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あれから数日間、移動の準備やら手続きやらでバタバタしてしまい、なかなかマドラル隊長方と顔をあわせることができなかった。
そのため、やっと空軍隊隊長室へ出向いたとき、ラファージュ副隊長はいらっしゃらなかった。
「《北の森》へ調査に行ってるのよ」
「《北の森》……って入れないんじゃ……」
「一般人はそりゃな」
横から入ってきたジルダがオーギュスタの側を通り過ぎ私の前までやって来た。その周囲には何枚かの紙がふよふよ浮いている。
「精霊怒らせたらやべーだろ。……なに?」
説明してくれてるジルダには申し訳ないけど、さっきからそれらが気になっちゃって仕方がない。
すると、私の視線の先に彼が「あぁ」と肩をすくめた。
「ルイーズが来てから隊長が書類整理はじめたから、俺もと思って」
いえ、そうではなく。
「あの、なぜ書類が浮いてるのですか……?」
なんだか質問の内容が馬鹿みたいで、言ってから少し赤くなった。
けれど、ジルダは気にかけることなくその内の一枚を取りながら一言。
「ぜんぶ精霊」
なるほど。
精霊は人だけじゃなく物も飛ばしてくれるのね。すごく便利……とかって、言ってはいけないのかしら?
「俺のやったやつ見てくれよ、ルイーズ」
差し出されたのは軍の経費報告書。
並ぶ数字は意外にも綺麗で、そしてーー、
「すごい。ここの計算、全部合ってるわ」
「へへー。俺こーゆーのは得意なんだよな」
自慢気に笑うジルダに、けれどもあら、と思う。
「では、なぜ今までやらなかったのですか?」
ロッド少将がおっしゃってたのはこのような会計も含まれていた。
ジルダがいたのなら、毎回それだけは正確なものが送られてきたはずなのに……。
「だって隊長に追いつかねーと。そんなことやってる暇ねーだろ」
心底不思議そうに言われてがくりと肩を落とす。
「やぁね〜。これだから脳筋は」
柳眉をひそめてなにかを払うふりをしたオーギュスタに、ジルダが「あ?」と振り返る。
「おめーも人のこと言えねーだろ!」
「一緒にしないでちょうだい。アタシには優雅さがあるのよ」
「どこにだよねーだろ」
「なんですって!?」
黙って見ていればどんどん熱くなっていく二人にオロオロしていたら、後ろで立ち上がる気配がした。
そこには先ほどまでなにかをしていたマドラル隊長が座っていらっしゃった。
ということは、マドラル隊長が止めてくださるのかも!
「……確認を頼めるか」
「えっ」
素っ頓狂な声を上げてしまった。
そんな私を見て、マドラル隊長はすっと視線を移動させた。追って見ればそこにはうず高く積まれた紙の山。
近寄って数枚手に取ってみると、それらは全て初日に溜まっていた書類だった。
「これ、全てこの数日間でなさったのですか?」
「あぁ」
うっそでしょ。ひと月くらいで終われば良いと思っていたのに。
やらなかっただけで、実はやろうと思えばできるということなの?あれ、もしかしてここの方々みんなかなり優秀……?
「……」
いや、わからないかも。
「……す、すみません。あの、ここの、その……、スペルが違うというか……」
あ、意外と結構ある……。
「ええっと……」
「直す」
「あ、はい」
淡々と表情を変えずに、また座ってペンを取るマドラル隊長。
実は指摘するのにビクビクしてたチキンな私は思わずほっと息を吐く。
やっぱり、久しぶりにお会いするとあの深緑の目に怯んでしまう。早く慣れないと、いいかげん本気で失礼だわ……。
「あの、お茶を淹れてきますね」
無言で頷かれたのを確認し、いそいそと給湯室へと引っ込む。
ジルダとオーギュスタはまだ口喧嘩をしている。扉を閉めても二人の声が聞こえてくる。
「喧嘩するほど仲が良いと言うものね」
実際、険悪な雰囲気はないもの。もっと冷たい、殺伐とした隊なのかと思っていたけど、全くそんなことはなかった。
マドラル隊長だって、『血塗れの悪魔』のウワサに当てはまることなど見られない。
怯えてる私が言っても説得力はないんでしょうけど。
「ウワサなんて、当てにならないわね」
トレーにカップを三つ乗せ、それを持って扉に近づくと、さっきよりも外が騒がしい。
それに、マドラル隊長のお声まで聞こえる。
ついに怒られてしまったのかしら。
苦笑しつつ片手で押し開け、そしてーー、
「おい!!しっかりしろっ!!」
目の前に広がっている光景に固まった。