第6宮 処女宮 意識の変革
突如として光を放ち始めた神剣を、呆然と見つめるハーキュリーズ。
好機であろう鳥までもが動かないのは、神の御技に恐れをなした故か。
光はやがて炎へと変わり、剣の姿までもを変えてゆく。
『こんな、こともっ、あろうかとッ!!(ビシッ)仕込んでおいたのだよ!往くがいい、“麗しの月加護弓”!!』
頭の中に直接響くは、ウルカヌス神の御声。
神託か、と素直に受け取るハーキュリーズに、ウルカヌス神が解説を続ける。
『いくら属性を強化したからといえど、やはり直接的な攻撃は届きにくいようだね。しかぁし!このわたしにかかれば届かぬ攻撃など無い!物理で殴っても効果が無いのならば、全て燃やしてしまえばよかろうなのだ!』
わっはっは、と哄笑が聞こえる。
事実、姿を変えた剣……弓へと変形したそれは、持つだけでもすさまじい力を感じるほど。
精緻な装飾を施された輝く金の美しい持ち手に、番えた矢の矢じりはまるで獣の血の如く赤い宝石でできていて、その石からは今にも炎が溢れんばかりとなっていた。
「遠慮なく、お借りいたしましょう!」
最早負ける要素など無いというその圧倒的な勝機に勇気づけられたハーキュリーズは、凄弓をギリリと握り弦を引き絞る。
彼の脳裏に『応!』と嬉しそうな神の御声が響いた。
鳥もこちらの状況に気付いたのだろう、降下する姿勢のようだ。
「この一撃で、決めるっ」
あるいは、この機会を逃せば次は難しい。
目の前に迫る鳥は、それを許すほど鈍重ではないからだ。
宝石が、弓自体が再び輝きを増し、瞬く間に近づいて来る鳥と目があったと思った瞬間――――――ふ、と力が抜けるように番えた弦を放す。
飛び出したは矢そのものでは無く、見事なまでに巨大な火球。
火球は鳥へとまっすぐ向かい、やがて包み込むかのように5方向に向かって炎の枝を伸ばす。
その様は、まさしく鳥籠の如し。
炎の檻に絡め捕られ、逃げ場をなくした鳥に成す術などなく。
しかしかの鳥は、それでもなお諦める事無く火籠に向かって体当たりを繰り返す。
「しぶとい……っ、いや……諦めないその瞳、鳥といえど天晴なり!」
炎の向こうに見える鳥の瞳は、しとめられた獲物のそれでなく、未だ強き光を放っている。
その瞳に、ハーキュリーズは強者の魂を感じ取ったのだ。
ひぃぃぃぃぃ!!
ひと際けたたましい叫びと共に、炎の鳥籠は突破されてしまう。
その姿はまるで、伝説に謳われる不死の炎鳥の如くといえよう。
しかしもう、ハーキュリーズには彼の者を捕らえる術を知ってしまっていたから。
「これを、使うべき時が来たようですね」
慌てることもなく、懐から最後の道具を取りだした。
『良く分かっているじゃないか。さあ、その自慢の剛腕でもって、彼のものを捉えよ!』
「承知ッ」
ウルカヌス神に命じられるがまま、ハーキュリーズは上空で向きを変えようとする鳥めがけ、最後の玉を投げつけた。
しゅ、と。
思った以上にそれは、小さな音だった。
音も無く空中で割れたその球に、こちらへ向かいかけていた鳥は反応できず吸い込まれてゆく。
やがて玉は再び閉じ、地上へと落下するのであった。
「おっと」
役目を終えたとばかり弓は剣へとその姿を戻し、ハーキュリーズは肩の力が抜けるのを感じながらも、落ちて来た玉を受け止める。
カチカチと蓋の色が点滅し、やがてブツンと途切れる。
確認し終えた時点で、再度ウルカヌス神より声がかかった。
『お疲れ様。どうやら無事捕獲に成功したようだね。さあ、それを持って馬車まで戻ってきたまえ。さっそく神殿に戻ろう』
「了解いたしました」
かたかた。
玉が揺れる。
「まだ諦めてないようだね」
「元気が良い事です」
客車の中、妙に暴れる鳥を封じた玉を見ながらのんびりと話すハーキュリーズとウルカヌス。
しかし「元気が良い」と評したハーキュリーズに対し、ウルカヌス神はきょとんとした顔になった。
「いやこれ、呪われてるよ?」
「えっ?」
「ええっ!?」
その言葉には、言われたハーキュリーズだけでは無く、隣で見聞きしていたユウェンタースまでもが驚いた。
「どういうこと、ですの……?」
一転して表情の曇ったユウェンタースに、ウルカヌスは少しだけ苦笑する。
他に感情を易く入れ込む彼女に対し、らしいと思いつつも神としては『だからこそ生き辛いのだろうな』などと思ったからだ。
「恐らくは、誓約の一種でしょう。誓いを立て、不利な条件を約する事によって自身の持つ潜在的な力を最大限引き出す……そういう者もいるという話は聞いた事があります。まさか、これがそうとは思いもよりませんでしたが」
不憫なものを見る目で、玉を見つめるハーキュリーズ。
彼にとっては、そこまでして力を追い求める気持ちが分からないのだろう。
最初から人知を超えた神の力を持ち合わせていた、彼には。
「生まれ持った力……彼の鋼の肉体は、ありふれた生物としての性質をはるかに凌駕し、本来あるべき鳥という種からさえも孤立させただろう。同種同族に理解を求める事無くあえてさらに力を追い求めたのは、それだけ彼が意地っ張りだったという証拠なんだろうね。誰に対しても、絶対負けたくないという強い意思……矜持の表れだと、わたしなどは思ってしまうのだが」
「いじっぱり、ですか?」
思い当たる節が無いのか、それともピンとこないだけなのか。
首を傾げる妹に、兄は優しく微笑んだ。
「与えられた条件の上で精一杯あがこうとする姿は、誰かに似ていると思わないかい?」
「……あ」
そうして彼女は、今度こそ目を見開いたのだった。
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「見てたよ」
神殿に帰れば、メルクリウス様は相変わらず不機嫌そうなお顔で、腕を組んでらっしゃいました。
まるで、この先へは進ませまいとするかのように。
「ったく、まさかアンタが手助けするとはね」
「するな、とは言われなかったからね」
「……チェッ」
舌打ちし、そっぽを向かれるメルクリウス様は、戻ってから一度だって頑なにわたくしやハーキュリーズ様と目を合わせようとなさいませんでした。
「どうせこれも“主神と運命の女神の掌の上”だっていうんだろ?全く反吐が出るよ。だからボクはあのババ―――」
「あんまり酷い事言うと、天罰下るから止めた方が良いと思うよー」
アポロ神がため息交じりにそうおっしゃいますと、ぐっと詰まられたようでした。
まあその……“運命の女神”のお歳については、なんとなくこう、口外してはならないという一種暗黙の掟のようなものがありますからね……。
口に出した者には、恐ろしい制裁が加えられるとか何とか。
……本当かどうかまでは知りませんが。
「……もういいよ、分かったよ。こっちから言う事なんて無いんだし、先に行けば?けどね、忘れない事だね。ボクが出した試練に成功したって喜んでいるかもしれないけどさ、この後、第2第3のボクが――――――」
仰る事は相変わらずの様ですが、そのお言葉にはあまり力がこめられていませんでした。
神殿を出る前、あれほど食ってかかっていたのが嘘のようです。
どことなくお疲れの様なお顔をされてらっしゃいますし、これは本当に早々に辞去した方が良いのかもしれません。
ですが。
「メリクリウス様。失礼ながら先のお約束、まだ果たされておりません」
押しとどめたのは、ハーキュリーズ様でした。
「ハァ?知らないよ、そんなの。お前が勝手に決めた事だろ」
「神ともあろう方が、たかが人間の言をないがしろにされるのですか?大神の使者たる貴方が」
「だーからっ、ないがしろにするもなにも、そっちが勝手に―――」
「よいのです、ハーキュリーズ様」
きっぱりと、はっきりと。
あえて割り込む形で、わたくしは口を開きました。
「ユウェンタース殿」
「な、なんだよお前」
この神殿に来たばかりの時と違うわたくしの様子に、どちらも驚いてらっしゃるようです。
そうですね、あの時とはまるで違う感情が、わたくしの中で渦巻いているのですから。
きちんと吐き出すべく、意識して口を開きます。
「確かにわたくしは、許されない事をしました。己の身勝手な行動によって、多くの方々にご迷惑をおかけした事、忘れてはならないのも存じております」
「そうだよ、だから――――――」
「ええ、ですから」
言わせる前に。また呑まれる前に。
わたくしは、自分の意思を示さねばならないと。
強くそう思ったのです。
「わたくしは、前に進まねばなりません。何があっても、です」
もう1度、メルクリウス様が目を見開きました。
ですがこれは、貴方がおっしゃった事でもあるのですよ。
「確かに、わたくし甘えておりました。言われて、その意味を考える事も無く、ただそう言われた事だけが悲しいと。……それではいけなかったのに」
場は、しんと静まり返っています。
誰も何も言わない事が、方々の優しさなのでしょう。
……今だけはそれに、甘えてしまってもよいでしょうか。
「ですからわたくし、意地を張ろうと思うのです」
「……は?」
今度は、ぽかん、とされてしまいました。
少し言い方がおかしかったでしょうか?
貴方を見習いたいと、そう言えばよかったのでしょうか。
「甘えているとか、泣いてばかりいるとか。そういうのではなく『頑張っている』と、そう言われたいなと思ったのです。……他でもない貴方に」
わたくしは、きちんと笑みを浮かべているでしょうか。
ただただ対等に、話がしたいのです。
謝って、謝られて、そしていつかの日にはわだかまりなく話が出来たら、と。
ハーキュリーズ様のように剣を取って闘いを挑む訳ではありませんが、きっとこれがわたくしの……わたくしなりの宣戦布告、なのでしょう。
「少しずつでも前を向いて、大切なもの、守りたい者の為に立ちあがって戦えるような、そんな“大人”になりたいのです」
言われるがまま受け入れ、ただ見ているしかできない、何もできないと嘆くだけの自分ではいられない……いたくないのです。
もしかしたらそれでまた、方々にご迷惑をおかけする事になってしまうのかもしれません。
あるいはまた、わたくしが“大人になる事”を問題視する動きが出るやも分かりません。
ですがそれでも、あの時ハーキュリーズ様と出会った事も、好意を抱いてしまった事も、間違った事だと思いたくないのです。
全てを諦めるには早いと、まだ諦めたくないと、そう踏ん張る事は……やはり許されませんでしょうか?
……いいえ、きっと違う。そうではないのです。
しっかりと、メルクリウス様と目を合わせました。
いじっぱりなのも、悪い事ではないのだと。違いますか?
彼の方のお言葉まで真似るつもりはありませんが、そのお心には見習うべきところがあるのだと……ねえ、お兄さま?
メルクリウス様も、お寂しい心を埋めようと必死でらっしゃるのだと、わたくしと何も変わらないのだと。そうですわよね?
視線をお兄さまの方へ向ければ、優しい頬笑みが返ってまいりました。
それをどう捉えたか……。
「ちょっと!?もしかして何か変な事言ったの!?冗談じゃないよ、何て言ったんだよ白状しろ!この性格悪い炎系神様!」
突然メルクリウス様が怒りだしてしまったのです。
「いやちょっとね、君の“本心”について少々」
「はあ!?」
「君の言葉は勢いだけで吐かれた、内容の無い嘘だってね。逆に取るくらいでちょうどいいんだよ~☆って」
「本心だし!心の底から本心だし!!ってかさ、嫌がらせだろそれ!?そもそもいじめられるような事言う方が悪いのに、そうやって大人が干渉してくるとかホントありえない!大人げないって言葉の意味知ってる!?」
「はっはっは」
「あっはっはー☆」
「くっそー!ムカツク!!ムカツクムカツクッ!!」
詰め寄るメリクリウス様から視線をそらしつつも、すすす~と避けて行くウルカヌスお兄さまとアポロ様。
こうして見ると、いい様に翻弄されてらっしゃるみたいです。
なるほど、このようなお付き合いの距離感が良いのですね、と思うものの、どこか少しだけ可哀想になってしまう気もするのですが。
大人げないというそのお言葉、わたくしも全面的に同意いたしますわ、メリクリウス様。
「ユウェンタース殿」
お3方のご様子をじっと見てらしたハーキュリーズ様は、やおらこちらに向き直り、わたくしの名を呼びました。
「よろしいのですね」
「ええ」
何を、とも何が、とも言いませんでしたが、分かってしまいましたから。
「あの方の仰る事、嘘でも間違いでもございませんから。……どれほど嘆こうとも、過去は変える事ができません。知っていたはずなのに、わたくしはそれを“思う事”をしてこなかったような気がいたします。……ですから、せめて今からでも」
良い方に、変える努力を。
間違っても、やり直せると信じて。
……いえ、やり直す、ではありませんわね。
見極めなければ。
手に入れられるもの、手に入らないもの。諦めるべきもの、諦めてはいけないもの。
どうしてそうなってしまったのか、という事についてもです。
神だから、運命だからと言って、嘆くだけではダメなのだと知りました。
ならば、考えるべき事はきっと多い筈。しなければならぬ事も。
………それがきっと、大人になる、その道を辿る、という事なのだと。
「過去にとらわれ、歩みを止める事こそが愚かなことなのだと、わたくし教えられた気がいたしますの」
「そう……ですね」
ハーキュリーズ様。
貴方の心につけた傷も、勝手に消してしまった傷も、いつかお返しする時が来るのかもしれません。
メルクリウス様がなさろうとしたように。
その時が来たらわたくしは、許しを乞う事無く、全てを受け入れようと思います。
貴方の憎しみも、恨みも。
ですからせめてそれまでは――――――わたくしの事、守って下さいませね?
「ああもう、ラチあかないんだから!ただでさえ体力無くなっているっていうのに、余計疲れるばっかりじゃんか!もういい!どうせボクの役目はこれで終わりだし、後はぜーんぶ寝て過ごさせてもらうから!今から休暇だよッ、休暇!やってられるかっての!!」
騒ぎ疲れてしまったのか、メルクリウス様は身をひるがえして神殿の奥へと行ってしまわれました。
「あれ絶対不貞寝だね☆」
「不貞寝不貞寝」
お兄さま達ったら、まだからかうおつもりですの?
「ご挨拶、し損ねてしまいました」
「今から追われますか?」
困ってしまったわたくしたちでしたが、それを見たお兄さま達は苦笑なさいます。
「今行ったって、どうせ追い返されるだけさー☆それよりほら、先を急ごう!」
「神殿の外までは、わたしも共に行こう。後半分、がんばりたまえ」
怒らせた張本人たちが何を、とも思いましたが、背を押されるように神殿の外へと出ます。
「今度はもう少し、きちんとお話しできると良いですね」
「今の貴女様ならば、できましょう」
「そうだと良いのですが」
少しだけ先の未来に思いをはせつつ、わたくしたちはふたたび鉄馬車に乗り込んだのでした。
ボールはストレートに例の小袋(違)魔物から。
少年ハーキュリーズ「剣闘士マスターに、俺はなるッ!!」
凄い弓は、某狩りゲーの強力な拡散火属性弓から連想ゲーム的に。
ユウェンタース「愛と!」
ちびハーキュ「勇気と!」
メルクリウス「希望の名のもとに!」
ウルカヌス「やっぱりウチのユウェが一番かわいい」
パンドラ人形「魔法少女に適した年代ってあると思うわ。どこかの年増みたいに肉体美前面に出してても、ケバさがそれを台無しにする例だってあるんだし。みんな分かってないわよねー」
ウルカヌス「ねー」
ヴィーナス「弁護士立てて争っても離婚できないこの理不尽、どこにぶつけたら……ッッ」
アポロ「(じつはこれでラブラブだとか言えない……)」
なお捕獲された鳥さんは、研修に来ていた極東の地獄補佐官殿に気に入られお持ち帰りされた模様。
今では楽しく(亡者をついばむ)お仕事しているそうです。




