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私を……、連れて?
「リオ!!」
身を震わせるような怒鳴り声がラファージュ副隊長の名を叫んだ。
思わずびくりと肩を跳ねさせてしまった。
それを宥めるように、腰に回っていたラファージュ副隊長の手がぽんぽんと優しく私を叩いた。
……ラファージュ副隊長は、変わったわけではないわ。なにか、なにか理由がおありなはず。
「どういうことだ! カナートを売る気か!」
「売るだなんて人聞きの悪い」
マドラル隊長に臆することなくのんびりと言う、その声はいつも通りの甘く柔らかなもの。
「あるべき場所に戻してあげるだけさ。そして、そうすれば《北の森》は精霊の手に戻り、コレも満足する」
さらりと「魔人」をコレ呼ばわり……。
というか、『あるべき場所』とおっしゃった?
これは私のことよね。
私のあるべき場所って……、「魔人」がお祖母様のお名前を知っていたことに、なにか関係があるのかしら。やっぱり。
「そんな屁理屈がーー、」
「言ったはずだよ」
ぞわっと。
身体中になにかが走った。
さっき、「魔人」の気配が辺りに充満したときの嫌な悪寒とは違う。
それは、純粋な「恐怖」ーー。
「邪魔をすれば容赦はしない。ヴェルミオン、お前が彼女に執着するのはお前自身の気持ちじゃない。この子が持ってる《黒》のせいだ」
マドラル隊長は沈黙してラファージュ副隊長を睨みつけていらっしゃる。
後ろで微笑む気配がした。先ほどまでの「恐怖」が嘘みたいに消えて無くなった。
「この子がお前を好きだと、それで確信を持ったんだ。ーーこの子は魔人の《印付き》だ」
マドラル隊長の顔色が変わった。
大きく目を見開いて、呆然とした表情をなさっている。
ラファージュ副隊長の言葉はわかるようで、わからない。普通の言葉のようで、その内にはなにか違う意味が含まれている。
それを、マドラル隊長は理解していらっしゃる。
「……だからなんだ。それで、カナートが犠牲になる理由がどこにある」
押し出すような声。
はじめの勢いこそないものの、眉間にしわを寄せ未だ私を庇ってくださるマドラル隊長に、ふわりと温かな気持ちが広がった。
「俺の重要事項は《北の森》を守ることだよ。その障害に出会ったばかりの女の子があるとしたら、そこに迷いは生まれない。ーーヴェルミオンだって同じだろう?」
「……っ」
歪められた綺麗なお顔。
緑色の目に浮かぶのは、葛藤。
私が《北の森》をこのようにしてしまった原因、ということなのかしらね。
なにがどう、そうなってしまったのかはわからないけれど、マドラル隊長もそうだと思っていらっしゃる。
ラファージュ副隊長のおっしゃる通り。
精霊の『翼』を持つ彼らにとって、「出会ったばかりの女の子」と比べるなんて馬鹿馬鹿しいほど、この《北の森》は大切なはず。
だから、私のことをなぜか気に入ってくださったマドラル隊長は苦しんでいらっしゃる。
お優しい方。
私はなんにもできなかった、使えない部下だったけれど、最後くらいは仕事をしなければならない。
「話は終わったか?」
ずっと黙ってことの成り行きを見守っていた「魔人」は、ことりと首をかしげた。
その仕草は人間のようで人間のようではない。
それにちょっと決心が鈍りそうになったけれど、頑張ってその気持ちを無視する。
「終わりました」
誰かがなにかを言う前に、私が口を開いた。
マドラル隊長だけでなく、ラファージュ副隊長までも驚いたように息を呑んだ。
「私があなたの元へ行きます。ですから、この《北の森》を彼らに、精霊にお返しすると、ここで約束してください」
「カナートっ!」
咎めるように私の名前を口にしてくださった。
それだけで、私は嬉しかった。
……やっぱり、私はマドラル隊長が好きだったんだわ。
きっかけなんて知らないし、それ以前にあんなにも怖がっていた相手になにをと思われるかもしれないけれど、今のこの気持ちだって嘘じゃないもの。
「我が妻の願いならば、聞き届けよう。ここを住まいにしようと思うたが、致し方あるまい」
嬉々とした様子で語る「魔人」に向かって一歩踏み出すと、少しだけ、腰に回されていた腕に力が入った。
でも、それは本当に一瞬で、すぐにするりと解かれた。
「ラファージュ副隊長、短い間でしたがお世話になりました」
くるりと振り返れば、いつも通りの笑っていない笑顔を見せていらっしゃった。
「それと、大変ご迷ーー」
「俺は謝らないけど、君だって謝る必要はない。誰も悪くはないよね」
さっぱりと言い切ったラファージュ副隊長の口調には、嫌味も悪気もなかった。
それが、心にすとんと落ちた。
「そう、ですね」
なぜだか微笑んでしまった。
それを静かに見守る空色の目に背を向け、また一歩、「魔人」の方へとーー、同時にマドラル隊長の方へと近づいた。
私が選択したことなのに、マドラル隊長はまるでご自分を責めていらっしゃるようだから、ちょっとだけ笑みを深めた。
「マドラル隊長、」
ありがとうございました、と、そう告げるつもりだったのに。
真ん中まで来た私の腕を、「魔人」の横を駆けたマドラル隊長が引いた。
「おぬし、我が妻になにをーー」
「俺は」
間近で響く深い声。
それで気づく。
私は、マドラル隊長に抱きしめられていた。
いや……、えっ?なんで!?
「させないと、そう言った」
ドキドキ、うるさく鳴りはじめた心臓の隙間から聞こえた、決意のこもった言葉。
さ、させないってなんの話?
「……じゃあ、《森》を見捨てると、そういうこと? アンを見捨てるの?」
アン様……?
見捨てるって、どういう……。
「俺は《北の森》もアンもーー、カナートも守る」
ザッと空気が変わった。
視界が薄く陰った。
「ほう、おぬしやはり」
感心したような「魔人」の声が聞こえて、そっと目線を上げた。
「マドラル隊長……?」
深い緑色が見下ろしていた。
真っ赤な髪がさらりと揺れた。
その頭上には、黒い『翼』が広がっていた。




