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かくて運命の糸車は回り出す


ささやかだけれど、大事な1歩。




「おはようございます、ユウェンタース殿。朝食の準備が整っておりますよ」

 まどろみから呼び覚ますように、優しく労わりに満ちた―――けれどもどこかぎこちない、そんな声がわたくしを揺らします。

 温かく穏やかで安心できる場所など、最近は家の中ですら無かった筈ですのに。

 このまま目覚めてしまうのがあまりにも惜しくて、わたくしは嫌々をするように毛布を体に巻き付けうつぶせに寝返りますが、その際、鼻を掠める良い芳香に気付きました。

 きゅう。

「…………」

「……おはようございます、ユウェンタース殿」


 背を向けた筈の後ろ―――眠る前の記憶が確かならば、それは恐らく部屋の中心部―――から、堪え切れずにこぼれた笑みの気配がわたくしの名をもう一度だけ呼びます。

 ……信じられません、わたくしったら!

 それが何の香りか気付く前に、正直な反応を返してしまうなど!

 ええ、ええ、それはもう食欲をそそるオリーブの素晴らしい香りでしたわ!

「おはよう……ございます」

 往生際悪く渋々掛布の中から顔を出せば、少し困ったような、それでいて穏やかな笑みを湛えたハーキュリーズ様が出来たての食事をこれでもかと乗せた卓の前でお待ちになってらっしゃいました。

 こうなっては仕方ありません。諦めてちゃんと起きますわ。

 決して、美味しそうな料理の数々につられた訳ではありませんのよ。


「そうですの、召使いたちが」

「はい、それで食事が終わり次第、御挨拶をという事でした」

 昨夜と背丈が違うせいか卓に着くまで一苦労ありましたが、それこそつい昨日まで馴染んだ体です。

 何よりちゃんと、今の身体にあった椅子が用意されていましたから。

 ちょっぴり複雑な気分になったのは内緒です。言うほどの事ではないというのもありますけれども。


 朝のご準備はどうされたのかと聞けば、人の気配で目を覚ましたハーキュリーズ様が朝食を運んできた召使いたちに話を聞く事が出来たので、その通りに済ませたのだとおっしゃっていました。

 それと今回は女神のご意向により朝食はわたくしとハーキュリーズ様だけで取る事になっており、ご挨拶はその後に、となるようです。

 アポロ様ともその時に合流なさるとの事で、現在は2柱様とも別室で同じように朝食を取っていらっしゃるのではないでしょうか。

「しかし、朝からこれほど豪勢な食事を頂けるとは思ってもみませんでした。存分に汗も流させて頂きましたし、おかげさまで今までの疲労も何処かへ飛び去ってしまったかのようです」

 そう言いながらパンを口に運ぶハーキュリーズ様のお顔は、どこか緩んでいらっしゃるようにも思えました。

 人の世では朝に食事を召し上がらないという方もいると聞きますが、体が資本のハーキュリーズ様ともなればそうもいかないのでしょう。

 『健啖家』という言葉がぴったりくるくらい、気持ち良く召し上がってらっしゃいます。


「食事の内容も、お口に合ったようでなによりですわ」

「ええ。まさしく『神に感謝を』せねばなりませんね」

「まあ」

 くすくすと、わたくしとハーキュリーズ様、顔を見合わせ笑ってしまいます。

 昨日はその、色々とありましたけれども、こうして気追う事無くわたくしと向き合って下さるのも嬉しい事。

 くつろいでいらっしゃるご様子ですし、昨日までの激戦続きでの疲れがすっかり取れたのであればわたくしにとっても幸いですわ。

「喜んでいただけたのなら、これ以上なく嬉しく思います。とはいっても、わたくしが用意したものでは無いのであまり偉そうに胸を張る事も出来ませんが」

 苦笑しつつ、目の前に広げられた料理の数々を改めて見やります。


 種類も豊富なパンの数々に、細かく刻まれた色とりどりの野菜と真っ白な乾酪(フェタ)が盛られたサラ()それとは()別の種類()の乾酪()を鉄板で焼いたもの。

 この辺りが主食と呼べるでしょうか?

 脇に用意されたヨーグルト(ヤウルティ)には蜂蜜を入れても美味しいですし、パンにかけても美味しいです。

 同じくそのまま食べて良し、パンに挟んでで良しなのが豆煮(ファヴァ)やヤウルティに水気の多い野菜を刻んで混ぜたジャジキ、解した魚卵とふやかしたパンを調味料で混ぜ合わせたサラタなどで、その他にも籠にどっさり果物が積まれていました。

 飲み物も朝という事でさっぱりとしていて軽く、胃に負担の少ない果実酒の類が用意されているようですね。

 人の世の基準などは良く分かりませんが、中々に種類豊富で食べがいがある量だとは思います。

 ハーキュリーズ様のお顔も、どこか満足げですもの。

 ただ、わたくしの力ではないという意見には首を横に振られましたけれど。


「いえ、この様な恩恵に預かれるのもユウェンタース殿のお人柄のおかげでしょう。歓待されているのはあくまで貴殿であり、わたしはついでのようなものです」

「とんでもありません、それこそ違います!ハーキュリーズ様がいらっしゃらなければ、わたくしはこの場におりませんわ。運命の女神も、名ある神ですら躊躇う試練に迷う事なく飛び込んだハーキュリーズ様をお認めになってらっしゃる筈です。そうでなければさっさと追い出しているはずですもの」

「そうやって、卑下なさるものではありませんよ」

 苦く笑うわたくしに、どこか固い声がかけられ、はっとして顔を上げます。

 そこには、口を引き結んだハーキュリーズ様のお姿がありました。


「そうやって、下を向いて自分を低く見積もっていれば世界が甘やかしてくれる、などと考えてはいけません。それに、そうならないとおっしゃったのは他でもない、貴女ではありませんでしたか?」

「あ……」

 そう、でした。

 つい、いつものように。いけません、そうならないと誓ったばかりでしたのに。

 出来ないと言えば周囲が甘やかしてくれるだなんて甘えた考えだと、他でもないこの方に言われた事が何より胸に刺さりました。

「ごめんなさい……」

「ほら、そうやってすぐに下を向く。ダメですよ、貴女はきっと本当は穏やかで優しい、春の日差しの様な方なのだから」

 反省したわたくしにかけられた声は、優しく温かなまなざしと共に贈られたものでした。


「そんな……わたくしはそのような……」

 褒められたのかどうかさえあやふやなのだから、喜んではいけない。

 そうは思えども、頬が紅潮する事を止められません。

 幼い頃、兄達に可愛いからと頭を撫でられた事がよぎります。

 そう、きっとそんな風に慰めて下さっただけなのですわ。

 ですが、思い込もうと必死のわたくしを前に、ハーキュリーズ様の視線は変わりません。

 穏やかに、でも真っすぐに、わたくしを見ていらっしゃいます。

「本来の貴女は、あのようなお姿だったのですね」

 昨夜の事を言われ、ようやく思い至りました。

 ああでも、わたくしの本当の姿を見て『春の日差し()の様』におっしゃるのならば、少なくとも不快な容姿であったとは思われなかったのですね。

 ……まあ、周囲からはわたくし母に似ているとよく言われますし、わたくしが醜いのならばそれは母も―――

「!?っ、失礼。何かこう、急に怖気を感じたものですから」

「あの、申し訳ありません……」

 不用意な考えは自らの首を絞めるのですわ。うっかりしておりました。


「それで、ですね」

 微妙な空気を払しょくするかのように、ハーキュリーズ様は「こほん」と一度咳払いをなさり、改めて居住まいを正します。

「少しだけ、私のわがままを聞いていただけたらと思うのですが」

 我がまま、ですか?

 珍しい事をおっしゃるので、思わずきょとんとしてしまいます。

 ですが、それは我がままなどではなく、むしろ……。


「昨夜の貴女は、まさしく純真な乙女そのものでありました。朗らかでお優しく、そばにいて温かく、わたしも年甲斐もなく楽しく過ごさせていただいたのは事実です。ですが……一言だけ申し上げる事が許されるのであれば、あのような姿で男性に近寄る様な事は、あまりよろしくないように思うのです」


 まるで、嫉妬深い恋人の様な事をおっしゃるハーキュリーズ様のそのお顔は至極真面目で、そう、むしろこれは『説教』と呼ばれるたぐいのものであるのだとすぐに思い至りました。

「ええと、その、ですが……」

「ええ、これはもちろん、自分が気にしすぎているだけなのかもしれません。が、やはり気にされる方もいらっしゃると思うのです」

 腕を組み、深く深く頷かれるそのお姿はまるで保護者のそれ。

 ええ、お兄様方が(主にご自身の事を棚に放り投げて)言うお小言と同じでした。


「するな、とは申しません。それはさすがに不敬となりますでしょう。ですが、ご一考頂きたいのです。今のお姿のユウェンタース殿がなさるのならば微笑ましいと思えるような事も、年頃の娘がするにはいささか……」

 言い難そうに濁しかけ、それでもしっかりとした決意のもとに吐き出します。

「いささか、はしたなき様に映る事もあるのだと、ご理解いただきたい」

 はした、ない。

 衝撃でした。頭を強く打たれたかのようです。

 昨夜のわたくしの振る舞いは、彼の方にとってそれほど不快であったと……!!

 春の日差しの様であるなど心尽くして耳に優しく響くお言葉でもって評したのは、こうした諫言でわたくしが傷つかないようにとの配慮であったのですね!

「もうしわけ……ございませんっ!!」

 ああ、この場はどうしたら、どうしたら償えるのでしょう!

 極東の島国で伝統的に行われる謝罪の儀式、DOGEZAなるものを行えばよろしいのかしら!?

 運命神のささやかな悪戯。

 その思惑に便乗するようにわたくし、調子に乗って誘惑するような真似を……!


 ええ、ええ、確かにわたくし、運命神様に唆されましたわ。

 『意識させろ』『させてしまえ』と、まるで甘い水の様な囁き。

 ですが、わたくし自身にそういった思惑がまったく無かったとは申しません。

 正直に言えば、これでハーキュリーズ様のわたくしに向ける想いが少しでも恋情を含む者に変わればと、そう浅はかな考えを抱いたのは間違い無いのですから。

 幼き容姿であれば許されたであろう所作、それを成長した、成熟したわたくしが行えばどのように見えるか。

 すこしでもよろめいてくださりはしないかと。

 嗚呼、まさに浅はか。

 浅はかとしか言いようがありません。

 潔白な魂をお持ちのハーキュリーズ様にとっては、まさに妻以外の女が色で誘う様なもの。

 まるで低俗な女性のように思えたのではないかしら?

 きっとそれで、ご気分を害してしまったのでしょう。 


「申し訳……」

「あ、いや、少し強く言いすぎましたか」

「いえ、違うのです……わたくしが……ふ、不快に……。本当に、考え無しで……っ」

「ですからその、卑下なさる事は無いと」

 卑下では無いのです、貴方を不快にさせてしまった事が、何よりもつらく苦しいのです。

 堪え切れぬ涙が頬を濡らします。

「……」

 ふう、と重苦しい溜息が目の前から聞こえました。

 ひくりと肩が震えましたが、もうこうなっては自分で止められそうにありません。

 かたりと、椅子の動く音がしました。


「もう良いのです、本当に不快などではありませんでしたから。むしろ年若い乙女と食を共にし、あまつさえ寝具さえも共に使った。良い年をしていながら貴女に甘えたわたしの方が罪深いとさえ言えるでしょう」

「いえ!決してそんな事はありません!」

 とんでもない事をおっしゃるハーキュリーズ様に、鬱々とした感情がいっぺんに吹き飛びました。

「ね、だからお互い様なのですよ」

 宥めるようなその声音に、流れていた涙もようやく落ち着いてくれたようでした。

「それに」

 こほん、ともう一度だけ咳ばらいをし、ハーキュリーズ様はどこか落ちつか投げに視線を彷徨わせ始めました。

「どうも、いけませんね。年若い乙女と久しく共にいる事など無かったものですから、どうにも踏み込んでいい先が分かりにくくて。それでいてその、勝手に心配になりお節介など焼いてしまい……。これこそ余計なお世話というものかもしれません。出過ぎた事を申しました、お忘れください」

「いえそんな、わたくしこそ!忘れませんわ、以後気をつけます。本当ですわ!」

「そうですか、それならば良かった。……これがきっと『まるで父親の様な気持ち』というものなのでしょうね」

 呟かれるようにおっしゃった最後の言葉に、思考が凍りつきました。


 ちちおやのような、きもち。


 ……

 …………

 涙、完全に引っ込みましたわ!



「おっはよーん☆今日も元気に行って……あれえ?どした?」

「ごきげんよう……アラ?どうかしたかしら?」

「……いえ、ちょっと……」

 運命神(パルカさま)直伝誘惑法、完全に失敗です!……などと、言える筈もなく。

 自分1人だけ微妙な気分になりながら、アポロ様とパルカ様に御挨拶を……してるといえるかどうかも微妙でしたわね。

 いけませんわ、しっかりしなければ。

 休息は終わり、再び試練と向き合わねばならぬのですからね!

 こういうのが、お兄様方曰く黒歴史というものなのでしょうか。


「ふふ……」

「パルカ神?」

「いえ、何でもないのよ。ええ、な・ん・で・も。そんな事(・・・・)より大切な事があるでしょう?貴方方には」

 そんな事、がどんな事を指しているのか今一つ分かりかねましたが、確かにその通りでした。

「はい、女神よ」

「温かなお気づかいとご支援、誠にありがとうございました」

 暗に出立を伝えると、パルカ神さまは少しだけ……本当に何故か少しだけ……寂しそうな、苦しそうな表情を浮かべました。

「いえ、これはわらわの我儘であり、せめてもの情け。この運命は―――」


 最後は何と言っていたのか良く聞き取れず、ハーキュリーズ様と顔を見合わせてしまいます。

「女神?」

「いえ……。子らに、幸いあれと」

「これは……祝福、有難く」

 驚きました。

 運命神はその性質上、先の未来を告げる事はあれど誰かの幸福を願う事など無かったからです。

「頂いたお約束(祝福)(まこと)であるように努力してまいりますわ」

 どこか愁いを帯びた女神の表情を見て、この先辿る道を思います。

 きっと、楽で平たんな道では無いのでしょう。

 そうであるのならば、“運命”が嘆く筈が無いのですもの。


 でも、それでも。

 下を向いていてはいけないと、ハーキュリーズ様にも言われましたものね。

 いまは、これで十分。

 そう思う事にしましょう。

 多分わたくし、かつて妻子に抱いていた愛を忘れ年若い乙女の色香に迷い色に溺れる、そんなハーキュリーズ様を見たのなら、喜びと同時に幻滅するのでしょう。

 だからきっと、これで良いのです。


 それにこれも、考えてみれば稀有な体験ですものね。

 ―――父神からは幼き頃、何度か頭を撫でられたきりでした。

 大切な思い出として胸にしまっているはずなのに、思い返そうとしても当時のお父様がどのようなお顔をされていたのか、それすらも思い出せない遠い記憶となり果てています。

 だからわたくしもハーキュリーズ様も、擬似的な親子の関係である事、それがきっと一番望ましい形なのではないでしょうか。

 そう思い込もうと、懸命に努力しました。

 痛む胸に、必死で封をしながら。


「そうそう、これを預かっているよ」

「ああ、そちらが(くだん)の……」

「手荷物にするには少々取り扱いが難しいものだから、これはこのまま貨物の方に仕舞っておくよ」

「何から何まで世話になってしまい、本当にかたじけなく」

「いいってことさー☆それが役目だしっ♪」

 ハーキュリーズ様とアポロ様が話しながら列車に向かう後を、なんとか自分を納得させながら追いかけます。

「ユウェちゃん?」

「ユウェンタース殿?」

 あ、いけません。自分の考えにふけっている場合ではありませんでした。

 慌てたわたくしの後ろから、見送りにお出で下さった運命(パルカ神)の声が聞こえます。


 それはまさに神託というべきもの。

 

「ここから先は過去を辿る道筋。暗闇を朝日が照らすが如く、忘れてしまった記憶を呼び起こす旅。その先に待ち受けるが黎明であるか、あるいは刻を遡った果て永遠に明けぬ夜に囚われるのかは貴女方次第。……それでもなお進むというのですね?ならばわらわは止めはせぬ―――おゆき(・・)なさい、子等よ」


 ……と。



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