表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/12

探偵真偽(2)



 東にある山の端から太陽が頭をのぞかせ、ナオシたちの街に曙光を伸ばした。産声のようなセミたちの鳴き声が散発的に聞こえてくる。街並もどこか夏を意識して浮ついた雰囲気が泳いでいる。涼やかな風。風鈴の音。爽やかな起床。晴れ渡った青空に掛かる雲ですら夏の形を思わせる陽気であったが、ナオシが通う小学校には蜃気楼のように不明瞭な空気が沈滞していた。

 その原因は、案の定、森村和樹であった。

 昨日の今日のことなのでクラスメイトたちは森村和樹の登校を心待ちにしていた。彼らは皆、彼の金髪がどのような黒髪になったのか拝んでやろうという意地の悪い算段である。

 調教された猛獣の登場を待つ子どものような心境で、出入り口から森村和樹が入って来るのを今か今かと待ち望んでいると今日は少し早めに彼が登校してきた。

 入室した彼を見て、「あれ?」と生徒たちは首を傾げたくなった。

 森村和樹の髪色は、転校してきた日と同じ金色だった。

 どうして。なんで。という声が教室中から聞こえてきた。昨日、校庭を歩き去っていくときは、たしかに黒髪であったのに。予想外の展開に生徒たちは戸惑っていた。

 そしてさらに、それから起こった出来事が彼らを混迷の淵へと突き落すことになった。

 八時二五分。ガラリと扉を開けて入って来た堂島は、席に着いた金髪の森村和樹を軽く一見しただけで、眉一つ動かさずにホームルームを始めようとしたのである。

 その事態にますます混乱した生徒たちは、


「昨日見たあれはなんだったんだ」

「たしかに髪が黒くなっているのを見たぞ」

「でも今は金髪だよ」

「それなら昨日見たのは夢だったんだ」

「んなバカな」


 そのようなことを口々に交わしはじめていた。

 騒いでいる生徒を席に着かせ、堂島は出席を取り出す。謎を抱えたままであるので呼名に応える生徒たちの声には、いつものような切れがない。まるで昨日と今日という一連の流れにいつの間にか切れ目が入り、上手く接合されていないかのような摩訶不思議な状態に陥っている生徒たちのなか、ナオシだけが混乱することなく常時の精神のままでいた。

 堂島に名前を呼ばれたナオシは、「はい」と手を上げて応じる。そして、昨日の掃除後のことを思い起こした。

 教室内の掃き掃除が片付き机を元の位置へと運び終わると、途中サボっていた罰でナオシはゴミ捨てをするよう堂島から言い渡された。反抗する必要もないのでナオシは素直に従った。

 校舎裏の廃棄場までゴミ袋を運んでいった帰途、特別学級の教室を過ぎて職員室の前に差し掛かったときだった。相撲取りのようなずんぐりと図体をした女が職員室へ入っていくのを見かけた。

 その女の髪色が森村和樹と同じ金色であったことが切欠となった。好奇心を唆されたナオシは、あの女と森村和樹は何か関係があるんじゃなかと思い立って職員室の扉を僅かに開け、その隙間から室内を盗み見た。

 先ほど見た金髪の女が職員室を我が物顔で闊歩し、冷房の下で二人の教員と立ち話をしていた校長の元まで歩み寄っていくところであった。

 突如として現れた女相撲取りに驚愕しながらも、歴戦の校長は狼狽えることなく穏やかに来意を訊ねたようだったが、その女は辺り構わず怒鳴り散らし始めた。

 人んちの子どもの髪になんちゅうことしてくれたんや。染めちゃあかんのか。そないなことどこに書いてあるんや。見せてみい。ほら。

 テレビの漫才くらいでしか聞かない関西独特の言葉遣いを初めて耳にしたナオシは、ここまで攻撃的な喋り方があるのかと耳を疑いもした。それは大人である教師たちも同じように見えた。矢面に立たされている校長は何度か言葉を返したようだが、その度に大女から言い返され、やがては人の言葉に反応して首を縦に振るオモチャのようになってしまった。

 一頻り怒鳴り終えた女は、「ほな、よろしく頼むわ」と口にして勢いよく扉を開けて帰っていった。

 この学校で髪を染めている生徒といえば、誰のことを指しているのか見当が付いたのだろう。校長に頼まれた女性の教師が急いで堂島を呼びに向かった。

 五分ほどして堂島が来た。罵詈雑言を一方的に聞かされ続けた校長はさすがに整った白眉を歪め、隣接する個室へと堂島を連れて行った。そこまで見守っていたナオシは、見つからないうちにその場から去ったのであった。

 きっと、堂島は校長に注意されたのだろう。今までも生徒に対する行き過ぎた処置は確かにあった。アキヒロの頭のことだって、彼の親が許さなければ問題になっていたことだろう……。

 ナオシは諸連絡を伝えている堂島から森村和樹へと視点を移動させる。

 黒い頭が並ぶなか、ただ一つの異色である金髪は神秘的でもあり、異物のようでもある。どちらの印象が正しいのかここで決断を下す必要はないが、教室の後方からその光景を見つめていたナオシには、ある決意が立ち上がっていた。

 目先の噂にすぐ翻弄されるような集団。真偽も疑わず好き勝手に捻じ曲げて楽しむ輩。そんなのだから、今のように自分たちの認識していた事実と現実が食い違ったときに狼狽えてしまう。思いもしない場面に遭遇したときに何もできなくなってしまう。

 そんなふうには、なりたくない。

 そう強く思ったナオシには、理想とする在り方があった。

 それは毎週愛読している雑誌に掲載されている推理マンガに登場する、どんなときでも沈着で、殺人事件に遭遇しても落ち着いて対処できるようなカッコいい探偵の主人公である。

 彼のような人間を心がけているけれど、そう上手くいくことは少ない。今回の件もそうだ。森村和樹の母親が職員室へと抗議をしに行った現場に偶然立ち会うことができたから、今の自分は混乱しないでいるけれど、もしもあの場面を目撃することがなかったら、俺もこの生徒たちと変わらず現状に困惑していたはずだ。

 あのマンガの主人公であったら昨日の職員室での場面を見なくても、森村和樹が金髪のままであった理由を状況だけで推理できただろう。でも俺は、あの場面を見ずして推理できた自信はない。俺はまだまだ理想には程遠い。

 落ち込みかけた気分をナオシは強引に釣り上げる。

 そうだ。少しでもあの主人公に近付くために、この機会を利用しよう。

 放課後になり、掃除が終わった人気のない教室でナオシは、森村和樹が金髪のままであったのに堂島が何も言わなかった理由をアキヒロとハジメに告げた。


「ほえー、そんなことがあったんだ」


 口をあんぐりと開けてアキヒロは得心顔になる。


「そこでなんだが――」


 興味を惹くためにナオシは言葉に溜めをつくって言う。


「森村が本当にウサギを殺したのか調べてみようと思うんだ」

「うわぁ、めっちゃ面白そうじゃん! やろうやろう!」


 発案者のナオシが気圧されるくらいの喜びぶりを示したアキヒロに対し、ハジメはあまり乗り気ではなさそうであった。


「調べるってさ、どうやってするの?」

「今日ずっとそのことを考えてたんだけどよ――」


 ナオシは授業もそっちのけで思索していた考えを二人に口にする。


「尾行する」

「うっひゃあ! 探偵みたい!」

「…………」


 二人の反応は明と暗にはっきりと別れた。どちらがどちらの反応を呈したのかは言うまでもなく、ナオシはぶすっとしたハジメを説得するために続ける。


「一番手っ取り早いのは、本人に直接聞くことだとは思ったんだよ。でも、さすがにそれは訊きづらいだろ。『お前は前の学校でウサギを皆殺しにしたのか?』なんてよ。それに真実だったとしても、はいそうです、なんて本人が言うわけないだろって思って却下したんだ」


 ハジメの顔は、何かに思い悩んでいるかのような表情のまま変化がない。


「んで、次に思い付いたのが、あいつが前にいた学校に訊ねてみるってのだったんだが、まずどこから転校してきたのか分からねぇし、聞くとなると堂島を経由することになるだろ? そのときにどんな言い訳をしても教えてくれないような気がしてよ、結局その案もなしにしたんだよ」

「それからどうやって尾行につながるの?」

「ええっと、それはな。もし、あいつが本当にウサギを殺したのなら、そのなんて言うんだ、殺人衝動みたいなのを抑えきれなくて、こう、帰り道に野良猫とかを殺すかもしれないじゃん?」

「本当にそれだけ?」


 ハジメの追及にナオシは、言葉を詰まらせながら嘘偽りのない本音を告げた。


「実は、尾行ってのを、一度やってみたかったんだよ」

「じゃあ、森村くんが本当にウサギを殺したのか調べるっていうのは口実で、ただ尾行をしてみたいだけなんだね」


 はぁ、とため息を吐いたハジメに弁解するようにして、「絶対に楽しいって尾行! 人生で尾行をする機会なんて絶対にないぞ、やろうぜ!」そう開き直ったナオシはふと気付いた。


「あっ、そうか。ハジメは塾があるから下らないことにあんま時間を使いたくないのか?」

「別にそういう訳じゃ――」と、ハジメは言い濁した。

「それなら気にするな、尾行は俺とアキヒロが中心になってやるから、ハジメはヒマなときに参加してくれればいいんだよ」

「……分かったよ。いいよ」


 ハジメの賛同が得られたことで息を吹き返したナオシは、「それじゃ、明日からさっそく始めよう!」と、高らかに宣言してハジメに視線を向ける。


「ごめん、さっそくなんだけど明日はダメ」

「そうか、それなら仕方がない。アキヒロ! 明日は俺と二人で尾行するぞ!」

「うっしゃ、頑張るぜっ! 変装とかしちゃうぜっ!」

「そこまではしなくていいぞ、アキヒロ」


 それから日が暮れるまで、興奮冷めやらぬ調子で明日の行動を話し合っていたナオシとアキヒロを、ハジメはどこか冷めた目で眺めていた。

 翌日から血気盛んに行われた尾行であったが、驚くほど成果が振るわなかった。

 森村和樹の下校は蟻の行群を眺めている方がまだ面白いと思ってしまうほど味気のないものだった。道草もしない。買い食いもしない。ただ黙々と街中を歩き進み、学校から徒歩二十分ほどの場所にあるアパートへと帰宅する。ハジメが一度参加した尾行の際に、ブロック塀の上を毅然と行く野良猫が彼の真ん前に飛び降りたことがあった。そのときは、ウサギ殺しの本能が垣間見える瞬間を見られるかもしれない、と大いに期待したのだが、森村和樹は猫を素通りして自宅へと帰っていった。

 尾行どころか森村和樹の下校を見守っているだけで、本人たちも目的を忘れてしまうほど結実のないまま一週間ほどが経過した。あれほど熱意を見せていたアキヒロですら尾行に対してお座なりになっており、ナオシもほとんど惰性で続けていた。

 午後の授業中、やっぱマンガとは違うものなんだなぁと、今後のことも尾行を続けるか思案しながら校庭の隅にある松の木に蜂蜜のように掛かった日差しを、ナオシは何ともなしに見つめていた。

 微風が吹いて木葉が揺れると蜂蜜色の陽光はトーストの上を広がるときのようにどろどろと動いた。その先にある敷地を囲む柵の外側で、何かがヒョコヒョコと移動しているのをナオシの目が捉える。ピントを合わせるようにして目を細めていき、やがて見えてきたそれが犬であることが分かるとナオシの好奇心が首をもたげた。

 あれは、最近街をうろついているという野良犬だろうか? 遠目で少し判断がしづらいがあの黒と茶色の毛並みはシェパードだ。それなら犬種も一致している。

 噂には聞いていたが今まで遭遇したことはなく、初めて目にしたナオシは色めき立ったが、その野良犬は学校の北側にある竹藪へと消えていってしまった。

 せっかく見つけた好奇の対象がいなくなってしまいナオシは静かに嘆息した。その吐息を撃ち抜くようにして、よそ見をしていたナオシを叱咤する堂島の声が響く。

「すみませーん」と、ナオシは校庭へと向けていた顔を黒板へと戻した。

 静々と進行する授業。怒られないよう必死にペンを動かす生徒たち。そのような風景のなかで一つだけ異彩を放っている金色の髪。森村和樹が転校してきてから一週間と数日が経った。ナオシだけでなく生徒たちも、もうあの頭は見慣れてしまっていた。それでも誰も森村和樹に話し掛けようとしないのは、自分たちとは違う特徴を持った異物を忌み嫌う動物的な本能なのかもしれない。彼も彼で、他の生徒たちと関わろうとする素振りがなく、むしろ逆に周囲の反応をビクビクとうかがっているようなふうでもあった。

 ナオシは不意に思う。もしかしたら、森村和樹は金髪のせいで前の学校でもこのような対応だったんじゃないだろうか。続いてナオシの脳裏には、あの強引に教職員を納得させた女相撲取りの姿が過ぎった。本当に本人は髪を染めたいと思っているんだろか。母親に強制されているだけじゃないんだろうか。もしそうだとしたら――。

 ナオシの胸に同情の念が漂った。自分が彼の立場であったら、どうしただろう。親の趣味で髪の色を変えられ、それが理由で学校に馴染めないのだとしたら、どうしただろう。

 そこでナオシはスッパリと思考を打ち切った。どうして俺が友達でもない他人のことを心配しなきゃならないんだ。嫌なら嫌とはっきり親に言えばいい。それができないで学校に馴染めないのなら本人に責任がある。

 そう割り切ってみても心の隅に引っ掛かりを覚えた。それに引きずられるようにしてナオシは放課後、今日の尾行を中止にすることをアキヒロとハジメに伝えた。


「んあー、分かったー」

「どうせ塾で行けなかったからいいよ」


 とっくのとうに二人とも飽きていたのだろう惜しむ素振りもしなかった。

 もしかしたらこのまま明日もやらないかもしれないなぁ、とナオシは思った。

 しかし、その明くる日、事態は急転することになった。



 朝のホームルームも終わり、生徒たちは一時間目に備えて教科書やノートを机に広げていた。森村和樹も机に頬杖をつきながらぼんやりとしていた。こっそり持って来たマンガを机の下に隠しながら読み耽っていたナオシの元へ、息を荒げたハジメがやって来た。読書を中断されたナオシは、不服気にマンガを閉じて机のなかへとしまって顔を上げる。


「どうしたんだよ、朝っぱらから」

「ニュースだよ、ニュース!」


 ハジメの声は予想以上に大きく、数人の生徒が何事かと二人の方へ顔を向けた。


「丘の向こうに私立の小学校あるじゃん」

「ああ、あるな。あの頭いいやつがいっぱいいるところだろ。それがどうしたんだよ?」

「本題はこれから」


 ハジメが荒げた呼吸を整えて続けた。


「その小学校に通ってる子どもの家で、昨晩、変死事件があったんだって!」

「変死? どんなだよ?」

「うん、亡くなったのはその家の父親……たしか、どこかの大学の教授らしいんだけど――」


 ガタン、と机が跳ねる音がした。

 ハジメが言葉を切って音のした背後を振り返ったのでナオシもそちらへ目をやると、森村和樹が床から鞄を拾い上げているところであった。どうやら何かの拍子に机を蹴り上げてしまい、床に鞄を落としたようだ。鞄を拾い上げた森村和樹は見られていることが気になったのか、ちらりとこちらへ目をやった。そのときに森村和樹と目が合って気まずくなったナオシは、「それで、どんな事件だったんだ?」と、ハジメに続きを促した。


「うん。なんでも、部屋にある本棚にしまわれてた大量の本に押し潰されて圧死したらしいんだけど、ちょっと調べてみたら、昨日の夜って地震もなにもなかったんだよ」

「そりゃ、たしかに変だな。揺れもないのに本棚から本が飛び出るんなんて」

「ね。だから警察も事件と事故の両面を疑ってるらしいよ」


 ナオシは黙考していろいろなパターンを思い描いてみる。

 事故に見せかけた事件? だとしたら誰が犯人だ? 外部から侵入してきたやつがいるのか、それとも――。

 ナオシは唐突に浮かんだ疑問をハジメにぶつけた。


「その話、誰から聞いたんだよ? 塾の友だちか?」

「うん、そう。朝会って聞いたんだ」


 ハジメが答えると、教室の前の入り口から堂島が現れ、ハジメは急いで自分の教室へと帰っていった。

 授業が始まり、堂島が黒板にチョークを走らせる。

 変死事件のことを考えながらナオシは何気なく森村和樹へと視線をやった。

 森村和樹は、手に持ったシャーペンを拳が白くなるほど握りしめ、白紙のノートを睨みつけていた。その横顔が、ウサギを惨殺してしまう狂人のように見え、ナオシははっと息を呑んだ。周囲の生徒は板書に気を取られていて彼の様子に気付いていないようだった。見てはいけないものを見てしまったかのような気分になったナオシは、とっさに顔を自分の机へ戻して静かに深呼吸をする。

 なぜ今、森村和樹はあんな鬼みたいな顔をしているんだ。朝見たときはいつも通りであったのに、何があったんだ?

 さまざまな憶測を回らせていたナオシの頭のなかで、バチリと音を立ててはまる推測があった。先ほどハジメが話していた昨晩起きたという変死事件。その途中、落とした鞄を拾い上げてこちらをうかがっていた森村和樹。もしかして、あいつが犯人なんじゃないのか……?

 途端、ナオシの鼓動が跳ね上がる。

 あり得る。だって昨日、俺たちは尾行をしなかったんだから。

 もしあいつが、俺たちに尾行されていたことを始めから知っていて、それが原因でなかなか『行動』に移れなかったのだとしたら。俺たちの尾行がなかった昨日は、絶好の機会だったんじゃないだろうか?

 ただの小学生が人殺しなんて、そんなことありえない。

 ナオシのなかにある常識が口々にそう述べて数々の反証を示してきたが、ナオシはそのすべてを振り払い、再び森村和樹を見た。

 それなら、どうしてあいつはあんなにも鬼気迫った顔をしているんだ。

 ナオシの眠りかけていた探偵の血が一斉に湧き立った。

 今日、何か行動を起こすかもしれない。もう一度、尾行をしてみよう。



 やっぱりそうだ!

 放課後、森村和樹を取り分け慎重に尾行していたナオシは、彼がいつも下校していた順路から外れたのを見て内心でガッツポーズをした。

 森村和樹は、家路からどんどんと離れて川原の方面へと向かっていた。いつもの道から外れれば外れるほど、ナオシは自分の推理に自信を持っていったのだが、その喜びを分かち合うものはいなかった。この尾行は見付かってしまう可能性を考慮して、少しでも人数を減らして動きやすくするためにアキヒロやハジメには黙って行っていた。

 三十メートルほど先を行く森村和樹は角を折れ、川沿いの遊歩道へと続く葉桜並木へと出て行った。ナオシも慎重に慎重を期して後を付けていく。

 角を曲がったナオシは、並木道の途中で立ち止まっている森村和樹を遠目に見付けて、慌てて民家の垣根へと身を隠した。葉の隙間から様子をうかがうと、彼は女の子と向かい合っていた。

 まさか――、とナオシは目を見張ったが、森村和樹は何もせずに女の子の横を通り過ぎていった。

 ナオシは垣根から出て、再び追跡を開始する。先ほどの森村和樹と何やらやっていた女の子は考えごとでもしているのか、並木道の途中で突っ立ったままその場にいた。ナオシはそっと脇を抜けて、先にある遊歩道を行っているはずの森村和樹の背を探した。

 それほど遠くない位置にその姿を見付けた。ナオシは渇いた喉に唾を落として、歩きだした。

遊歩道はやがて土手へと繋がる。左方の河川敷には青々と茂った植物たちが群生し、土手を隔てた川裏に居並んだ住宅地のどこかから、竿竹屋の売り口上がのんきに聞こえてきた。

 森村和樹との距離は二十メートルもないが、川の流れる音などによって急に振り向かれることがない限り気付かれることはないだろう。

 そう思ってナオシが動き出すと、住宅地の路地から黒い影が飛び出してきたのを見付けて、思わず警戒して足を止めた。

 その正体は、街を徘徊しているシェパードであった。

 シェパードは辺りを警戒するようにして電柱の陰から姿をのぞかせていたが、やがて土手を駆け上がってその上の遊歩道へと飛び出した。

 そこは遊歩道を歩いていた森村和樹の真横であった。

 唐突に草陰から現れた犬を怪訝そうに見下ろした森村和樹。これから起こることをもっと近くで見ようと好奇心に駆られたナオシは、遊歩道から河川敷の方へ下りて行き、繁茂した高草をかき分けながら接近していく。

 十分に様子がうかがえる位置にまで来たところで、腰を屈めて森村和樹とシェパードの動向を仰ぎ見た。

 不審げに眺めていた森村和樹は、シェパードの口元に何かが咥えられているのを発見したようであった。ナオシもほぼ同時にその何かを見付けたが、距離が離れていることや、目線まである高草によって視界が悪く凝視してもその物体の詳細を知ることは叶わなかった。

 しかし、間近にいる森村和樹にはその正体が分かったようである。咥えられたそれが何であるのか理解し、そして、背筋に一本の氷柱を通されたかのように身を硬直させた。

 その様子を傍から見たナオシは、彼が恐怖しているのを見抜いたが、依然としてその正体を知ることができずにいた。

 もう少し近付けばもっとはっきりと分かるのに。煮え切らない思いをしてナオシは身をのり出してさらに注視する。集中して目を凝らすと、その形は土に汚れた軍手のように見えなくもなかった。

 もっと近くに――。そう思ってナオシが一歩踏み出すと、森村和樹と対面していたシェパードが何かを感じ取ったかのように鼻先を左右に振り――出し抜けに身を翻して、ナオシがいる場所とは反対側の川裏の住宅地へと駆け出していった。その後を森村和樹は猛然と追いかけていき、ナオシも慌てて草を掻き分けて土手を上がった。

 勾配や草に足を取られながらナオシが土手上の遊歩道に出たときには、森村和樹の姿は一瞬見えただけで、すぐに住宅の陰へと消えてしまった。

 あのシェパードと森村和樹の関係は分からないが、ここまで来て諦めるわけにはいかない。ナオシは土手を滑るようにして下りていき、住宅地へと突入した。

 幾つの電信柱を通過して、何回目の十字路へと出たかナオシは数えことすらしなかった。ただ念頭には森村和樹を見付けることだけを置き、目と耳を研ぎ澄ませた。路地を折れ、足音がすればそちらへ向かい、一本先の路から犬の鳴き声がすれば全力で駆けた。それでも発見には至らず、すれ違った住人に自分と同じくらいの子か野良犬を見なかったか、と訊ねもしたが首を縦に振るものはいなかった。

 蜂の巣のようなブロック塀からイヌマキの生け垣へ。寂れたアパートから新築の一戸建てへ。走れば走るほど変わっていく家並みにナオシは目を回しそうになる。変化がないのは、反響している竿竹屋の声だけのような気がして吐き気が込み上げた。ナオシは近くの電信柱に手を付く。その下の側溝のなかには吐瀉物のような泥が溜まっている。


「――あっ」


 耳を衝いたその声にナオシは顔を上げた。

 周囲を見渡したが声の主は見当たらない。ナオシは不思議に思いながら正面の家へと目をやる。そこは、手入れをされていない生け垣に囲まれた岩盤のような平屋だった。

 ヒュ――と、息を限界まで吸いこんだかのような声がその先から聞こえてきた。ナオシはその声に一縷の望みを託し、辺りを見回して生け垣の裂け目を見付け、そこから敷地のなかをのぞいた。

 伸び放題の芝。捲れ上がった土。枯れた立木。ゴミ捨て場のように積み重なったダンボール。どんなに植物に興味のない住人でもここまではしないと思うほど、荒れ果てた庭だった。家人が住んでいる家の窓には、まるで世間から内部をひた隠しているかのように灰色のカーテが引かれていて、この敷地内だけ世間から閉ざされているかのような印象をナオシに与えた。

 あの声はどこから届いてきたのだろう。

 ナオシは生け垣に沿って家の外周を歩きだす。どこまでいっても奔放さを保った生け垣。ブロックの段差を上がったことで視点が上がり、敷地のなかがよく見えるようになった。

 人目が少ないからだろう、敷地内にはスプレー缶やペットボトルが放り投げられているが、それを片付けない家人はどんな神経をしているのだろうか。そう思いながら裏庭ともいえる日の当たらない場所をのぞいたナオシは、そこに森村和樹の姿を発見した。

 彼は茫然と足元から少し先を見下ろしていた。

 そこには人の膝ほどの深さがある穴が穿たれていて、その穴のなかに黒いごみ袋が捨てられた。

 穴の周辺でくるくると嬉しそうに回っているのはあのシェパードで、相変わらずその口には土で汚れた軍手が咥えられていた。

 気付かれないよう生け垣の上から目だけをのぞかせて様子を見ていたナオシは、シェパードが動きを止めたときに、口にあるものが軍手ではなかったことを知った。

 それは、素手で砂場を掘り返したかのように土まみれになった小さな人間の手だった。

 ナオシの視点は何かに導かれるようにして、手を加えた犬の口元から地面にぽっかりと開けられた穴へと向かっていった。

 穴のなかにある黒いゴミ袋は、よくよく見ればところどころ表面が裂けていて、僅かに中身がのぞいている。

 絵具のチューブから捻り出した濃厚な赤と、無慈悲な黒と、儚い肌色の三色を、安っぽいパレットの上で気怠くかき混ぜ、それを黒い画用紙に塗りたくる。何度も重ねて塗っていき、厚みを帯びたらペーパーナイフで筋を入れる。その切れ目から現れる――

 そこまで連想したナオシは、自失状態から復帰した。


「え……? あっ、え?」


 口を閉じていると思ったのに声が出た。

 その声で気付いたのか森村和樹がゆるゆると身体を動かして、垣根の上からのぞいていたナオシへ瞳を合わせた。

 その表情を記憶する前に、ナオシは全速力でその場から逃げ出した。



 翌日、森村和樹は学校に来なかった。

 そしてその翌日も登校しなかった。

 家にも帰っていないらしく、両親が捜索願を警察に出したという噂がすぐに校内に拡がった。真偽の分からない噂に翻弄される生徒たちを横目にして、ナオシは森村和樹を最後に見た情景を思い出す。


 暗い目をした森村和樹。

 喜び跳ねるシェパード。

 掘り返された地面。

 穴。

 すべてを包む黒いゴミ袋。

 そのなかに収められた――。

 バラバラ死体。


 それが自分の目で確かめた真実であるはずなのに、ナオシはその事実を信じることができずにいた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ