第6宮 処女宮 開幕
今回試練担当神がかなりキレてる上、その影響でユウェちゃんが過度に自分を低く見ている傾向があります。
胸糞~等々思われるかもしれませんが、ご了承いただければと。
「ただいま戻りました」
「やあ、待っていたよ」
「これは……お久しぶりにございます、ウルカヌス様。アポロ様のお言葉に甘え清めの湯を頂いて来たのですが、お待たせする事になってしまい誠に申し訳ありません」
「いやいや、むしろちょうどよかったよ。本来なら、こちらが待たせていた側だったろうからね」
「しかし……」
言葉に甘えると言ってはおりますが、あれは確実にアポロさまに押し切られる形でしたわ。
ともあれ入浴を済ませたハーキュリーズ様がお戻りになられたのは、連絡があったお兄様が宣言通り合流なさったすぐ後の事でした。
「大丈夫ですわ。本当にちょうどのお時間でしたから」
「ならばよいのですが。しかし、ユウェンタース殿もお待たせしてしまった事に変わりなく……」
「それこそ、お気になさる必要ございませんのよ。むしろ気がきかなくて、こちらの方が申し訳ないくらいですわ」
ああして出て来てしまった以上戻りにくい雰囲気と言うのも分かりますが、それでも気分を切り替えるのにはちょうどよかったのだと思います。
「ハーキュリーズ様のお顔、さっぱりした表情になっておいでですもの。ただ水で洗い流したのと、きちんと入浴するのではやはり違いますでしょう?ですから、これでよかったのですわ」
「は、そう言って頂けるとありがたく。不肖ハーキュリーズ、これからも御身の為に誠心誠意尽くしたく……」
「はいはーい、もうそろそろ良いかな?」
あ、あら。
わたくしったらつい。
こっそり上を見上げますと、ハーキュリーズ様も何やらバツの悪そうな困った顔をされておりましたけれど。
ああ……それにしても、お時間を気にされたのかまだ乾き切っていない御髪に、うっすら上気した頬のハーキュリーズ様というのも……これはこれで……。こ、こほんこほんっ!
……そんな場合ではないと分かっていても、どこかうっとりしてしまいますわ。
『ドア、しまりま~す』
アポロ様が独特の口上を述べ次の宮へと出発いたしますと、お兄様が今までの事についてどうであったか聞いてまいりました。
とはいえ……。
「あ、うん、それなら聞いてるからいーや」
どうやら第2試練での騒ぎについては、やはりバックス神からお聞きしていたご様子。
……若干目がお亡くなりになっているのが気になりますが。
ともあれその後の第3試練でハーキュリーズ様のお師匠様がお亡くなりになった事、第4試練ではディアナさまが“あんな事”になっていた事……こちらはアポロ様が遠い目をされていましたが。
そして先ほどの第5試練について。
「……もうさ、自由すぎだろ全員」
お腹を抱えていたかと思えば、逆に頭を抱え出したりして。
反応忙しいですわね、呆れてしまいますわ。
といいますかそれ、しょっぱなから飛ばしまくっていたお兄様に言われたくない気がします。
親戚一同似た者同士、なのでしょうか。……あら、そうなるとわたくしも?
……深く考えるのは止めておく事にしましょう。
「ん、ま、叔父上がそうおっしゃるなら“そう”なんだろうなあ……」
今のつぶやきは、今後の事についてでしょうか。
次の宮からは甘くないぞと、釘を刺されたも同然でしたものね。
「とはいえ、何が試練になるのかまではさすがに分からないし、わたしが同行する事で嫌がらせの様に試練内容が変わってしまっても困るからな……。ふむ、とりあえず何が来ても良いように準備はしておくから、まずは2人で………いや、君たち2人だけだと不安か。なら、アポロ君も連れて行くといい」
それほどまで、ですか?
もしや、強大な敵と戦わなければならないとか?
わたくしはきっと、困惑の表情を浮かべていたでしょう。
「自分だけでは、頼り無いと?」
お隣で眉根を寄せられたハーキュリーズ様に、お兄様は慌てたように手を横に振ります。
「違う違うそうじゃなくって。……相手がね、きっとすごく不機嫌になるっていうか、怒り出すと思うんだ。最悪話にすらならないかもしれないから、緩衝材になって話を先に進められる者が必要だろうと思ってね」
そう言ってお兄様は困ったように溜息を吐き、どこか悲しげな笑みを浮かべました。
「遅いよ!まったく、このボクを待たせるとは良い御身分だね!」
突然言い放たれた声に、わたくしの足が思わず止まります。
天の頂にいた頃より、何度も叱り飛ばされてきたこの声……。
いつだって正論で論破し、わたくしが取るに足らない役立たずだと思い知らせ惨めな気持ちにさせてくる、この声の主は……。
理解すると同時に胸が痛くなって、思わずギュッと両の手を胸元で握りしめてしまいます。
処女宮に到着し、お兄様のお言葉通り2柱と1名で門をくぐると、そこで腕を組みイライラしたご様子でお待ちしていたのは――――――
「ああ、ここの担当は君だったのかい。メルクリウス」
銀髪の髪を首筋でバッサリと切り落とした髪形に、鋭く光る瞳で見る者に鋭利な印象を持たせる少年神は、アポロ様の挨拶と呼べぬ様なごく軽い確認に対し盛大に……そう、盛大に噛みついたのでした。
「勝手に名前を呼んでいいなんて、ひとっ言だって許可した覚えは無いね!ついでに本来ならここの担当はユピテル神だけど、例によって多忙を理由にバックレやがったのでこのボクに担当が回って来たって訳だ。本当に迷惑だよ!!」
「なんと……」
「その、それは……」
「何も言えないだろ、合わせる顔も無いだろ。当然だね!これで嬉しいとか嫌だとか言ったら、お前の事ぶん殴ってやる!」
恨まれるだけの自覚はありました。
憎まれているという自覚もありました。
けれど、こうまではっきりと――――――暴力に訴えてでも知らしめてやるぞとまで宣言された事は、これまでありませんでした。
強い口調に思わず怯えるわたくしに詰り迫って来るその顔色は、とうてい健康的には見えません。
白磁を通り越して青ざめた肌。
目の周りには、真っ黒い隈が幾重にも重なっているように見えます。
以前からお疲れだと繰り返す様にご本人おっしゃっていましたが、ここまで酷い顔色なのはさすがに見た事がありませんでした。
「……ふー、これは……うん(心配が当たったかなー……)」
「聞こえてんだけど?」
「いや何、大した事ではないさ」
「だったらその口閉じててくんない?3バカのうちの1柱」
3バカ、とおっしゃるのはアレでしょうか……偶像。
……常より少々お口が過ぎるようにも思いますが、間違いなくこの方こそ……大神ユピテルの伝令役、数多の事象を守護する神、メルクリウス神その方です。
ただ……非常に残念ながら本日はその……音に聞く『対外仕様』ではございませんのね……。
一応、関係者以外の方もいらっしゃるのですが。
これでも普段は人あたりが良い神なのだと、大層評判がよいとも聞きます。
わたくしは、一度も優しくしていただいた覚えがありませんけれども……。
大抵、一方的に罵られて終わってしまうものですから……。
「大体さ、なんでボクが、このボクがわざわざお前なんかの尻拭いをしなきゃいけないってのさ」
あ、う、その。
「……それは、申し訳ないと言いますか」
「口だけなら何とでもいえるよな、甘やかされたお嬢様神のクセに!そんで?泣けば後は周りが何とかしてくれるってか。あいにくお前のお父様は忙しいから無理だって!くっそざまあ!だいたい、会えばいっつもいっつも「お父さまが~、お父さまが~」って。それしか言えないの?バカなの?ボクが目の前にいて馬鹿にしてるとか思わないの?思わないからそういう事言うんだよな!頭お花畑の幼稚女神!ああそういやお前、いっつも花畑にいたっけね。居すぎて頭ん中にも花咲いちゃったんだ!うっわ、かわいそう!っていうかさ『お前のお父様』は『お前だけのお父様』じゃないし、こいつだってお前だけの為の英雄じゃないんだよ!いい加減わきまえろよ!んで、ボクの仕事これ以上増やすな!」
「も、申し訳ありません……」
畳みかけられるように責められ、それが間違っていないだけに恥ずかしすぎて頭を上げる事ができません。
うう、わたくしったら本当に、いつもいつも自分の事しか考えていなかったのですね。
自覚しているだけに、穴があったら掘りたいです。そしてその中に永遠に埋まっていたい……。
もういっそ、本当にそうしていた方が世の為になるのではないかとさえ思えるほどです。
あのでも、言い訳を許していただけるのでしたら……なのですが、メルクリウス様とお話しする時の大半がお父様からご伝言をお受けする時だったので、自然と話題がそうなると言いますか……。
それに普段めったにお会いできませんから、せめてその時くらいはお父様がどうなさっているのかお話をお聞きしたいと思っておりましたし……。
その、メルクリウス様、わたくしよりもよほど多くのお時間をお父様と共に過ごされておりますでしょう?
子供の頃など特にそれが羨ましくもありましたから、思いが現れてしまっていたのでしょうか……。
「今回の事にしたってさあ、お前のドジとその変な思い込みからじゃないか。言っとくけど、愛されてないとか自虐するのは自由だけどさ、そんなのお前だけじゃないんだからな!」
え?
それは、どういう?
このような事態に陥ったのはメルクリウス様がおっしゃる通り、わたくしの失敗が目に余ったが故のお役目はく奪とその懲罰の為、知らぬ方に嫁げと命じられたが故のはず。
どうしても納得できず『こうでなければ』と強く願ったからこそ、現状があるのだと理解しておりましたが。
父は……与えられた役も満足にこなせないからと、厳しい罰を与えられたのではないのですか?
情の無い沙汰と、嘆いていたのは間違いであると。そうおっしゃるのですか?
そんな愛が無いという事実は世にありふれた事象でしかなく、当然であって嘆くに値しないと。
そんな事で嘆くわたくしは、神として生き物として軟弱で駄弱であると、そう。
メルクリウス様は呆然としたわたくしを見て、不快な物を見るかのように鼻を鳴らしました。
「お前だけが愛されてないんじゃないんだよ。そんなのは、この世の中ゴロゴロいるんだ。“お前の父親”が産ませた子が、この世の中どんだけいるか分かってる?そいつらのどれだけが、父親に愛されてるっていうんだ。絶対理解して無いだろう。あのさ、こっちはむしろ運命捻じ曲げられて迷惑してるんだよ?そこの“そいつ”だって、お前らのせいで……!」
「あのさ、もうそこら辺までにしておきなよ。聞くに堪えない暴言は、そろそろ止めにしないかい?」
「暴言?こんな暴言に入るもんか!意見だよ、意見!大体アポロだって母親に無体されたクチだろ?人の事言えるもんか!」
「わたしはいいんだよ。もうそういうものだと納得しているからね」
「ハッ、良い子ちゃんブリやがって!あーあー、お前は良いよなー、太陽引いていれば良いだけだもんなー!」
「今、それは関係ないだろう。神の持つ役目がどれも世にとって無くてはならないものなのは皆同じで」
「だっから、そういう良い子ちゃんの発言は、お前だけの持論にしとけっつってんだろ!ボクにまで押しつけるな!」
いつの間にか、メルクリウス様とアポロ様が言い合いになってらっしゃいます。
そうでした、アポロ様と同様、メルクリウス様もまたわたくしの兄弟神。
片方だけ血の繋がった―――
ああ、そうです。ならばきっと、ハーキュリーズ様だってご迷惑を―――
「うっざ。……ったくさあ、美化した父親に「愛されない」っていつまでもうじうじメソメソと泣くだけのヤツが、なんで機会をあたえられるんだよ。愛されてないなんて……こんなの絶対嘘だろ。エコヒイキだっつの」
え、今、何と?
あのお父様は誰に対しても情など無かったと、メルクリウス様もハーキュリーズ様もそのせいで迷惑を被ったのだと。
どこかで感じていて、でも改めてはっきりと聞かされ愕然とするわたくしに向かって、メルクリウス様はまた何事かおっしゃいましたが、あまりにぐるぐると考え込んでしまっていたので聞き逃してしまいました。
ですから思わず問い返してしまったのですが、逆にそれは彼の方の心情を逆なでしてしまったようでした。
「甘やかされ小娘のせいで、こっちは良い迷惑だって言ったんだよ!!」
「も、申し訳……」
「そればっかり!もういいよ!うっとおしい!」
「……ったく、毎度毎度思うけど、まともに役目もこなせないどころか余計な仕事増やすしか出来ないとか、本当にあの主神の娘?こっちの仕事増える一方なんだけど、そこらへん分かってるの?」
「その、口をきく事をお許しいただければ、差し出がましいとは存じますが何卒お怒りをお納めしていただきたく」
ハーキュリーズ様が、見かねたのでしょう庇ってくださいましたが、こちらも逆効果だったようです。
「黙ってくれないかな、半神風情が!まったくさ、神だの英雄だのに守られてて良い御身分だね、お嬢様神!こんなヤツ、守る価値なんて無いよ!」
余計にイライラされてしまいます。
この件に関しましては、ネプテュヌス叔父様のところで自覚したばかりなので、もう「その通りです」としか言いようがありません。
何も言えず黙り込んでしまったら、アポロ様が溜息がちに話を進めるよう申し出て下さいました。
「そういう君は、文句を言いたいだけでここまで来たのかい?」
「んなわけないだろ、このアッパラ太陽神。おかげさまで、その大事な大事なお役目をほっぽり出してでもこなさなきゃいけない……しかもちょっと試練与えるだけの簡単な……ほんと時間の無駄の極地みたいなお役目が回って来ててね。誰かさんのせいで!!」
ですからその、申し訳ありません……と。
怒りがあまりにも恐ろしく、謝罪すら言い出せないままわたくしはただただ俯くしかできません。
彼の方の仰りたい事は……もうその通りでしかありませんから、わたくしから言える事は何ひとつありませんし、許されるものでもないのでしょう。
ですが、今は試練のただ中。
お兄様のお言葉に従い、アポロ神に一緒に来ていただいたのは正解だったかもしれません。
「……はあ、もういいよ。試練内容は『ステュムパーリデスの鳥』を討伐する事。生死は問わない。以上!」
わたくしたちは、困惑した顔を見合せます。
だってその、『ステュムパーリデスの鳥』とやらがどんな鳥か、討伐と言うからには恐らく……なのでしょうが、それにしたって情報が少なすぎますもの。
けれどメルクリウス様は、それ以上何もおっしゃるつもりが無いようで。
「……何ぼーっとしてんのさ。とっとと行けば?」
しっしっ、と手を振り、そっぽを向かれたまま。
「行こうか」
どこか諦めた口調のアポロ様にうながされ、わたくしたちは追い出されるように馬車へと向かいました。
神殿の扉を開く際、ふとハーキュリーズ様が後ろを振り返ります。
わたくしも、思わずつられるように後ろを見ました。
「いかな試練であれ、受けたからには完遂して見せましょう。許されるならその時は、こちら―――ユウェンタース殿への暴言、撤回していただきたいのです。この方は……ユウェンタース殿は、まこと守るにふさわしい、慈悲深くお優しい方。決して、何も考えぬお子の様な方ではありませぬ」
「何を―――良いのです、ハーキュリーズ様!わたくしは―――だってその通りですもの!!」
間違いなどでは無いのだと、言われて当然なのだと、そう訂正しようとした時でした。
「ふは、はハハッ、アハハハハハハハハハッ」
哄笑。まさにそう呼ぶにふさわしい笑い方でした。
そうして、メルクリウス様は常であれば端整と評されるであろうお顔を歪め、言い捨てました。
「ボクはお前も嫌いだよ、ハーキュリーズ。何も知らない癖に、こんなヤツかばう必要なんて無いのにさ。あーあ、良い事教えてやろうかと思ったけど、やっぱやーめた!……いつか真実を知った時、思いっきり絶望するがいいよ。ま、もっともその前に?死んじゃうかもしれないけどね!言うだけならタダって言うし、やれるもんならやってみれば?絶対無理だけどな!アハハ!……っていうか、お前なんかズタズタに切り裂かれて死んでしまえばいい!」
……それはまるで、恐ろしい予言のようにわたくしには聞こえたのでした。
なんで“アレ”が“ああ”なっちゃったかは、次回ウルカヌスお兄様にご説明いただく予定。
お、おかっぱでツンデレだって最後まで生き残って成長見せた例もあるっていうし!(恐らく稀な例)




