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てのひら無双 ~精霊に愛された人形師ときゃわわぬいぐるみ~  作者: 鮪野登呂介
港町エルミナ編

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おっさん、審美眼

ガルドがうさぎを持ったまま出ていく回、書きながらにやにやが止まりませんでした。怖そうなおじさんが孫に弱い、これは最強のギャップです。

ガルドの孫のためのうさぎを作ろうと決めた翌朝、楓は素材を広げて少し考え込んだ。


五歳の女の子。うさぎが好き。


それだけしか情報がない。


ガルドがあれ以上言わなかったのは、照れていたのか面倒だったのかどちらかだと思う。でもたった三つの情報でも、作るものの方向性は見えてくる。五歳なら小さすぎず大きすぎずの手のひらサイズ。女の子なら少し柔らかい印象で。うさぎが好きなら、うさぎらしさを大切に。


問題は素材だった。


今まで使ってきた羊毛の布は丈夫で縫いやすいが、触り心地という点では少し固い。子どもが抱きしめるものなら、もっと柔らかい素材がいい。リリアに相談すると、「布地屋のおばさんに綿の素材があるか聞いてみたら?」と言ってくれた。


いい提案だった。


「いってきます」


「気をつけてね」


花屋を出ようとすると、ルーチェが「私も行く」と言って立ち上がった。


「別に一人で行けるけど」


「私も布地屋に用があるから」


「何の用?」


「……おばさんのところで新しい布が入ったって聞いたから」


「用じゃなくて物見遊山じゃん」


「うるさい」


ルーチェが先に歩き出した。しろが楓の懐からひょいと顔を出した。今日もちゃんと顔だけ出ている。慣れてきたのかもしれない。


---


布地屋のおばさんは今日も元気だった。


「カエデちゃん! また来たの!? 今日は何作るの?」


「ガルドさんのお孫さんにうさぎを作ろうと思って。柔らかい布地はありますか?」


「ガルドさんのお孫さんに!?」


おばさんの目が輝いた。この街でのガルドの立場が伺える反応だった。


「あの子に……ちょっと待ってて!」


おばさんが奥に飛び込んでいった。どたどたという音がして、何かを引っ張り出している気配がした。しばらくして戻ってきたおばさんの手には、クリーム色の柔らかそうな布地が抱えられていた。


「これ! 南の島から入ってきた綿の布でね、もう触り心地が最高なんだけど、少し値が張るからなかなか売れなかったのよ。でもガルドのお孫さんのためなら!」


楓が触ってみると、本当に柔らかかった。しろが懐からするすると降りて、布地に鼻先を近づけた。


「……どう?」


しろが耳をぴこ、と動かした。


「これにします」


「ほんとに!?」


おばさんが両手を叩いた。ルーチェがいつの間にかおばさんの隣に来て、布地を一緒に触っていた。「ほんとにやわらかい」と言った。こういうときのルーチェは隠しきれない。


---


花屋に戻って、楓は縫い始めた。


ルーチェがお茶を持ってきて、楓の斜め向かいに座った。いつものことだった。この子は本当に自然にここに居座るようになった。特別に頼んだわけでも許可を求められたわけでもなく、ある時点からお茶を持って来るのが当たり前になった。楓は別に嫌じゃなかった。むしろ誰かが近くにいると縫いやすい気がする。前の世界でも一人より誰かいたほうが作業が捗った。ましろんの配信を流しながら縫うのが好きだったのもそういう理由だ。


「どんなうさぎにするの?」


「柔らかくて、丸くて、抱きしめたくなるやつ」


「具体的じゃない」


「でも伝わるでしょ」


「まあ、伝わる」


ルーチェはお茶を飲んで、ぽちを取り出した。いつの間にか持ち歩くようになったらしい。相変わらず動かないが、ルーチェは特に気にしていないようだった。「ぽち、今日も元気」と言っている。うさぎは何も言わない。でもルーチェの手のひらの上で、ちょっとだけかわいく見えた。


楓は布地を裁った。


まず胴体から。丸く大きめに、でも手のひらに収まるサイズ。綿を詰めたときにぱんぱんになりすぎないよう、余裕を持たせて。頭は胴体より一回り小さく。耳は長め、でも細すぎるとぺたんとなってしまうから、芯になる布を重ねて縫う。目は、今日は黒いビーズじゃなくて茶色の小さな石を磨いたものを使ってみよう。少し暖かい印象になる。


「ねえ」とルーチェが言った。


「なに」


「カエデってずっとこれやってたの? 前の土地でも」


「子どもの頃から。うまくいかないことがあるたびに縫ってた」


「うまくいかないこと?」


「いろいろ。会社の話とか」


「会社?」


「……遠い土地の言葉で、働く場所のこと」


ルーチェが「ふうん」と言った。それ以上聞かなかった。こういうときのルーチェは本当に賢い。聞かないことを選べる子だ。


「縫ってると、なんか落ち着くんだよね」


「そういうもんなんだ」


「そういうもんなんだよ。世界がぜんぶ、布と糸と針だけになる感じ。あとはどこかで誰かが笑ってる声とか聞こえたりして、それで十分になる」


ルーチェが少し黙った。それから「なんか詩みたい」と言った。


「詩じゃないんだけど」


「でも詩みたい」


「まあ、そうかも」


楓は少し笑って、また針を動かした。


---


二時間後、うさぎが完成した。


白いというよりクリーム色の、丸くてやわらかいうさぎ。今回は手乗りサイズじゃなくてちょっと大きめのものにしてみた。耳がちゃんと立っていて、茶色の目がほんの少し下を向いているから、なんとなく首を傾けているような印象になった。意図したわけではなかったが、結果的にその方がずっとかわいかった。綿がたっぷり詰まっていて、押すとぎゅっとした弾力がある。


楓はそれを手のひらに乗せて、しばらく眺めた。


光らない。動かない。


ただの、柔らかいうさぎのぬいぐるみだ。


でも今日はそれでいい気がした。これはしろみたいな特別なものじゃなくて、五歳の女の子が抱きしめるものだ。精霊が宿ることより、触り心地がいいことの方がずっと大切な場面もある。


「かわいい」とルーチェが言った。


「でしょ」


「ぽちより上手」


「ぽちが最初だったから」


「まあね」ルーチェがぽちを見た。「ぽち、悔しい?」


うさぎは何も言わない。でもルーチェは「悔しそう」と言った。


---


午後、楓はギルドに向かった。


ルーチェが「私も行く」と言ったので、また二人で歩いた。しろが楓の懐から顔を出している。この状態でギルドを歩くと毎回ちょっとざわめくのだが、もう慣れてきた気がする。


ガルドは執務室にいた。扉を叩くと「入れ」と低い声がした。入ると、書類を広げて難しい顔をしていたが、楓の手のうさぎを見て、一瞬だけ表情が動いた。ほんの一瞬だったが確かに動いた。


「できました」


楓はうさぎをテーブルの上に置いた。


ガルドがそれを手に取った。大きな手で、ぎゅっと握るようにして触った。弾力がある。指で耳を動かしてみる。柔らかい。


長い沈黙だった。


「……やわらかいな」


「南の島から来た綿の布を使いました」


「目が、こっちを向いてる」


「少し下向きに縫ったら、首を傾けてるみたいになって」


「……かわいいな」


ガルドが静かに言った。誰に言ったのかはわからない。うさぎに言ったのかもしれない。


廊下の外でルーチェが「キャッ」とか細い声を上げた。こっそり覗いていたらしい。ガルドが眉を上げたので、楓は「お茶友達です」と言った。ガルドはそれ以上聞かなかった。


「代金は」


「素材代だけで結構です。いい練習になりましたし」


「そうはいかん」ガルドが財布を取り出した。「仕事には対価を払う。それがこの街の流儀だ」


楓は少し驚いた。確かに、と思った。この街の人たちはみんなそうだ。お互いの仕事を尊重して、きちんと対価を払う。大工も薬師も魚師も、それぞれが誇りを持って仕事をして、その仕事に見合ったものを受け取る。


「……ありがとうございます」


「こちらこそ」


ガルドがテーブルの上のうさぎをもう一度見た。それからしろを見た。しろは楓の懐で丸まっている。


「精霊は、今日は宿らんかったか」


「ええ。でも今日はこれでいいかと思って」


「そうだな」ガルドが頷いた。「用途に合ったものを作る。それが職人の仕事だ」


楓は少し胸の中が温かくなった。ガルドは短い言葉しか言わないが、その短さの中に重さがある。前の世界の上司とは正反対だと思った。あの人は長い言葉で人を軽くした。ガルドは短い言葉で人を重くする。


「あと一つだけ、聞いてもいいですか」


「なんだ」


「お孫さんの名前、教えてもらえますか。うさぎに名前をつけてあげたいので」


ガルドが少し間を置いた。


「……エリ、だ」


「じゃあ、このうさぎはエリのうさぎですね」


「そうなるな」


「喜んでくれるといいですね」


「……ああ」


ガルドが立ち上がって、楓の部屋への扉を開けた。颯爽とした背中だった。でもうさぎをテーブルに置かずに持ったまま出ていったので、楓は思わず小さく笑った。


---


ギルドを出ると、ルーチェが扉のそばで待っていた。


「聞こえてた?」


「全部」


「どうだった」


「ガルドおじさん、うさぎ持ったまま出ていったの見た。めちゃくちゃかわいかった」


「そうだよね」


「あの人、怖そうなのにね」


「全然怖くなかった」


「孫に弱い人は怖くないよね」


「そうだね」


二人で石畳を歩いた。夕方になってきて、市場の声が少し落ち着いてきた。遠くで鍛冶師が鎚を打つ音がしている。魚師が今日の水揚げを片付けている。裁縫師の工房の窓に灯りがついた。


この街のみんなが、それぞれの仕事を終えようとしている。


「ねえ」とルーチェが言った。


「なに」


「カエデ、なんか今日いい顔してる」


「そう?」


「うん。昨日より少し、ここにいる感じがする」


楓はしろの頭に手をやった。しろが耳をぴこ、と動かした。


ここにいる感じ。


前の世界では一度もそういう感じがしなかった、と思った。コピー機の前にいても、終電の駅のホームにいても、どこかいつも「ここじゃない場所」にいるような気がしていた。


こっちでは、少し違う気がする。


まだはっきりしないけど。


「……そうかも」


楓は小さく答えた。


ルーチェが「よかった」と言って、また先を歩いた。


夕日が石畳を橙に染めていた。港の方から潮風が来て、どこかで夕飯の匂いがした。

「ここにいる感じ」、カエデが少しずつエルミナに根を張っていく回でした。ルーチェがさりげなく大事なことを言う。この子はそういう子です。次回は素材探しで外の世界へ。

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