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桜月語るは妖噺  作者: 熊野こずえ
思い思われ、笑みが咲く
5/7


 小鞠の笑顔に見送られて『鈴屋』を後にした二人は長屋への道を歩く。

 すると、最後の角を曲がって長屋が見えた所で緋桜は足を止めた。思わず佳月も一緒に歩くのを止める。

 緋桜の視線の先には丁度長屋から出てきた男の姿。長身にがっしりとした体つき。派手な赤の着流しが目に眩しい。

 前髪を後ろに流して額を露わにしているその男は、二人に気付くと片手を挙げながら近付いてきた。


「よお、緋桜と佳月じゃねえか」

「こんにちは、蓮之介はすのすけさん」


 自分たちの部屋の隣人である蓮之介に、親しげな笑みを浮かべた佳月は会釈と共に挨拶をする。

 同じく緋桜も軽く頭を下げると、目を細めた。


「珍しいですね、蓮之介さんが昼間から起きているのは」

「たまにはな、……なんて、明け方まで遊んでたから、今さっき起きたんだけどよ」


 けっけっけ、と笑い声を漏らす蓮之介からは酒や煙草、果てには白粉や香といった様々な夜の匂いがする。

 それらが鼻についた緋桜は嫌悪感に顔を顰めると、さりげなく自分の後ろに佳月を庇いながら言った。


「相変わらず乱れてますね……というか、よく遊ぶ金がありましたね?」


 すると、蓮之介はにんまりと口元を歪めた。


「おう、つい先日『あの薬』が売れたからな」

「……珍しいですね」


 驚いた緋桜は僅かに目を見開いた。

 この蓮之介という男は根っからの遊び人だが、ひっそりとながら薬屋を営んでいる。

 売っている薬の中には、蓮之介しか作れない特別な薬もあり、それはどんな万病や怪我にも効くと言われているが、その分値段も高いので購入する客は殆どいない。


「買われたのはどんな方だったのですか?」 


 しかし、それが最近売れたと言う。

 好奇心に負けた緋桜がつい尋ねれば、蓮之介は躊躇うこともなくあっさりと口を開いた。 


「それがさ、何処にでもいそうな若い娘だったんだよ。金があるか心配だったんだが、代金の半分を置いて、残りもきちんと払うって念書を残してったから売ったんだ」

「……若い娘?」


 話を聞いた緋桜が片眉をぴくりと動かす。

 そして、顎に手を当てると何やら考え込み始めた。

 急に思考の海に沈んでしまった緋桜を見て、蓮之介は怪訝そうな顔をしながら緋桜を指さす。


「此奴、どうしたんだ?」

「さあ……?」


 尋ねられた佳月も首を傾げるが、こういう状況には慣れているらしく、蓮之介のように戸惑いはしていない。

 蓮之介は緋桜の様子を暫く窺っていたが、やがて飽きたのか大きな欠伸を一つ零した。


「じゃあ俺は今から呑み直してくるとす、ぐふっ!?」

「待ちなさい、飲兵衛」


 その場を離れようとした蓮之介の背中に、唐傘の先端が容赦なく突き刺さった。

 不意すぎる攻撃を喰らった蓮之介は蛙が潰れたような声を上げて膝から崩れ落ちる。

 緋桜は自分の肩を唐傘でぽんぽんと叩きつつ、その無様な姿を涼しい顔で見下ろしながら言った。


「呑みに行くのも酒漬けになるのも勝手ですが、その前にその念書を見せて下さい」

「おま、っ……これが、人に物を頼む態度かよ……っ」

「おや、貴方は人だったんですか。知りませんでした」


 痛みに息を詰まらせながら蓮之介が睨んでも、緋桜は反省の色を見せるどころか平然とした顔で言葉を返す。

 不貞不貞しさを通り越したその振る舞いに、傍らで二人のやり取りを見ていた佳月もつい苦笑いを零し、未だに膝を付いている蓮之介に手を貸した。


「すみません、蓮之介さん……。何かあるみたいなので、念書を見せて貰えませんか?」

「佳月ちゃんまで頼まれたら断るわけにもいかねえけど……ったく、少しは佳月ちゃんを見習えよな……」


 佳月の手を借りて立ち上がった蓮之介がぶつぶつと文句を零すも、緋桜は微塵も動揺せずに鼻を軽く鳴らした。


「いいから早くして下さい。もう一度突きますよ」

「緋桜様っ!」

「少しは俺に優しさを向けろ!」


 唐傘を構えた緋桜に、佳月が慌てて止めに入る。

 顔を引きつらせた蓮之介が逃げるように部屋に戻っていくのを見送って、緋桜は明らかにつまらなさそうな表情を浮かべた。


「あんな奴を庇う必要はありませんよ。というか近付くのも止めなさい、臭い匂いが移りますから」

「確かに蓮之介さんはあまり良い匂いはしませんけど……でも、あんな扱い方は可哀想ですよ……」

「あれくらいで良いんです。甘やかしたら彼の為にもなりませんしね」


 淡々とそう言った緋桜は、何と返せばいいのかと曖昧な笑みを浮かべている佳月の手を取った。

 そして、佳月がきょとんと目を丸くしている間に、その手を自分の手で包み込んで優しく擦り始めた。


「ひ、緋桜様?」

「匂い消しです。さっきこの手で彼に触ったでしょう?」

「俺は黴菌の類かよ……」


 部屋から戻ってきた蓮之介が頬を引きつらせながら思わず口を挟めば、緋桜は佳月の手を離して振り返った。


「ああ、お帰りなさい。念書はありましたか?」

「そう簡単に無くさねえっての。ほら、これだよ」

「少し失礼します」


 緋桜は差し出された念書を受け取って目を通す。

 そして、ものの数分もしないうちに蓮之介の手に返した。


「有り難うごさいました」

「は? もう読んだのか?」

「はい、確認したい所が読めたので充分です」


 あまりの早さに蓮之介がつい問えば、緋桜は真顔で頷き、何も読めずに呆気に取られていた佳月の手を引いた。


「では自分たちはこれで。佳月、行きますよ」

「あ、は、はい。有り難うございました、蓮之介さん」


 我に返った佳月は手を引かれながら頭を下げる。

 そうして、自分の部屋の隣の戸口を潜っていく二人の姿を見届けた蓮之介は一旦念書を見て、そして再び戸の方に視線を向けると、不思議そうに首を傾げた。


「……相変わらず変な奴だな」


 ***


 部屋に帰ってきた緋桜は、佳月が先程淹れた茶を啜る。

 福兵衛の一件で得た金で茶葉を買ったので、今は白湯を飲まなくても良かった。

 但し、そうは言っても極力節約して使っているので味は薄く、小鞠が淹れる茶とは天地の差があるのだが、白湯を飲み慣れている緋桜にはその辺りは案外気にならない。

 緋桜が仄かな茶の香りと味を堪能していれば、同じく薄い茶を啜っていた佳月が口を開いた。


「あの……緋桜様」

「何ですか?」

「その、先程の念書で何を確認したのですか? あまりに早かったので私は何も分からなかったんですけど……」

「ああ、そうですね。説明しておきましょうか」


 そう言うと緋桜は湯飲みを置き、人差し指を立てた。


「私が確認したのは一つ、念書を書いた人の名前です」

「名前?」

「はい、ここ最近で強力な薬を必要とする若い娘、と聞いて引っかかったので」

「……?」


 話を聞いてもどうにも引っかからず、悩む佳月は眉を顰めて小首を傾げる。

 自力で答えにたどり着けなさそうなその様子を見た緋桜は、指を下ろすと軽く溜め息をついた。


「当てはまる方に、私たちは最近出会ったでしょう?」

「……あっ! 弥生さん!」


 漸く合点がいった佳月は思わず手を打った。

 緋桜は一つ頷いて話を続ける。


「その通りです。そして予想通り、あの念書には弥生さんの名前が書いてありました」

「ほわー……」

「そして私の予想がもう一つ当たっていれば……」


 そこまで緋桜が言った時、戸を叩く音が言葉を遮った。

 しかし、話を止められた緋桜は嫌な顔もせず、寧ろ嬉しそうに目を細めると、相手を確認することなく戸を開けた。


「いらっしゃいませ、福兵衛さん」

「あ……え、ええ、こんにちは……」


 戸を開けた先には福兵衛が立っていた。

 驚いたように目を瞬かせている福兵衛に、緋桜は「どうぞ」と中へ上がるように促す。

 そして、佳月が気持ち濃いめに淹れた茶を福兵衛に出したのを見てから、緋桜は言われるより先に口を開いた。


「ご用件は弥生さんのことですね?」

「えっ……」

「父親が元気になったのに、弥生さんに笑顔が戻らない。だからもう一度調べ直してほしい……といったところでしょうか?」

「は、はい、正にその通りです」


 自分の用件を先回りで話されて、福兵衛は驚きを隠せないままにこくこくと頷いた。

 一方、緋桜は予想が当たっていることが面白いのか、三白眼を静かに輝かせながら、普段よりも舌を軽やかに回していく。


「やっぱりそうですか。では、何か思い当たる点はありませんか?」

「うーん……」


 福兵衛は肉付きの良い顎に手を添えて首を捻る。

 すると、何か思い出したように目を見開いた。


「そういえば、お父上が元気になられた頃から、夜な夜な何処かに出かけているようです」

「……夜?」

「危ないですね、最近は物取りも流行っているのに……」


 佳月が心配そうに眉尻を下げて呟く。

 しかし、緋桜は考え込むように顔を顰めて、暫し間を置いたと思えば僅かに俯かせていた頭を上げた。


「……佳月、物取りの手口は覚えていますか?」

「え? ええと、女の人が声を掛けてきて、それに気を取られた隙に……」


 そこまで答えた佳月は言葉を止め、半端に開いた口に手を添えた。まさか、と小さな呟きが零れ落ちる。

 目を団栗のようにさせて自分を見る佳月に、緋桜は真っ直ぐな視線を返して頷いた。


「……早く片を付けてしまいましょう。これ以上、面倒な事になる前に」


 そう言って緋桜は腰を上げ、壁に立てかけていた唐傘を手に取った。根付けの鈴がりんと鳴る。

 夕陽に染まる空は、もう間もなく夜を迎えようとしていた。

 

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