第九章、休日
卸本町の蜃気楼オリジナル文章
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日曜日の午前中、約束通り杉浦のバイクに跨る春菜。
中田島のワイディングロードを、駆け抜けていた。
この時代のバイクは、ノーマルでも爆音で、振動も酷かったが、
それなりに、早くて刺激的だった。
バイクを止めて二人は、砂浜に足を踏み入れ、波打ち際で波の水しぶきが覆い、
霧の様に舞う白波が眩しく、幻想的であった。
春菜は、波打ち際を歩いていた。
杉浦はその姿を、砂浜に座り見詰めていた。
しばらく二人は、そのまま時だけが過ぎて行った。
そして杉浦の横に佇み、何気なくしゃがむと、
春菜は、杉浦に振り向いて、「夢って、ボウリング場を経営する事だけでは無いよね」。
杉浦は海を見詰めて、「勘がいいな、そう、ボウリング場は、夢の途中でしか過ぎないよ」。
春菜、「ウフフフ、そうだと思った!」。
杉浦、「アメリカで、ハリウッドの様な映画会社を設立するんだ。
俺は映画を製作したい」。
春菜も浜辺に座り、「適うよ..」と、呟いた。
杉浦、「春菜ちゃん、初めて未来の明るい希望を述べたね..。アハハハハ」。
春菜、「私の時代でも、小規模の夢を適えた人は、挫折してるけど、
大きな夢を抱き、適えた人は皆な命果てても、その名と功績は語り継がれてるから」。
杉浦、「俺、あまり本当の夢を、人には言わないのさ。
前の彼女には言ってみたけど、結局現実を愛した」。
春菜、「現実こそ無常のなの、夢こそ永遠の持続なの。
夢は必ず適えて初めて、その価値を知る者達が、評価して称える。
現実は、有り得ないと信じる者こそ愚かで、
脆くも崩れ去る事に、後悔する。
誰もが信じた、潰れないと言う、銀行神話は脆くも崩れ、
下がる事は無いとした基準の、担保となった土地価格は暴落した。
大きな夢を語ると、誰もが皆適う事を否定する。
夢を抱いた者が、夢を適えた時、夢が適う事を否定した者達が、羨ましがる。
その時、否定した者は過去に、現実と言うその場に見えていた、
幸せに落ち着くけど、永遠には続かない事を知る現実が襲った。
地震が起きた時、階段で逃げるは難として、エレベーターに群がり、
我先にと乗り込むは、 一時の恐怖からの逃れ。
乗り遅れた者は、仕方なく階段を使うが、外に出るまで階段を下りる最中は、
不安と恐れが付き纏うが、結果的にはエレベーターは途中で止まり、
閉じ込められて、遭えなく死に繋がる。
階段を使った者は、地震が起きて上から、落下物に注意を払えば、
無事に下の階に辿り着き、外に出られる」。
杉浦は、その説得力に心を動かされた。
杉浦、「信じる者は救われるんだね!」。
春菜、「時代は何時もそう。昨日信じてた当たり前が、
今日は常識外れなの。
それはファッションだけでは無かった、雇用も景気も優しさも。
明日は違う状態になってるの。
当たり前が、在り来たりになって、有り得なくなる」。
杉浦、「そうか、好景気は後退して後悔する」。
二人は笑った。
この物語はフィクションであり、登場する人物、建物などは実際には存在しません。




