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てのひら無双 ~精霊に愛された人形師ときゃわわぬいぐるみ~  作者: 鮪野登呂介
港町エルミナ編

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新しい素材が欲しい!

泥まみれで帰ってくるカエデ、思い浮かべながら書いてにやにやしました。しろの戦闘シーン、加減はしてるけどはっきり格が違う感じを出せたかと思います。


問題が起きたのは、エルミナに来てから十日が経った朝のことだった。


楓は素材の袋をひっくり返して、唸った。


羊毛の布地があと一枚。糸は数色残っているが、白と茶色がほぼない。詰め物用の綿が底をついている。ガルドの孫のためのうさぎに使った分がかなり大きくて、思ったより早く消費してしまった。布地屋のおばさんのところには行けるが、もっと多様な素材が欲しかった。魔獣の毛皮とか、光る鉱石の粉とか、異世界の素材でできたぬいぐるみを作ってみたい、という欲求が数日前から頭の中でぐるぐるしていた。


「リリアさん、森の近くに素材を取りに行く人ってこの街にいますか?」


朝食のスープを飲みながら聞くと、リリアが「ああ」と頷いた。


「薬草採りや素材集めで森の外れまで行く人はいるよ。ギルドに頼めば同行させてもらえると思うけど。ただ、あそこは時々魔獣が出るから、一人では絶対だめよ」


「魔獣、というと」


「大きな動物みたいなものがいるの。普通の野生動物より力が強くて、魔法も使う。冒険者でも気をつけないといけないくらいで、素人が一人でうろうろする場所じゃない」


そういえば九日前に市場でしろが消した炎も、冒険者の魔法が暴走したものだった。それくらいの力を持ったものが野生にいる、ということだ。


「しろがいますし、大丈夫じゃないですかね」


リリアが少し困った顔をした。


「しろを連れていけば安全、ってわけじゃないと思うけど……」


「でも市場でしろ、あれをすうっと消しましたよ」


「そうだけど」


「ガルドさんが言ってました。本気を出したら街一個消えるかもって」


「それ安全の話じゃなくて危険の話じゃないの!?」


「方向が私側に向いてるから大丈夫だと思います」


「その根拠がふわっとしすぎてる!」


下からルーチェが上がってきて「なにそれ面白そう」と言った。楓は「森に素材取りに行こうと思って」と説明した。ルーチェが「私はいい」と即答した。三回の速さだった。


---


結局、ギルドを通じて薬草採りに行く予定のベテラン冒険者二人、ドルスとマヤの組に同行させてもらえることになった。


ドルスは四十代の大柄な男で、鎧は着ていないが体格だけで十分な迫力がある。マヤは三十代の女性で、短い髪と鋭い目が印象的だ。どちらも一見して「場慣れしている」という空気があった。


「子どもが来るのか」とドルスが言った。


「人形師です。素材が欲しくて」


「魔道具師の子か? それがあの有名な……」


「ぬいぐるみです」


「ぬいぐるみ」


ドルスとマヤが顔を見合わせた。市場でのしろの話はギルドでも広まっているらしく、マヤが「精霊が宿ってるやつだろ、見たかった」と言って楓の懐を覗き込んだ。しろが顔を出した。


「……ちっちゃいな」


「ちっちゃいです」


「これが炎を消したのか」


「消しました」


「まあ、精霊はわからんもんだ」マヤが立ち上がった。「とにかく、子どもでも連れていくのは構わん。ただし、何かあったらすぐ俺たちの後ろに隠れること。いいな」


「はい」


「それと、何があっても自分で無茶をするな。人形師が戦う必要はない」


「わかりました」


楓は答えながら、こっそりリリアから借りた小さなナイフを腰の布ひもにさした。お守り程度だが、ないよりまし。そう思っていた。


思っていた、のだが。


---


朝の港を出て、石畳を抜けて、街の外に出ると、世界がいきなり広くなった。


「うわ」


思わず声が出た。


草原が広がっていた。海からの風が草をさわさわと揺らして、遠くに森の緑が見える。空が高い。雲が白くて、太陽がまだ低い角度から光を当てていて、草の先がきらきらしている。港の石畳と海の匂いに慣れていた目に、この広さは少し眩しかった。


「きれい……」


「来たことなかったか?」とマヤが聞いた。


「ここに来てまだ十日なので」


「そうか。まあ、いい場所だ。港から歩いて半刻ほどで森の外れに着く。そこまでは比較的安全だ」


ドルスが先頭を歩き、マヤが後方を確認しながら進む。楓は二人の間に挟まれる形で歩いた。しろが懐から顔を出して、風に耳を傾けていた。楽しそうに見える。気のせいかもしれないが。


草原には小川が流れていて、橋の代わりに石が並べてある。水が澄んでいて底の石が見えた。冷たそうだった。小さな魚が泳いでいる。


「あ、魚いる」


「川魚だ。煮ると旨い」とドルスが言った。「立ち止まるな」


「はい」


小鳥が鳴いていた。風が温かかった。こんなに気持ちいい朝があるんだな、と楓は思った。前の世界で朝に感じた気持ちよさは、休みの日にコンビニに行くときくらいだった。それと比べるのも失礼なくらい、今朝は良かった。


森に近づくにつれて、木が増えてきた。葉の色が濃くなって、地面に影が落ちてきた。空気が少し湿っている。


「ここから先は気をつけろ」とマヤが言った。「小型の魔獣なら俺たちで対処できる。ただし、大型が出たらすぐ逃げる。いいな」


「はい」


楓はしろを懐に収めて、腰のナイフに手を触れた。ちゃんとある。いざとなれば使える。二十八年間刃物を握ったことのない事務職だけど、きっと何とかなる。そう思っていた。


---


森の外れで素材を集め始めて三十分が経ったころ、楓は完全に夢中になっていた。


この場所はすごかった。


光沢のある樹皮が剥がれて地面に落ちている。触ると滑らかで、角度によって色が変わる。こういう素材でぬいぐるみの目を作ったら面白いかもしれない。足元には青みがかった苔があって、乾燥させると染料になりそうだ。倒木に白いきのこが生えていて、ドルスに聞いたら「毒はない、煮ると旨い」と言われた。すごい情報量だ。


木の幹に絡まった植物の繊維が、糸の代わりになるかもしれない。引っ張るとかなり強い。


「これ、いただいていいですか?」


「勝手に取っていい。ここは誰のものでもない」とマヤが言った。「ただ、根ごと抜くな。来年も使えなくなる」


「わかりました」


楓はせっせと採集した。布切れを広げて、気になるものを端から入れていく。光る樹皮の欠片、青苔のかたまり、強い繊維の束、地面に落ちた小さな赤い実。


「楽しそうだな」とドルスが苦笑した。


「楽しいです。素材がいっぱいある」


「そういうもんかね」


「こういう素材でぬいぐるみを作るとどうなるのか想像するだけで楽しくて」


「ぬいぐるみ師というのはそういう商売か」


「人形師です。でもまあ、そういう商売です」


しろが楓の腕の上をよちよち歩いて、何かを嗅いでいる。木の根の近くで立ち止まって、ぴこ、と耳を動かした。


「ここに何かある?」


しろの耳がもう一度動いた。


楓が根の陰をそっとのぞくと、小さな鉱石のかけらがあった。薄く緑がかった、半透明の石だ。光に透かすと中が光るように見える。


「きれい……」


「魔石の欠片だ」とマヤが横から言った。「魔獣が落としていくことがある。小さいが、ぬいぐるみの目に使えるかもな」


「使います絶対」


布切れに丁寧に包んだ。しろが鼻先で楓の頬をつついた。気のせいかもしれないが、誇らしそうに見えた。


---


問題は、そこから四十分後に起きた。


ドルスが突然立ち止まって、手を上げた。全員が静止する。


「……臭う」


低い声だった。マヤが腰の剣に手をかけた。楓も思わず腰のナイフに手を伸ばした。


草がざわ、と揺れた。


茂みの奥から、それが出てきた。


大きい。


犬と熊を足して二で割ったような輪郭で、体が黒くて、口が耳まで裂けている。目が四つある。全部こちらを向いていた。肩の高さが楓の胸くらいある。爪が長くて、地面にこすれてじゃりっという音がした。のどの奥から低い唸り声がしていた。


「中型だ」とドルスが静かに言った。「楓、後ろに下がれ」


「は、はい」


足が動いた。後ろに二歩。草を踏む音がした。魔獣の目が楓に向いた。四つ全部。


「下がれ、って言った!」


「下がってます!」


魔獣が地面を蹴った。


速かった。あの大きさでこの速さか、という速さだった。ドルスが剣を抜いて前に出る。マヤが横に跳んで魔獣の側面に回ろうとする。


でも楓の方が近かった。


魔獣が楓を向いている。四つの目が全部楓を見ている。楓と魔獣の間の距離が、一息で詰まった。


「やばい!」


腰のナイフを抜いた。抜いた。抜いたけど。


手が震えていた。二十八年間、ハサミ以上の刃物を実戦で使ったことなんてない。コピー機の番人が刃物を持ったところで、何ができるというんだ。


頭の中で自分にツッコんでいる場合じゃなかった。


でも体は動かなかった。


魔獣の爪が空気を裂いた。


その瞬間。


---


しろが、弾けた。


懐の中から光が走った。青白い、鋭い光だった。温かい色じゃない。刃のような色だった。


風が、来た。


「来た」なんて言葉では全然足りない。嵐が来た、に近い。でも嵐より速くて、嵐より正確だった。一点に向かって収束する風が、目に見えない刃のように走った。


魔獣が横に吹き飛んだ。


体重が楓の三倍はありそうな魔獣が、まるで紙切れみたいに横に吹き飛んで、木の幹に激突した。どがっ、という轟音。幹が揺れて、葉が一斉に落ちてきた。


魔獣は倒れたまま、ぴくぴくしていた。


気絶している。


死んでいない、と楓は思った。しろは加減していた。意図してかどうかはわからないが、殺してはいなかった。ただ、完全に無力化されていた。あれだけの衝撃を食らって、起き上がる気配がない。


森が静かになった。


しろが楓の肩の上に乗っていた。いつの間に出てきたのか。小さな体で、でも目が青白く光っていて、まだ周囲を見回していた。他の脅威がないかを確かめている。


しばらくして、光が収まった。


また、いつものしろになった。


ドルスが剣を収めた。マヤが大きく息を吐いた。


全員が、しろを見た。


しろは楓の肩の上で、ぴこ、と耳を動かした。


---


「……なんで私のぬいぐるみがこんなに強いの」


楓はへたり込んだ。草の上に膝をついて、腰のナイフを両手で持ったまま、ぼうっとしていた。ナイフは一ミリも使っていない。出番が来る前に全部終わっていた。


「精霊ってこういうもんか?」とドルスが言った。


「ガルドさんは本気を出したら街一個消えるって言ってました」


「……ギルド長が?」


「はい」


ドルスとマヤがもう一度しろを見た。しろは楓の肩の上でのびをしていた。


「その精霊、今日はどのくらい本気だったんだ」


「わかりません。しろが本気にならなきゃいいな、と思ってます」


「……俺も思う」


マヤが「まあ、助かったからよしとしよう」と言って、倒れている魔獣に近づいた。「しっかりしてる。毛皮がいい状態だ。素材として持ち帰れる」


「え、持って帰っていいんですか」


「倒した側の権利だ。でかくて重いから、一部だけになるが」


「欲しいです!」


反射的に答えた。魔獣の毛皮でぬいぐるみを作ったらどうなるか、頭の中に光が走った。この光沢、この密度、縫いやすいかどうかはわからないが絶対面白い。


「さっきまで震えてたくせに切り替え早いな」とドルスが言った。


「素材のことになると目の色が変わるんです」


「人形師ってそういうもんか」


「そういうもんです」


ドルスが苦笑して、魔獣の毛皮を処理し始めた。楓はまだ膝をついたまま、ナイフを腰にしまった。


腰のナイフのことを少し考えた。あれがあれば何かできると思っていた。でも実際には、抜いた瞬間に手が震えていた。当たり前だ。コピー機の守護神だった人間が、牙と爪を持つ生き物の前でナイフを使えるわけがない。体力もない、反射神経も訓練されていない、戦い方も知らない。


人形師に戦闘力は要らない。その分、しろがいる。


そういうことなんだろう、とぼんやり思った。


「しろ」


肩の上のしろを見た。しろは楓を見た。青い目で。静かな目で。


「ありがとう」


しろの耳が、ぴこ、と動いた。


---


問題が起きたのはその後だった。


魔獣の毛皮を受け取って布切れに包もうとしたとき、足元の地面が柔らかくなっていることに気づかなかった。昨夜の雨で濡れていたらしい。一歩踏み出した瞬間にずぼっと足が沈んで、体のバランスが崩れて、そのまま盛大に転んだ。


泥の中に、顔から突っ込んだ。


「っ……!」


起き上がると、顔が泥まみれだった。服も膝から下がどろどろだった。素材の布切れはギリギリ守ったが、楓本人はかなりひどい有様だった。


ドルスが噴き出した。マヤも笑いを必死に堪えていた。しろが楓の頭の上から覗き込んで、目を細めた。


「笑うところじゃない!」


「いや、笑うだろ」とドルスが言った。「さっき精霊が魔獣を一撃で吹き飛ばした直後に、人形師が泥に沈んだんだぞ」


「落差がすごい」とマヤも言った。


「うるさい」


楓は泥だらけのまま立ち上がって、素材の包みを胸に抱えた。魔石の欠片は無事だった。毛皮も無事だった。光る樹皮も青苔も繊維も無事だった。全部無事だった。


人形師は守るものさえ守ればそれでいい、と自分に言い聞かせた。


説得力があるのかどうかはわからないが。


---


エルミナに戻ったのは昼過ぎだった。


楓が泥まみれのまま花屋に帰ると、まずリリアが「どうしたの!?」と飛んできた。次にルーチェが「なにそれ」と言って笑った。


「転んだ」


「魔獣には?」


「しろが全部やりました」


「だよね」


「だよねって何」


「最初からそうなると思ってたから」


「……なんで止めなかったの」


「止めてほしかったの?」


止めてほしかったかといえば、止めてほしくなかった。あの森の広さも、草原の空も、光る樹皮も魔石も毛皮も、全部良かった。転んだことを除けば。


リリアが湯を沸かして、楓に着替えを持ってきてくれた。泥だらけの服を洗いながら、リリアが「怪我はない?」と聞いた。


「転んだだけなので」


「転んだだけ、ね」リリアが苦笑した。「また行くの?」


「行きます」


「そう」


リリアが楓の頭をぽんと叩いた。怒っているわけではなさそうだった。「気をつけて」と言った。それだけだった。深く聞かない、余計なことを言わない。リリアはそういう人だった。


着替えて、綺麗になって、楓はルーチェが持ってきたお茶を受け取った。


「で、素材は?」


「ばっちり」


楓は布切れを広げた。光る樹皮、青苔、繊維の束、赤い実、そして薄緑の魔石の欠片と、魔獣の毛皮の一部。


ルーチェが目を丸くした。


「……なにこれ全部」


「素材」


「魔獣の毛皮まで」


「いいでしょ、触ってみて」


「えっ、いいの」


ルーチェが恐る恐る毛皮を触った。「……やわらかい」と言った。「こんなに強そうなのに」と続けた。


「これでぬいぐるみ作ったらどんなのができると思う?」


「なんか……強そうなぬいぐるみ」


「強そうなぬいぐるみ、いいな」


「しろが宿ったら本当に強くなりそうで怖い」


「それはそれで面白くない?」


「面白いけど怖い」


二人でお茶を飲んだ。しろが素材の山の上に乗って、魔石の欠片を鼻でつついていた。お気に入りらしい。気のせいかもしれないが、今日の戦果に満足しているように見えた。


楓は窓の外を見た。港が見える。船が揺れている。昼の光が水面に散っている。


あの草原と森は、この港の先にある。毎日海を見ながら仕事して、たまに外に出ると世界がまだまだ広い。


悪くない。全然悪くない。


「のんびりスローライフ……」


楓は遠い目で呟いた。


「してないじゃん」とルーチェが間髪入れずに言った。


「してたかったんだよ」


「なる気がしないけどね」


「うん、わかってきた」


しろが素材の上でごろんと転がった。楓はそれを見て、また少し笑った。

「28歳OLが急に冒険」問題、ナイフを抜いて手が震えるシーンで解消しました。戦えない。でもしろがいる。それで十分、という人形師らしいスタンスが固まった回です。次回はぽぽ誕生!

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