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 穏やかで控えめで気のやさしくて、それからちょっぴり押しの弱い、そういうひとだった。

 グラウンドより、教室の片隅でのんびりと微笑んでいるのが似合うひと。つまり、いわゆる、草食(もやし)系。むしろ草。

 そういうひとだと思っていたのだ。











   ・・・






 四月のはじめに、文化委員を押し付けられた。

 押し付けられたというか、じゃんけんで負けまくって、残っていたのがそれだけだった、というのが実際のところなのだけれど。

 むり。

 むりむりむり。

 すべてに惨敗した初果(はつか)が無言で訴えれば、友人たちは腹を抱えて笑いをこらえ、担任は「あー……」と目を逸らし(おそらく、彼は初果がまっったく向いていないことを分かっていた)、ごく少数の優しいクラスメイトが、がんばって、と苦笑した。そしてみんな、どこかしらホッとしていた。

 なぜならこの学校の文化委員は、他の追随を許さない激務なのである。

 ゆるくて適当で大雑把な校風の通り、委員会の役割振りも大雑把。文化祭やら選挙管理やら冬祭りやら研修やら遠足やら、とにかくありとあらゆる、体育祭を除いた行事一般を担当しなければいけない。無茶ぶりすぎる。

 ありえない。

 そのひとがやってきたのは、初果がぐったりと机に突っ伏して屍状態になっていたときのことだった。

 遠慮がちに。

 困ったように眉尻を下げて。

 そっと苦笑を浮かべて。

 射した影に顔をあげた初果に、言ったのだ。


『大丈夫だよ、生徒会のひとたちもいるし。なんとかやろう』


 ちなみに、同じくイケニエの相方です。

 と気恥ずかしそうにつけたして。





  ・・・





 

 小賀堀悠真、とプリントにきれいな字を書く、滑らかに骨張った、日焼けしていない指を眺めることが多くなった。下っかわに小さめに記される字がいかにも彼らしい。

 彼はずいぶんとお人好しなひとだった。

 運に見放されてたらい回しの末にその席を取った初果と違い、彼は他の委員で人数がかぶるたび、クラスメイトたちに譲って譲って譲った末に文化委員へと落ち着いた。そのときの心境、曰く「まあいいかー」。意外と図太い。

 書類仕事の上手なひとだった。

 ついでに、交渉事も上手かった。

 不本意とはいえ、なってしまった以上、きちんとやらねば、とは思うのだけどいまいち何の役にも立てていない気がして、初果はものすごく申し訳なくなったものである。そんな彼女にも、彼はほんわりと優しかった。そんなことないよ、俺ひとりだったら、なあなあで負けまくってたと思うし。そう微笑む姿はまさにお仏様。輝いてた。神。


「オガくんはさー」

「んー」

「いつかその優しさで身を滅ぼすんじゃないかと、今からハラハラしちゃうね」

「あはは、何それ」

「いやーいやー、冗談じゃなくてー」

「そんなの、ありえないよ。俺、べつに優しくないでしょ」

「え、それマジで言ってる?」


 小賀堀悠真ことオガくんは天然だった。




 ・・・



 選挙管理の時期は、生徒会の手伝いをほとんど受けられないので、さらに大変だった。どうやら不正選挙や生徒会の介入を防ぐため、らしいけれど、ぶっちゃけうちの学校の生徒会選挙は、そんなに真剣なものではないと思う。だいたい半分くらいは前生徒会役員が引き続き継いでいくし。

 だいぶ仕事に慣れてきたものの、文化祭準備も迫っていたこともあって、多忙の極みだった。勘弁してほしいものである。ほぼ毎日放課後まで残っていた。初果もオガくんも、部活に入っていたから、休まる暇がまったくなかった。

 で、働き過ぎてオガくんは熱を出した。明らかに初果よりも忙しかったのだ。

 なのに学校にきた。

 初果は真っ青になった。


「お、おお、おが、オガくん。ごめんね、ごめんね、ごめんねえ」

「えっ、な、なに? なにが? ごほっ、あ、ごめ、げほ。ええと、なんか、トラブル?」

「わたし、ほんと、役立たずでごめんねえええ。もっと働くから! もっと、仕事、回してください! ぜったい!」

「ど、どうしたの……こわい……」

「だから! オガくんは、帰る!」

「え、でも、せっかくきたんだけど……」

「今日のノルマはわたしがビシッと片付けてみせます! なめるなよ!」

「べつに舐めてないけど……げほっ……」

「あーあーもー! なんでこんなにあからさまに熱あるのにきちゃうかなー」

「うわ、手ぇ冷たいねえ。大丈夫? もしかして冷え性? 俺、カイロ持ってるよ」

「オガくんが熱いんです!」


 筋金入りのお人好しなんだからなあ、もー。

 初果がふかいふかーい溜息を吐くと、彼はいつものように、困った顔で苦笑した。彼女の手に頬をすりよせ、心配になるような熱い息を出して、なんだか情けないような恥ずかしいような表情をした。とろんとした目に病を感じ、初果は気が気ではなかった。でもそんな彼女の気持ちなど知らぬげに、彼はつぶやく。


「俺、かっこわるいなー」

「いやあ、それ、全世界の男を敵に回したから」

「え?」


 彼は自分のことをぜんぜん分かっていなかった。

 ぽかんと目を丸くするオガくんの顔がなんだか新鮮で、とっくり眺めてしまったことを覚えている。

 オガくん。オガくんは、めちゃくちゃいい男ですよ。

 言えないけど。





  ・・・

 




 ある日、オガくんが告白された。


「オガくんが女の子フッてる……」

「わあ! な、なんでここに」

「あ、ごめん。オガくんの署名が欲しくて、探してたん、だけ、ど……なんかごめん」

「いや、それは俺こそごめん。どれ?」

「これ。……あの女の子、泣きそうだったね」

「……うん」

「きっと、文化祭、オガくんと回りたかったんだろうねえ」


 もうすぐ文化祭の季節だったのだ。それで、初果たちはわりと忙しくしていた。というより年中忙しいのに通常より倍増しだった。

 校舎裏というベタな告白現場に居合わせてしまった気まずさで、自分でもデリカシーのない話題提供をしてしまった。のだけれど、当のオガくんはやっぱりキリンみたいな優しい目をして、穏やかに相槌を打つばかりだった。


「オガくんはさあ、可愛い彼女と文化祭回りたい、とかないの? もろ青春な感じで」

「それはまあ、あるけども」

「なのにフッちゃったのか……」

「いやあ、だって、あの子のこと、そんな風に見たことなかったというか、そもそもあんまり話すこともなかったというか。びっくりした」

「オガくん、モテるんだねえ」

「ない、それはない。今日のは、大珍事なんだ」

「ええ、じゃあ、せっかくの文化祭デートのチャンスだったのに」

「う、いや、だから、だって、なんかそれ、失礼でしょ」

「し、紳士だと……!」

「それに、そういうのってあとでこじれそうだし。こわい」

「ヘタレか」

「ひどい……」


 彼の友人には、女の子をとっかえひっかえして今にも刺されそうなひとがいるので、もしかしたらそれもあって嫌だったのかもしれない。反対にオガくんは、誠実なひとだった。初果は書類の見直しをしながら、ちらりと相方を窺う。こっそり。

 さっぱりした黒髪が、さらさら揺れている。うなじが女の子みたいに白い。柳みたいに細い。彼は清潔感のある、ニュートラルな見た目をしている。悪くいえば、薄味である。

 でも、優しい静けさが、ひとの心を穏やかにさせる。

 いいところは、たぶん、たくさんある。

 

「……ふうん」


 好きではないなら、断ってしまうのかあ。そうかあ。

 初果はなぜか、ちょっぴりホッとした。もし今、彼に恋人ができてしまったら、気まずくなるかも、放課後に残って仕事したりできないかも、とか打算的なことを無意識に考えた、のだろう、とよく分からないなりに結論付けた。


「? なに?」

「オガくん、リア充への道は、遠いね」

「ひどすぎる」


 があん、と落ち込む彼に、初果は笑った。冗談冗談、とその肩を叩きながら、でも心の中だけで囁く。

 でもねえオガくん。

 きっとあの女の子は、それでもいい、って思って告白したんだよ。

 両思いだなんて、たぶん、少しでも思えてはいなかった。

 それでも期待したんだよ。

 文化祭を回るだけでもできたなら、もしかして、って。

 




  ・・・


 

 


 そんな風に、初果たちは半年を過ごした。自然、ずいぶんと気安い仲になった。初果は彼と一緒にいることがとても心地良かったのだけれど、相手にとってはどうだか分からなかった。何せ、いいところがまるでない自覚はあった。でもだいぶ、あんまり、足を引っ張らなくなったかな、と。

 むりやり自信を持ってみた。


「あのさあオガくん」

「んー?」

「わたしたちってさあ、友達です、よ、ね」


 勇気を振り絞って聞いてみると、彼はなんだかヘンな顔をした。

 初果はショックだった。


「あ、ち、違います、か……すみません……」

「え、ああっ、ごめん。違うよ! うん、はい、友達です。ていうか、え、どうしたの?」

「むりしないで……」

「ちょっとちょっと、何かあったの。あのね、さっきのは、びっくりしただけだからさ」


 オガくんは確認していた企画書の束をおいて、ふんわりと頬をゆるめた。しょうがないなあ、という眼差し。どうしたの? 優しい声。じわじわと胸に沁みる。


「……ごめん」

「暗いなあ、なになに、本当にどうしたの」

「や、何が、ってわけじゃないんだけど」


 つまり、まあ、友達だよね、とか聞く自分のうざさも分かっているのだけれど。

 そんでもって、そんなこと聞かれたらたいがい「うん」と言うしかないのも、分かってるのだけど。

 そのようなことをもごもご呟く。するとなぜか彼は可笑しそうに笑う。


「まー、確かに、めんどくさい上にどうしようもない質問だけどねー。でも俺は、親しく思ってるよ」

「親しく……」


 面白い言い方だ。


「あのねえ」

「うん」

「わたし、やっぱり、あんまり役に立ててないけどね」

「そんなことはないけど」

「うーん、あるんだよねえ。うん、でも、オガくんには、あんまり、嫌われたく、ないんだなあ」


 何でかは、ちょっと分からない。

 いや、分かりかけているけれど、分からない。

 オガくんは驚いたのか、ぽかんと口を開けて、まじまじと初果を見た。何か、真意を探るような仕草だった。

 それから、細い息を吐いた。


「それは……俺もだよ」

「ええー、うそー」

「ほんとだって。……まあ、ちょっと意味は、違うかもしれないけど」

「ん?」

「しかしこれ、なんか恥ずかしいなあ」

「う。ごめん」

「恥ずかしついでに言うけどね」

「え、うん」

「俺は、一緒の委員が、秋山さんでよかったよ」


 初果は目を丸くした。

 秋山、は初果の苗字だ。オガくんの言葉は爪とか耳とかまぶたの端から、身体中に広がっていく。喜びで沸騰しそう。オガくんは、ときどきこういう、わりと恥ずかしいことを、さらりと口にする。大人なのかもしれない。ふつうなら照れて言えないことも、何でもないことみたいに。やはり、お仏様だ。

 このひとと、長く、友達でいたい。

 彼のてらいのなさにつられてか、そんなことを、まるで当然に、初果は思った。

 だってオガくんは、好きではない子は断るから。


「オガくん」

「はい」

「わたしもです」

「うん」

「……文化祭、頑張る」

「うん、俺も」


 窓の外、夕焼けの眩しさに目を細めるようにして、オガくんのやわらかな視線がこぼれる。あ、と思った。

 あ、この顔、好きだな。

 もちろん、友達として。

 




  ・・・






 オガくんの友人が本当に他校の女子に闇討ちされかける事件を除き、文化祭は概ね通年通りの成功をおさめた。初果たちは後片付けの日、ほとんどの生徒が帰ったあと、一年弱の間にふたりの溜まり場と化した空き教室でぐったりと力尽きていた。


「お、おわった……」

「あの馬鹿、百合宮のお嬢様にまで、手を出してたなんて……」


 オガくんが暗い顔で虚ろに洩らすのは、懲りない女好きの友人のことだった。初果は苦笑する。


「まあ、未遂に終わったし。文化祭的には、問題なしだよ」

「秋山さんにも迷惑かけまして……本当にすみません」

「オガくんが謝ることじゃないって」


 ゴミ出しのチェックを終えて、先生への報告書を書く。大雑把なくせに、書類に関しては厳しいのが、我が校なのであった。

 薄い青の秋空が金色に染まり始めている。初果はなんだかぼーっとしてしまった。大仕事を終えた気分だった。事実、しばらくの間はそんなにやることは多くなかった。

 ぼーっとしてしまったのは、彼も同じようだった。椅子に背を預けて、じっと窓の外を見つめている。けれどもやがて、ゆっくりと振り向いた。珍しく微笑んでいない。初果は思わず、どきりとした。


「オガくん?」

「……うん。終わったなあ、と思って」

「そうだねえ、仕事も大分楽になるね」

「それは嬉しいなあ」


 ようやく、オガくんが微笑んだ。ホッとする。でも心臓がまだ、速い。


「そういえば、文化祭ほとんど俺と行動しちゃってたけど、良かったの?」

「え、なんで?」

「友達とか、約束してなかった?」

「ないない。ていうか、わたしがてんてこ舞いなの、みんな分かってたし。ていうか、笑いやがっていらしたしねえ」

「あー、あはは」

「オガくんこそ、良かったの」

「もちろん。俺は秋山さんと回れて、楽しかったよ」

「……ぬ」


 待て、オガくん。それは待て。その発言は軽くアウトだ。グレーゾーンを越えている!

 いやいやいや、まあ、オガくんだし。

 うん。

 初果は僅かに頬が赤らむのが自分でも分かった。それは、ええ、嬉しいですけども。目を泳がせた初果は、そのとき、オガくんが慎重に彼女の表情を観察していることに気づかなかった。

 その唇が、いつもより吊り上がっていたことも。


「……でも、あれはなかったなあ」

「あれ?」

「秀臣のこと」


 秀臣というのは本日修羅場を巻き起こした、オガくんの友人殿だ。まだ気にしているらしい。少し可笑しい。


「なんでそんなに気にするかなあ。本人以外にはそんなに被害なかったし、大丈夫だよ」

「けど、秋山さんは、ああいうの、好きじゃないでしょ」

「ん?」

「派手なのとか、修羅場とか、面倒事とか、怖いのとか」

「えー、まあ、それは。みんなそうじゃない?」

「……秋山さんにあれのせいで嫌われたら、と思うと、憂鬱でして」


 初果は驚いた。

 え?

 ええ?

 机に顎を預けて、顔を隠すように、頭の上に手を組む、オガくんを凝視する。


「な、なんで!」

「なんでって、ああいうのに関わり合いになるの、嫌でしょ。あれ、腐っても、俺の友人だし」

「いや、でも、だって、……えー! ないよ、それはない。ありえない。考え過ぎだよ。ていうか、そこまで薄情じゃないから!」

「でもあいつ、懲りないというか、今日みたいなの、初めてじゃないんだよね。俺といると、漏れなくあいつ、ついてくるから」

「いやいやいや、羽柴くんの凄まじさとオガくんへの好悪は別だってば。わたしは、オガくんのこと、嫌いになったりしないよ。ぜったい」


 なんとなく、おかしな発言が含まれていた気もするけれど、混乱していた初果はなんとか彼に言い重ねた。傍に近寄り、下から覗き込む。きれいな両目。視線を合わせる。


「わたし、オガくん好きだから、そんなアホみたいな理由で、嫌わないよ」


 その、きれいな、両目が。

 こぼれそうなほど大きく見開かれた。薄く、その下の唇も開く。


「……へえ」


 え?




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