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愛しいヒトの血の匂いが、もうすぐそこのまでやってきておる。
『彼女』が消えてしまってすぐに行動を起こせなかったのは失敗であった。
人間の時間でいえば三年か。
普段であれば一瞬の時が、『彼女』がいないだけでこんなにも長く感じるとは。
あぁ、この日を迎えられることを、どんなに楽しみにしていたことか。
芳しい『彼女』の血。懐かしい『彼女』の顔。
そして、我が『彼女』に付けた《黒の印》をきっちりと受け継いだ、美しい魂。
……だが、なにかがおかしい。
すぐ目の前にいるようであるのに、手を伸ばせば届きそうであるのに、掴もうとすると掻き消えてしまう。
なぜ、このように不安定なのか。
焦がれに焦がれた『彼女』はそこにいるというのに、我と『彼女』の再会を邪魔する忌々しいものとはなんであろうか。
ざわり。
空気が揺れた。
精霊……、ではない。
この手で消滅させて、そうできなかったものもこの《森》から逃げ出して、すでに一匹も残っておらぬはずなのだから。
だが、我の結界を揺らしたこの何かは、確実に強大な何かだ。
精霊のような力を持ち、人間のような血を持ち、これまた懐かしい魂を持つ『何か』ーー。
なんであろうか。
このようなものは感じたことがない。
少し、興味がわいてきた。
どうやら我の愛しい『彼女』と共にこの《森》へと入って来ておるようだ。
我と『彼女』の愛の巣に侵入する生き物は、なんであれ消滅させようと思っておったが、観察してみるというのも面白かろう。
我の城と化したこの空間で、人間の一人や二人ぐらい、殺すことのなど造作もない。
だがしかし、問題はどうおびき寄せるか、だ。
どうも、その『何か』が邪魔をして、『彼女』のことも、それ自体も掴むことができぬようだ。
……ふむ。
ああ。
そういえば、先ほど悪魔たちが捕まえてきた『翼』の人間がいたか。
まさか、泉まで辿り着く生命体がおるとは想像もしてなかったから驚いた。
結界を見直そうと、殺すのは後回しにしておいたのだったな。
アレを使えば私が出向くまでもなく、こちらへ来てくれるだろう。
そうだ、そうだ。
掴めぬのなら誘い出せばいい。
なぜ思いつかなかったのか。
我としたことが、それほど『彼女』の登場に興奮しておったのか。
少し、冷静になったほうがよいかな。
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