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桜月語るは妖噺  作者: 熊野こずえ
思い思われ、笑みが咲く
1/7

 わいわいがやがやと賑やかな表通り。町人の喋り声、天秤棒を担いだ行商人の掛け声、茶屋の店先では娘たちがきゃいきゃいと姦しい声で鳴いている。

 そんな表通りから路地に入り、横町の少し奥まった所にその貧乏長屋はあった。

 屋根壁があって雨風が凌げれば良いだろう、と言わんばかりの貧相な外観は、そこの住人ではない者は些か近付きづらい程に寂しいものである。

 そして、そんな長屋の一部屋から、しっかりとした少女の声が聞こえてきた。


緋桜ひおう様! いい加減に起きて下さいっ!」


 腰に両手を当てて、声を張り上げる一人の少女。齢は十八、九と言ったところだろうか。大声を上げる度に頭の左上で結った髪がぴょこぴょこと陽気に揺れている。

 少女は黙っていれば愛らしい顔立ちを歪め、目の前で寝転がっている男の背中を睨みつけた。


「仕事を探しに行かないと飢え死にしてしまいます! 緋桜様、お願いですから起きて下さい!」


 空きっ腹に自分の大声が響くのを感じ、惨めな気持ちになりながらも少女は必死に声を掛け続ける。

 すると、今まで動かなかった背中が身動ぎ、ゆっくりと起き上がった。適当に結われた黒髪が羽織の上を滑る。

 紫黒に白花と淡紅の桜が散るその羽織は、男性が着るには艶やかで、更には大した家具も無い貧乏部屋には場違いだったが、何故か男にはよく似合っていた。


「煩いですよ、佳月かづき。飢え死にするのは貴女だけでしょう? 自分はあと三日はいけますよ」


 面倒臭そうに髪を掻きながら、男ーー緋桜は少女に背中を向けたまま言った。三白眼を気怠げに瞬かせて、ふあと大きな欠伸を零す。

 明らかに気の抜けきった態度を見せる緋桜に、佳月と呼ばれた少女はぶんぶんと首を振った。


「そういう問題では無いのです! というかその言葉は昨日も聞きました!」

「そうでしたっけ? じゃあ明日も言いましょう」

「だーかーらーっ!」


 暖簾に腕押し、糠に釘。自分の意見を飄々と受け流された佳月はもどかしさに地団駄を踏む。

 自分の背後で騒ぐ佳月に、緋桜は一つ溜め息をつくと仕方なさそうに振り返った。


「大体、自分たちの仕事は探しに行くものでは無いでしょう? 向こうから来てもらわないと」

「ですが……」

「どうしても腹が減ったのなら、貴女だけで何か仕事を探してきて下さい。自分は留守番してますので」


 そう言うと緋桜は再び背中を向けて寝転がった。

 どうにも働く気配の無い緋桜に、肩を落とした佳月は困り果てた顔で唇を噛む。

 どうにかしてこのぐうたら男を動かせないかと思案した時、隙間風を通す長屋の戸がたんたんと叩かれた。

 そして、部屋の住人二人が返事をする前に、その戸はからりと開けられた。無遠慮に開けられた戸の向こう側にいた姿を見て、佳月はぱあっと目を輝かせる。


「おこん姐様!」

「ふふ、今日も可愛いわね、佳月ちゃん」


 子犬のように飛びついてきた佳月を優しく抱き留めたのは、浅蘇芳に薄が描かれた着物を着た美しい女性。すらりとした体躯と切れ長の瞳が何とも妖艶な雰囲気を放つ。

 お紺は白い手で佳月の頭を撫でながら、素知らぬ顔で寝転がっている緋桜に目をやった。


「緋桜は今日ものんびりしてるのね」

「……無駄に腹を空かせない為には寝ておくのが一番なんですよ」


 そう言いながらも緋桜は体を起こす。

 この長屋の家主であり、大家でもあるお紺の前で、仕事が無い身ながら寝ているのは流石に出来なかった。

 居心地悪そうにする緋桜の姿に、お紺は小さく笑う。


「でも、佳月ちゃんはそうじゃないみたいよ?」

「…………」

「駄目よ、飼い主さん。あまり苛めたら、幾ら従順な子でも噛みつかれちゃうわよ。ねえ、佳月ちゃん?」

「えっ!? あ、えっと、その……」


 不意に振られた言葉に佳月はわたわたと慌て、どう答えたものかとお紺と緋桜を交互に見遣る。

 慌てふためく佳月を緋桜は暫し横目で見ていたが、やがて溜め息をついてから重たそうに腰を上げた。


「……仕方ないですね」

「ふえ?」

「腹を空かせた佳月に頭からかじられたら困りますし」


 まあ無駄足でしょうけど、と、緋桜は首裏を掻きながらしかめっ面で呟いて、草臥れた草履を突っかける。

 そして、きょとんとしている佳月と含み笑いを零すお紺の横をのそりと通り抜けていった。


「ほら、佳月ちゃん」

「あ……は、はい!」


 お紺に軽く肩を叩かれて我に返った佳月は、慌てて緋桜の後を追いかけようとする。

 しかし、数歩踏み出したところで「あっ!」と声を上げると踵を返し、ぱたぱたと部屋の中に戻ると隅に立て掛けてあった唐傘を手に取った。

 唐傘の柄に付けられた鈴の根付けがりんと鳴る。

 紅色が鮮やかなその唐傘を佳月はしっかと胸に抱え、今度こそ部屋を飛び出した。可憐な風貌からは意外な速さで駆けていき、あっという間に緋桜の横に並ぶ。


「緋桜様、お忘れですよ!」

「ああ、すみません」

「駄目ですよ、もう……。……あ、お紺姐様、有り難うございました!」


 唐傘を受け取った緋桜に唇を尖らせた佳月は、はたと振り返ってお紺に頭を下げる。

 無邪気で誠実な佳月の仕草に頬を綻ばせたお紺は、片手を振って遠ざかっていく背中たちを見送った。


 ***


 相も変わらず賑やかな表通りを行きながら、佳月は隣を歩く緋桜をちらりと見上げる。


(うーん……)


 もう随分と共に過ごしてきたが、何度見ても緋桜は美貌だと思う。少々目付きは悪いけれど、それが線の細い緋桜を研ぎ澄まされた刃のように凛として見せている。

 華やかな羽織や、雨でも無いのにぶらぶらと持った唐傘も目を引く一因ではあるだろうが、やはり大本は緋桜の容姿にあるだろう。

 現に先程から通りを行き交う娘たちの視線は、ほぼ必ずと言っても良いくらいに緋桜の顔を盗み見ていく。


(中身はとんだなまくらなんですけどね……)


 美しい鞘に収まっていれば分からぬもの。

 まんまと騙されている町娘たちに佳月がそっと溜め息をついた時、その小さな頭に拳骨が落ちてきた。


「ひきゃっ!? な、何するんですか!」

「今、何となく失礼な事を思われた気がしたので」

「…………」


 まるで心を読んだかのような言葉を返されて、佳月は殴られた頭を擦りながら黙り込む。この男の前では余計な事を思うのも口走るのも宜しくない。

 それでも佳月は毎回それを結局忘れて、また拳骨を落とされてしまうのだが。


「緋桜さぁん、佳月さぁん」


 穏やかに間延びした声が二人を呼んだ。

 揃って足を止めて振り向けば、茶屋の店先に立つ娘が笑顔でちょいちょいと手招きしていた。紺の着物に鈴の絵が白抜きされた赤い前掛け。肩で切り揃えられた髪があどけなくて可愛らしい。

 自分たちを呼んだのが顔見知りだと分かると、緋桜たちは自然と其方へ足を向ける。


「どうも、小鞠こまりさん」

「こんにちは!」


 無愛想は変わらずとも礼儀正しく挨拶をする緋桜と、その隣で緋桜の分まで笑顔を浮かべる佳月。

 対照的な二人に小鞠は微笑み、こてんと首を傾げた。


「お仕事ですかぁ?」

「いえ、探し中です」


 本人の雰囲気と同様にのんびりとした口調で問いかけられた緋桜は首を振って返事をする。

 それを受けた小鞠はころころと笑って、店先に出してある赤い布の掛かった縁台を掌で指した。


「じゃあ、休憩ついでにお団子食べていきませんかぁ?」

「……是非そうしたいのですが」


 金が無いから仕事を探しているのであって、今の緋桜たちには茶屋で寛ぐ余裕も無い。

 分かり易く眉間を寄せた緋桜に、小鞠はくすくすと笑みを零しながら頷く。


「ええ、緋桜さん方にお金が無いのは分かってますよぉ」

「……そうですか」

「だから、お二人には新しく作ったお団子の味見をしてほしいんですぅ」

「本当ですかっ!?」


 小鞠の言葉を聞いて、佳月は目を輝かせた。

 しかし、見えない尻尾を千切れんばかりに振って喜ぶ佳月の隣では緋桜が難しい顔をしている。


「そこまで甘えるわけには……」

「良いんですよぉ、お仕事だと思って下さればぁ」

「そうですよ、緋桜様! 私たちの舌に『鈴屋』の看板が掛かっているのです!」


 目を爛々と輝かせる佳月に緋桜は思わず溜め息をつく。が、仕方の無いことかとも思った。

 この『鈴屋』は茶屋にしては立派な店構え。それは此処が町一番の茶屋であるからこそ。働く娘はどの子も愛らしく、品書きも他の茶屋と比べれば数多い。

 しかし、この『鈴屋』が繁盛している一番の理由は、この小鞠が拵える甘味の旨さにあった。特に小豆を用いた甘味は頬が落ちると評判で、それは緋桜も舌を以てよく知っている。

 そんな甘味を空腹の今、しかも無料で食べられるとなれば、食べることが何よりも好きな佳月が食い付かないわけがない。


「……あっ」


 きゅるる、と小さな腹の音が聞こえた。

 見れば佳月が腹を押さえ、恥ずかしそうに頬を染めて此方を見上げている。

 しょんぼりと眉を下げて、飴玉のような瞳で見つめられること数秒、緋桜は観念したように小さく息をつくと縁台に腰を下ろした。


「……ご馳走になります、小鞠さん」

「やった!」


 万歳をした佳月はすかさず緋桜の隣に座る。

 素直に喜びを見せる佳月に、小鞠は微笑ましげな眼差しを向けると「じゃあ持ってきますねぇ」と言って、客の声で賑やかな店の奥へと引っ込んでいった。


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