折り畳み式ワールドエンド(2)
僕が便箋を渡す相手の一人に森村和樹を選んだのは、友人から彼の母親が職員室に乗り込んできた話を聞かされてからだと思う。
当初は、大人への背反のシンボルとして妄想の種にもなっていた森村和樹であったが、実は彼が母親から髪染めを強制されていたという可能性が彼の選出へと繋がった。
重川嘉孝。矢野彰介。森村和樹。
その三人に当たりをつけ、僕は近所の文房具屋で購入した簡素なレターセットで人数分の手紙をつくった。封入した便箋には、あの文章と集合日時、場所を記す。素のままで文章を書くと自分の字を子どもっぽく感じた。このままでは、イタズラだと思われてしまうかもしれないから、定規を使って丸みのない無機質な文字にして記述者の年齢が特定されないような字面にした。
日時は七月四日の十六時。
集合場所は住宅地から少し離れたところにある名前も知らない公園を指定した。
僕は数日に分けてそれぞれが確実に手に取るだろう場所に手紙を置いた。任務を完遂した充実感と、これから状況がどう転んでいくのかを楽しみにして帰宅した僕は、予備で持ち歩いていた便箋を一つ失くしていることに気が付いた。
鞄の底まで探しても見つからないことに歯の根が合わないほどの焦りを覚えた。もしかしたら指定した日時に予期しない人物がやって来て、計画がすべて破算してしまう可能性を生んでしまったのだから。
日時や場所を変更することも検討したが、僕の指定した『会合の日』は明日に迫っており、今から彼らに伝えるのは困難を極めるのでこのまま強行するしかなかった。
ゲロで濡れた膝の生温さが不快だった。
呼吸の度に吐き気を覚えた。
振動する視界に映る夜空の星は、みな流れ星となって夜闇に線を引いた。
会合の日が来る。
指定の公園へ早めに向かって様子を見ていたかった僕は、すぐに下校しようとした。途中の廊下で出会った友人から、今日の森村和樹の尾行を中止することが告げられた。
まだそんな進展のないことをしていたのかと心中で呆れ、嘲笑った。僕は塾までの放課の時間をやりくりして、便箋を配っていたというのに……。僕は友人に「どうせ塾で行けなかったからいいよ」と言い残して急いで学校を去った。
今日が塾というのは嘘ではなく、その日の塾を僕はサボるつもりだった。
用事や風邪で休むことは今までもあったが、無断欠席は初めてのことだった。その背徳に胸を鳴らしながら、僕は住宅地を抜けて指定した公園へと向かう。
信号のない横断歩道を渡り、目的の公園へと到着する。街路樹に囲まれているため内部をのぞくことはできない。僕は入り口まだ回り込み、その前を通り過ぎるふりをしてなかをうかがった。
まだ誰も来ていない公園の様子を見て、もしかして誰も訪れないのではないかと不安になる。そしてそれよりも、さらに重大なことに僕は気付くことになる。
この時間、重川嘉孝は塾へと向かうのではないだろうか……。
今更のように指定した時間を誤ったことを悟った僕は、自信満々で組み立てた計画の杜撰さに唇を噛み締める。いくら後悔したところで今になってもう遅い。なるようになるだろうと、僕は道を引き返して木々に囲まれた公園へと足を踏み入れた。
体育館の半分の広さにも満たない公園の敷地。公園をぐるっと囲む樹木や低木は茫々と生い茂り、空からの光を遮っている。そのため、夕方前だというのに公園内はほの暗く、見るからに淀んだ雰囲気が漂っているのでここで遊ぶ子どもは昔からいない。僕自身も過去に一回だけ訪れたことがあるだけで大した思い入れもなかった。
狭い敷地内にある遊具は、鎖の錆びたブランコと荒れた砂場だけ。どこで待っていようか悩んだ末、一番目に付くだろうブランコに腰かけていることにした。
座板に尻を据えると、全身から汗が吹き出してきた。日に日に温度は上昇し、夏の様相を呈し始めている。ここが日陰でよかったと心の底から思った。
頭上を覆った樹木のせいで太陽の移ろいが分からなかくなっていた。ふと入り口の脇に立っている時計台を見上げると、指定した時刻を十分ほど過ぎていた。
僕は半ば諦めながら俯いてブランコを揺する。きぃきぃとブランコの虚しい叫びが鳴った。その所為で気付くのが遅れた。僕の視界の端にヨレヨレのスニーカーの爪先があることに。
僕は跳ね上げるようにして顔を上げる。
ブランコの前に、重川嘉孝でもなく森村和樹でもない背の高い男の子がいた。
どこかで見たことあるような、ないような……。
彼が矢野彰介だろうか? 名前を訊ねようとして、慌てて口を噤む。それでは駄目なのだ。僕が理想とする会合は、今まで関わり合いのなかった子どもたちが何者かに召集されるというものだから、僕が彼の名前を知っていてはいけないのだ。
僕は矢野彰介だろう子が浮かべている表情をなるべく真似た。君は自分と同じ目的でここにいるのか? と問いたげな表情だ。そうして、表面では現状に戸惑っているふうように装っていた僕であったが、内心は飛び上がらんばかりに歓喜していた。一人も現れないことも想定していたのだから当たり前だろう。自然と口角が上がってしまうのを何とか堪え、僕はその長身の子を見つめ続けた。
彼から口を開いてくれることを期待したのだが、そうはならなかった。もし、このままの状態が維持されるようなら僕から彼へ何か掛け合わなければならないだろうと決意した矢先のことだった。
公園の入り口から砂利を踏む足音が聞こえ、僕がそちらへと視線を向けると長身の子も振り返った。
やって来たのは森村和樹だった。
金髪の前髪から鋭い視線を奔らせ、近付きながら僕たち二人をじろじろと観察する。彼の登場が現状に動きを与えてくれることを期待したのだが、森村和樹はブランコの傍まで歩いてきただけで、一言も発さずに口内のガムをぐちゃぐちゃと噛み続けていた。
やっぱり僕から何か口にした方がいいだろうか。そう再度決意して、僕は手に握られたブランコの鎖を拠り所にして喋り出した。
「あの、えっと……君たちも、もしかして?」
なるべく自信がなさそうに言って、さり気なくポケットから便箋をのぞかせる。これだけで彼らには、少なくとも森村和樹には通じるだろうと踏んでいた。
矢野彰介だと思われる子が、無言で口を動かしている森村和樹を一瞥してから言った。
「家にさ、学校のプリントに紛れて、これが届けられた」
その一言で彼が矢野彰介だと確定した。僕はほっとして矢野彰介がジーンズの後ろポケットから引っ張り出した紙片を見る。間違いなく僕が渡した便箋だった。
「僕は、学校の下駄箱に入ってた」
もっともらしい嘘を吐いて僕は黙る。僕の身分証明を終えた矢野彰介は、横にいる森村和樹へと顔をやった。森村和樹は空々しくガムを咀嚼しながら便箋を取り出し、「ん」と顔の前でひらひらと振った。その態度が不快だったのか矢野彰介が顔を顰めた。僕は繋ぐ言葉を探したが何かを口走って裏目に出てしまうことを思うと、口を開くのがはばかれた。
ぎこちない雰囲気のまま沈黙が漂う。静寂にあるのはガムを噛む音とブランコが揺れる音。矢野彰介は俯いたり木を仰いだり落ち着きがない。それは森村和樹も同様で、先ほどからガムの咀嚼音が早まったかと思ったら味を噛み締めているかのように遅まったりしている。
僕は公園の入り口に頻りに視線をやっていた。重川嘉孝は来るだろうか。もし来ないのならこの二人だけで話を進めなければならない。指定の時刻はもう十五分経過している。これから重川嘉孝が来るという望みは薄いだろう。
それでも僕は来てくれるのではないかと期待して、もう少しだけ待つことにした。しかし、しばらくして現れたのは、見ず知らずの小柄な少年だった。
驚くことに、僕はずっと入り口の監視をしていたというのに、まるで幽霊のようにふらっと公園に足を踏み入れた少年がキョロキョロと顔を動かしてこちらへと向かってくるまで、彼を認知することができなかった。
慌ててブランコから立ち上がると、矢野彰介と森村和樹も少年の登場を知った。
彼らはあの少年も自分たちと同じ目的で訪れたと思っているようだった。ふらふらしている少年の挙動を訝りながらも警戒はしていないようであった。
僕は頭で暴れ回っている焦燥と困惑を傍目にして、とにかく状況の把握に努めた。
この公園に遊びに来た子どもだろうか? どうやって追い返そう。いや、そんなことをしてしまうのは不自然だろうか? まだ背が小さい。僕たちよりいくつか年下だろう。四年生か三年生くらいか。他に人影はない。この少年は一人でこの公園に来たようだ。
僕は、背の高い矢野彰介のことを不思議そうに見上げている少年の片手に見覚えのある便箋がグシャグシャに握られているのを発見した。
僕が落としたものを拾ったのか!
少年の登場の経緯が分かると、僕は少しずつ落ち着きを取り戻して行った。
少年の風貌をよく観察してみると、彼には見覚えがあった。彼は特別学級の生徒の一人だ。学校で落とした便箋を彼が拾い、なかを見てここまで足を運んできたのか。
彼の名前は一度だけ誰かが口にしていたが、僕は沼崎という名字しか覚えていなかった。
「君はその手紙をどこで?」
矢野彰介も見上げてくる沼崎の手にある紙片に気付いたようだ。
「これはね、学校で拾ったの」
夢のなかの登場人物のようなおっとりとした喋り方だった。矢野彰介が続けて、「拾った? もらったんじゃなくて?」と訊ねると、沼崎少年は嬉しそうに頭を縦に振った。
「うん。廊下の隅っこに、ぽてって落ちてた」
「そういう場合もあるのか……」
矢野彰介が物思いに耽るようにして顎に手をやった。僕はやっぱりそうかと納得して彼の対応をどうしようかと悩んだ。あの手紙を持っている以上、追い返すのは不自然だ。このまま彼もメンバーに入れてしまう方が穏便に済むだろうか……。
沼崎の処遇を考えながら再びブランコに腰かけようとした――が、背後の藪から突然大きな物音が立ち、仰天してしまった僕はブランコに座り損ねて腰から地面へと落下した。
引っくり返った亀のような間抜けな体勢で茫然としていると、音のした藪のなかからガサゴソと人が現れた。
逆さに見える景色で超然と佇んでいるその人物は、重川嘉孝だった。
彼は片手を腰に当て、驚いている一同を眺めて鼻で笑う。
「なにを驚いているんだ」
間抜けにも仰向けで倒れている僕を見下しながら、彼は高慢な口調で喋り出した。
「君たちは、これを受け取ってノコノコとここへやって来たのか?」
便箋を顔の前に掲げて重川嘉孝は言う。その高圧的な態度が気に食わなかったのか、矢野彰介が眼つきを鋭くして彼に返した。
「そうだよ。……ていうかさ、お前もそれを持ってるってことは、俺たちと同じ理由だろ、ここに来たの。なんでそんな偉そうなんだよ」
重川嘉孝が鼻で笑い、矢野彰介の目がさらに鋭利になった。一触即発の二人のことを森村和樹は楽しそうに眺めている。沼崎少年はというと、しゃがみ込んで足元の砂をいじっていた。
関係が険悪になりこのまま解散になってしまう展開は、僕にとってありがたくはなかった。僕は急いで起き上がって背中に着いた土を払って言う。
「あの、せっかく集まったんだからもっと仲良くしようよ」
「集まった、ね」
意味あり気に重川嘉孝が口にして、眼鏡を隔てた瞳が僕の顔をジロと眺めた。
僕は言葉に詰まる。
もしかしたら彼は、僕が同じ塾に通っていると知っているだろうか。だとしたら、この場にいることを不審に思うかもしれない。唾を飲み込んで静かに彼の言動を待った。
「まぁいいか」と、呟いて重川嘉孝は続けた。
「私も君たちと同じ理由でここに来たのだよ。そう。世界の終わらせ方とやらを考えるために、ね」
世界の終わらせ方――。
その言葉が重川嘉孝の口から出た瞬間、薄暗い公園内の空気が一挙にして重苦しいものとなった。
そうなのだ。ここにいるものは、世界の終わらせ方を考えるために差し出し不明の手紙を受け取って、疑念を抱えながらもこの場所にやって来た。それはつまり、どんなものにすがってでも世界を終わらせたいという願望があるということなのだろう。
「さぁどうする? さっそくだが考えてみるか、世界の終わらせ方を」
どこか小馬鹿にした語調で重川嘉孝は、ゆっくりと視線を回らせて一人一人の顔色をうかがう。皆その視線から逃げるようにして目顔を逸らし、重川嘉孝の問い掛けには答えようとしなかった。
「なんだ黙り込んで。君たちは世界を終わらせたいのではないのか?」
幻滅と嘲弄を均等に混ぜたような表情をして重川嘉孝は言い、入り口にある時計を見上げた。その動作が、今からならまだ塾に間に合うだろうかと逡巡しているように感じた僕は、とっさに胸の前で小さく手を上げて言った。
「僕は、終わらせたいです、世界を」
僕が口火を切るとは思っていなかったのか、矢野彰介が意外そうに眉を上げ、「俺も終わらせたい」と続いた。
沼崎少年は砂利をいじっていた手を止め、つぶらな瞳で僕たちのことを見上げている。森村和樹は顔を俯けたまま動きがない。二人とも声はないが立ち去ろうともしないので、重川嘉孝は無言の賛同として受け取ったようだった。
「それなら、そうだな。進行を円滑に行うために、まず呼び名を決めようか。私のことは――」
『教授』と呼んでくれ。
重川嘉孝の声があのときのままの状態で耳のなかで木霊した。
続いて矢野彰介が何か考える素振りをして『虫籠』と名乗った。森村和樹は顔を上げ、『親殺し』とにやけながら口にした。沼崎悠は状況を呑み込んでいないのか僕たちのことを見上げ続けていた。「なんかこいつ、ふらふらしてたし、『夢遊病』とかでいいんじゃねぇの」森村和樹の提案を拒むものは誰もいなかった。
そして僕は、とっさに思いついた単語を口にした。
今になって思えば、その呼び名は僕の名前に起因していたのだろう。
何かの『基』になる人になりなさい。
いつの日か訊かされた母親の声が、今更のように鼓膜を震わせた。
次で終わりです。
また明日くらいに投稿します。




