嵐
「アレクセイ、海へは近づいてはいけませんよ」
母上の声がする。
海は、ざあざあと音を立てている。
_____僕はただ、石造りの小さな城の窓辺に座り薄暗い海を眺めていただけなのに。
侍女たちが慌ただしく荷造りをしている。
「あぁ、なんということ・・・メイス大公が、裏切っていたなんて」
母上が涙を流し、僕の頬にそっと触れた。暗雲と立ち込める空に窓にぽつりと雨がつと流れる。
僕は、ぼんやりと窓を眺める。
(王様のいない椅子)
母上が守っていた黄金色の王座は、何の意味もないものだと僕は知っていた。
もともと母上は、権力のない商人の娘なのだから。
母上は、浜辺を歩いているところを王である父上に見初められ王妃となったのだ。
「雨・・・・」
ぽつり、ぽつりと雨が降る。城の門には、数人の鈍く光る銀色の鎧を纏った兵士たち__皆、武器を持っている。
(僕らを殺しに来たんだ)
死神たちが、激しく扉を叩いている。
「わたくしの可愛いアレクセイ、せめて貴方だけは・・・」
王妃は王子から離れ、急いで走ると胸に下げていた小さな鍵を取り出した。
寝室の地味な装飾の机____これは、王が死んだ日_____魔法使いから貰った机。
「あぁ、あの化け物に力を借りるしか・・・・」
震える手でしっかりと鍵を握り、王妃は、かちりと戸棚を開けた。するとふわりと風が何処からか吹いた。
「どうなるかは分かっていますね」
いつの間にか部屋の隅に男が立っていた。狩人の恰好をした男。それだけだ______何の特徴もない、一度会ったらそうすぐに忘れてしまいそうな程、印象の薄い男。
確か、初めて会ったときは、老人の姿をしていた。
そして、老人は己のことを魔法使いだと言っていた。
最初は、もちろん信じていなかった。
(王子様の心を奪うことが出来たなら)
魔法の代価は、その魔法の重さによって違う。よもや失われた魔法は貴重であり、それを扱えるものは数少ない。
女の与えた対価は、愛であった。願ったにも関わらず叶えられなかった夢だったが、神はすぐに女に新しい希望を与えてくれた。
希望は、夢となった。
可愛い息子______王子が、あの黄金の王座に坐する時が来るのならば。
「悲願が達成出来るのであれば・・・手段は選びません」
そう言い放ち王妃は、鍵を開け引き出しを開けた。