やっぱり看板が大事でしょ!
看板一枚でこんなに動くのか、この街の人たち。でもそれがエルミナのいいところだと思います。しろの初お披露目回。かわいいよ、しろ。
看板を出したのは、転生から四日目の朝だった。
といっても大層なものではない。リリアに頼んで端材の板をもらって、木炭で「人形師 カエデ」と書いただけだ。文字は少し曲がった。まあいい。味だと思えばいい。
花屋の軒先の柱に、ひもでくくりつける。
「よし」
一歩下がって眺める。傾いている。直す。また一歩下がる。まだ少し傾いている。でももういい。これ以上やると看板と無限に戦い続けることになる。
「カエデ、それ斜めだよ」
花屋の中からルーチェが言った。
「知ってる」
「直さないの?」
「味だから」
「……ふうん」
ルーチェは納得していない顔だったが何も言わなかった。この子はたまに察しがいい。
リリアが店先に出てきて看板を見て、「かわいいじゃない」と言った。楓は内心ほっとした。リリアに「かわいい」と言ってもらえると、なんか本当にそういう気がしてくる。この人はそういう力を持っている。
「お客さん来るといいね」
「来るといいんですけど……」
看板を出したはいいが、そもそも「ぬいぐるみ」という概念がこの街にない。来てくれるのかどうか、正直まったくわからなかった。
来なかったら来なかったで、また考えよう。まずはやってみる精神だ。
楓はそう思って花屋の一角に戻り、腰を下ろした。しろが膝の上に乗ってくる。そのまま丸くなった。
「……のんびりしてるね、お前」
しろの耳がぴこ、と動いた。
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最初に来たのは、子どもだった。
一人目は七歳くらいの男の子で、看板をじっと眺めてから「なんか書いてある」と言いながら入ってきた。看板の意味を読んでいない。
そしてしろを見た。
「……うごいてる」
「動いてるよ」
「ほんとにうごいてる」
「うん」
「なんで?」
「なんでなんだろうね…」
「お姉ちゃんにもわかんないんだ。でもかわいいね」
「そう、かわいい」
男の子は楓の膝元に近づいて、しろをじっと眺めた。しろも男の子を見た。どちらも動かない。にらみ合いみたいな状態が数秒続いて、しろがのそっと立ち上がり、男の子の方へ歩いていった。
男の子が「ひゃっ」と声を上げて一歩下がり、でも逃げなかった。しろが男の子の足元に来て、ちょこんと座った。
「……なでていい?」
「どうぞ」
おずおずと伸ばした手がしろの頭に触れた瞬間、男の子の顔がほころんだ。
「あったかい!」
「でしょ」
その声を聞きつけてか、路地から別の子どもが顔を出した。二人、三人と増えていく。気づいたら花屋の前に六人くらいの子どもが集まっていた。
ルーチェも気になって覗いてきた。
「なにこれ、なんで人が来てるの」
「しろの人気が出てきた」
「しろが?」
「しろが」
ルーチェが腕を組んで子どもたちとしろを交互に見た。しろは子どもたちに囲まれながらも全く動じず、ただそこにいた。むしろ少し得意そうにも見える。気のせいかもしれないが。
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「ぬいぐるみ、作れる?」
女の子の一人が聞いてきた。
「作れるよ」
「ネコみたいなの!」
「ウサギがいい!」
「ぼくはクマ!」
一気にリクエストが来た。楓は少し考えた。
……やってみよう。
針と糸を手に取って、布を広げる。子どもたちが「見たい!」と言って全員が周りに集まってきた。六人にぐるりと囲まれる。ちょっと暑い。でも悪くなかった。
まずはウサギ。白い布を丸く裁って、耳を縫って、目には小さなビーズを使う。綿を詰めて、口を縫う。子どもたちが「ほうほう」と言いながら見ている。ルーチェも輪に加わって首を伸ばして覗いている。なんだかんだ気になっているらしい。
三十分ほどで、小さなウサギのぬいぐるみが完成した。
楓は手のひらに載せて、女の子に差し出した。
女の子が受け取って、目を輝かせた。「かわいい!」
それを見て他の子どもたちが「私も!」「ぼくも!」と言い始めた。
楓は笑って、次を縫い始めた。
「はいはい。私も忙しいから今日はあと一つだけね」
ただ。
一体縫い終わるたびに、楓はそっと様子を見た。
光らない。
動かない。
しろのときのような、あのやわらかい水色の光が、どのぬいぐるみにも起きなかった。
普通のぬいぐるみだった。かわいくて、触り心地が良くて、でもただの、ぬいぐるみ。
……そうか。毎回宿るわけじゃないんだ。
楓はそれを確認して、少しだけほっとした。しろが特別だったんだ、と改めて思った。同時に、しろが膝の上でうとうとしているのを見て、なんか愛おしくなった。
しろだけ、なんだ。今のところ。
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子どもたちがぬいぐるみを手にして帰っていったあと、ルーチェが残っていた。
「作れるじゃん、ちゃんと」
「一応ね」
「でもしろみたいには動かないんだ」
「動かない。普通のぬいぐるみ」
ルーチェがしばらく黙って、縫い終わったばかりの小鳥のぬいぐるみを手に取った。つついてみる。動かない。ひっくり返してみる。動かない。
「なんで宿ったり宿らなかったりするんだろう」
「わかんない」
「カエデが作るから宿るの?」
「……たぶん、毎回じゃない。しろのときはたまたまだったのかも」
「ふうん」
ルーチェは少し考える顔をして、それからもじもじしながら言った。
「……私も、縫ってみていい?」
「どうぞ」
「針貸して」
「はい」
ルーチェが針と糸と布の切れ端を受け取って、見よう見まねで縫い始めた。最初はぎこちなくて、糸が絡んで、「あーもう」と言いながらほどいて、また縫って。
一時間ほど経って、不格好なまるいなにかができた。
「……これ、なに?」
「うさぎのつもり」
「うさぎか」
「うさぎだよ!」
耳らしきものが生えていた。たしかにうさぎかもしれない。楓は「上手じゃない?」と言った。本心だった。初めて縫ったにしてはしっかりしている。
ルーチェが、そのぬいぐるみをそっとテーブルの上に置いた。
二人で、じっと見た。
何も起きなかった。
光らない。動かない。ぴくりともしない。
「……来ない」
ルーチェがぽつりと言った。
「来ないね」
「なんで?」
「わかんない」
「カエデが縫えば来るんでしょ? じゃあ私が縫っても来るはずじゃない?」
「……来るとは限らないと思う。しろだって、私が縫っても一回目は来なかったし」
「え、そうなの?」
「今縫ってるのが初めて宿ったやつ」
楓はしろを指さした。しろが片目を開けて、また閉じた。
ルーチェが自分のうさぎをもう一度見た。それから楓のしろを見た。それから楓を見た。
「……つまり、カエデでも毎回じゃないってこと?」
「たぶん」
「なんで宿ったりしなかったりするんだろう」
「わかんない」
「わかんないことばっかりだね」
「そうだね」
二人でしばらくぽかんとしていた。
法則がよくわからない。なぜしろに宿ったのか。なぜ今日の子どもたちのぬいぐるみには宿らなかったのか。なぜルーチェのうさぎには来ないのか。
楓にはまだ何もわからなかった。ただ、しろだけがここにいる。それだけが確かなことだった。
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夕方近くになって、ルーチェが「あ、お茶淹れてくる」と立ち上がった。
「え、いいの?」
「うち、茶葉いっぱいあるから。お母さんが多めに買いすぎた」
しばらくして、小さなカップを二つ持ってルーチェが戻ってきた。湯気が立っている。少し甘い香りがした。
「なんのお茶?」
「ミラベルの葉。この辺でよく採れるやつ。ちょっと甘い」
一口飲むと、たしかに甘かった。某メーカーの午後に飲む紅茶のような甘さのするのほっとする味だった。
「おいしい」
「でしょ」
ルーチェが満足そうに自分のカップも飲んだ。二人でしばらく黙って、窓から見える路地の夕暮れを眺めた。しろが楓の膝の上でぼんやりしている。ルーチェのうさぎはテーブルの上に、そのまま座っていた。
「……また来ていい?」
ルーチェがふと言った。
「え、毎日来てるじゃん」
「だって看板出たから、もしかして仕事場だから来ちゃだめかなと思って」
「全然いい。お茶飲みに来て」
「縫い物してても?」
「してても。邪魔じゃなければ」
「邪魔しないようにする」
「するじゃん絶対」
「しない」
「する」
「……まあするかも」
ルーチェが笑った。楓も笑った。
路地に夕日が伸びてきて、テーブルの上のうさぎぬいぐるみを橙色に染めた。動かないうさぎで、ただ布でできた、何でもないぬいぐるみだったけれど、なんかそれはそれでかわいかった。
「名前、つけてあげたら?」
楓が言うと、ルーチェが「え」という顔をした。
「名前?」
「動かなくても、名前くらいつけていいじゃないかと思って」
ルーチェがうさぎを手に取って、少し考えた。それから「ぽち」と言った。
「ぽち」
「だめ?」
「だめじゃないけど犬っぽくない?」
「うさぎでも別にいいじゃん」
「まあいいか」
ルーチェが「ぽち、よろしく」と小声でうさぎに言った。うさぎは当然何も言わなかった。
でも楓はなんか、ちょっとだけ目頭が温かくなった気がした。気のせいかもしれないが。
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その夜、屋根裏部屋に戻って楓はしろと向き合った。
しろは窓際に座って、外の夜風を感じていた。月が出ていて、しろの黒い目にその光が映っていた。
「今日、いっぱい見られたね」
しろの耳がぴこ、と動いた。
「どうだった? 子どもたちに囲まれて」
返事はない。でも嫌ではなさそうだった。しろはいつも嫌なことには耳を伏せる。今日は伏せていなかった。
「なんで宿ったんだろうね、お前。私にもわかんないんだよね」
しろがこちらを向いた。
じっと見た。
楓もじっと見た。
わからなかった。でもわからなくていい気がした。理由はわからなくても、しろはここにいる。それで十分だった。
「まあ、いっか」
楓はそう言って布団に潜った。
しろが楓の枕元に来て、丸くなった。
港の波の音がする。ルーチェのぽちは今頃ルーチェの部屋に持っていったんだろうか、それとも下に置いてきたんだろうか、などとぼんやり考えながら、楓は目を閉じた。
転生五日目が終わろうとしていた。
精霊が宿らないぬいぐるみ回、でも全部かわいい。ルーチェのぽちも愛着湧くでしょう? 次回はついにしろが外デビューします。街の人たちがざわめくぞ!




