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昔日のなき声(2)


「なにやってるのさ? もしかして瞳もなにか買いに?」


 わたしはお兄ちゃんの顔をみないように伏し目がちになって首をふる。


「ふーん。ま、いいか。瞳は、これから帰るのか?」


 今度はエサを突っつくニワトリみたいに首をたてにふる。


「そうか、それなら一緒に帰ろう」


 そう言って手を取ろうとしたお兄ちゃんから、わたしはとっさに距離を取った。その行動は自分でも意外で、どうしていいか分からなくなったから、わたしはくるっと身を反転させて家へ向かって歩き出した。

 少し遅れて隣を歩き始めたお兄ちゃんの右手には、ビニール袋が握られていた。間にお兄ちゃんの体があるからなにが入っているのかはよく見えないけど、たぶん駄菓子屋さんで買ったものが入ってるんだと思った。

 わたしは不意打ちに混乱した頭で、どうしてお兄ちゃんがこんなところに、それよりどうして外に出ているんだろうって必死に考えていた。でも、どんな想像をしても答えは出なかった。

 そんなわたしの考えに気付いたのか、お兄ちゃんは手にぶら下げていたビニール袋をごそごそとあさって長くて青いヒモを取り出した。わたしがなにも反応をしめさないのを考えあぐねていると勘違いしたみたいで、お兄ちゃんはその縄を手元でブンブン回して言った。


「縄跳びだよ。最近、運動不足だからさ、これでちょっとは解消しようと思って買ってきたんだ」


 拍子抜けだった。本当にくだらない、そんなことしてるヒマがあるなら学校に行ってよ、って心のなかで叫びながらわたしは黙々と進んでいく。


「そうだ。瞳のも買ってあるんだ」


 お兄ちゃんは袋をまさぐって今度はピンク色の縄跳びを取り出してわたしに見せてくる。その押し付けがましい優しさがわたしに腹を立てさせた。

 誰がそんなもの買ってって頼んだの。勝手なことしないで。ゲームの話だってもう聞きたくないよ。一日中そんなことやってるヒマがあるなら、学校に行って自分をいじめてたやつらに仕返ししてきてよ。

 あふれてくるグチをすべて足元のアスファルトにぶつけてやった。お兄ちゃんがわたしの様子を横目でうかがっているのがなんとなく分かったけど、わたしは顔を左側の垣根に傾けてそれに気付いてないフリをしながら黙って歩きつづける。

 竿竹を売る軽トラックが正面のT字路を右から左へゆっくりと通過していった。周辺にひびく竿竹屋さんの声を威嚇するようにして、犬の遠吠えがどこかの家から聞こえた。夕方に近付くにつれて吹いている風も少しずつ温度が下がってきてて、かいていた汗も止まってた。


「――瞳?」


 お兄ちゃんの顔が突然目の前にあらわれて、油断していたわたしはびっくりしてその場で立ち止まってしまった。お兄ちゃんも歩くのをやめて、止まっているわたしを不思議そうにみている。

 お兄ちゃんはわたしよりもずっと背が高いから、話すときはどうしても見上げなきゃならなくなる。

 いつだってお兄ちゃんはわたしよりも空に近くて、わたしが太陽を指さして「あれがほしいっ」って言えば、苦笑いを浮かべながらも手を伸ばして簡単に取って来てしまうような気がした。そんなお兄ちゃんが好きだったから、小さなころのわたしは首の後ろが痛くなっても気にしないで、いつもお兄ちゃんを見上げていた。

 でも今は、わたしはお兄ちゃんのことを見上げることがどうしてもできなくて、しわしわになったお兄ちゃんのシャツをずっとにらみつけていた。


「なにか、あったのか?」


 その無頓着な言いぶりにさっと頭に血が上った。


「ぜんぶ、お兄ちゃんのせいだよっ」


 って叫んで泣きわめきたかった。わたしがそうやってダダをこねれば、お兄ちゃんは渋々学校に行ってくれるかもしれないって思った。でも、それはもう無理だ。半年の間、家にこもりつづけていたお兄ちゃんは、腕についていた筋肉もほとんど落ちてひょろひょろの枝みたいになっている。そんなんじゃケンカしたって勝てっこないし、それに――。

 無視するのも不自然だから、わたしは感情を顔に出さないようにして「別になにもないよ」って小さく言ってお兄ちゃんの横をすり抜けてまた歩きだす。

 そんなわたしの態度からお兄ちゃんはなにか感じ取ったのか、さっきよりも一歩くらい距離をおいてわたしの隣を歩いた。その間隔に気まずい沈黙が行ったり来たりしてるような気がした。沈黙を埋めようと思ったのか、お兄ちゃんが息を吸いこんでなにかを言おうとしている気配がしたけど、結局、会話はないまま何回か角を折れて家の近くの路に出た。

 深緑色の三角形の屋根の一戸建てがわたしの家。

 お腹のなかではまだ怒りがはじけてて、わたしはその怒りのエネルギーをビームに変えて過ぎていく電柱にぶつけて折っていく想像をしながら深緑の三角形を目指して歩いた。

 その想像のおかげで玄関の前にたどりついたときには、だいぶ怒りもおさまってた。ジーンズのポケットに手を入れて家の鍵を探しているとお兄ちゃんがいないこと気がついて、わたしはカギを取り出しながら後ろへ振りむく。

 お兄ちゃんは門扉のところに立って、家の二階をあおぎみていた。そして、わたしにみられていることを知ると、上に向けていた顔をもどして、ゆっくりと笑みをつくった。

 その顔だ。

 お兄ちゃんがむかしと一番変わってしまったと思うのは、ひょろひょろの腕とかじゃなくてその笑顔だった。

 むかしのお兄ちゃんは太陽みたいにきらきらして自信にあふれていて、みているだけで体が暖かくなるような笑顔だったのに、今のは、今の笑顔は、相手のゴキゲンをうかがっているような、コビを売っているような顔だ。

 せっかくおさまっていた怒りがまたわき出してきていた。お兄ちゃんはその笑顔のままなにか言おうとしていたけど、なかなか言い出さなかった。その中途半端な態度がますますわたしのお腹をかき乱した。

 わたしは力をこめてカギをカギ穴に突き刺す。ザクッと気持ちのいい手応えがしたけど、それだけじゃいまのわたしを静められない。扉の取っ手を掴んで開けようとしたとき、後ろからお兄ちゃんの声が聞こえた。


「瞳。あのさ、なにかあったら俺に、そ――」


 お兄ちゃんが言い切る前に、わたしは勢いよく家のなかに入った。

 クツを脱いで「ただいま」も言わず、玄関からすぐのところにある階段で二階へ上がっていく。階段をいつも以上に強く踏んだら、思ったより大きな音がした。居間にお母さんがいるのか、「うるさいよ!」っていうどなり声が聞こえてきた。わたしはムカッとして、もっと強く階段を踏んでやかましい音を立ててやった。

 二階には廊下をはさんでわたしとお兄ちゃんの部屋がある。わたしの部屋のトビラにはピンク色のネームプレート、お兄ちゃんの部屋には青いネームプレートが付いている。それがあの縄跳びとおんなじ色だってことに気付いて、最後の一絞りのような濃い怒りがにじんできた。

 わたしは横にある壁をグーで殴る。ぜんぜん力がないから、まな板を包丁で軽くたたいたような音しかしなかった。でも、わたしのこぶしは痛かった。

 玄関のトビラが開く音がして、わたしはあわてて自分の部屋に飛びこんだ。そのまま一直線にベッドへ乗っかる。スプリングの弾みに合わせて窓先の電線にとまっているスズメも上下した。

 踊るスズメたちの背景は、魚のウロコみたいな雲に覆われた空。ウロコのすきまからのぞいている水色は、かき氷のブルーハワイみたいでおいしそう。

 ときどき、空はすごい大きな動物の肌なんじゃなかって思う。大きすぎてわたしたちが気づいていないだけで、その動物は丸い地球をタマゴみたいにかかえてるんじゃないかって、それならわたしたち人間は、子どもも大人も関係なくその動物の子どもに過ぎないんじゃないかって、そんな想像をしちゃう。

 風に合わせてかたちを変えていく雲を眺めながらそんな妄想をしていると、水をさすように部屋の外から、ガタンって大きな音がした。たぶん、お兄ちゃんが自分の部屋に入った音だ。

 わたしはクッションを床から拾い上げてそれに顔をうずめる。洗剤の良い匂いが顔の周りにふぁって広がった。その香りが毛羽立っていたわたしの心をなだめてくれた。

 お兄ちゃんに悪いことをしちゃったなって、ようやく冷静になれたわたしはそう思って反省した。今日はたまたまコンちゃんとか宿題とか、悩みごとが重なってそれでお兄ちゃんに八つ当たりをしちゃったんだと思う。

 だから――。

 お兄ちゃんに謝ろう。

 それだけじゃない。

 ぜんぶ言おう。

 学校に行ってほしいって。

 むかしみたいに戻ってほしいって。

 ぜんぶ、言おう。


「よしっ」


 実際に口に出して気合を入れて、クッションから顔を上げた。洗剤の匂いが遠のいたけど、それがなくてももう大丈夫。

 廊下に出てそのままお兄ちゃんの部屋のトビラをノックする。返事がなかったけど居ても立ってもいられなかったわたしは勝手にトビラを開いた。

 部屋のなかはいつもより散らかっていた。ウサギの寝床みたいに荒れたベッド。床でうねっているゲーム機のコントローラー。積み重なったゲームの攻略本と週刊マンガ雑誌。残りカスがのぞいているスナック菓子の袋。空っぽになったお茶のペットボトル。

 お兄ちゃんは窓辺にいた。


「お兄ちゃん?」


 わたしが呼んでもお兄ちゃんは自分の足元をみつめるようにしてなにも答えなかった。ちょっとムッとしたけど、わたしもさっきまで無視ばっかしちゃってたからその仕返しなのかもと思ってこらえて、


「ねぇ、お兄ち――」


 もう一度呼ぼうとして、わたしはお兄ちゃんの格好がちょっと変なことに気がついた。

 背の高いお兄ちゃんの頭の位置が窓の中間くらいにあって、両脚が前に投げ出されてアルファベットの『J』みたいな姿勢になってる。それに、なんだろうあれ。お兄ちゃんの頭のうしろから出てるやつ。

 部屋に入りながら目を細めていくと、それはお兄ちゃんが駄菓子屋さんで買った縄跳びだってことに気づいた。青とピンクの二色の縄跳びは仲の良いヘビみたいにからまって、お兄ちゃんの首からその上にあるカーテンレールまでつづいている。

 お兄ちゃんの体重を支えているカーテンレールから息苦しそうに軋む音が聞こえてきて、わたしも息がしづらくなる。わたしはゆっくりと呼吸を整えながら後ずさりして、廊下まで出てからそっとトビラを閉じた。

 一階からお母さんの笑い声がする。ちょうど近所を通過しているのか竿竹屋さんの声も聞こえた。あとは、トビラの先から「ギシ、ギシ」っていうカーテンレールが軋む音が聞こえた。

 それは、虫かごに入れられたセミたちの鳴き声に似ていて、その声は、みつめていた木のトビラをセミが止まった樹木にみせた。わたしの頭では夏の日の思い出がよみがえっていた。


 ――セミの声。

 ――暖かい手。

 ――土の匂い。


 まるであの日に戻れたようで、わたしはなんだか嬉しくなった。


 ――夕暮れの森林。

 ――虫かごのなかのセミ。


 でも、そのあとにとても悲しくなって、瞳から涙がぼろぼろ出てきた。


 ――泣きそうなわたしの顔をふくハンカチ。


 わたしは、涙がつたうほおをトビラに押しつけて、お兄ちゃんのことを小さく呼んで耳を澄ませた。


 かごのなかのセミは、いつまでも。

 いつまでも、なきやまなかった。




 ちょっと眠いので続きの投稿と投稿済みのルビ振りは後日やります。

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