわかりませんが、鍛冶の神であるウルカヌスお兄様が作る鎧ですもの、間違いなく最高の鎧となるでしょう。
それにしても、ずいぶんと大盤振る舞いなのですね。
出来れば、という条件付きとはいえ、これも初心者向けだからでしょうか?
「これからも試練に挑み続けるのなら、これくらいの装備は必要となるだろうからね」
「それは……」
わたくしもハーキュリーズ様もはっとします。
ふわりとした、だけどどこか何かを含んでいる様な笑みを浮かべたお兄様の言葉は、これからの試練が間違いなくさらに苛烈になるという予告でもありましたから。
お兄様のフリーダムさ加減に、魂飛ばしている場合ではありません。
ぎり、と剣の柄を握り締めたハーキュリーズ様は、これから戦に向かう戦士のお顔を取り戻されておりました。
「覚悟はできたかい?」
「……は、ここに」
「そうかい」
含みを持つような笑みを深めたお兄様は、ついに試練を下す審判として、お言葉を下されました。
「では、始めよう」
神殿の裏手にあったのは、薄暮の世界に浮かぶ円形闘技場。
堂々と武舞台に立ち、身の丈よりも大きな石剣を手にしたハーキュリーズ様を、わたくしはお兄様と共に観客席で見守ります。
「開門!」
がらがらとハーキュリーズ様の対面の門が開き、そして――――――