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天秤宮 第7の試練

 クレータの地には逸話が多い。

 例えばかの大神ユピテルも、やんごとなき理由から一時この島に滞在していた事があったという。

 そんないわくつきの島を治める王は、少々卑屈な印象の、酷くくたびれた男であった。

 ……恐らくは運命神の言う「報い」を受けた後なのだろう。

 牡牛の件を口に出せば、いまわしいものを追い払うかの様に「どこへなりと持ち去れ」と手を振られたのだから。


「そのようにおっしゃるのでしたら、こちらも遠慮などいたしますまい。しかし残念ですな、威を誇るクレタの王と共に肩を並べる事が出来るかとも思ったのですが」

 身勝手な行いの結末とも言えるであろう儀式を偽った果ての王家の現状は、すでに島民にも広く知られていたが、何故かその評価は決して低いものでは無い。

 いや、あるいは……下手に低く見て、これ以上“犠牲”を増やしたくないという思惑があったようにすら感じられた。

「……はっ。とてもではないが、そんな気分にはなれんよ」

 それは王とて理解しているのであろう。

 鍛えられた体躯に漲っていたはずの覇気はすでに薄れて久しいようで、口からこぼれ出たのは自らに唾を吐きかけるような自嘲の吐息。

 あながち……世辞でも無かったのだが、それすらも厭わしい物となってしまっていたらしい。

 あまり触れぬが吉、か。

 ハーキュリーズは押し黙った。


「……我が生まれを知っておるか」

 沈黙ののち、唐突にミノス王が訊ねて来た。

「アポロ神に、少々」

 正直に言えば、悔やむような憂鬱であるかのような、そんな歪んだ表情で首をゆるゆると振られた。

 何かを払い去るように。

「ああ……そうだ、あれも妻に血を分けた神なの(そんざい)であったな。ならば知っていて当然、か」

 そのとおり、奥方はアポロ神の眷属としての血を引くらしい。

 子孫の行く末を案じたのか、この件について話すアポロ神の表情が沈痛な物だった事を思い出す。

 とはいえすでに沙汰は下されており、いくら血を分けた当神といえども手を出す事は難しい。


 運命(しがらみ)―――という存在は、人だけでなくときに神さえも縛る。

 それは時にこうして、悲しい出来事を引き起こすのだ。

 ……おそらく、自分の身に起こった出来事もそうなのだろう。

 ほんの僅か、自分自身の過去について思いを巡らせた。

 無理矢理押さえてなお疼く、鈍い胸の痛みと共に。


「我が母上はその昔、牡牛に化けた大神ユピテルと交合し我を孕んだ。やがて時を経て王になった我は妻を娶り……縁あったが故この国を手中にせんと誓いを立てた。……我は傲慢であった。神の血を引く我と妻がいれば、出来ない事など何もないと。しかし、欲が深すぎたな。全てを手に入れる為と嘘偽りで誓いを汚したした我に、天の頂きは怒りを落とした。……大神(ちち)は残酷なる刑罰でもって血を分けた我が子に、ただその妻となっただけの女に、そして産まれてすらいない罪もない子孫にさえも、容赦の無い裁き(のろい)を下したのだ」

 口にするのもおぞましい、そう言って王は顔を両手で覆い、激しく嘆いた。


 ――――――クレータという島には、牛にまつわる出来事が多くあった。

 特にミノス王……彼の生まれには牛が絡み、王位にも牛が絡み、そして……子の誕生にすら牛が絡んだ。

 ……かの王の子は、牛頭半人の忌み子であったという。

 ―――それこそが、運命神のいう『報い』。

 ……ちょうど国の中に1人、名匠と呼ばれるほどの大工がいたのも……あるいは不運であったのかもしれなかった。

 王の妻が子を孕んだいきさつ、忌み子を隠した迷宮、そのどちらも賢き大工が知恵を貸した結果だというのだから。

 ―――あるいはこれもまた、運命神の導きか。

 あまりにも一致しすぎる(・・・・)符号に、知らずぞっと、した。


「もうよい。牛はもう……もうたくさんだ」

 手のひらの間から涙をこぼしすすり泣く王に暇を告げ、面会の間を後にする。

 人喰い牛頭半魔(人を喰う時点で、もはや同等の存在などとはいえないだろう)の忌み子と、制作者兼見張り番が閉じ込められたという迷宮に興味が無い訳ではないが……今は試練の時と、思考を切り換えた。

 迷宮の制覇には、また別の“勇者”が“宛がわれる”のだろうと、そう思いながら。


「こ、こちらですだ」

 案内された厩舎には、1頭の牛が幾重にも縄や鎖で縛りつけられていた。

 そのような哀れな姿であっても、かの牡牛には気品と誇り、何より美しさがあった事に驚き、わずかに目を見開く。

 しかし、平時であれば手放しで称賛されたであろうその牛の瞳は、今や血の如く赤に染まり、暴れたであろう手足の周囲は抉られ、破壊の跡があった。

「ふむ……なるほど、立派なものだ。角を折られていてなお、この状況とは」

「た、たすけてくだせえ!おらまだ死にたくねえだ!」

「呪い牛に変わっちまったんだ!王さんが約束破ったから!!」

「ばかっ!おかしな事言うでねえ!!」

「けどようっ!!」

 厩舎の管理者は、そこらに住む農夫であったらしい。

 いや……元々農夫と言うにはあまりにも貧乏で、毎日の生活にも困っていたような小作……あるいは農奴だった、というのがふさわしいだろうか。

 金で、あるいは攫われるようにして雇われたのだろうが、そうでもしなければ誰もなり手がいなかったのであろう。

 怯えるだけの厩番の肩を叩き、外へ出るよう促す。

 何があるか分からない以上『守るのは自分だけ』にしておいた方が、都合が良いに決まっているのだから。


「さて」

 ぶるる、と鼻息荒く苛立っている様子の牡牛を見る。

 人の背丈を越えるほどの体高と、どうあがいても華奢に見えないがっしりとした骨格。

 ぶつかられ、踏まれでもすればタダですまないと思わせるほどにしっかりとついた筋と肉。

 ……それらを踏まえてなお真っ向から向かって行って捕らえるのは、酷く難しそうに見えた。

 しかし運命神曰く「容易く抑えられる」との事。

 ならば、やるしかあるまい。

「『黄金の手綱』でもあればよかったのだが」

 鼓舞の意味も込めて、わざと軽口を言ってみる。

 上手い事を言えたかどうかは分からないが、少しは力が抜けただろうか。


 ―――アポロ神曰く、天の頂には幻の天馬を乗りこなすにふさわしい馬具があるという。

 しかし所持者は、あの知恵を司るの戦女神ミネルウァ。

 彼女は、海神ネプテュヌスと折り合いがあまりよろしくない事でも知られている。

 故に拝借叶わなかったのだろう。

 残念であり惜しくもあったが、正々堂々の勝負とするならばかえって好都合にも思えた。

 ……そう思えるのならば、自分はこの対戦(・・)を楽しみにしていたのだろう。

 そうだ、剣闘士としての仕事だと思えば良い。

 人同士だけでは無く猛獣(・・)との闘いもまた、自分にとって日常では無かったか。

 その考えに至り、くつりと笑みがこぼれた。

 大丈夫だ、やれる、と。


 とはいえ、どう攻めたものかと考えている間に、ぶちん、と牡牛を繋いでいた綱が切れた。

 ぶるりと首を振るだけで、鎖までもが千切れ跳ぶ。

「ひいいぃぃぃっ!?」

「ひっ!?」

「お、おたすけ……」

 厩舎の入り口から覗いていたらしい見張り番が腰を抜かしているようであったが、かまっている余裕などない。

「さあ、来い!!」

 こうなっては全力で受け止めるのみと、腰を落とし構えた。


 が、やはりそこは体格の差が出たらしい。

 がしりと組み合い押さえつけるものの……。

「くっ!?」

 どういうわけか、牛の力が増大して行くようなのだ。

 今は押さえ込めているが、腕の中でじわじわと牛が力を溜めこんでいるのが分かる。

 ぐぐぐ、と音さえ聞こえるかのようだ。

 いずれ爆発すれば、いかに鎧で武装していようと弾き飛ばされるは必至。

 そうなれば、走り出した“弾丸”は何処へ行くか知れたものではないだろう。

 厩舎前にいる下働きの男たちの命が危ういだけでなく、最悪勢いで一気に街まで駆け降りてしまえば、犠牲はさらに増えるものと思えた。

 それだけは……。

「なんとしても、防がねばならんな……ッ!!」

 だが、限界も近い。

「こやつ……っ、本当にただの牛か……ッ!?」

 押さえつける腕の中、どうにか逃げ出そうと躍動する筋肉の塊。

 容易であるなどと言われ、まんまと油断した己が悪いといえば悪いのだが……。


「くっ!!」

 腕の中で踊り狂う狂騒の牛。

 このまま暴れるにまかせ、疲れ果てたところを締め上げるかとも思ったが。

「やはり、一筋縄ではいかんか!」

 込める力を1段階上げるが、このままでは自分だけでなく牛が自壊しかねない。

 試練の達成には、牛の無事が不可欠。

 住人たちの安全も重要だが、牛自身の無事も確保せねばならない。

 殴りつけて気絶させるという手段がちらつくが、到底許容できるものでは無かった。


「ふむ。やはり保険を確保しておいてよかった、と言うべきかな。極東の技術者に曰く……『こんな、ことも、あろうかと』!!」

 いつの間にやら近寄って来ていたアポロ神が、叫んだかと思えば何やらきらめく物体を投げつけて来た。

 1瞬だけ片腕で支えるなどという芸当を披露しつつも、なんとか受け止め、そして驚く。

 傷1つ無い、美しく輝く金色(こんじき)

 まるで、精緻に彫られた彫金細工の如きそれは……。

「まさか、これ()(ハミ)なのですか!?」


 思わず問いかけると、深く頷かれ肯定された。

「北の国々には、いくつかこういった拘束具があってね。さすがにグレイプニルは……フェンリルちゃんのリードだからってお断りされちゃったんだけど、てへ☆でもまあ運よく別の所からちょっぱ……げっふんげっふん、まあいわゆるレンタル品という奴さ!……恐ロシい国からのだけど★」

 最後、何と言ったかよく聞き取れなかったのだが。

 だがわざわざ神が持ち込んだ品であるのならば、恐らくは特別なものであるのだろう。

 後はこれを信じ、ただ使い、従わせるのみ!


「ふんっ!!」

 がっ、と、持ち手を変える。

 まず上顎を抑え、それから下顎を引き下げた。

 当然だが抵抗されるので、そこは気を使いながらではあったが。

 ……下手をすれば、頭部ごと破壊しかねない。

 それほどに、激しい攻防であった。

 ……見た目は地味かもしれないが。


 幸い、力勝負はこちらが勝った。

 すかさず、隙間から轡をねじ込み噛ませる。

 噛み切られない内に腕を引きぬき、背後に回った。

 後は……手綱が無くとも、口の先から出ている部分を掴めばいい。

 掴んで離さなければ、後は牛が疲れるまで待つだけだ。

 ただ、方向さえ気を使えばいい。

「とっ!」

 地面を蹴り、中空へ身を躍らせる。

 狙うはヤツの背中。

 首根っこにしがみつき、暴れ牛をどうにか落ち着かせようとする。

 後はひたすら根比べであった。



 認めたのか、それとも単に疲れ果てただけなのか。

 牛はその後、驚くほどに大人しくなった。

 あるいはあの轡に、何がしか恐怖を感じたのかもしれない。

 時間が過ぎるにつれ牛の体に震えが走る様になったのを、ハーキュリーズは感じ取っていた。


「しかし、どうにも解せませんな」

「ああ、あの牛?」

 鉄馬車の中、アポロ様と先の件について話し込む。

 もっとも、他に相手もいないので時間つぶしの方が意味合いとして大きいのだが、元々反省や考察と言った思考の運動は、試合後に必ず行う(ルーチン)のようなものだ。

 アポロ神は少々疲れたように膝を組み、頬づえをついて片目を瞑った。

「アレは元々、神が地に使わした精霊に近い存在なんだよ。ただいずれ海に……神の領域に返されるモノだった。その為に犠牲という方法を取る予定だったから、人でも簡単に殺せるように(・・・・・・)その力を封印していたのだけれど、契約がああいう形で台無しになっただろう?そのせいで、本来あるべき神牛としての本性が目覚めた……とでもいうのかな」

「なるほど。あれは封印されていたものが、解き放たれつつあったのですね」

「そういう事☆あそこで止めなかったなら……うん、クレータは壊滅していたかもしれないね☆」

「……天罰、という訳ですな」

「ま、結局君が止めちゃったから、そんな“罰”は無かった事になるけどねっ!……ある意味、恩赦ってとこかな☆」

「それは……何に対する?」

「そりゃもちろん、牛に子供が出来たからだよ!子の誕生は生命にとって何より喜ばしい事だろう?」

 ……毒なのか、素なのか。

 判断に迷う言葉では、あった。


 何ともいえぬ沈黙ののち、天秤宮へと戻る。

 天空には相変わらずの見事な月。

 不思議と……真夜中にも関わらず、疲労はともかく眠気が訪れる様子は無い。

 時間が……あるいは感覚が常と違うのであろうか?

 不思議に思いながらも、神殿の中へと入っていく。

「ハーキュリーズ、只今ここに」

 来た時同様長い階段を上り、その先にある謁見場にて帰参の報告を済ませた。

 今は淑女の姿をしている運命の女神が、豊満な胸の下で腕を組み、ひざまずくハーキュリーズを見下ろす。

「御苦労さまね、英雄さん。牡牛は海神の宮から眷属が引き取りに来ているわ」

「は、お預けしておきます」

 とはいえ、畜生を宮内に入れる訳に行かない事は最初から分かっていた。

 一時的な預かり先になっているアポロ神も、これで一安心だろう。

 しかし、ネプテュヌス神の試練の時を思い出すだに、すぐに出発とはいかないかもしれないな……。

 などと考え耽っていると、目の前の妖艶な美女が艶やかで妖しげな笑みを湛えたままこちらに近寄って来た。

「うふふっ、相手が神牛としての力を開放しつつあってなお、それを真正面から受け止め力づくで抑えるとは。さすがね」

「これが最初から魔物であったならば、話は違っていたでしょう。なによりアポロ神よりお借りした金の轡あってこそ、無傷で()いて来る事が出来たのです」


 限りなく本音であったのだが、何故であろう、女神は目を見張った。

「まあ、謙遜?どんな怪物が相手であっても、どうにかしてしまうのが“英雄(アナタ)”ではなくって?」

「……いえ、自分にはそのような事は……」

 どうもこの試練を始めてからこちら、取るに足らない人間の剣闘士である自分に対し、神々の評価がやたらと高すぎる気がする。

 英雄、神の血を引く者、そういった目で見られる事が非常にこそばゆい。

 纏う鎧も握る剣も確かに神によって鍛えられし逸物ではあるが、肝心の自分(中身)はそこまで……いわゆる人知を超えた力など、持っている自覚は無い、のだが……。

 けれどもし、生まれた時より選ばれし者としてこの様な接せられ方をしていたのならば、自尊の心に溺れ、奢っていたかもしれない。

 あのクレータの王が、かつてそうであった様に。


 再び考え事に没頭しかけたところで、女神が妙な事を言い出した。

「まあいいわ、ひとまずお風呂に行ってらっしゃい。今夜はここに泊まると良いでしょう」

 泊まる?そのような話は初耳であったが。

 てっきり12宮を休みなく踏破し続けるのが試練なのだと思っていたと、困惑しながら首をひねる。

「あの、ではユウェンタース殿は?」

 どうしているかと気にすれば、女神は肩をすくめてみせた。

「あの子なら、先に沐浴(おふろ)を済ませるように言ってあるわ。もちろん、1泊する事も伝えてあるし、何も問題ないわよね?」

 なるほど、では……。

 わずかに考え、確認をする。

「すでに全ての準備は整っていると?」

「ええ、もちろんよ。入浴を済ませたら部屋へ案内させるわ。そこで食事を取る様に、ちゃんと準備もしてあるの。だから今夜はこの宮で2人、熱い夜を過ごしていってね❤」

「…………」


 女神の言葉はともかく。

 そこまでされて、断るという選択肢は無かった。

 試練は残り半分。

 自分もそうだが、同行する女神ユウェンタースにも休息は必要であろう。

 ましてや、幼い身であるのならなおさらの事。

「お気づかいに感謝を」

「あらん、気にしないで。わらわが見たかった(・・・・・)、ただそれだけだ・か・ら」

 行ってらっしゃいと言い残し背を向ける運命神に、はて、そういえばアポロ神はどうなるのだろうと、今度は反対側に首をかしげた。







片角の折れたミノタウロス(パンツ一丁)「ええいっ、挑戦者(キン肉マ○)はまだかっ」

テっちゃん「英雄なら迷宮素通りしたってよ」(角折った犯人)

ミノ「何故だっ!?」

テっちゃん「牛のスルーされっぷりに草。ところで世の中の俺の扱い、鴎外並みにサイテー男評価なんだけど、どうにかならんもんかなー?」

ミノ「……主にそういう言動のせいだと思うが。あと女性関係」

テっちゃん「ぐはっwwwwwwイテテテテテテwwwwww」

生贄の子供達「バッファ○ーマン!」「あそんでー!」「ろんぐほーんやって!」

名匠「慣れ合い乙」

名匠の息子「親父ィ、ちょっくら湘南の風に吹かれて来るワ!」(サーフボード脇に抱えて)


今日も迷宮(ラビリントス)は平和です。(小並感)




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