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ルイーズ・ド・カナート、十七歳
幸運の女神に見放されました。
「聞いているのか、カナート」
静かな、だけど絶対に逆らえない威圧的な声。
反射的にビシッと背筋を正す。
「は、はい!ですが、その、お言葉ですが……」
「異論は認めん。上官命令だ。従え」
ばっさりと取りつく島もない。
上官命令だなんて……、そんな……。
突然ですが、ここ、サハデリア王国の軍隊は大きく三つに分けられています。
その内の一つ、他国を一切寄せ付けない、圧倒的な強さの陸軍隊。私はそこに最近入隊した新兵。
兵といっても、剣を持ったり馬に乗って戦場へ出向いたりするわけではありません。できません。私の仕事は書類整理などの事務作業が基本なのです。
それで、私の上官様がこのロッド少将。
焦げ茶の髪をきっちりオールバックにした、偉丈夫って言葉がぴったりな人です。筋骨逞しく、戦場ではその見た目を裏切らない戦歴の数々。戦術にも優れ、常に冷静に場を見定め的確な指示を出すその統率力。それに……。
あぁ、本当に言い尽くせないほど素晴らしい方!
ロッド少将の秘書官として配属されて数ヶ月。憧れの少将の下で働ける幸運を噛み締め、精一杯やってきたつもりです。その成果があってか、それなりに可愛がってもらえていると思っていたのに……。
「急に空軍に行けだなんて!わ、私なにか失敗してしまいましたか……?」
残り二つの軍隊。
一つは王族を護る煌びやかで美しい近衛隊です。
そして、もう一つは『翼』を持つ者たちが集まる空軍隊。
サハデリア王国は『精霊の国』とも言われています。その理由は、精霊が見える子供がよく生まれるから。
見えること自体にはそれほどの驚きはなく、多くは物心が付くと共に見えなくなります。
ーーだけど稀に、大人になっても精霊が見え続ける人たちがいます。
彼らは精霊と心を通わせ、空を飛ぶための『翼』を授けられるといいます。
そして、そんな人たちによって形成されているのがその空軍隊です。
と、ここまではみんな知ってること。
だけど、『翼』がどんなものなのか、精霊とはどんな姿なのか、とかは誰も知りません。だから謎が多い軍隊として、いろいろな噂話が囁かれているのです。
あと、空軍について知ってることと言えば……。
「そうでなければ、ヴェルミオン・マドラルの下へ行けだなんて……!」
謎多き空軍の中で、唯一はっきりと知られている人物。
この国では珍しい、というか見たことがない、真っ赤な髪に暗い濃緑の目。血のように赤い『翼』を持つ。数年前の戦争では、一人で数千もの人を血の海に沈めたという。
ヴェルミオン・マドラル。通称『血濡れの悪魔』
怖い!
だ、だって、『血濡れの悪魔』って!どうしてこんな二つ名付けちゃうの?噂だけでも十分怖いのに、余計に拍車かかっちゃうじゃない!そんな人の下でこれからずっとだなんて、無理よ!!
「落ち着け。これはただの仕事だ」
落ち着けだなんて、そんな!
だって、ロッド少将仰ったじゃないですか!
「確かに、空軍に行けとは言った。だが、入隊しろとは一言も言ってない」
え?入隊?
「わ、私、空軍に入隊させられるのですか!?」
「人の話を聞け」
常に険しい表情をしていらっしゃるロッド少将。今現在の眉間の深いシワは、確実に私が原因。
どうしましょう、少将に呆れられてしまう……!
「空軍は戦場で大きな功績を挙げている。『翼』だか精霊だかのお陰か、歴史を遡るとどの時代でも驚異的な力を持っている」
そう仰るロッド少将も、陸軍内では一、二を争うほど強くて、槍を持たせたら右に出る者なしとまで言われている。
三十二歳の若さで少将の位に立っている彼に、憧れを抱く兵士は少なくない。
内、一人は私です。
「だが、唯一の欠点がある。そんな功績では補い切れない、洒落にならないほどの」
そんなに大きな欠点?
首を傾げると、ロッド少将はため息を吐きながら椅子の背もたれに身体を預けた。
「……あそこの奴ら、誰一人まともに事務処理ができない」
…………え?
「いくら戦歴挙げても、碌な報告書提出しないのでは話にならん。そこでだ。うちから秘書官を一人、空軍に貸し出すと決まった」
貸し出すって……。
「まともな報告書を上げさせろ。以上だ」
私の他にもたくさんの秘書官がいる。
でも、その中でも私が選ばれたってことはつまり、少しは少将に目にかけてもらえてるってことかしら?
「私、ルイーズ・ド・カナート、精一杯務めさせていただきます!」
ここで結果を出さないと、きっとロッド少将に本気で呆れられてしまうかもしれない。
というか、もう使ってもらえなくなってしまうかも!
ヴェルミオン・マドラルは怖い。でも、それよりも何よりも、ロッド少将の期待に答えないと!
「あぁ、任せた」
……頑張ってみよう!
読んでくださりありがとうございました!