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空軍隊隊長の執務室。
本当に久しぶり。マドラル隊長との手は離していただけないまま、ラファージュ副隊長が開けるドアの向こう側へと足を踏み入れる。
そう、手は繋がれたまま。
う、嬉しい、のだけれど、その、は、恥ずかしいというか、どうしてマドラル隊長はずっと私の手ななんかを握ってらっしゃるのかしら……。
「ルイーズ!」
突然、私の名前を叫んで満面の笑顔で駆け寄ってきた男性。
すらっと背の高くて、がっしりとした肩幅と頬の大きな傷が目立つ……。
「ど、どなた……」
「えっ……」
お互いにぴたりと動きが止まり、しばらく沈黙が落ちた。
「……ふっ、」
それを破ったのは、ラファージュ副隊長のこらえきれなかった笑いの片鱗。
「カッコよく成長しすぎたのが裏目に出たわね」
横を向いて口元を押さえながら肩を揺らすラファージュ副隊長の横で、アン様が哀れみの目で私の前の男性を見つめていた。
カッコよく成長って……。
ショックを受けたまま未だ固まる彼をまじまじと見つめて。
ベリーショートの派手な金髪と泣きそうな藍色の瞳に頭の中でカチリとなにかが嵌った。
「……ジルダ? ですか?」
「……! そ、そう! そうだよ!!」
「う、嘘……」
無意識に口をついた名前に、勢いよく反応した彼ーージルダに今度は私が衝撃を受ける。
だ、だって、ジルダって見上げるほど身長高くなかったし、こんなに大人びた顔立ちとか、なにより……。
「そ、その、頬の傷はどうしたのですか?」
ざっくりと左側全体を斜めに走るそれは、しっかりと治った後だったけど、痛々しくてちょっと眉を顰めてしまった。
すると、ジルダが居心地悪そうに身じろぎをして、大きな手で傷跡を触った。
「気持ち悪ぃ?」
「えっ? いえいえ、違います! い、痛そうだと思って……」
「あ、そっか。いや、痛くはなかったけど……」
とたん、ホッとしたように表情を緩めたジルダは、その藍色の瞳を気まず気に揺らす。
そのとき、どんっとジルダに後ろからのしかかってきた、ブロンドの美しい女性。
「隊長も副隊長も、アンちゃんまでもがいないのをいいことに、好き放題暴れてくれちゃった馬鹿がたくさんいてね。そしたら、鎮圧の最中にヘマしたのよ、この子」
「あ、あれは、その、なんつーか」
「集中してなかったのよねぇ? 《藍の風》と喧嘩中だだったから」
「……」
鮮やかに笑うオーギュスタは最後に見たときと変わらず綺麗で、なんとなく安心した。いえ、深い意味はありませんけど。
オーギュスタがすっと姿勢を正し、踵を揃えて敬礼した。それにジルダがならう。
「このハーウィッツ、お帰りをずっとお待ちしておりました。ヴェルミオン・マドラル隊長」
「右に同じっす!」
握った手が、緊張していたのは知っていた。
先ほどからずっと、硬い表情だったのも。
たぶん、ご自分が魔人であると、言わなければいけないと思ってらっしゃるのだと、そうした後の反応を、悪い方悪い方へと想像してらっしゃるのだと、わかった。
「……俺は、」
「隊長?」
私とラファージュ副隊長以外が、きょとんとした表情でマドラル隊長を見つめた。
ラファージュ副隊長は、ご存知だったのかしら。うん。知っていそう。
……アン様がご存知でなかったのは、少し意外。
「俺はお前たちを……、騙していた」
すっと息を吸った。
同時に手が緩んで離されそうになって、慌てて力を込めた。
一瞬、驚いたように目を見開いたマドラル隊長は、結局、私の手を振りはらわずに、再び周囲を見渡して。
「俺は、魔人なんだ」
言い切った。
変わらない表情。
そこに、覚悟と謝罪と、ほんの少しの恐怖が見えた。
「魔人……」
オーギュスタの声に、微かにマドラル隊長の肩が震えた。
「だから、信じらんねぇくらい強かったんすねぇ」
「……は?」
珍しく、マドラル隊長は間の抜けた声を漏らした。
そんな彼を置いて、納得したように何度も頷くジルダに、オーギュスタが肘で小突いた。
「馬鹿。隊長にそんなの関係あると思うの?」
「思わねぇ」
「実力よ、実力。精進なさい」
「言われなくたって」
すっぱりと即答したジルダは、そうしてふと不思議そうな顔をした。
「あれ、隊長? なんて顔してんすか」
「……なぜ、嫌悪しない」
ぽつり、と落とされた言葉に、私は思わず息を呑んだ。
だって、まるでマドラル隊長はご自身を嫌悪、なさっているようなんだもの。
どうすればいいのかしら。
『そんなことないですよ』、は私が言ったら無責任すぎる?
『ご自身をもっと大事』ううん、なんか違うわ。
なにか、言葉をーー。
「ルーンたら、そうやって一人で考え込むところ、五歳の頃からなんっにも変わってないのねぇ」
びくり、と今までで一番揺れた身体は、マドラル隊長がアン様にどう思われるかを最も気にしていたということ。
アン様も、それに気づいてらっしゃるとは思うけど、なんの気にもとめず、むしろ呆と少しの怒りを滲ませてマドラル隊長の目の前にお立ちになった。
「……」
「あなた、あたくしがなぜ怒っているか、わかってないでしょう」
こくん、と頷くマドラル隊長に内心で少し驚いた。
《北の森》でもそうだったけれど、マドラル隊長ってこんなにも素直な方なのね……。
「よぉくお聞きなさいな。あたくしは、あなたのその、嫌われる覚悟で打ち明けたー、という感じにとっても怒っているの!」
ぴっと綺麗な指をマドラル隊長の顔に向けて指し、きゅっと整った眉を寄せた。
「あなたを拾ったのは誰?」
「……アン」
「そう。そのあたくしが、なにも知らないと思うの? もちろん、最初から知ってたわよ、そんなことくらい」
「えっ。最初から?」
驚きの声を上げたのは、マドラル隊長じゃなくてラファージュ副隊長だった。
そんな彼を、アン様はアクアマリンのような目をキラリと光らせて睨んだ。
可愛い、と思ってしまう私は緊張感が足りないのかしら……。
「あたくし、あなたにも怒っているから」
「…………うん。ごめんね」
マドラル隊長は固まっているし、ラファージュ副隊長も黙ってしまわれて、ジルダもオーギュスタも困ったようにことの成り行きを見守っている。
ええっと……、そ、そうだわ!
「あ、あの……」
全員の視線が集まった。
から、顔が赤くなるのがわかってちょっと俯いた。
「紅茶、淹れてきましょうか」
次々に賛同の声が上がった。




