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ーーあーあ。
ぽん、と出たため息は、そのままどこかへ消えていった。
誰もいない《北の森》の中で、さて、と剣を鞘に収める。
「どーしよっかなぁ」
秘書ちゃんは予定通り、魔人に連れて行かれた。《森》の中の悪魔の気配も消えている。
どうやら、約束とかはきっちり守るようだ。
そして。
「やぁっぱ、ヴェルミオンも連れて行くよなぁ」
あの『翼』。
最後に見たのは……、あぁ、そう。アンがヴェルミオンを拾ってから、二年くらいたったときだった。
アンは気づいているのだろうか。
拾った子供が、魔人の子供だって。
普通の精霊の『翼』とは違う、くらいはわかってたかもしれないけど、ただそれだけの認識かもしれない。
まあ、たとえ知っていたとしても、アンの場合、なんの気にも留めずに接しそうだけど。
アンは空軍隊に入ることが決まっていた。そこに、自分も入隊してアンを守るのだと、『翼』を授かっていることがわかったときに、ヴェルミオンは嬉しそうに話していた。
ーーそれが。
精神の安定していない子供が生み出した『翼』は真っ黒だった。
明らかに精霊のものではないソレを、一番恐れていたのはヴェルミオンだった。
俺だって驚きはした。
精霊で、黒い色なんて聞いたことがないし、魔の色だと言ったって、魔人に『翼』があるなんてことも聞いたことがない。
驚きは純粋な興味に変わっていた。
まあ、少し考えればわかるような、単純なカラクリだったけど。
『リオ、俺……っ』
『うん。わかってるよ。だから、秘密にしよう』
幼いヴェルミオンは、俺に距離を置かれることに怯え、俺が動じていないと見ると、今度はアンに嫌われることに怯えた。
だから、それを利用させてもらった。
いつか、魔の者の前であの『翼』を見せたら、連れ去られることなんてわかってたから。
『気持ちがぶれたり、魔の空気ーー《瘴気》に触れるとそうなるんだよ』
あのとき、ヴェルミオンにそう言ったのはただの想像で、口から出まかせに過ぎなかった。
でも、今にしてみれば、かなり合っていたとは思う。
現に、魔人が持つ《瘴気》に反応して、『翼』は真っ黒だった。ヴェルミオンの精神が安定してたにも関わらず。
……興奮はしてたかもしれないけど。
無闇に『翼』を出しちゃ駄目だよ、という俺の言葉に、こくり、と頷いたヴェルミオンは、怯えていたくせに、真っ直ぐ俺を見てきていた。
アンの影響力は計り知れない。
教えに忠実なヴェルミオンは、今よりも明るかった緑色に、心の底を覗くように俺を映した。
『どうして、リオは俺を怖がらない?』
……あれ。
俺、あのときなんて答えたっけ。
あぁ、思考がずれたな。
まあ、なんかテキトウにヴェルミオンが安心するような言葉を投げたんだろう。
いくら八歳だったといったって、俺だって馬鹿じゃないし。
そんなことより、そう。今はアンのことを考えなければ。そっちの方が重要だ。
今頃は、ジルダもアンの元へたどり着いたかな。
こっちへ来ようとするだろうけど、その辺はアリスが止めるだろう。オーギュスタだっているだろうし。
ただ、ヴェルミオンが連れ去られたとなれば、俺も止められないかもしれないな。乗り込む、とかって言いそうで怖い。
「……となると、ヴェルミオンが自分で戻ってきてくれるのを、ここで待つしかないかなぁ」
そろそろ、《北の森》に精霊たちが帰ってくる。
そうしたら、俺の女神に頼んで、彼らを集めてもらって、ここと魔の世界を繋いで……。
「戻って来ない場合もあるのか」
ふと、思いついた可能性。
ありえない、なんてことはないだろう。
やっぱり、どうしたって故郷には惹かれてしまうものなんだから。
「……そうしたら、アンは泣くかな」
アンの涙も、最後に見たのはいつだったかな。
正確には覚えてないけど、子供のとき以来、見てないと思う。
「泣かれると、困るんだよね……」
すごく、綺麗なんだけどさ。
どうしていいか、わからなくなる。
「どーしよっかなぁ」
あぁ、精霊の《光》が集まってきた。




