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ある女神のあやまち

 それは、とある幼き女神の嘆きが発端であった。



 遥か太古、神話の時代。

 かつて雲より高き天の頂に、とある神々が集い住んでいた。

 彼らは大神を頂点として従い、その身に連なり宿る血筋を何よりも貴きものであると定め、誇り高き強き絆で結ばれていた。


 しかし実際のところ、その血がもたらすものは恩恵のみとは限らなかった。

 なにしろこの御柱たる大神、女好きで有名だったのだ。

 寵を受けた女の数は、人神問わず数しれず。

 自覚のないままに子を孕み、神託によりそれが神の子だと知る事例も数多くあったのだから。

 

 幼き女神は、そんな誉れ高き(しかし節操が無いとよく言われる)大神と、その妻女神の子として生まれた。

 正しき妻とも称されるその御方。

 御柱たる大神とその正妻神との間に生れし4柱の兄妹は、しかしいずれも尊ばれるはずの至高の血を受け継ぎながら、神としての力は世に散った父神の血を受ける他の子らに及ばず、母子は幾分か肩身の狭い思いをしていた。

 だが父である大神は家内の事など顧みず、1人、また1人と子を増やし、母女神はそのたびに涙するのであった。


 兄達たる若神2柱は男神ゆえか慣れたものだが、母を案じる姉女神だけは、父神を見るたびいつも父神に怒りをぶつけ、それゆえ家の雰囲気はぎくしゃくしたものとなっており、幼き末の女神はそれに耐えられず外へと逃げ出すのが常であった。

 逃げ出す先は、決まって雲の花園。

 ふわふわとした雲はいつも、小さな彼女をあっという間に隠してしまう。

 ここならば、親と兄姉の言い争いも、なにより、もの言いたげな他神の視線も、感じずに済むからだ。


 そんな風に、いつもの様に逃げ出したある日の事。

 末の女神は、大好きな子犬の霊と花園で遊ぶ内、ふとした拍子に天の裂け目から落ちてしまう。

 落ちた先の地上で目を回した彼女を見つけたのは、1人の少年。

 たった1度の邂逅。

 たった1度の逢瀬。

 しかし彼女は天に帰ってもそのことを忘れず、落ちた雲の隙間から、ずっと彼の事を見守り続けた。

 大人の神が誰も知らない、幼い女神の小さな秘密。

 それがやがて、どんな悲劇をもたらすかもわからずに。


 末の女神が見守る中、少年は歳を重ね、やがて恋を知り大人になった。

 愛する娘と結ばれ、愛しい妻との間に子が出来た頃、とんでもない事実が発覚する。

 なんと彼は大神の血を受けた子であり、やがて英雄になるべき存在なのだと。


 人生の中でも最も幸福に満ち輝いていた彼の運命は、事実を知った正妻神の嫉妬により無残にも打ち砕かれることとなる。

 妻女神の呪い。それは人としての理性を失い、受けたる神の力そのままに荒れ狂うということ。

 しかも彼の受けた血は、頂を統べる大神の血。

 訳も分からないままに周囲を破壊しつくし、あれほどに深く愛した妻と子を惨殺し、やがて正気を取り戻した彼は絶望する。

 彼は狂っていた間の出来事を、すべて覚えていたのだ。


 末の女神は、ただその様を見ている事しかできなかった。

 末の女神が、地上に干渉する権限を持たなかったが故。

 しかしあまりに深い絶望に、彼女は禁を犯し、ついに地上へと降り立つ。


「貴女は……一体……」

 かつてお互い出会った場所で、再び邂逅した2人。

「これを……」

 末の女神はそれに触れず、泣きそうな顔に小さく笑みを浮かべたまま、そっと杯を差し出した。

「……これは……かたじけない」

 男はいぶかしみながらも、それほどまでに自分はひどい有様であったのかと、見知らぬ娘にまで気遣わせるほどひどい状況だったのかと反省し、杯を有り難く頂戴した。

 ―――くらり。

 眩暈とともにうずくまる男。

「何、を……」

 くらくらする頭を抱え、視線をさまよわせる男。

 その視界にはもう、娘の、末の女神の姿は映らない。

「忘れてしまいなさい――――――すべて、忘れてしまえばいいのです」

 末の女神が差し出したのは、天の頂から流れ出し、冥界に注ぎ込む忘却の川の清水。

 そうして彼は、自分が何を忘れたのかも忘れ、“妻と子を殺した犯人”を捜す、復讐の旅に出る――――――



 一方、末の女神は困っていた。

 男に忘れ川の水を飲ませてから此方、溜息が止まらないのだ。

 集中力にも欠け、ぼんやりとした日々を重ねていた。

 せっかく父神より大切な役目を貰ったというのに、その役目もおろそかになりがちで、ついに彼女は大きな失敗をしてしまう。


 神々の宴会という衆人環境の中、大神の娘であり血筋だけならば高貴な末の女神が、神酒を配するというこの宴の中で最も重要な役のさなか、無様にもつまずき転ぶ。


 それはささやかながら、取り返しのつかない大失態であったのだ。


 失態と責められたゆえん。

 恥を晒して、父である尊き大神の名を汚したのもそう。

 だが本当のところ、彼女が彼女である限り、持ってはいけない感情を持ったことが原因であったのだ。


 末の女神の司る事象は『永遠』

 ―――永遠の若さ。不老不死。

 それはこの世を統べる神々にとって、決して失われてはならない大切なもの。

 他者に『不老不死』を分け与える『永遠の乙女(やくめ)』の末の女神が『恋』を知って『大人になる』

 それすなわち、神々にとっての永遠性が失われたと同義。

 降って湧いた死活問題。

 父神である大神は、この先どうすべきかと運命の女神のもとを訪れた。


 運命の糸は交差し、女神は告げる――――――


 いまだ時はある―――

 望みを繋ぐ糸は地上に――――――

 末の女神の任を解き、人の子の下に嫁がせよ――――――


 と。


 話を聞いた末の女神も、これにはさすがに反発した。

 普段より温厚な彼女が、顔も見たことのない人間の男に下賜されるなど、どれほどの大罪神扱いであるのか、と激高したのである。

 しかし、それでもなお父である主神から下る命は、無情にも絶対であった。


 あまりの嘆きに家族の誰もが言葉を失い、一晩中悲しんだ。

 そして翌朝家族が彼女の部屋を訪れ見たものは――――――末の女神の変わり果てた姿。








 神としての力を無くし、顔を真っ赤にして泣きじゃくる末の女神の、文字どおり幼くなった姿だったのだ。


 




 頂に住まう神々は皆恐怖した。

 他の神々に不老不死が与えられない、神としてはあってはならない『老化』が間違いなく始まるという危機的状況を意味していたからだ。

 神酒を配するだけならば、いくらでも代役を立てられよう。

 大神が祝福すれば良いだけの事。

 しかし、それもいずれは尽きてしまう。

 なぜなら永遠を司る女神の力なくば、神々に永遠の力を与える神の酒は、その効力を発揮しないのだから。


 状況を知り事態を重く見た父大神が、再び運命の女神のもとへ走ったのはいうまでもなかった。






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